「ああ、これは良い。良い闘争だった」その2 | 続・我が逃走

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不完全密室殺人/JONNY/パイプカツトマミヰズでベースギターを担当する舟橋孝裕のブログです。

さて、ワンマン当日の話を時系列で書いていく。


前夜、東京でのライブを終え名古屋へ戻る。行きとは違い、高速道路に乗ってしばらくは起きていた。煙草を吸うために少しだけ開けた窓から風がバモスの中に流れ込み、物凄い音を立てている。車内は運転している佐藤さんと僕以外、皆寝静まっており風の音以外は静かなもんだ。ポツリ、ポツリと話をした。いよいよ間近に迫ったワンマンライブに向けて、気分が高揚していたのだろう。佐藤さん抜きでは『VS 27』は完成しなかった。絶対に。

睡眠時間を削りながら、過酷な作業を完逐してくれた。有難う佐藤さん。

スマートフォンでtwitterをチェックすると、チケット予約や「明日頑張れ!」「明日楽しみにしてる!」というリプライが集まってきていた。嬉しくて嬉しくて胸が熱くなり、車内で一人で目頭を熱くし、SAで大笑いした。

闘争が、始まろうとしている。

車内で寝ておかないと睡眠時間はない。名古屋に着いたら眠ってもいられないというのに、疲れている割に興奮してなかなか眠れない。無理やり体を縮めて、眼を閉じた。


明け方、名古屋到着。

「また後で」とメンバーに別れを告げ家へ帰る。両親は既に起床していた。朝の挨拶を告げると「今日じゃなかった?君の大舞台か何か」と声をかけられる。父と母からすれば何て事はない会話だろう、だけれども僕はここでも身が引き締まる思いだった。この二人に心配をかけながらも続けてきたバンド活動。二人が僕にエレクトリック・ベースギターを買い与えた日を悔いる事がないように、今日はきっちり結果を出さなければならない。


そうこうしている内に、エフェクター製作家の山本君がやって来た。

前夜、東京を出ようとしている頃に「渡したいものがあるので名古屋に着いたら連絡を下さい」と連絡をくれたのだ。彼が以前「ワンマンまでに何か作ってお渡ししたい」と言ってくれたのを憶えていたので、すぐにピンと来た。出来上がったのだ。時間は朝7時過ぎ。早朝、と言って良い。そんな時間まで、恐らく彼は寝ずに待っていてくれたのだろう。もうな、山本君、君のそういう気持ちだけで僕は十分に興奮してライブをやれるんだよ。

彼が持ってきてくれたのは、こんな逸品。


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成程、「スキッツォイドであってくれ」とそういうわけか。粋だねえ。

ファズとリング・モジュレーターの複合機で、これがまた面白い音がする。アウトプットレベルが小さめなので調整する必要はあれども、良いセッティングを捕まえればこれが踏んづけたくなるような音!

そのまま山本君と今日のボードのレイアウトであーでもないこーでもないと話し合い。山本君も『VS 27』の製本でお世話になった。今回のワンマンで彼の僕に対する誠意っていうのは申し訳ないくらいに伝わってきたので、今度は彼が困ったら僕が恩を返す番だと思っている。


ベース2本、ここ最近では持ち運んでさえいなかった大量のエフェクターを迎えに来てくれた山田君の車に積み込んで、いざ出発。とは言ってもまずは練習へ。不完全密室殺人で2時間、パイプカツトマミヰズで1時間、練習を行う。

不完全密室殺人で音を出すのは久しぶりの事だった。当初はお互い様子を見合うような、そんなどこかぎくしゃくした空気が流れていたし、実際それで演奏も良くなかったと思う。久しぶりに音を一緒に出す事が嬉しくもあり、同時に若干「どうなるのこれ」みたいな複雑な気分になる。不愉快ではない、どうせ本番は皆盛大にブチあげるのだから。けれども休憩を挟んで近況報告等しあってからは全く問題なく進行。あとは楽しんでライブをやるだけだなって段階まで詰める事が出来た。やっぱり僕達4人は人間関係ありきの上でバンド活動を楽しんでいるんだなというのを再確認した。それが特別な事であるとは思わないけど、このバンドでは特にそれを痛烈に意識してしまう。


