いつもお世話になっております。
大島町のやっている、引き延ばし作戦の秋廣道○弁護士のおかげで、思うつぼに壊れてしまいました。
この町長とべっb越しは、同じ波浮(はぶ)出身で秋廣弁護士は『波浮の港』という自伝の湯女著書を出して居る。港の見える丘にゾウまで立っているご先祖(養子らしい)がいかに素晴らしいかを書き綴っている。
この町長、示談を申し込んだら、『包括契約ですので、弁護士に』と逃げて、面会もしてくれず、無視し続けて下さっている、多忙な御方。↓三辻。大島町のホームページで挨拶してるのに、フルネームも名乗れない程、後ろめたいことがあるらしい。
(災害当時の町長である川島さんは、マスコミから逃れ合う、非を認めてしまった為、責められたが、この人はひたすら知らん顔で、逃げ切るつもりらしい。)
波浮の人間は皆そうなのかな。
少年野球は強かったらしいが、高校まで野球やる人は居なかったらしいし、
『ハーバーズ』という名前で、パンパースとからかわれていたらしいが。
町長ご挨拶
『私しゃ大島御神火育ち 胸に煙は絶えやせぬ つつじ椿は御山を照らす・・・』(大島節)
『磯の鵜の鳥や 日暮れにゃ帰る 波浮の港にゃ夕焼け小焼け・・・』(波浮の港)
大島町のホームページへお越しいただき、ありがとうございます。大島町長の三辻です。
私たちの暮らす伊豆大島は、古くから火映現象を「御神火様」と尊び崇めてきた三原山、
面積約91K平方メートルに自生している300万本のヤブツバキ、180万本のオオシマザクラなど「伊豆大島ジオパーク」に代表される豊かな自然、新鮮な魚介類、明日葉、くさやなどバラエティに富んだ食など多彩な魅力を持っている島です。
また、冒頭の叙情豊かな民謡等で唄われているとおり、静かで情緒のあるゆったりとした時が流れている島でもあります。人情味あふれる島民、素朴な佇まいなど、訪れる人を懐かしい温もりでやさしく包み込んでくれます。
私たちのまちは、昭和30年に旧6ヵ村が合併し「大島町」として生まれ変わってから、 今日まで、さまざまな災害に遭遇しながらも先人たちのたゆまぬ努力と知恵、勇気により、これを乗り越え本日に至っております。平成25年伊豆大島土砂災害からの早期の復興を図るとともに、災害に強い自助・共助・公助のまちづくりに努めて参ります。
最後に、今後もホームページ等を通じて大島町の魅力をお届けして参りますので、どうぞよろしくお願いします。多くの方のご来島をお待ちしております。
ですってよ。
共助は無理だと、まちまちの元締めのような人達が悲鳴を上げているのに。
もう自分達が70代なのだ。誰かを助けられないし、あの災害の時も、誰換えお助けに言ったが為に、無くなってしまった人が居るのだ。
自助? 何の情報も無しに?
防災無線もならさなかったクセに。
二階や外に逃げた人は、テレビのニュースを見ていたか、運が良くてまだ水の中を歩いて逃げられた人達だ。
その偶然、嫌、まるで紙一重の差で、布団の中で眠ったまま、無くなっている人も、母のように激流に揉まれ全裸になり、その姿で下流で遺体で発見されたり、骨の一部しか見つからなかった方や、遺体が欠損していた方も居るという。
三辻町長。あの遺体安置所に入ったのか?
違うだろう?!
団地なんかの管理してる地域かだかに居たんじゃないか。
我関セズで、テレビ見てたんだろ?
今現在の大半の職員がそうであるように。
次は是非、キサマか、キサマの家族親類縁者。
あるいは秋廣家の人間を、あの、安全だと町が言う大金沢のまだ町が買い取っていない、流されて無くなった方の居た土地を買い上げて住まわせろ。
もうダメです。
壊れて、涙が止まりません。
スーパーで、パニック発作になりかけて、車の中でも、涙が止まりませんでした。
それではみな様、お休みなさい。
よい夜を…………。
死にたいほどですが、死んだらなおさら思うつぼだと思うと悔しくて死ねなくて、
泣くことしか出来ません。
よろしかったらクリックして下さい。
↓