現実として現れる想念の性質を知り、現実を変えよう | 地球の愛と光・本来の姿へ

地球の愛と光・本来の姿へ

本来、人生を楽しむために生まれてきました。
ですが、恐怖、心配する価値観を教えられてきました。
恐怖思考が現実になります。恐怖を捨て愛と楽しい思考に!
年々、気が付く人が増え、本来の地球に変わる時期が来ています。
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現実は想念で創造し一人一人違う現実を見ています。自分の想念だけでなく集合意識として他人の想念も入り込むのです。

「不快になる最大の理由は「想念を自分の頭で創り出したもの」と信じ、所有している・・・つまりいつまでもその思いに取り憑かれているからです。
もし自分が創った想念であるなら、コントロールできるはずではありませんか? 
結論から言うと、想念の元は特定できません。これを知っておくだけでも心の負担が軽くなります。」
・想念はどこの誰に由来するのか、など判らない。


想念の性質を知ろう


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◆まるでTV電波のような想念

想念は、24時間、あなたの周囲に絶え間なく流れ続けています。私たちが常時、携帯やテレビの電波にさらされているのと同じで、どんな人間も、その時々の意識状態に従って、特定の想念に同調して生きています。
想念をテレビ番組にたとえるなら、私たちはまるでチャンネルを変えながら番組を移動しているようなものです。
世界情勢をマジに考えてみたり、お笑いモードになったり、ホラーモードに入ったり、恋愛気分に浸ったり、時にはエロにはまったり・・・という具合で日々暮らしています。(中には神様モードや悪魔モードにはいる人も・・・)
意識をカチャカチャ切り替えながら、その都度気分で色々な想念を引きつけているのです。
「自己観察」とは、テレビの番組と、それにはまっているあなたを、上空から見ているようなものです。
そしてそれは、テレビ番組などよりはるかにリアルで面白い、「立体映像場劇場」なのです。
(映画『トゥルーマンショー』は、このことをコミカルに語っています。)

あなたが特定の放送局に、明確な意志を持ってアンテナを向けているのなら、見たくて見ている、という自覚がありますから問題ありません。
しかし普段は、ぼんやりと焦点の定まらない意識で場当たり的に行動しており、どんな番組を見ているのかほとんど自覚がありません。
どこに意識を向けて、どのように行動しているか、見えていないことが多いのです。
どこにアンテナを向け、どんなモードに入ってどんな行動を取ろうとしているのか、もし逐一意識できるならば、あなたは現実の創造者となります。

朝起きた時を例に取りましょう。
「眠たい」/「でも頑張って仕事行かなきゃ」/「腹減った、めし食いたい」/「トイレ行きたい」
・・・さまざまな想念がやってきます。
もし「眠たい」想念に強く引っ張られればサボり、「行かなきゃ」想念が勝れば踏ん張って出社することになります。
普通はこんなことに気付いてないし、その必要性も感じません。
そして「お菓子食べたい」想念や「さぼりたい」想念がそうであるように、気付かずに無意識に行動に移している想念はたくさんあるのです。
嫌われ者に限って嫌われている自覚がないのと同様、無自覚に行動し、不快な現実を引きつけている例はいくらでもあります。

《ポイント》
 私たちは、まるでテレビのように、日々さまざまな想念をキャッチし、これを取捨選択して、現実を創造している。




◆やってきた想念はコントロールできない

私たちは、想念を自ら作り出しているものだ、と信じて疑いませんが、はたしてそうでしょうか?
次のような場合を考えてみましょう。

・まじめに仕事している最中に、ふと魔が差したようにエッチな思いにふける。
・厳粛な葬儀の席で、なぜか温泉三昧してくつろぎたくなる。
・友人と楽しく旅行している最中、突然恋人との別れのシーンが浮かんで暗くなる。

このように想念は何の前触れも脈絡もなく、突然やってくることがあります。
心穏やかに淡々と日々を過ごしているのに、突然これをかき乱す想念がやってきます。
既に済んでしまったことに対する「自責」、今、目の前にいない誰かに対する「怒り」、起こってもいない将来への「不安」、誰にも迷惑をかけていない自分への「叱責」などが。
想念の内容やそれが属する時間(過去や未来)についても、脈絡がありません。
そしてやってくる(浮かんでくる)こと自体、コントロールのしようがないのです。
まさに電波と同じで、次から次へと浮かんで(流れて)きます。
私たちが苦しくなるのは、このような想念の性質を理解していないからです。

