日本建築は面白い「円光寺本堂」 | 日中韓文化地めぐりのブログ

日中韓文化地めぐりのブログ

日中韓のお寺や観光地を巡るブログです。





 自分は日本の伝統建築が好きですが、好きになったきっかけは、「日本建築の空間拡大や利用に対する工夫」を知ってからですね。よく言われるように、古代の寺院では人が仏堂に上がることはまれで、中心建物は仏像を安置できれば良かった訳です。しかし、時代が下るにつれて、仏堂に人が上がるようになり、仏像を安置する空間(内陣)の他に、人間を収容する空間(外陣)が必要になってきたのですね。

 

 問題は、日本の伝統的な建築法では梁を一本の木からとる必要があったため、梁の長さに制限があり、仏堂の奥行きを伸ばすことが困難だったということです。そこで工夫が凝らされたわけですが、様々な工夫がされており、面白くて飽きません♪

 まあ、地味な話であり、興味の無い人にとってはどうでもいいことでしょうが・・・^^;






 古代の建物は、大体「身舎と庇」の構造で出来ていました。上の写真の建物は物凄く分かりやすいですが、この建物は中央の2間が身舎で、左右(前後)に1間ずつ庇が付いていますね。身舎の奥行きの長さは、上に架かる梁の長さに制限されます。最も身舎が長い建物は「東大寺大仏殿」で、なんと20mを上回ります。そこには、24mもの長さの梁を架けているんですね。ただし、これはあくまで特殊であり、普通は10m位が上限となるでしょうか。






円光寺本堂」、1257年建造で重文


 今回取り上げる仏堂は、滋賀県野洲市にある円光寺の本堂です。空間獲得の工夫が物凄く分かりやすい建物ですね。身舎が2間なのはそのままで、その部分を内陣とし、左右(前後)の庇を伸ばしているのです。特に右側(前側)の庇を伸ばして2間とし、人間が入る空間(外陣)に充てています。






 まあ、これは誰もが考えそうな空間拡大法ですが、問題は、前に伸ばせば伸ばすほど、軒が低くなってしまうことですね。そうすると採光に難が出てしまいます。従って、3間も4間も伸ばすのは現実的ではありません。

 それにしても、円光寺本堂の両流造りのプロポーションは、仏堂としては本当に異色ですねえ。






 自分がここを訪問したとき(約4年前)、事前連絡していたので、管理されている方が扉を開けて下さり、中に入れさせてもらいました^^

 伸ばされた前面の庇には虹梁が入れられて、間の柱が省略されていたので、外陣は思ったより広い空間がありましたね。外陣の室内高も、天井を入れずに化粧屋根裏としていたので、これも思ったより低くありませんでした。また、外陣と内陣の境は厳重に仕切られており、この辺は密教仏堂そのものでしたね。

 それにしても、扉を全部開けて頂いた時、たくさんの光が堂内に入ってきました。思わず「明るいですね~」と声を上げましたよ。本当に素敵な空間で、今ではお気に入りの仏堂の1つです^^







 円光寺本堂以外で類似の建物としては、国宝の「室生寺金堂」があります。この建物も外見が非常に分かりやすいですね。 前面に1間、孫庇が追加されて空間が拡張されています。ただ、円光寺本堂と違い、庇と孫庇に渡る虹梁は架けられていないので、両者の間には柱が立ち並んでましたが。

 室生寺金堂でいつ空間が拡張されたかというと、鎌倉時代後期くらいではないかということです。その頃になると、この建物に人間が入るようになったのでしょう。ただし、今の孫庇は17世紀のものだそうです。



 他にも類似の建物があるでしょうが、あまり数は多くありません。やはり、前に伸ばしすぎると屋根が低くなるからでしょう。当麻寺本堂も、はじめはこの方式で空間を拡大したようですが、今は異なります。そこで、また別の方法が考え出されることになりました。



つづく