おつけぴー
あと数年でジュリーは古希を迎えます
今まで数々の企画ものコンサートをやりましたね~
最近ではワイルドワンズとツアーを回り、
その前は内田裕也さんとのコラボコンサート
もちろんザ・タイガースも復活して、まさかこの人が
そう思われた瞳みのるも復活しました!
次々とやり遂げて来たジュリーではありますが、
この方々との復活はまだじゃないで・す・か
そう
井上堯之バンドでございます!
ここまで来たら、最後に井上バンドと共演で、ツアーというのは
体力的に難しいと思いますが、スポット的にそこそこ大きめの
会場で数ヵ所回ってくれるというのを切に願います
井上堯之バンド解散~迷いの日々
「時の過ぎゆくままに」のヒットで歌謡曲界のスターと
なりつつあった沢田研二と井上堯之が思い描く表現の
方向性には、次第にズレが生じ始めていた。
この頃、井上堯之は音楽事務所「ウォーターエンタープライズ」を
旗揚げしている。動機は、ミュージシャンによる
ミュージシャンのための音楽事務所を作りたかったためだが、
沢田研二との関係を保つためでもあった。
※あいつのやることと背中合わせで生きていくしかないと
思ったんです。ビッグスターのあいつがでっかい玉なら
こっちは、やじろべえの反対側の遠くにある玉、
みたいに思ってバランスを取っていたんです。
だからバンドはぶっきらぼうな顔をして演奏していますよ。
沢田と井上バンドは極端な両性面がなきゃ駄目だったんです。
仲良しバンドじゃ駄目なんです。
渡辺プロを辞めて会社を作ったのもそのためなんです。
同じ屋根の下じゃなくて、別会社を作ってシビアに接する
というのも、あいつに対する僕らなりの尽くし方だったんです※
ヒット曲が増えると共にエンターテイメント性を
高めていく沢田研二。
そんなジュリーの表現のリアリティーを感じられなく
なって行く一方で、映画、テレビと膨大な量の仕事を
こなして来ている。傍から見れば順調に仕事をこなして
大活躍をしている風にしか見えないが、本人にとっては
苦悩の日々だったようだ。
井上バンドとして独自でもこの時に3枚のソロアルバムを
吹き込んでます
その中で井上堯之さんが3枚目に出したアルバムの中で、
【どうしょうもないよ】とか【歌わない男】という歌は
何か本当に井上堯之さんとジュリーとの関係性というか
当時の井上堯之の気持ちが顕著に表れているような
内容になっています
やはりそうだった!
こんなコメントが…
※【歌わない男】の中の愛するものを残して行けぬ…
今は沢田とはバイバイ出来ないよってことですよ。
ショーケンはこれを聴いてすぐに怒鳴り込んで来ましたよ
堯之さんもっとちゃんと音楽やろうよ、いい歌作ろうよ!
ショーケンは言い続けてましたからね、一緒にやろうって
ことじゃないにしても※
この時期、ギターも必要以外はさっぱり弾かなくなっていた。
練習すらしなくなったという。
※沢田のツアーで、こういう練習もしておこうってカリコリ
やるわけですよ。それをライヴでやって、録音したのを聴いた時
何だこれ?って思っちゃったんですね。
自分らしくないし。それで自己嫌悪が深まるわけです。
沢田のやってることは僕にとっては興味がない。
でもアイツのことは好きなんです、僕は。だから困った。
だってあいつは、自分のために一生懸命やってくれる人達に
応えようとするタイプなんですよ。そんなの非難出来ないじゃ
ないですか。僕に出来たのは、距離を取りながら
一緒にいることだけなんです※
そんな風に井上堯之が苦悩する一方、沢田研二は沢田研二で
悩んでいたのかも知れない。
1980年遂に井上堯之は沢田研二と袂を分かつ決心をする。
※結局、僕が自分の力を発揮したのが、映画とか
沢田以外の場所だったから、沢田はそれが辛かったみたい。
他局に行くと僕は楽しそうにギター弾いてる訳だから(笑)
僕自身が1番辛かったのは、居るだけで彼に貢献出来なかった
こと。曲も時々しか作ってやれなかったし。
別れ際に言われました。
ジュリー:堯之さんは僕に何もしてくれなかった!
だから僕は言いました。
沢田な、何も手伝えないでそばにいる切なさも知っておいてくれ
こういうしかなかった※
当時の堯之さんの苦悩がよくわかりますね
しかし間違いなくジュリーを今日までにした一端は
この井上バンド、井上堯之さんが携わっていたことは
紛れもない事実だと思いますけどね
あれだけの重厚な音楽をステージでやってくれていたのは、
井上堯之バンドがあったからこそのものだと今でも
思っています。
現にこれ以降その手の音楽は一切聴いていないような気がする
それらをもう1度何としても聞きたいものだと思っていますが、
復活はあるんだろうか…
まさかの加瀬さんのような内容でというのは悲しいですからね
早くしてくれないと…。
スマイルでした