ニコ技術・日本人Maker深センツアーに参加してきた!(その1) | 3Dプリンターにバンザイ

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3Dプリンターの使い方や設定に関することを中心に、デスクトップファブリケーションなどの話題を紹介してゆきます。
自分のつくりたいものを、自由につくろう!

乗合タクシーの窓から見た深センの街並みは、至るところでLEDの照明が煌々と光り、エネルギッシュに感じました。50階立てはありそうなビル全体がLEDで電飾され、そこに高い上から下へチェリーやらロケットやらアルファベットのカタチの明かりが流れてゆきます。これだけのスケールでビル全体を電飾したビルは日本にもないなあ。


高層ビルもあちこちに建っています


運転手は20代前半くらいのお兄さんで、自分のiPhoneをカーオーディオにつなぎ、中国の流行りの曲っぽいアップテンポの曲を流していました。そんな光景を目の当たりにしながら、これが今の中国なんだなと渡航前に想像していたイメージを覆された意外な感覚になっていました。

深センでの宿は、深センのショッピング街から徒歩5分くらいのツーリズムトレンドホテルというホテルでした。深センでは基本的には英語が通じないので、言葉の通じないフロントの女の子と英語の単語でチェックインのやりとりをしました。20代半ばくらいのこの子は、肌は浅黒く、目はパッチリ二重で、どちらかというと東南アジア系の顔だち。僕が思い描いていた北方系の中国人から少し離れた容姿でした。深センは香港と同じ緯度、沖縄本島よりもさらに南にあるため、南方の血が多く混じった人が多いのでしょう。


宿泊したホテル。キレイで快適でした。

手続きが終わって"謝謝(シェシェ)"とお礼を言うと、ニッコリはにかんだ笑顔を返してくれました。恥ずかしがり屋な子だったんだろうかと思いながら、エレベータに乗り込んで部屋に向かいました。

深センは正しくは深セン市といい、東京都と同じくらいの広さがあります。香港空港から市内の中心部まで、車なら3時間、フェリーと電車を乗り継ぐと2時間くらいで行くことができます。人口は1300万人を超え、中国でも北京、上海、広州につづく大都市にあたります。30年前までは漁村で、鄧小平の改革開放の後に経済特区に指定されてから、外資系製造業の工場を誘致して発展を続けてきました。


市街にあるマンションも高層のものが多い


改革開放以前は、むしろ華やかな外国文化が栄える香港に人民の羨望の眼差しを向けさせないよう、現在の深セン市エリアに街を作ることを許可していなかったようです。そのため、深センが故郷という人はほとんどいないようです。中国の旧正月である春節(旧暦のため年ごとに日にちは変わる。1月末~2月中ごろの1週間。)には、みな故郷に帰って結婚したり、別の街に行くことにしたりと、生活を新たに始めるきっかけになり、良くも悪くも人間関係がリセットされるとのこと。この春節の里帰りとその後の新生活を、JENESISの藤岡さんは民族大移動と称していました。

深センという中国内でも裕福な場所に限って体験した内容ではありますが、6日間で大国らしいスケールの大きさや多様性を目の当たりにし、日本で得られる情報を元にした中国のイメージで特にネガティブに感じていた衛生面、中国人の人柄、治安などの部分の多くがポジティブな方向に完全に覆されました。

正直、中国人はみんなイイ奴だし、住むのにも良いとこじゃん!

今回はメイカーとして見た時に、深センってどうなの?ってのいうのを確認するのが旅の主目的なので、モチロンそれについてもここに書きます。家電メーカーに在籍していたとき、自社の組立工場で研修したり、部品メーカーさんの工場にも見学に行ったことがありました。中国の工場が日本の工場と比べてどうなのか、彼らビジネスや、深センでプロトタイピングを行うハードウェアスタートアップについても、ツアーで見学に訪れた順にレポートしてゆこうと思います!

今回のツアーはチームラボ&ニコニコ学会の高須さん(https://twitter.com/tks)がボランティアで企画&準備をしてくれました!本当にありがとうございました!!


初日に見学したseeedstudioの工場


見学した基板工場にて

第2回につづく→


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