この他にも、「友人から借りた車を、突然ぶつけてみたくなった」とか、「公園で遊ぶ少女を見ていたら突然いたずらしてみたくなった」といった想念が流れてきて、「こんなことを考えるなんて、自分はサイテーの、人間失格者なのではないか」などという思いにはまって、暗くなってしまうこともあります。

この時、あなたが不快になるのは、その想念に引きずられ、あるいは強引に否定しようとして、頭の中でそれがぐるぐる駆け巡るためです。

そして不快になる最大の理由は「想念を自分の頭で創り出したもの」と信じ、所有している・・・つまりいつまでもその思いに取り憑かれているからです。
もし自分が創った想念であるなら、コントロールできるはずではありませんか? 
結論から言うと、想念の元は特定できません。これを知っておくだけでも心の負担が軽くなります。

《ポイント》
・想念はどこの誰に由来するのか、など判らない。
・想念は勝手にやってくるので、いったん来たものは拒否することなどできない。
・想念はこねくり回すと離れないが、放っておくといずれ去っていく。


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◆想念は交替する波である

 冷静に観察していると、想念の「山」と「谷」が波のように交替することが実感できるでしょう。

 恋人が浮気しているかも(不安)⇔ いや、思い過ごしだ(安心)
 あんたなんか死ねばいいのよ!(怒り)⇔ そこまで言うことはなかったのに(冷静)
 よおーし、バリバリやるぞー!(やる気)⇔ なんか、むなしいかも(無気力)


 
正反対の思いが心の中で交替していることは、誰でも実感しています。
一番いい例が、「どっちかを早く選びたい・・・でも選べない」という葛藤です。
中には「不安、怒り、無気力ばかりが気になり、反対の想念なんて味わったことがない」という人もいます。
でもそれは、それだけ「心地よい」思いを当たり前のようにつかんでいるので、気付いていないのです。
つまり、上図の0の基準線が思い切り+寄りになっている、ということですね。

逆に、「私の周りは優しく、親切な人ばかり」という時も、彼らの正反対の性質が受け入れられないので、見ないように蓋をする癖が付いている、ということも言えます。
基準線が思い切り-寄りであることにも弊害がないわけではありません。

ハイになりすぎて仕事をした後、必ずツケが来てフヌケてしまうように、一方(プラス)の波を思い切り増幅すると、他方(マイナス)も大きく増幅します。
片方の波ばかりを常に掴んでいると、いずれ必ず反対方向に大きく揺れてバランスを取るのです。

具体例として次のようなものが判りやすいでしょう。
・恋人が浮気を恐れて携帯で常に居場所をチェックし出すとかえって不安が増す。
・何かと自信が無く、落ち込むたびに、友人の慰め励ましに甘え、穴埋めしている。
・勢いに任せて相手に罵倒したが、落ち込む相手を見て反省し、自己嫌悪。やがてほとぼりが冷めるとまた腹を立て、同じことを繰り返す。




また、想念は非常に長い周期で交替することもあります。例はいくらでもあります。
・ある人を熱愛し、心酔していたのに、ある時から急に冷め、憎悪・軽蔑に反転。
・おいしい儲け話に舞い上がって投資したら、詐欺にあって全財産を失い、絶望。
・職場で人目を意識しすぎて緊張しているので、帰宅後、思いきり弛緩して寝まくる。

根っこが同じモノなのなので、どちらか片方だけ取り続けることはできないのです。
想念は山と谷が交替する、という性質を知らずに、どちらか一方を掴み続けた場合、どんどん暴走し、ある時、一挙に反転する憂き目にあいます。
いわゆる、「ジェットコースター/波瀾万丈の人生」というものです。

傲慢と自己卑下、「いじめ」と「いじめられ」、「ハシャギ」と「落ち込み」・・・この世界のありとあらゆるものが、波の交替で成り立っています。
私たちはその時々の都合で、同じ波動のプラスかマイナスの片方だけを、肯定色/否定色に色付けをして解釈しているだけなのです。
[愛情-憎悪]の悪循環がいやなら、愛情も憎悪も止めてしまえば・・・つまりそのどちらでもない境地に視点を置くことで抜け出せます。

