今日の皆さまの一日が、より幸せで、ラッキーであることを祈っています。
今日も人と会う予定ですが、午前中なので、午後に精神科で診てもらえたら、受診してもらいたいです。
予約外ですが。
昨夜、酷いフラッシュバックに襲われて、母の遺体と一度あった後に、報道の人に囲まれて、義母が追い払ってくれて、息子さんに最後のお別れをさせようとしたら、警察の鑑識課何科の人が、と見にきた光景が、今、目の前であるように、あのカビ臭い普段使われていない葬儀用の集会場を、一時遺体安置所にしていて、土と腐敗しはじめている死臭の漂う中、言われた。
『お子さんはおいくつですか?……ちょっと、止めてください。トラウマになったりもしますから』
こっちがトラウマになりましたよ。
涙が止まらず、やっと普段の何枚も薬飲んで(もう最後は無くなったらそれでいいやと思った)何とか眠ったら。朝5時に起きた。
で、弁当を作っていたら、起きていた旦那ちゃんに。
「あの後すぐにカラカラカラ〜って寝始めたね。よく寝れた?」
と聞かれた。
例えソレが事実でも、あれ程精神状態が追い詰められて寝た状態で、カラカラから〜〜とかいわれて、正直ぐさっときたし。
いつもの言い方だし、いつもそう言ってくるから無視しようと思ったんだけど、出来なくて、
「その、カラカラ〜とかって言うの止めてくれないかな? 物凄く傷ついたんだけど」
と言うと。
「じゃぁ、なんて言えば良いの? 『よく寝てたね』って言えば良いの?」
「……何も言わなくて良いよ」
ムカつく。
一緒の部屋で寝たくない。
寝なきゃ良いんだろ?
何が向こうのもウツボだよ?
じゃぁ、手を考えろよ。
私はPTSD方面の資料とかも探した。
無駄だと思いつつもな。
もう精神科の予約とるのも面倒だ。
金曜まで放っておくか?
主治医の居る金曜に取りたいと、今日電話するのが一番良いんだろうけどね。
真田丸も壊されて、丸裸の大阪城に籠もっている気分ですよ。
「中国兵法書(当時ではきちんと頭に入っている人なんて居なかったでしょうが、黒田家は代々兵法を学ぶことに熱心でした。周囲が強敵国で、そこから領地を守る為には、少ない兵でも、頭を使って勝つしかなかったのでしょうね)『武経七書』に通じた秀吉・天下取りの参謀。
黒田官兵衛が傍に居て欲しいですよ。
激しやすい秀吉の熱い心を冷やしてしまった、氷の頭脳の持ち主。まぁ、諸説ありますが幽閉されたり、数々の苦難に遭い、それでも生きぬ来た精神力のなせる技だったのかも知れませんね。
秀吉が官兵衛の存在を特に意識したのは、天正十二年(1582)六月。本能寺の変の後のことでは無いかと思われる。この時明智光秀の密使が、信長を討ったことを毛利方の将小早川隆景に伝えるにっしょを送ったが、何の手違いか、秀吉の陣営に密書が行った。
信長の死を知った秀吉の悲嘆は凄まじく、泣くことしか出来なかったという。
その時、秀吉に声をかけたのが官兵衛だと言われている。
「いまこそ、天下取りの好機」
と言うわけである。サルと可愛がられ、あれ程慕っていた主君信長の突然の死で、動転どころか、混乱の極致であったであろう秀吉に、こんな言葉をかけられたのは、確かに官兵衛しかいなかったのかも知れない。
官兵衛のおかげで我に返った秀吉は、早速安国寺恵瓊を呼んで、講話を急がせる。この辺りも、官兵衛の影がちらつく。
隠居し如水となってからも、敵対していた家康に、召し抱えたいと言われ、断りまくるような男なので、欲は無いが、頭は切れたのだろう。
秀吉にあのタイミングで声をかけたのも、砂のように情が無い人間というわけでは無く、彼の中の経験と勘と、戦国を生き抜く〝血と本能と好機を見逃さない目〟がそうさせたのかも知れない。
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