お金の殖やし方・その1・金を水で洗う・銭洗弁財天 | 西村治彦の日記

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お金の殖やし方・その1・金を水で洗う・銭洗弁財天

誰しも お金は殖やしたいです。昔から、「いかにして金を増やすか、いかにして金を儲けるか」は永遠の課題とも言えるでしょう。


 お金が 増えてしまって、使いきれない人々も かなりおられるでしょう。亡くなる前に 全部使い切れるでしょうか?


 私は 大学を卒業して、就職し、この社会保険労務士の仕事を始めた時は、資本金7万円でした。就職した時の初任給は 2万8千円ほどでした。あれよ、あれよと、所得倍増論、列島改造論などで、経済が大躍進していく時代でした。

池田内閣、田中内閣と、日本は 大躍進の時代でした。私の所得も 倍々と増え続けました。何にもしなくても お金が増えていく時代でした。

もう それは、今回 行って来た鎌倉の「銭洗弁財天」で お金を洗うより 儲かりました。


 就職して 働いて得た給料で、株を買えば、半年後には 倍どころか、3倍で 株を売ることが出来ました。どうして あの頃は 物凄かったのでしょうか。


 7万円のお金は、仕事の資本金でしたが、勤務時代の貯金で、株を買って、私は 3倍、3倍で 3倍で 売り抜けて、大儲けし続けておりました。

開業しても 昼は 社会保険労務士の営業で 毎日 1~7件の契約を 取ってきます。あぶれたことはありません。夜は 高島平団地で 学習塾を開きました。出来あがったばかりの高島平団地です。


住民は 5万人に膨れ上がりました。そこに 当時 流行った学習塾が 私の始めた「秀英塾」一つしかありませんでした。

毎日毎日、親から 入塾の問い合わせがありました。小学校低学年、高学年、中学生、高校生、たくさん入って参りました。

私が 塾の先生となり 教えました。学生時代に 塾の教師や家庭教師のアルバイトをしていたので、ノウハウはありました。私の両親が住む池袋でも学習塾を始め、掛け持ちでした。塾の教師には 学生を雇いました。こうして 学習塾でも、私は 大儲けをしました。



 株で 大儲けして、塾で 儲けて、その資金で 東京の中心に事務所を移転しました。秋葉原駅前であります。

この場所は、総武線で千葉方面、新宿~中野方面、埼玉方面、神奈川方面と どこに行くにも立地が良く、事務所としては 大成功でした。


 折から 昭和50年から 労災、雇用保険が 強制加入となり、「犬も歩けば棒に当たる」状態となり、毎日毎日 お客さんが 増え続けました。

それも 株と塾で 儲けた、大きな資金で、営業員を大量に雇用して、営業員は 強制保険になった労働保険(労災、雇用)の加入手続きを進めてきます。株と塾の金は 億単位でした。


 まあ 大学を出て、弱冠26歳の若輩が 億の金を用意して、強制加入になった労働保険(労災・雇用保険)を 次々と 加入させていく。


 「銭洗弁天」より 儲かりました。資本金7万円の金は、翌年には 顧客数1500件、収入は 5000万円になりました。また 翌年には 顧客数 3000件になり、収入は 1億円となりました。


 こうして 今日まで 一度も 年間の売り上げが 下がったことはありません。まあ、「銭洗弁天」より 儲かりました。


今回 新人の「近野愛理」と「岩瀬千紘」が「銭洗弁財天で お金を洗って 増やしたい」、とのことで、参りましたが、「勉強して、まず、社会保険労務士の資格を取りなさい」、と申し上げます。

まだまだ とてつもなく、需要があるのです。私は 去年は 長野県上田市事務所、群馬県高崎事務所、福島県福島市事務所、同じく、いわき市事務所を出し、既に 建物を購入済みの静岡県浜松事務所を発足しました。

 その前の年には、神戸事務所を購入し、その前は 大阪事務所を発足し、急速に 顧客を増やしております。すでに 全国に 多くの事務所を出し、いずれも 成功を収めております。社会保険労務士法人にして、今後も 毎年 2~3件の割合で事務所を出す計画であります。

 中には 悲観的な社会保険労務士さんも おられるようですが、なかなかどうして、前途洋々であります。


 「銭洗弁財天」で お金を洗って 増やすより、社会保険労務士の資格を取って、頭を使って お金を増やしていったほうが 良いと思っております。労働保険の後は 社会保険(健保、年金)があり、その次に労務管理の仕事があり、電話1本で出来る移行委託の仕事も 次から次へと 獲得出来ます。このように 素晴らしい仕事をして、「銭洗弁財天」の 何百倍もの増収を図りましょう。

 商売は 発想で いくらでも 収入が 増えるのです。




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