《ポイント》
・想念は一種の「波」であり、最初から「対極の想念」もセットになっている。
・私たちがマイナスの想念が苦手なのは、いつもプラスの側に基準点が偏っているため、かえってマイナスばかり気になるから。
・視点を中心軸に戻すこと。波の発生源が理解出来ると、自然に波は収まる。
・想念から離れ、これに飲まれずにひたすら観察していると、次第に萎んでいく。




◆否定的な想念に対して抵抗し続けると、いずれダムが決壊する

気付いているのにあまりにも強力で、抵抗できずに行動に移してしまう想念はたくさんあります。
たとえば「仕事サボっちゃえ」という悪魔の囁き(想念)が聞こえても、それを無視して聞き流し、仕事に集中することは誰でもやっています。
ところが人によっては、
「姑を殴れ」「上司に怒りをぶちまけろ」「さあ、自殺するんだ」「オマエなんかダメ人間だ」「恋人がまた、浮気しているみたい」
などという否定的な想念が頭の中で飽和してバケモノ化している場合もあり、こうなると簡単に切り替えがききません。
他にも前向きな気持ちになったのに、「どーせお前なんか」「結局何やってもうまくいかないんだよ」といった想念があまりにも強力で、それにいちいち同意する習慣が身に付いているため、新しいことが何も始められた例がない、など・・・
まるでその想念が、心の中で暴力団や権威者として振る舞うことで、あなた全体が支配されたかのようになるわけです。  このように、抗しきれないと感じるほど、想念のパワーが強大になる理由は、あなたがその想念を拒否することでエネルギー強化しているからです。
自分ではやり過ごして(流して)いるつもりが、見ないふりをして蓋をしたり、歯を食いしばって耐えていたりすることが多いのです。

たとえば、ちょっとでも「《私は孤独だ》想念」や「《私は嫌われ者だ》想念」などを感じそうになると、ピシャッと蓋をしてしまう人がいます。
これでは流れる水にダムを作っているようなもので、余計エネルギーが溜まることになります。
いずれダムは決壊し、病気になるか、周囲(や自分)に対して破壊的行動を取るかのどちらかです。
座禅の際、「無」になろうともがけばもがくほど、ますます「無」からほど遠い状態に陥るのと同じです。

意図的に「流す」のでなく、流れていくままに任せるようにするといいでしょう。

「あいつさえ死んでくれれば快適なのに」という思いがよぎった時、
「そうだそうだ」と肯定したり、
「いや、こんなこと考えちゃいけない」と否定するのをやめる、ということです。

「嫌い嫌いも好きのうち」と言うように、肯定にせよ否定にせよ、想念に判断を加えた瞬間、その想念に同調したことになり、エネルギーをもろに取り込んでしまいます。


そもそも、誰の想念だか判らないものに、いちいち振り回される必要はありません。
無気力社員の多い会社にいれば、いくら張り切っていても「サボっちゃえ」という思いに取り憑かれやすくなります。
みんなの垂れ流す念に同調した自分を非難しないことです。
たとえ非難したとしても、それも流して下さい。

《ポイント》
否定的で不快な想念に襲われて苦しくなったら・・・

1.想念を徹底的に他人事のように観ていくこと。
2.想念に一切判断を加えないこと。



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◆想念に抵抗するのでなく、離れて見ていること

ある人から、「ちょっと太った?」と言われたとします。
怒りの感情が渦巻きます。
この「怒り」という第1段階の反応は、手の加えようがありません。

「ふん、どうせそうよ(肯定)」/「太ってないもん(否定)」

・・・どちらに反応したにせよ、怒りを感じた時点であなたはその想念に同調したのです。
素直に認めて下さい。

問題は第2段階で、
「あ、こんなこと思っちゃいけない」「冷静にならなくては」
などと、出てきた想念を心の中で押さえつけようとすることです。
この無駄あがきにより、想念はますますエネルギー強化されていくことを知って下さい。
反応は一瞬になされ、コントロールできません。
もし、本当に肥満を気にしていないなら、相手の言葉に引っかかりを感じないはずです。
気にしないふりをするのをやめ、相手の言葉に反応している自分に素直になること。
いったん来たものは排除できません。

別に怒りを外に表現しなくてもいいのです。
ただし、怒りを感じることだけは押さえつけてはいけません。
嫉妬、怒り、悲しみその他、否定的な想念を、もし行動に移したくなく、つきまとわれたくもないなら、ひたすらその想念が流れるまま見ていることです。
不思議な感じがするかもしれませんが、ただ見ているだけでいいのです。

