【新改訳改訂第3版】
使
2:1 五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。
2:2 すると突然、天から、激しい風が吹いて来るような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。
2:3 また、炎のような分かれた舌が現れて、ひとりひとりの上にとどまった。
2:4 すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。
五旬節とは過ぎ越しの祭りのいけにえから50日後のことで穀物の最後の刈入れを祝う祭りのこと。新約においてはイースターから50日のこと。過ぎ越しの最後の完璧ないけにえのキリストの復活から数えて50日。そのときに聖霊が下された。
旧約時代には神に選ばれた人が聖霊を受けて預言者となったり王として宗教改革したり奇跡を起こした。しかし、完璧な神の子キリストご自身のいけにえによって、その神の罪人の買戻しを信じるものすべてに下されると言う始まりが本文である。
①キリストの約束を信じて、②集まり、③祈っていた。この条件。だからなにはともあれ礼拝なんです。
新改訳改訂第3版 使
10:44 ペテロがなおもこれらのことばを話し続けているとき、みことばに耳を傾けていたすべての人々に、聖霊がお下りになった。
10:45 割礼を受けている信者で、ペテロといっしょに来た人たちは、異邦人にも聖霊の賜物が注がれたので驚いた。
10:46 彼らが異言を話し、神を賛美するのを聞いたからである。そこでペテロはこう言った。
10:47 「この人たちは、私たちと同じように、聖霊を受けたのですから、いったいだれが、水をさし止めて、この人たちにバプテスマを受けさせないようにすることができましょうか
説教を聴いているときに聖霊がおくだりになった。この2つの箇所はまさしく聖霊のバプテスマである。バプテスマとは「浸る」ことである。「満たされる」ことである。昨日の礼拝で神様を求めて心を一つにして祈りました。聖霊のバプテスマを求めて祈りました。異言が伴った人もいたので嬉しく思いました。この箇所でもわかるように説教とう御言葉(みことば)を聴くことの重要性がわかります。私達はキリストの木に接木されたのですから礼拝(ミサ)が必要なのです。
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