皆さんこんばんは。

 最近、コメ返しが滞ってしまっていて申し訳ありません。ここ数日ちょっと時間が取れていません。コメ返し、もう少しお待ちいただければ幸いです。


 ところで、いつもペタやコメントを下さる方から7月7日は「盧溝橋事件」の日だと知らされました。恥ずかしながら、日常の生活に追われ盧溝橋事件に関しまして、全く忘れておりました。お恥ずかしい限りです。また、私に盧溝橋事件の旨を伝えてくださったのは行間を読みまして「臣民は『盧溝橋事件』について書く様に」と仰せつかったものと解釈いたしましたので、微力ではありますが、数回にわたって記載していこうと思います。

 




【支那事変とはどういう戦争だったか】



盧溝橋事件は支那事変の発端ではない


 1937(昭和12)年7月7日(七夕)に響いた一発の銃声があの支那事変を引き起こした、という戦争理解が日本人の常識と化しています。まことに困った知性の混乱と言わねばなりません。

 支那事変の発端は西安事件にほかなりません。盧溝橋事件以後の戦闘は「北支事変」と呼びました。上海事変という大戦闘に直面して、9月2日に「支那事変」の呼称を日本は決めたのでした。北支事変と上海事変の詮索をしようとしているのではありません。強いて言えばどちらでもよいことです。呼称だけについてだけ、ならです。しかし、日本の運命の岐路は西安事件だったのです。西安事件こそが日本と中国の運命の岐路となった事件だったと繰り返す意味は、以下に説明します。

 当時から日本人はこの事件を軽視しなかったものの、恐るべき意味については無理解だったと言うしかありません。今日までこの無理解は尾を引いています。囲碁に例えれば、この一手の意味が理解できずにへぼな手を連発して敗けたようなものです。支那事変は西安事件こそが開戦の起点なのです。


(若狹和朋 『続・日本人が知ってはならない歴史』 朱鳥社 104頁より引用)