自分のことを「明るくて優しくて強くてめげない人」と強く思いこんでいる人が、ある時、暗く、落ち込んで、人のあら捜しをして、無気力になる自分に気付いたとします。
この時、「こんなのは自分でない」と否定し、ふたをしたり意識をそらしたり、その情けない自分を叩いたり非難したりしがちです。
要するに、本当は「弱い自分」を認めたくなかったのです。
でも、そういう自分も「あり」、として表現する機会をあげましょう。
少しばかり想念に心の舞台を貸し、(同化せずに)したい放題暴れさせてあげるのです。

「気付いている」ということは、想念からは「距離を保って」離れていることになります。
ゆっくりと想念のエネルギーが失われていきます。
肯定も否定もせず、ニュートラルな立場で観察していれば、あなたからのエネルギー補給がないので、想念自体のエネルギーも減衰していきます。

実はこの時、あなたは瞑想状態にあるのと同じです。
見ているだけで、禅寺での修行と同じ・・・あるいはそれ以上の効果が得られます。
ただし、行動したり味わったりするのとは違い、積極的に想念のエネルギーを消費するわけではないので、長期戦を覚悟して下さい。
「想念が流れることを許す」ことを感覚で掴むには、それなりの場数を踏むことが必要です。

《ポイント》
想念の勢いをしぼませるコツは、「素通りさせる」「想念が浮かぶ(流れる)のを許す」こと。




◆想念を脳裏で再現してやる

恐怖、恥ずかしさ、怒り、敗北感、悲しみ、意気消沈などは、私たち誰もが苦手です。
こうした否定的な思いが浮かぶと、私たちはすぐに「ウッ」と緊張し、見ないふりをしたり、蓋をする癖がついています。
それを味わう事がないよう、押さえこんだり、歯を食いしばって見ないようにしたりと、巧みにごまかすテクニックを身につけています。
今あなたがそうした想念に苦しんでいるなら、それは今まで蓋をして溜め込んできたものが外に排出されようとしている現れです。
再び押さえこんでしまうとかえって想念のエネルギーを増大させ、ますます扱いにくいものにしてしまいます。
流れてくるものは流れるにまかせるのが一番です。

たとえば・・・
・恋人/パートナーが浮気しているかも・・・
・気に入らない上司(舅)を思わず殺してしまいそう
・みんなの前で失敗し、大恥をかいたらどうしよう

といった想念が流れてきた状況をイメージしてみましょう。
恐らくは抵抗し、蓋をしたくなることでしょう。
私たちがそれに反応してしまうのは、その想念が今にも実現しそうな気がして怖いからです。
心地よいことはいくらでもイメージできるのに、不快なこと、悪いことは、想像するだけでも悪人になったような気分になります。

でも、あなたがその想念を選択し、行動に移さない限り、現実にはなりません。
そもそも、こうした想念は消費される必要があって滞っているのですから、使ってあげないと、あなたがパンクしてしまいます。

《ポイント》
・不快な想念と決別したいのなら、無視せずに正面から受け止め、思い切って味わうのが、実は早道。
・想念のエネルギーは、脳裏というスクリーンに映像として流してやることで消費される。




◆「悪霊」の大半は、垂れ流し想念

あなたの思いは、たわいのない夢であれ、他者への攻撃の念であれ、等しく実現の方向に向かいます。
これを繰り返し、あるいは多くの人が抱き続けるとエネルギーがいっそう強化されます。
前に述べた「浮気想念」「殺害想念」も、いつもその想念を抱いていることに気付いていなかったり、あるいは見ないようにフタをし続けたりしていると、それは消化が遅れるばかりかますますエネルギーアップします。
やがて念だけが一人歩きして手のつけられない怪物と化し、逆に支配されてしまいます。
「悪霊に憑かれた」といって騒ぐ人がいますが、これは責任転嫁の発想以外の何ものでもありません。
たいていの場合、自分や家族が垂れ流し、あるいは溜め込んできた想念のゴミの集積なのです。
ゴミ屋敷で身動き取れなくなっている老人と何ら変わりありません。
インチキ霊能者に膨大な金を貢がなくても、自分のごまかしの現状をキチンと直視し、地に足を付けて生きることで、改善するケースが多いのです。、

