F医院
情報提供:花園様 情報提供ありがとうございました
徳島県にある廃診療所です。外から見ると植物に覆われ、診療所とは気付きません。
敷地内も植物が生い茂っていますが、同業が同じ所から侵入しているせいか獣道のようなものが出来ていました。
建物内部です。ここは診療所の入口です。
ここで診療や処方箋の受付を行っていました。
ここは受付でしょうか。
ここは処方箋を渡したり、診療代金を支払う窓口として利用されたようです。
字の書体が当時の面影を残していました。
当時の掲示物。ただの紙切れ一枚も貴重な生き証人です。
昭和25年・・・。相当昔ですね。平成となった今、この掲示物の漢字を読めなくなってしまっている人もいることでしょう。
待合室から入って左側には診療所室があります。
来診者用の椅子や器具など、今ではもう見かける事のないようなデザインの残留物。
資料類も沢山残っています。
この棚の中から引きずり出された資料もあるのでしょう。
ベッド。診療用で、入院患者用に使われていた訳ではなさそうです。
奥へ進みます。
奥には院長が学ぶ部屋と思われる空間があります。
ここにも沢山の薬瓶が置かれています。
何の薬かは分かりませんが・・・・。
しかし、もう薬自体は変質してしまっていると思います。
薬瓶などの机の後ろにある机。
そして本棚。今では手に入らないような貴重な本もあるに違いありません。
カバーを被っていますが、恐らく体重計でしょう。
机の引き出しが開け放たれていました。これも薬品なのでしょうか。
それでは、次は処方箋窓口の裏側へ行きます。そこで、薬が調合されていました。
ここが調合する場所となります。現在で言う薬剤師が機械ではなく自分の目で量などを確認しながら調合していたのです。
ガラス瓶の中には今も水や薬品が残っています。コルク栓で完璧に密封されているので中身が蒸発することなく残っているのです。
薬品に関する資料が置かれ、黒板には薬品の作り方などが書かれていました。
手書きで、しかも何回も書き直した跡があります。
当時はカプセルなどの薬品の無い時代。処方された薬のほとんどは液体や粉末だったに違いありません。
そして後ろの棚には沢山の薬瓶が置かれています。大きい物から小さい物まで。そして液体や粉末。形や中身も様々です。
これは20%に薄められていると言う事でしょう。
なかにはこんな薬品も。
劇薬と書かれたステッカーが貼られています。薬瓶の中には薬がそのまま入っていました。
更に奥にも薬を保管する場所があります。
凄まじい量の薬瓶の数です。
中には、当時は合法でも今は使用禁止になっている薬品もあるかもしれませんね。
このすり鉢で調合する事もあったのでしょう。
同じような瓶が並びます。しかし、中身はすべて違う物です。
床にはこぼれて変色した薬品もありました。
そろそろこの部屋を出ます。
このドアの向こう側は住居部分になっています。
住居部分の玄関。今ではここから内部に入る者はいないようで、草が生い茂っていました。
廊下にあった神棚。かなりの大きさのある立派な神棚です。
台所。
ガスではなく、かまどで料理を作っていた時代です。煙突は折れてしまっていました。
木の棚と低い位置の流し台が凄いですね。
これは調理器具などを入れる棚でしょうか。
中の缶のデザインはかなり古いものでした。
予定などはこの黒板に書いていたのでしょうか。今は肝試しに来た者達の絶好の落書き場と化していました。
床には近くにあったであろう商店街のポスターが残っています。
室内は真っ暗です。
床には1964年のカレンダーが落ちています。この年までは人が住んでいた事になります。
陳情からは裸電球がぶら下がっています。
洋服タンス。
畳は全て上に上げられています。
仏壇。位牌も残っています。
床にはかなり古い薬の空き箱が落ちていました。
天井にはコウモリが大量にいます。フラッシュを焚くたびに飛び回ります。
人がいなくなった室内は、現在はコウモリの巣窟と化しているのです。
部屋を出ました。
ここはトイレです。
勿論トイレは水洗式の物ではありません。
風呂場です。
風呂場の照明。こんな照明は今では中々見ることが出来ません。
2階に来ました。
窓際の部屋は窓が開き、風雨に晒されるせいか傷んでいます。
壁に貼ってあったものでしょうか。
床に落ちていた雑誌。その雑誌にはこう書かれています。「水着の青春美」
雨戸が閉まっているせいか室内は暗く、中に残っている貴重な書物もそのままの姿で状態よく残っています。
しかし、その暗い室内はコウモリの絶好の住処になっていました。
そろそろ帰ります。当時の週刊新潮が落ちていました。値段は「30円」。
外へ出てきました。内部はかび臭くなく、とても探索のしやすい物件です。
敷地内の入って右側には倉庫や倉などの建物があります。
倉の入口のドアは全開です。
倉の内部です。
倉の横の建物。
内部。離れのような物だったんでしょうか。
その横は漬物樽などが置かれた暗室になっていました。
こちらは最後の建物。
内部はかなり崩壊してしまっています。
中に残っていた古い型の自転車。雨漏りをしているのでしょうか。室内に保存されているのにもかかわらず、だいぶ錆びてしまっています。
かつてはこの辺の村唯一の医院であったのでしょう。
自分が産まれるより遥か昔の、昭和中期頃の医院の内部がそのままの状態で残されているというのは本当に凄い事だと思います。
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