で、会場入り。然る後にリハーサル開始。

最初は不完全さんがリハーサルという事で準備をするも、神田君が仕事の関係で欠席。急遽伊藤誠人君に早めに会場入りして貰ってドラムを頼む事に。山田君が持ち込んだギターアンプ・システム(そういう表現をするしかない。彼が持ち込んだアンプ・システムはオーディオ用のスピーカー2基をラック型のプリ+パワーアンプを使って鳴らす、というかなり独特なものだった)がなかなか上手く機能せず、やっぱり不穏な空気に笑

タイムスケジュールで予定されている不完全さんのリハーサル時間は残り僅か、アンプからはピーピーと物凄いハウリングノイズが鳴り響くし、「ああ、どうなるのこれ」と思ったものだ。で、各務君と僕の説得で渋々常設のギターアンプを使う事を了承した山田君。しかし彼が心底諦めていなかった、とわかるのは本番を終えてからの事だ。どうやら彼、泥酔した勢いで本番ではギターアンプではなく持ち込みのギターアンプ・システムを使った模様。そりゃあピーピーいうしほとんど音も出てないはずだよ!畜生山田の野郎!!笑


不完全さん以外は滞りなくリハーサル終了。立て続けにリハーサルを行って、もう既にテンション高めだ。顔合わせを終えて、それからは開場に向けて物販の用意をしたり準備をしたりして過ごす。そうしているとどんどん緊張してくる。この段階で既に持ち込んだレッドブル4本のうち2本を消費している。体力は持つのかライブはどうなのかうまくやれるのかへましないか音はちゃんと出続けてくれるのかetc. 不安な事を挙げだすときりがない。気分転換にコンビニに行くも、お客さんと思しき方とすれ違うとまた緊張。

CLUB ROCK'N'ROLL スタッフのゆりなちゃんが、素敵な看板を描いてくれた。


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この看板からもそうだし、本多さんの「予約入ったお客さんが全員来てくれるといいな笑」というちょっとこちらをヒヤリとさせるコメントからも、井藤さんの「今日は音量的にベースの邪魔をしなければ何をしてもOK」という言葉からも、ただただ愛情を感じる。このライブハウスに初めて出てから7年近く経ったのか。今となっては色々なライブハウスに愛情を感じるけれども、全ての出発地点はここから始まった。僕がバンドマンとして今活動しているのもここにお世話になったからだという強烈な自覚、ここで育ったからだという意識は、ある。

公私共にお世話になっているライブハウスで、人生初のワンマンライブを行えて本当に嬉しかった。


開演挨拶で出て行くと、沢山の人の顔、顔、顔。

正直、感動するよね。僕みたいな無名のバンドマンのワンマンライブ、そりゃあ確かに一生懸命宣伝活動もしたし、面白いイベントにするために一本筋を通してきたつもりだけれども、ぶっちゃけてしまえば当日一週間前までは集客状況も芳しくなかったし同人誌の製作も「間に合うのかこれ」みたいな状況になっていた。けれども多くの人の求心力、そして身近な人間の甚大な協力を受けて開演する事が出来た。

あとは心置きなくやるばかり。

闘争だ、闘争を始めよう!今夜は僕の万感成就の達成の夜だ!


secret O.Aとしてi GOに出て頂いた。

ワンマンライブ(今月26日、もうすぐです。来てね!)直前でバンドとしても忙しい時期だったけれども、僕がオファーメールを送ったら3人ともすぐに「のった!」と返信を下さった。あの瞬間って忘れられない。3人とも無碍に断る人ではないというのは十二分にわかっていたけれども、「考えさせてくれ」とか「ちょっと相談させて」とか言う事は簡単だったはずだ。間髪入れずに来たあの返信、嬉しかったなあ。

