瀬戸内海の潮風に吹かれながら、気ままに旅する芸術祭も3日目。
この日は、直島と並んでアートの島を代表するような存在、豊島へ。
*2日目 直島その3~宮浦港~はこちら 。
豊島は「とよしま」でも「としま」でもなく、「てしま」と読みます。
日本語って不思議。
高松港から、高速船に乗ってびゅんびゅん飛ばして50分ほど。
直島と小豆島のちょうど間にある、ひし形のような形の島です。
そして、直島がキングなら豊島はクイーン、
直島が騎士なら豊島は魔術師(なんだろうこのたとえ)…みたいな
女性的というか、少し柔らかくて懐かしい感じが豊島にはあります。
あいにくの雨、しかも本降りでしたが、
豊島は直島に比べて回る箇所も多く、限られた時間の中で
すべて見て回るには自転車しかありません。
レインコートを身にまとい、予約していたレンタサイクルに乗って出発!
豊島の道は起伏がとても多いのですが、電動自転車であれば何とかなります。
ぐるりと島一周だ!
船の玄関口、家浦港を出て反時計回りに進みます。
まずは島を南下する形で、甲生(こう)地区を目指して。
いくどかアップダウンを繰り返し、やがて下り坂の向こうにうっすらと海が。
そして自然の色濃く残る豊島の豊かな森。
秋色。
道端にコスモスがひっそりと咲き、草木はあきいろ。
夏の青々とした色ではなく、少しずつ茶色が入っていく感じ。
しとしとと雨の音も相まって、どこかホッとする。
実はこの道の先、写真の左上の森の中に小さく写っているのが作品のひとつ。
◆『Big Bambú』 マイク+ダグ・スターン
名前にある「バンブー」、つまり竹を組して作られた作品。
外見は、大海原に浮かぶ帆船のような恰好。
その骨組だけが見えていて、フォルムの美しさが際立つ。
天気が良ければ実際に竹をくぐって登って、船の上に立つことができますが、
この日は開放していませんでした。。
(現在は登れなくなっているみたい)
数千本の竹が組まれた建築物、ぜひ中に入ってみたかった。
もう少し、コンクリートの道沿いに下っていくと
右手に、やがて小学校の校舎が見えてきます。
木造平屋の、昭和の良き時代の残り香。
タイムワープ。
◆『遠い記憶』 塩田千春
校舎中央にある扉をすっぽりと覆うように、回廊が。
木の窓枠でできたトンネルからは光が降り注ぎ、
中に入ってずっと進んでいくと、次第に自分が小学生に戻っていくかのような。
時空を超えるような感覚。目の前には金色の稲穂の群れ。
トンネルの両側から校舎の中にも入れます。
明かりのないほの暗い校舎。木の軋みと、黒々とした色。
どこか落ち着く。
来るたびに、小さいころの記憶がひとつ甦りそうな作品。
さらに南下していくと、やがて甲生の港に出ます。
内海は穏やか。雨は降るも波はとても静かに打ち寄せます。
ここの砂浜に、どんとひとつ大きな魚が泳いでいて。
自転車を止めて近づいてみる。
最初、真後ろから見ると、大きな木箱のように見えるのですが
横から見ると、彼には魚そのものの尾びれがあって、
泳いだ末にこの場所に着地したことが分かる。
中に導くように、細い木の道しるべが点在しています。
巡礼の旅。
◆『国境を越えて・海』 リン・シュンロン
誘われるまま、足を取られてその物体に近づく。
細く絞られた入口から中に一歩入れば、
そこは編まれた木の隙間から後光が射す、宇宙のような広い空間。
その真ん中に、金色の重厚なひとつの銅鑼がぶら下がっていて、
恐る恐る鳴らせば、ごぉーん…と静かなこの地域に響き渡る浄土の音。
居心地がよくて、いつまでもここにいたいと思わせる摩訶不思議な空間でした。
この近くに、民家が点々とある甲生集落があります。
港には、なんとなしにつながれて波間をただよう一艘の船。
反射。
◆『かがみ-青への想い』 クレイグ・ウォルシュ&ヒロミ・タンゴ
月から来たような、銀色の船。
よく見ると、全面鏡張りになっていて、
自分の身の回りにあるものをすべて、内側に取り込んでいく寛容さ。
曇り空と、少しくすぶりがちな海の青をこの日は映していました。
この自然の青への想いが、近くの民家の一室で爆発していた。
これも含めて『かがみ』という作品ということですが、
こちらはこの島に暮らす漁師さんやその家族たちの願い、思い出
何十年分が一挙に凝縮された濃さがある。
床から天井まで、青を中心とした古布でつながれた一つの天蓋の中に
何百人の何千という気持ちが詰まっていることが、伝わってくる。
青に込める。
青は好きです。
海の色、空の色、大きな色。
たくさんの人の想いを抱えてなお、それは青を貫く。
