モンゴリアン | スライダーズおやじ

モンゴリアン

僕は21歳で広告の世界に入りました。

肩書きはコピーライターでしたが、広告プランナーとして、クライアント企業の広告戦略を企画立案する仕事が主でした。

マーケティングの基礎を知らんどころか、セブンイレブンでバイトした経験しかないような大学中退のガキが、なんとなく「こんな感じでいいんじゃねーかな?」と安易な結論を立て、新聞記事やら雑誌やらの切り抜きで、都合よくこじ付けて作った、キャノワードA4ホチキス留めの『XX年度X期 広告展開 企画書』。

それをバシッとスーツでキメた大卒の兄ちゃん姉ちゃんが、革のカバンで企業に持っていく。数ヵ月後には、それが印刷物になってそこら中にばら撒かれる。
クライアントの評判がどうだったという話しはあっても、売り上げがどうなったという話しが上がってこない、妙な世界。

当時の広告は、数字の出てこない世界だった。
売り上げが落ちたからって、そのキャンペーンが失敗だったとは言わない。このキャンペーンのおかげで、この程度で抑えられたんですよ、みたいな。

そんな感じの毎日だったので、自信家で怖いもの知らずで、目上を敬うといった感覚は皆無な僕なのでした。(給料安かったから、なおさらね!!)

自称・・・はしないが、密かに“自分は天才に違いない”と確信していたおいら。当然のごとく上司に否定されれば平気で食ってかかっていました。
今思えば赤面してしまうような、穴があったら身投げしたくなるような、すごい態度でした。
「あんたもう歳だから理解できないんじゃん? やめたら?」みたいな・・・(大汗)

周囲とは不思議とうまくやれてたなぁ。友達もいっぱいいたし。ときどき呑みに行ったりもした。
まあ、まとめ役の上司さんが大人だったってことなんですね。
人生のほんのわずかな期間、そういうのが許される時期ってのもあるんですわ。


社員150名。その中に僕の広告の『お師匠さん』がいました。
なんかね、厳しくされてた。

上からものを言うでも、馬鹿にするでもない。
バシッと言葉のムチが来る感じ。

そのとき、恥ずかしかったり、痛みを感じたりするんだけど、腹が立たない。
自分をごまかさず、ぐっと堪えると、階段を一段上がれたような得した気分になる。

そんな人でした。

僕がその広告制作会社を辞め、長距離トラックの運ちゃんになってからも、ときどき仕事をくれた。そして、そのたびにひとつ、広告の世界を教えてもらった。


数年後、・・・俺が電気工事屋だった頃かな。
彼はモンゴルに傾倒していった。

お金持ちのご婦人さんたちを集め、「乗馬と草木染めツアー」なんてのを何度か開催したりしていた。僕も一度だけ、手伝いってことで連れて行ってもらったことがあった。

あんまり仕事はしなかったなー。



雨の中、馬で50kmを走り、ゲルに泊まり、馬乳酒を飲んだ。
晴れた夜空を見上げたら、星どころか、人工衛星まで見えて感激した。

モンゴルの少年と相撲をやったら、コロコロと転がされた。

馬頭琴とアコーディオンの楽隊と、僕のヘタくそなギターとで、セッションなんかもやった。



最後の日。道端でギターを弾いて歌ったんだ。モンゴルの通行人のほとんどは、あんまり好意的ではないような顔で、遠巻きに見てた。

しばらくして、知らないモンゴリアンおじさんに声をかけられた。勢いに圧され、言われるがままに連れてこられた場所は、モンゴルで一番の高級ホテル。

「パーティーをやっている。100人の客がいるから、飛び入りライブをやってくれ」とのこと。
面白そうなので引き受けたが、ホールの客は全員日本人だった~。

なんかね。よくわからんのです。
モンゴル。

だいたい、ゲルに暮らしていて、いつ子どもを作るんだろう。家族みんなでワーッ♪ と作るのでしょうか?



そういや、日本に帰ってきてから、お師匠がモンゴルの土産屋で買ってきたという皿を、おいらにくれた。

(昔、ハワイみやげで女の子がよくもらってた、椰子の殻で作ったテカテカの顔カバンみたいに)濃い茶色。
ちょっとペタペタした感触。シルバーの縁取り。ひんやりと悪臭を発する皿だった。洗っても取れそうにない感じ。

ちと困ったが、基本的にくれるというものはありがたく頂戴するおいら。
お師匠は笑いながら言った。人間の頭蓋骨で作った杯だよ・・・って、おい!!

そういや土産屋に、人の臓器や脳みそを絵の具にして描いたとかいうマントラが売ってたぞ。



お師匠さんの愛したモンゴル。
愛すべき人たちの暮らす国。

でも僕には、お師匠さんにとって、モンゴルのどこがそんなに特別だったのか、わからんのです。

訊ねても、
「そりゃ、いいからいいんじゃねーのー(笑)」
としか言わないし。


かくして、
本人の遺言により、お師匠さんのご遺骨はモンゴルへ。
奥さんの指の間をサラサラと離れ、かの地の土となりました。


奥さんのアタマの上には、今でもクエスチョンマークがいっぱいなのだそうです。



くうー。モンゴル。
よくわからんぞ、お師匠。


映画 蒼き狼地果て海尽きるまで は、とりあえず行ってみる。

これでだめなら、歌舞伎町 に行ってみるよ。

カンちゃん