<第十講> Don't think , FEEL . | まなブログ

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脈の変化でカラダの声を聴く『脈ナビ』による施術、セミナーをご案内しています。
大阪府堺市で鍼灸院を開業しています。
日々の気づきをつづります。

ブルース・リーの言葉です。




さて、本日は、意識の持ち方。



<第九講>まででね。


ひと通り、脈を取ることはできます。



けど、それはね。


「脈を取る」


だけであってね。


「脈を観る」


ではありません。




肉体的、物質的な変化。


それだけを感じるならね。


便利な検査機器がたくさんあります。



脈の波形を電気信号に変換する機器とかね。


持ってるけど、使ってません(笑)



機械ではね。


「観る」


ことはできません。




人が人を観る意味。



身体感覚としてね。


「感じる」


ことですよ。



さらに、意識を融合させてね。


「観じる」



例え、ココロの状態を脳波で表したとしても。


「情報」


に過ぎません。



あなたが感じないかぎり、


「体験」


ではない。



「脈を観る」


ということもね。


一期一会の体験。




私もね。


最初から「観じて」いたわけではありません。


肉体的変化として脈を「診て」いました。




ある時。


ヘロヘロにお疲れの企業戦士。


施術中、そのまま、寝ちゃってね。


脈を診ながら、



「この方、よくここまで頑張って来られたなあ。」


「無理しているって、ご自分でもわかっておられるだろうに。」


「守るべき存在のためにか・・・わかるなあ~。」



するとね。


脈が穏やかに変化したんです。


「あれ?」


変わったぞ。



なんだ、なんだ。


何もしてないのに。


おかしいな?



「あっ、また、強くなった。」



もしかして、私の意識?


ご本人、寝てるよ。


イビキかいて。



じゃあ、もう一度。


穏やかな気持ちで寄り添ってみよう。


・・・やっぱり脈も穏やかに。



おお、これはスゴイわ。


アタマでは、わかってなくてもね。


生命は、ちゃんと観じているんだ。



これ、セラピストだけでなくね。


私たちの日常生活に活かせそう。


はい、『脈ナビ』誕生秘話(笑)




相手の脈が穏やかになる意識。


それを身につけられたら。


人生、楽しそう。



もちろん、相手によってね。


「相対的」


だろうけど。



けど、人類共通のね。


「穏やかになる鉄板の意識」


ってのがありそう。



万物は常に変化する。


けど、不変の法則が存在する。


『易』の基本原理。




脈を観る時に大事なのはね。


「意識」


です。


あなたの。



一見、あなたは脈を取る観察者。



いえいえ、そうはいきません。


相手とその場を共有してますね。


生命に干渉しているのです。



あなたの生命。


相手の生命。


その他のモノもね。



全部含めて、


「場」


が形成されています。



五行でいう「土」であり、「太極」ですね。



生命に干渉するっていう意味では。


モノにも生命が宿るとも。


古代の日本人は、そう観じてましたね。



その「場」の象徴としてね。


「脈」


に投影されてるんですよ。




「穏やかな脈」


ってね。



元気だとか、健康だとか。


そんなんじゃなくてね。



「調和」


しているんですよ。


「場」として。



じゃあ、「場と調和する」って?



「分離していない」



ことではないかと。




だから、自我を希薄にする。


何かを思いつめない。



「この人を治してあげよう。」


「頑張れ、ラクにしてあげるぞ!」


「つらいだろうね、応援してるよ。」



世の中的には、「良い」とされている感情。


けど、強く思えば思うほどにね。


相手の脈は、荒れます。



ああ、違うんだなって。


ヒトの社会でのみ。


通じる価値観なんだろうな。



「生命」レベルではね。


何かを強く思うってね。



あなたと私は、別々の存在ですよ。


分離してますよってこと。



これでは、調和できません。




意識を希薄に。


そのうち、相手の存在との境界線が曖昧に。



どこまでが自分で。


どこまでが相手か。



トローンとまどろんで。


辛うじて、意識はあるかなって。



まさに「融合」。


融けそうです(笑)




私は、半眼 になってね。


目の焦点は、遠くに。


手元は、見ない。



半覚醒状態。


脳みそがとろけるかんじ。



「軟酥の法(なんそのほう)」


で検索してみてください。




相手のカラダに触れてますね。


脈を取ってるから。


でも、それは肉体的な境界線。



意識の世界ではね。


どこまでが自分で、どこまでが相手か?


曖昧ですね。



施術ではね。


相手とひとつ。


ベッドともひとつ。


部屋全体ともひとつ。


地域 → 日本 → 地球 → 宇宙・・・。



ってかんじで広げていきます。



意識を広げるほどにね。


意識が薄れてね。


しゃべれなくなってきます。



それぐらいまで広げるとね。


手技なんか何もしなくてもね。


相手の脈は、調和に向かいます。



脈を観る時はね。


そこまで広げないかな。



とにかく、自我を薄めてね。


ニュートラルな意識の在り方。



それでもね。


少なからず、私の意識が干渉しているんです。


相手の脈にね。



純粋な観察者には、なり得ません。


そういうもんです。




自分でもあり、相手でもある。


そんな曖昧な意識。



すると、「結果的に」観じられるんです。


感じようとして、観じてません。



脈を感じようとすればするほどにね。


観じられません。


わからなくなるんです。



脈の変化を感じられてね。


少し上達した頃。


ハマる落とし穴がこれ。



「感じなければ。」


「あれ、わからなくなってきたぞ。」


「さっきより強くなったかな?」


「いや、速くなったのか?」


「さっきまでわかってたのに。」



ってかんじで、泥沼に(笑)



これ、観じてませんね。


アタマで


「考えて」


います。



ダメですよ。


脈ナビは、


「感じるリハビリ」


でしたね。



急に脈が観れなくなったらね。


ほとんど原因は、コレ。


アタマで考えたから。



他にもね。



「これは高価な商品だから、穏やかな脈になるはずだ。(でないと困る)」


「長年使用してきたから、相性がイイはずだ。(でないと困る)」


「こっちの方が得だから、イイ脈になるよね。(でないと困る)」



ってかんじでね。


すぐにアタマは、茶々を入れてきます。


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それにとらわれるとね。


脈の変化が感じられなくなるんです。


意識がそっちにいってるから。



もう一度、云いますね。


観じようとするのではありません。


ボーッとまどろんでいるうちにね。



「あっ、いま、強くなった。」


結果的に観じられるものなのです。



観じられなかったら、それでヨシ。




まあ、最初のうちはね。


そう簡単にできません。


できたら、リハビリする必要ないですから(笑)



できないから、やるんです。



ちょっと油断するとね。


アタマが介入してきます。



だって、そうやって生活し続けて来たのだから。


何十年も。



でも、大丈夫。


アタマが多少介入してもね。


ある程度は、わかります。


「感じる」


くらいにはね。



でも、そこから先はね。


少しずつ、歩いて行きましょう。


「観じる」


世界へ。



「観じる」とつながれます。


すべての存在と。


多分ね(笑)



私もたどりついてませんので。


けど、あるだろうなってのは、確信しています。



そこへ行くための切符がコレ。



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Don't think , FEEL .




脈ナビだけでなくね。


すべての「道」はね。


この言葉に集約されるのでしょう。




おお、めちゃ語ってしまいましたね(笑)



明日は、いよいよ相手の脈の取り方を。




では、今宵はこのあたりで。