このイベントを行う際にi GOにはどうしても出て欲しくて仕方がなかった。i GOというバンドにサポートベーシストとして関わるようになって僅か一年。けれどもその一年が僕にとってはかけがえのないもので、実に多くの刺激を貰ったし胸が熱くなるような思いをさせて貰った。i GOというバンドに対して迂闊な事は言うべきではないし、ひょっとしたらこれはサポートメンバーとして不適切な発言なのかもしれないけれども、演奏する際は自分自身をバンドのメンバーだと思って演奏している。背後に吹原君がいて、茜谷さんの背中と昌吾さんの横顔を見ながら演奏してきた。あの日は我侭を言わせて貰ってセンターで演奏させて貰ったけれども、やっぱり僕はいつもの立ち位置が落ち着くと思った。僕があのバンドに於いて威力を発揮するのは尊敬出来る先輩達とその背中があるから、だからだ。

茜谷さんのMCは(昌吾さんのMCも勿論いつも以上にキレがあって最高に笑ってしまったけれども)、何て言うのか、言葉に困ったし笑顔が引っ込んだ瞬間である。あんな熱い事を言われたら、そりゃあ君、サポートメンバー冥利に尽きるってものだよ。あれ以上の褒め言葉、肯定の言葉はないだろう。一年間の様々な光景が去来して、この日にi GOに出て貰いたかった僕の情熱は寸分違わず3人に伝わっていると確信した。


パイプカツトマミヰズは、この日、変な感情移入抜きで良い演奏をしたと思う。

吉田君も駒田君も伊藤君も各務君も、全然僕を立てようとかそういう意識がない。それが実に嬉しく、「ああ、こいつらとバンドをやっていて良かったな」と思った。吉田君なんて普段以上にキレッキレで、本当に容赦なくフロントマンだったと思う。

ああいうバンドだから表には出てこないけれども、彼らの誠意は演奏開始前から僕を熱くさせていた。ワンマン数日前に同人誌の製作作業をしている最中に吉田君から電話がかかってきた。

ワンマンの練習は前の前の週に終わらせていたけれども、「可能ならば当日、何ならセットリストを一回通すだけでもいい、練習出来ないか」とそういうのだ。「舟橋ワンマンは過去最高のライブをしたいし、すべきだし、でかい花火を打ち上げたいのだ」と。そんなメンバーのライブに対する熱意に応えずして何がバンドマンか。睡眠時間を削るくらい容易い。少なくともそういう所を無下にするためにバンドを幾つもやっているのではない事は確かだ。
練習の段階で手応えを感じたし、それはヒズム君の遊び心(このバンドに於いて一番重要なのはメンバーの遊び心にフレキシブルに対応、楽しむ事だと思っている)にも然り、である。あの扮装、何故か本人が一番気に入ったようで次はどんなので攻めてくるのか、或いは普通の格好に戻るのか、それも楽しみである。
「このバンド、格好良いでしょう」というライブ中の僕の発言は本当に素で出てしまった、自慢だと思って貰って良い。あの日、初見の方が一番多かったであろうパイプカツトマミヰズ。
我々は今後も全力でふざけていく。

