今週の祝大:詩篇147編「砕かれたもの」 | 進藤龍也牧師のヤクザな日記

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【新改訳改訂第3版】詩
147:3 主は心の打ち砕かれた者をいやし彼らの傷を包む。
147:4 主は星の数を数え、そのすべてに名をつける。
147:5 われらの主は偉大であり、力に富み、その英知は測りがたい。
147:6 【主】は心の貧しい者をささえ、悪者を地面に引き降ろす。


神が神ご自身のために選び使いたいと思う人間は謙遜な人である。

作られた謙遜ではない。

世の中には実るほど頭をたれる稲穂かな、、、という人は多く存在する。ヤクザの親分にもそのような人物は多い。しかし抗争になれば「殺し」の命令を出す。心にあるものが出る。

本当の謙遜とはどのような人であろうか!?
それは砕かれた人である。苦労してきた人とも違う。砕かれた人とは失敗を克服した人。間違いを認め悔い改め、自分の罪を恥じた人である。

ヨハネの福音書12章に出てくるマリアは主イエスの葬りの準備をした人である。300万円の高級な香油の壷を割って主イエスに塗った女性である。その香油は花嫁道具でもあった。その宝を割ってささげたのだ。その行為は主イエスにすべてをささげる心、自分は罪人でした!とういう砕かれた心!!その心があふれていた。12:3にある香油の香りで部屋が一杯になったという聖句はマリアの心が砕かれて主イエスの香りで一杯になったということである。そういう人を神は望んでおられる。

天の星、海辺の砂、髪の毛が数えられないのに天の父はそのすべてをご存知である。星のすべてに名前をつけていえる天の父が私たちの人生のすべてを知っていてくださる。
その方ご自身が心の貧しいものを支えてくださる。

心の貧しいものと訳された言葉は要約すると神しか頼れないもの、あるいは神に双子ごろの無いもの、謙遜なもの、、、です。そのような人を支えてくださる約束です。

そして悪者を地面に引き降ろすことも神ご自身がしてくださる約束です。ですから私たちは罪赦されたものとして裁く権利はないのです。神により頼むということは神の裁きに信頼するということ。そして悪人の救いを祈ることである。神ご自身も悪人の悔い改めを望んでおられる。私も悪人の一人だったのだ。
砕かれたものは神に信頼することができる、そして待つことができ、赦すことができる。