後ろ姿

語る人貴(とうと)し


語るとも知らで


からだで語る人


更に貴し


導く人貴し


導くとも知らで


後ろ姿で導く人


更に貴し


安積得也(昭和19年)

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大切なこと

人が自分をどう思うかよりも


自分が真に何であるかが


大切なこと


世界が日本をどう思うかよりも


日本が真に何であるかが


大切なこと


安積得也(昭和11年)

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ローカル

テーマ:

放送と通信がひとつになる


などと言われ


こうしてwebメディアのもつパワーが


従来のマスメディアを上回る勢いをみせている今、


やはり必要なのはコンテンツだ。





いつまでも人が 本来の


素朴で、素直で、誠実で居られる町


そんな居心地の良い町が


九州には あちらこちらに残っている。


東京や大阪を志向しなくても、


ここには


ローカル力(りょく)といえるような


資源に恵まれているのだ。


これから時代は、


ますます


このローカリティを


売り物にしてくるだろうけど、


今までどおり


やればいいぜ。





時代が変われど


地元を好きな気持ちが


あれば..

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昼過ぎから曇りだした空は


みるみる暗くなって


雷鳴とどろく春雷の天気となった。


遠くまで見渡せるオフィスの窓から


冬の夕暮れみたいに暗い空に


白く閃光が走るのを眺めながら


打ち合わせとも雑談ともとれそうな話をしていた。



これも


二度と巡って来ない春雷なんだなぁ。。


桜を見るときのような気持ちで


ドロリと生暖かい鉛のような空に


時々、バシャとフラッシュを焚くように


白い稲妻が走るのを見つめている。



きっと相手も、仕事の話をしながら頭の中では、


大きなグレーの画用紙を、子供が勢いよく破るように


光が天地にギザギザに走り、左右に引き裂かれた天空に


何か想っていたのかも知れない。









「春雷」を唄っていたのは、〝ふきのとう〟という


これまた春めいた名前のバンドだったように記憶している。


彼らも五十代半ばになる頃だろうか。。


それを引き継いで僕らは


どんな日本を作っていっているのだろう?


少なくとも自分の持ち場は僕が守らなくては、


そしてより良くして次へ渡さねば。。


そんな矜持が ふと頭をもたげた春の午後だった。

たまには

テーマ:

まったりしている。


仕事が一段落しているせいもあるし


サラリーマンという月給制の身分のお陰かも知れないし


ヒリヒリし過ぎたこの一年を本能が癒しているのかも知れない。


いずれ忙しさが追っ掛けてくる。


人間メリハリが大事だ。


ひととき、まったりしよう。

人生の歌(昭和7年)

篩(ふるい)で水を汲むような日もあり
その日にも
朗らかに歌わん
人生の歌


    地下水(昭和11年)

井戸水がほしいとき
東京で掘ろうか京都で掘ろうかと
ためらっているよりも
我(われ)今立つところを
グングン掘ってゆこう
何処で掘っても
水脈まで掘り下げれば
地下水が滾滾(こんこん)と湧いてくる
大小深浅の差はあっても
地下水はみんな共通だ
生命の井戸の井戸掘りよ
お前は何をためらっているのか

礼拝

テーマ:


当時としては珍しく


西鉄バスに乗って


東区の端から端へ


ミッションの幼稚園に通園していた。


地方都市とはいえ、バスには車掌が居る時代だ。



小学校の頃には、


近所の伝道所に通った。


その伝道所も、今では立派な教会に。



両親が通う教会は遠く


新年礼拝のあとには動物園へ。



それから


ずいぶん長い間、


祈りを忘れて暮らしていた。



大学に入って、


縁あってカトリックの神父さんと寝食をともに。


僕らの挙式もお願いした。



もともと、天台宗の坊主の孫なのだけど、


宗派も含めてアプローチはそれぞれだ。


俺は、宗教というパスよりも、


音楽や映画という


芸術を選んでいたのかも知れない。



たまたま縁あって


最近、正午礼拝に出た。


これから、日曜日ではないが毎週


聖書の話を聴く生活をしてみてもいいな、


と思った。

安積さんの詩

地下水(昭和11年)


井戸水がほしいとき


東京で掘ろうか京都で掘ろうかと


ためらっているよりも


我(われ)今立つところを


グングン掘ってゆこう


何処で掘っても


水脈まで掘り下げれば


地下水が滾滾(こんこん)と湧いてくる


大小深浅の差はあっても


地下水はみんな共通だ


生命の井戸の井戸掘りよ


お前は何をためらっているのか

何故此の世に


松があり梅があり薔薇があるのであるか


何故此の世に


馬があり獅子があり人間があるのであるか


何故此の世に


地球があり太陽があり北斗七星があるのであるか


何故人間の「持ち味」が違ひ(ちがい)


薔薇の色に区別があるのか


何故だか知らない


しかしさういふ(そういう)世界に生きてゐることが


うれしいよ


みんな手をつないで


祖国の持ち味を育て


めいめいの持ち味を育てようよ


みんながイクォールでないことを感謝する


これも昭和11年の9-11月頃の作です。