JONNYは趣向を凝らしてライブを構築してみた。
これはこのワンマンが決定したのとほぼ同時期に思いついた事で、このタイミングでかつてのメンバー野々垣貴彦を含めた過去のサポートドラマー達(ご存知の方も少なくないと思うけれども、あの日登場したドラマー以外にも我々は実に優れた、素敵なドラマー達と演奏してきた。断腸の思いで絞りに絞ってあの人数だった、とご理解頂きたい)を召集して演奏する事は、あの日のJONNYにとって大きな意味があったと少なくとも僕自身は思っている。少なくともこのタイミングで色々あってバンドを去った野々垣君に再びスティックを握って貰い、JONNYの曲を叩いて貰うという事は僕以外には出来なかったはずなのだ。
吹原君とのリズム・セクションについては言わずもがな、この日は2度目のタッグとなった。バンドを変え、お互いの意識が変わろうと(『VS 27』でも触れているけれども、i GOでは吹原君主導、JONNYでは僕主導という明確な意思の元に僕達は演奏している。僕側の演奏が原因でそれが顕在化しているかはいささか自信がないけれども笑)相変わらず快適なドラム・プレイ!
植田圭介ことギバ君は、僕の人生で初めてのリズムの師匠。彼への感謝は消える事はないだろうし、友人としても彼のシニカルで大胆なファニーさ、バンドマンとしての凶暴性とストイックさは大好きだ。吹原君と話をしていて「ギバちゃんにはガッシャーンってやって貰わないといけないでしょう!」との事でああいう選曲になったのだけど、ギバ君、いささか演奏に不満があった様子。いつか機会があったらまた一緒に演奏したいね。
せんちょーは最近のJONNYを支えて下さるサポートドラマー。佐藤さんと篠田君は昔からの知り合いだけれども、僕はせんちょーと面識があったけれども深く突っ込んだ話はした事がなかったので一緒に演奏する機会を得、親しくなっていった。今のJONNY、そして今後のJONNYを支えて下さるサポートドラマーとして僕は全幅の信頼を置いている。精神論を共有した僕達はまだまだこれから堅実なリズム体になるんじゃないか、と僕は自信を持っている。
そして、野々垣君。今回のJONNYのライブ構成を考えた際、彼というドラマーを無視する事は僕にはとても出来なかった。彼とJONNYというバンドは僕が加入した時から独特の緊張感をはらんだ関係ではあったし、彼の脱退についても皆が満面の笑みで、というわけにはいかなかったのは事実だ。その所謂「後腐れ」は僕もずっと気になっていたし、野々垣君も佐藤さんも篠田君も、恐らくそれぞれの形で消化不良に陥っていたのではないか、と思っている。僕がJONNYで一番長く演奏したのが彼だし、僕はずっと彼の友人だったつもりだし、彼のバンドに対する心中も何となくでも察しようとしていたつもりだった。彼を無視して今回の事を進めては、恐らくバンドマンとして一生後悔する。半ば強引に今回の一件は進めたけれども、リハーサル後に若干の照れ臭さを醸し出しながら話をしている篠田君と野々垣君を見て内心、「大成功」と思っていた。野々垣君も今回の演奏で感情を消化出来たようで、これってつまり今回のJONNYのライブ構成の裏テーマの7割は達成したという事になる。
お客さんもあのライブ構成を楽しんで頂けたようで本当に良かった。