この海の中に、いつか還ることができたらなぁ。
人の想いでできたものは、どんな形をしていてもとても美しいと思う。
家の入口に飾られた、漁師たちの後姿がとても凛々しくて。
背中で語り、背中に乗せる、大切な誰かの気持ち。
昔ながらの風景がとても愛おしく感じる甲生地区を抜け、ここからは一気に北上。
島の北東側、唐櫃(からと)港を目指して山道を漕ぎます。
島の本当に先端、世界の果てみたいなところに、とある黒塗りの箱のような
一つの建物が。
最果ての地。
◆『心臓音のアーカイブ』 クリスチャン・ボルタンスキー
何か、そういう世界のはじっこみたいな、忘れ去られたような場所に
世界に生きた証を集めるようなものを作ってみたかったとか。
診療所のような、研究所のような施設。
ここは、世界中の人たちの「心音」を集める場所です。
そういうプロジェクト。
どくん、どくんというあの音。
希望すれば、自分の心音もアーカイブしてもらえます。
あるひとつの部屋の扉を開けると、中は真っ暗で、
縦に長い部屋の中央付近に天井からひとつ、豆電球が垂れている。
それが、花火を間近で見たとき以上の轟音のリズムに合わせて、明滅する。
この「轟音」こそ、とあるひとりの心臓の音でした。
すべてが均一、均等な音ではなく、早鐘が鳴ったり、微妙に毎回間合いが違うようで
デジタルにはない生き物の曲線的な連続性を感じ、その生々しさには
多少頭痛を覚えるほど。
心音に合わせて電球が付いたり消えたりするだけ、それだけの空間なのに
そこに圧倒的にある、人の生きている感というか、血潮感。
衝撃的です。
部屋の外にはパソコンとヘッドホンが置いてあり、
今まで世界中から集めた心音を聴くことができます。
女性と男性、おばあちゃんと子供、誰一人として同じ音はしない。
とっとっ、と軽く刻むような音もあれば、ドン、とひとつ大きくドアを叩くようなものも。
指紋と同じく、心音も唯一無二、その人を示すものなのかもしれない。
そして、まぎれもなく、心臓の動く音は「生」そのものを実感させます。
今度行く機会があったら自分の心音も録音してもらいたい。
CDに焼いて渡してくれるので、
自分が死んだ後に誰かに聴いてもらえたらうれしいかもしれない。
再び街中に引き返すと、なんでもない小さな公園に、バスケットゴール。
これだけ聞くと普通ですが、ゴールがひとつではない。
どこが何点?
◆『勝者はいない―マルチ・バスケットボール』 イオベット&ポンズ
よく見ると、ボードが豊島っぽい形をしています。
そこに設置された、6つのバスケットゴール。
雨でぬかるんだグラウンドに、小さめのボールもひとつ転がっていて。
書いていてそのまま、「ゴールはひとつではない」ってことが言いたいのかなぁ
と考えてみたり。
もっとボールをたくさん持ってきて、みんなで同時にゴールを狙うのも楽しそう。
地元の子供たちが遊ぶ姿が見たかったです。
唐櫃港を、内陸のほうへと横切ります。
少し早いけど、豊島美術館の入館時間に合わせて島の中央のほうへ移動。
(*豊島美術館も、直島の地中美術館と同じく事前に時間指定できる
チケットを予約した方がプランが立てやすいです!!)
またちょっと(だいぶ?)激しい山道を上り下り、
電動自転車の力を借りて、雨も風も、だんだん楽しくなってくる。
だって目の前に開ける景色がこんな!
海へDIVE。
この坂道はベスト・オブ・爽快でした。
それまで木に覆われた道だったのが、急に開けて、空が現れる。
そしてその先には、瀬戸内海の鏡のような海。
そのまま海に突っ込んでいきそうな道です。
この道の途中に、豊島美術館があります。
少し時間があったので、自転車を止めてまわりを歩いてみることに。
この辺りは海に向かって畑が広がります。
段々畑が瀬戸内海の風を受けて、金色に揺れる。
パッチワーク。
右手に向かって海。
階段状に、黄色や茶色や緑色の帯ができている。
伝統的な棚田です。
起伏の多い土地で作物を育てていく知恵のひとつは、
景観をもアートに変えてしまう。
まわりには民家はほとんどなくて、海と、空と、畑と。
とても静かで長閑、原始的な島の暮らしがあります。
この日常的な風景の中に溶け込む豊島美術館とはどのようなものか。
そこには地中美術館で感じたような「新しい世界」への衝撃もあり、
それとは違う心の静けさがもたらされるものでもあり。
とても素晴らしいです。
*その2~豊島美術館~はこちら
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