不二一元論とテーラワーダ仏教 | テーラワーダ仏教とヴィパッサナー瞑想実践

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テーラワーダ仏教の教えを学び、ヴィパッサナー瞑想実践やアビダンマについてのブログです。

質問

初期仏教と非二一元(アドヴァイタ)の最も大きな違いとは何でしょうか?

今を生きることを強調したり、思考や感情を冷静に観察したり、概念的に世界をとらえないなど、かなりの部分共通点があると思うのですが、やはり違いは非二元が気づきや意識などを不死なる本来の自己としているところでしょうか。

また大乗仏教の禅や密教は、本来の仏教よりむしろ非二元に近いのでしょうか?


答え

アドヴァイタとか聞いたこともないと言う人のために用語解説します。

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シャンカラwikipedia

初代シャンカラ(Adi Shankara、700年頃-750年頃)は、マラヤーリ人の8世紀に活躍した中世インドの思想家。梵我一如思想、不二一元論(アドヴァイタ)を提唱した。

思想
ヴェーダーンタ哲学の不二一元論の立場を確立したインド最大の哲学者シャンカラは、原因を必要とせず存立するところのブラフマンと、個人の本体であるアートマンは本来同一であると主張した。

上述のように、仏教思想からの影響を強く受け、「仮面の仏教徒」と称されることがある。

シャンカラが目ざしたものは輪廻からの解脱であり、その手段は、バラモン教の経典『ヴェーダ』の注釈書(奥義書)である『ウパニシャッド』の説く宇宙の根本原理であるブラフマン(梵)と個体の本質であるアートマン(我)とは本来は同一であるという知識である。

現実の日常経験がこの真理と矛盾しているのは、この知識を会得しない無知(無明)によるとし、肉体をも含めた一切の現象世界は無明によってブラフマンに付託されたものにすぎないものであって、本来実在しないと説いて幻影主義的な一元論(不二一元論)を唱えた。

不二一元論は現代にいたるもインド思想界の主流をなす教説として知られている。

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アドヴァイタ系の人たちの覚醒体験や信仰を否定するつもりはありませんのでテーラワーダ仏教の教えとの違いだけに絞ってみたいと思います。


初期仏教とテーラワーダ仏教の違いや、

シャンカラのアドヴァイタと現在はやっている非二元との違いや、

大乗仏教、禅、密教もいろいろあるので難しいですね。


テーラワーダ仏教の無我の教えは他の宗教と大きく違うところだと思います。


仏教では生命を大きく二つに分けたり(名・色)五つに分けたり(五蘊:色受想行識)して説法します。

何のために分けて説明するかと言えば無常、苦、無我を説くためです。


その中の無我でいえば五つの分けた(五蘊)の一つ一つ、または五蘊以外にも変化しないような魂、真我などはないという教えです。


一切の現象世界は幻想で唯一実在するのはブラフマンのみであるというシャンカラの教義は仏教の無我の教義と大きく違うのは明らかです。


諸法無我と説く本来の仏教と真我を説くアドヴァイタが同じだと考えるのは無理があると思います。

シャンカラは大乗仏教の教義を取り入れたと言われているので似ているかもしれませんね。


個人的にはラマナ・マハルシとか好きでアドヴァイタも良いこと言っているなと思うことは多いですが、「全ては幻想で真我だけが実在である」みたいな話を聞くと、ついでにその真我も幻想に入れたらと思ってしまいます。

どのような教えも初期の教義を学ぶ必要があるのは同じだと思います。

最近の西洋のアドヴァイタの先生とシャンカラの教えと違うかもしれませんし、大乗仏教の教えとお釈迦様の教えと同じだとも思えませんので。