神楽坂の思い出、大学から歩いて行った時、職安から歩いて行った時 | 西村治彦の日記

西村治彦の日記

日々の出来事を書いています。

神楽坂の思い出、大学から歩いて行った時、職安から歩いて行った時

 今回は、ウチの外神田事務所から、新宿区神楽坂にある「神楽坂」の散策に出掛けることにしました。

同行は 和田敬子と狩峯舞であります。



 私は、神楽坂には、大学時代 時々 歩いて行きました。早稲田大学から 直線で 1.5キロほどであります。

 当時の早稲田大学は 6大学野球で とても強くて 何度も優勝を果たしておりました。後 プロ野球にいった選手も多かったです。矢沢、安田、高橋、小川、など プロで 後 活躍した選手も 多かったです。明治の星野などとは ライバルで 戦っておりました。春、秋のリーグ優勝を果たすと、学生たちは、新宿や神楽坂に 祝杯を挙げに、飲みに行くのでした。神楽坂は 学生たちの裏庭のような感じでした。


 また 私が この社会保険労務士事務所を立ち上げた時、当時は失業保険と呼んでいた現雇用保険の諸手続きに「飯田橋職安」を 頻繁に訪れました。「飯田橋労働基準監督署」も「飯田橋職安」の上にありました。

 私は ここで 手続きが終了すると、直線で500メートルほどの「神楽坂」に 時々 立ち寄りました。飯田橋駅から また 電車に 乗るのですが、少し 迂回すると、「神楽坂」でした。



 特に 何かを買うと言う訳では ありませんでしたが、時間があれば、ぷらぷら 散策です。

 当時を思い出して 今回 二人を連れて、「神楽坂」散策です。

まず、タクシーで「神楽坂」の坂上交差点まで来ました。

ここから 下ります。

 ゆっくり 歩いて行きます。

「神楽坂商店会」の「神楽坂通り」の左右には たくさんの店が並んでいます。

写真を撮りながら、何か 変わった土産がないか、探しながら 下って行きます。


 右側に、「毘沙門天、善国寺」がありました。

入りましょう。何か お願いすることはありませんか?


 今回は、既に「社会保険労務士試験」が 終わっているので、二人は 願を掛けませんでした。「また、来年!」なのか、「心の中には 何か確信」があるのかは 分かりませんが、まあ 今年は ウチの事務所では 何人が合格することでしょうか? 


 私は、特に 願を掛けなくても、長い間の流れの中で、身を任せるしか方法はありません。

もう、「時の流れに身をまかせ!」です。とやかく 騒いでも 何も 生まれないので、特に お願いすることはありませんでした。


「毘沙門天、善国寺」を出ると、すぐ前から、「石畳」の現高級飲み屋街、割烹が 続きます。

昔は この辺りは 遊郭が あったのです。3人で 現在でも 遊郭があるか、探しましたが、ありませんでした。


 私が 中学生時代には 住んでいた池袋の駅前にも、凄い遊郭がありました。私は 駅奥の道和中学に 通っておりましたが、帰り道は 好奇心から、遊郭の中を通って 家に帰るのでした。遊郭の中の小路には、両側に,縁台に座ったお姉さんか おばさんだかが、中学生の私に 声を掛けるのです。「お兄さん!遊んで行かない!」と。

金もないし、度胸もないし、好奇心だけで、逃げ帰りました。


卒業して 聞いたのですが、この遊郭で働いていた母親の勧めで、隣のクラスの女子生徒が 中学卒業後、この遊郭で 働き始めたとのことでした。真面目な 可愛い生徒でしたが、幼い私には 少々 ショックな出来事でした。


 神楽坂にも 同じような「遊郭」があったのです。今回 行った神楽坂の石畳を 当時 歩いていれば、

「お兄さん!遊ばない!」と黒塀の前に並んだ女郎たちから 声を掛けられていたことでしょう。


 3人は もとの神楽坂商店街に戻り、土産に「箸置き」を 購入したのです。

20個ほどでした。

新人たちに 土産として 上げたいと思いました。



 もっと長く、「神楽坂」に居たかったのですが、

毎週木曜日は 面接試験があります。来年の新入社員たちです。

 とても 素敵な学生さんたちが すでに 何人も 決まっております。



 急いで 事務所に帰りましょう!



ブログランキング参加中です。

クリックにご協力おねがいします。

↓こちらをクリックしていだだけますでしょうか。


にほんブログ村