不完全密室殺人での演奏は、これはもうはっきり断言してしまうけれども他のバンドとは一種違った感情を伴うものである。ライブがなかなか出来ない、とかそういう事ではなく、これはもうひとえに4人の男が何か一緒にやろうとしてそれがたまたまバンドだった、と気付いた夜から変わらぬ純然たる「喜び」だ。
僕達は本当に気分屋で、何なら今回のワンマンライブでも最後の最後までバンドとして納得するライブが出来るのか、と準備段階でやきもきしたのは不完全密室殺人だった。けれども活動が落ち着いた最近となっても未だにライブのオファーを頂いたり、身近な友人、そして遠方のお客さんからライブを熱望する声を聞く度に僕はどうにかしてそれに応える事が出来ないか、と考えていた。しかしてそんな気分屋達も今回のワンマンを挙行するに辺り、演奏する事を快諾してくれた。まずはメンバー各位、それぞれ忙しい状況が続く中、出張ってくれて本当に有難う。
あの日の不完全密室殺人の演奏は、演奏の精度だけで言ったらとてもじゃないけれども人に誇れるものではなかったと思う。けれども、主観としてあの4人でステージに立つ事自体に意味があったし、あの30分と少しの時間がなければあの日のワンマンは完成しなかったというのも事実。泥酔状態でステージに上がった山田君も、その根っこには楽しくてたまらないという感情があったが故にああなったわけだし、彼は演奏の最後の最後までバンドを愛する事を辞めなかった事は観て下さった皆さんが一番よくご理解して下さる事と思う。そんな甘ったれたセンチメンタリズムがステージ上で万人に等しく価値があるとは思っていない。そんなおこがましい事が思えるわけがない。泥酔状態の山田君に、ギターを壁に叩きつける各務君。その時僕と神田君は、リズム体に徹していた。ざっくばらんに書いてしまうならば、最近一番コミュニケーションがとれていなかったのは神田君だし、一番心中が察せれなかったのも神田君である。バンドへのモチベーションも、ただでさえ心情がわかりづらい彼の事、日常的に会えなくなった最近では一番わからなかった。けれどもあの瞬間、僕と神田君は完全に意思の疎通がとれていた。すまない神田君。僕は君と過ごした長年を忘れていた。あの瞬間の僕と神田君は、完全に日常的に一緒に演奏していた頃の意志の疎通の円滑さを取り戻していたし、それっていうのはちょっとやそっとのコミュニケーション不全では揺るがないものだ確信出来た。
このバンドの先というのは実に明言し難いものがある。山田君は福井県在住だし、神田君は一家の大黒柱だし、各務君は真摯に芸術に向き合う芸術家気質だ。けれども、僕はこのバンドはまだまだ解散するには忍びないし、彼らの生活、気質を理解した上でまた一緒に演奏する日を楽しみにしている。
あんなに多くの人間が熱狂してくれて、そして愛してくれているバンドだ。それを成し遂げたバンドだ。僕の根っこにはあのバンドの存在が常に、ある。

今回のワンマンライブに於いて、アンコールは全員でやりたいと思っていたしやるべきだと思っていた。全員が演奏せずとも、全員を乗せたステージで幕を閉じるべきだと思っていたし、それに応えてくれた出演者全員には感謝しかない。貴方方と演奏出来て僕は本当に幸せだ。これからもどうぞ宜しく。

今回の企画、大成功だったと思っている。
今回はベース・ギターリストとして今までの自分に決着をつけにいったわけで、それだけは忘れまいと思っていた。演奏を放棄してお客さんの渦の中に身を投じたり、それこそ感情の赴くままに暴れまわる事は簡単ではあったけれども、それをすると今回の企画の自分的意義というか、芯がブレるというのは確信していたし、後悔するのも明らかであった。僕は全バンド、全力で演奏しきらなければならなかった。それは達成出来たのではないかと思うし、その真意がお客さんにも僕の知る限りは伝わっていたようなので本当に嬉しい。
変な物言いになるかもしれないが、自分のバンド活動に終止符を打つならあの夜だったな、と思う。あの夜にバンドマンとしての自分に終止符をつけていれば、それは最高の幕引きになっただろうし、悔いを残す事なくベースを置く事が出来ただろう。けれども僕は「辞め逃した」。ならばこれはもう一生続ける他あるまい、と思っている。
あの夜演奏した曲は一曲も作曲していないし、僕は本当に愚直にベースを弾き続けてきただけだ。
それであれだけ多くの方があの場に集まって下さり、そして何か思う所があったなれば、それっていうのは僕が兼ねてから自分自身の活動の根幹として捉えている「凡庸な自分が持て余す自己顕示欲の表出の仕方」の一つの結果であると僕は捉えている。
音楽の才能に選ばれなくても、鍵盤のどこかドでどこがレかわからなくても、作曲出来なくても歌が巧くなくてもバンド活動は出来るし、人の心に刺激を与える事は出来る。いよいよ僕は確信を持ってしまった。では今後はこれがどこまで通用するのか、それを試してみたいと思っている。
あの夜というのは、一つの結果であり、それっていうのは今後の僕の指標として、誇りとして一生涯僕の中に残り続けるだろう。

だってあんなに多くの人が楽しそうにしてくれたのだから!
関係者各位、関わってくれた皆様に27年で一番の謝意を。本当に有難うございました。

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