いわゆる浮遊霊・地縛霊の正体も、死者の残した滞留想念であることが多いようです。
そんなものより今生きている人々が日々たれ流している想念の方が(相手が生きている分、エネルギー供給されるため)よほど強力であり、しかも周囲に漂っている、という怖さに私たちは無頓着です。
誰かの垂れ流した「あんな奴、死ね」、あるいは「このまま行けば、自分は負け組だ」といった想念は、同じ思いを抱く多くの人々、という「援軍」を得て、強化されていきます。
そしてたまたまそれをキャッチした人(どこの場所にいようと関係ありません)が、もし自制心のきかない子供であれば殺傷事件を引き起こすかもしれませんし、成人の社会人たちであれば、資格取得熱や、仕事中毒といった形で現象化するかもしれません。
焦りと不安から業績を上げようと必死になっている会社や、憂さ晴らしをしに多くの人が行き交う都心の繁華街などは、そこに集う人々がたれ流した想念が、しばしば滞留していることがあります。
このような、人々が集合的に日々吐き出している想念が、全国規模でパワーアップすると、異常気象が現象化してくるのです。

こうして、あなた自身も、自分が気付かずに増幅し、垂れ流した想念は、巡り巡って自分に返ってくることを知って下さい。
「人を呪わば穴二つ」というように、あなたが外に放った思いは最終的に自分に返ってきます。
常に感謝の気持ちでいなさい、と精神世界の教科書が強調しているのはまさにそういう理由からなのです。
それほどまでに人間の放つ念には大きな影響力がある、ということです。
日々、多くの人々が無自覚に怒りや不満、絶望の想念などをたれ流していながら、さほど大きな現象が起きていないのは、自覚を持ったほんの一部の人たちが、瞑想の境地・感謝の波動を維持することで、暴走を食い止めているからです。

自覚して行動することの重要性が少しはお判りいただけたでしょうか? 
酒による憂さ晴らし、友達との気分転換の旅、寂しくなったら即電話、もやもやしてきたら衝動買い・・・等々の一時しのぎは、想念から逃げて、他の穴埋め行為でごまかしているだけですから、根本解決にはつながりません。
あえて正面から向き合い、意図的にじっと味わう練習をしてみましょう。
悲しい時は存分に悲しんで下さい・・・但し「悲しい」という想念に飲まれずに。
存分に味わうことで体内に滞留したエネルギーを解放し、波動バランスを調整することができるのです。
そしてそれは、垂れ流されて漂っている想念を中和することにもなります。


◆できるだけリアルに味わうと、想念はやってこなくなる

上司の扱いに毎日キレそうで、怒りをぶつけたいけど、やったら間違いなくクビ。
こんな時、感情的になって周囲に当たり散らすことができず、落ち着いた「善人のふり」をして溜め込んでしまう人の場合、事態は深刻です。
そのエネルギーは消え去ったわけではなく、水面下に蓄積されているので、家族への八つ当たり、やけ酒、というパターンでいずれ爆発します。
自分にも周囲にも良いことはなにもありません。

怒りを感じたら、身体の細胞を全開にして味わってみましょう。
「味わう」とは、想念を全身で感じることです。
これらの想念を身体のすみずみまで浸みわたらせ、全身の細胞を振動させるのです。
身体中の細胞から怒りが蒸気となって噴き出しているようなイメージ。
流れをせき止めず、全身で味わってみます。
ただし、その一部始終を、どこか冷静なもう一人の自分の眼が見守っていることを忘れずに。
初めは怖いし、周囲に当たり散らしたりしてしまうこともあると思いますが、必ずできるようになりますので、トライしてみて下さい。

ポイント
・垂れ流した想念、溜め込んだ想念は、放っておくと大きなパワーを持ち、いずれ自分に返ってくる。
・想念を溜め込まずに全身でリアルに味わうと、消化される。


以上のように、「想念を客観的に見ること」・・・つまり想念を対象化する作業により、不快な想念は次第に質を変え始めるのです。
「怒り」なら、怒りエネルギーの供給路を絶たれるので、やがてもとの中立な波動に戻っていきます。
やってくる想念を人格にたとえれば、あなたと接する内に、角が取れて丸くなっていくのと同じことです。

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空間認識、観念で現実は変わる。



ありがとうございます。

引き寄せの法則、宇宙の法則