今週のもっと祝大:ヨシュア記21章「信仰とは従う事」 | 進藤龍也牧師のヤクザな日記

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ヨシュア記21章43 こうして主は、イスラエルの先祖たちに与えると誓った地をすべて、イスラエルに与えられたので、彼らはそれを占領して、そこに住んだ。44 主は、彼らの先祖たちに誓ったように、周囲の者から守って、彼らに安住を許された。すべての敵の中で、ひとりも彼らの前に立ちはだかる者はいなかった。主はすべての敵を彼らの手に渡された。
45 主がイスラエルの家に約束されたすべての良いことは、一つもたがわず、みな実現した。

神が約束されたものは申命記28章にあるように良い事ばかりではなく、呪いもあった。
しかし今、祝福を手にしたのだ!それを考察したい。

約束の地とは言うものの、敵地である。更地を買う訳ではない。サタン礼拝をしている異教徒たちがわんさかいる。”戦い、勝ち取って”手に入れるのだ。約束のものとは神から与えると約束されたもの。

勝ち取るのにもう一つ大切な事は「従う事」神に従ったからこそ勝ち得たのだ。
人生という旅路は神との二人三脚である。自分が動くのだ。聴くだけのものになってはいけないとヤコブ書にもある通りだ。
事業においても伝道においても同じではないか。恐れ、不安と戦い、神を信じて神に従う。

神に従わないで祝福された人生なぞある訳がない。
また、神の御旨を聴く事をお勧めしたい。まて、いけ、だめ。この3つならキャッチしやすい。また、平安がないものについてはよく吟味する事である。サタンは心配と誘惑と反抗を持ってくるのだから。

祝福される3要素
マラキ3章10節  十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て、わたしの家の食物とせよ。こうしてわたしをためしてみよ。―万軍の主は仰せられる―わたしがあなたがたのために、天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうかをためしてみよ。

イザヤ58章13節  もし、あなたが安息日に出歩くことをやめ、わたしの聖日に自分の好むことをせず、安息日を「喜びの日」と呼び、主の聖日を「はえある日」と呼び、これを尊んで旅をせず、自分の好むことを求めず、むだ口を慎むなら、14 そのとき、あなたは主をあなたの喜びとしよう。「わたしはあなたに地の高い所を踏み行かせ、あなたの父ヤコブのゆずりの地であなたを養う」と主の御口が語られたからである。

箴言3章27節 あなたの手に善を行なう力があるとき、求めるものにそれを拒むな。