美術とその周り その3 | ゲゲゲの藝術学

美術とその周り その3

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その2(後編)は☞こちらをお読みください。


お金に関してこの年齢になって色々経験したり、学んだりして思うのは、お金は「信用」(ホリエモンもいってた)なんだと。

絵が売れる=売り絵(売れるように描いた絵)といって軽蔑する人もいるけど、買う方だって馬鹿じゃない。千円~2千円じゃなくてウン万円、ウン十万円の身銭を切るとき、本当に「この絵が良い!」と思わなきゃ買わないし買えないですよ。

「いい、すばらしい」ってのは信用ですよね。

ただ、純粋にその絵が良いと思わなかったとしても、その作家のものだから、○○で扱っているから、そういう理由で売れたとしてもそれも信用。

そういう信用がお金に換わる。

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だって美術品は生活必需品(食品とかトイレットペーパーとか切羽詰まって必要になるもの)じゃないもの(←文脈から切り離さないでくださいよ)。

だからこそ、それ自体で価値を持ちづらいからこそ、信用が必要になる。

美術に関して、こう書くと納得しない人が出るのはわかります。

じゃあ、ピカソの絵が喫茶店にあって、それを本物だと思う人が何人いますか?
デュシャンの「泉」が本当に男子トイレにあったら、それが美術品だと誰がわかりますか?

それ自体だけに価値がある訳じゃない。だからブランディングして信用を作ることが大事なんだと。

そういったことが最近自分の中で見えて来ました。

ただ、絵を売る、売らないは個人の自由だし、それについてはどういうスタンスでも良いと思う。

僕個人としては絵を描いて、美術をやって、それで生活ができるならそんな良いことはないなぁと思います(現実はほど遠いですけど)。

お金が発生するということは社会と接点を持っているといえます。それは社会活動の対価ともいえます。社会のなかで信用や影響力を持てばお金が発生する(ことが可能である)ということです。

お金を儲けたいからアートをするというのは僕自身違うなと思いますが(クーンズは株よりアートの方がインサイダーし放題だし儲かるという理由でアーティストになったらしいですが…)、それが社会のなかでの信用の対価なのだと思えば、お金と美術について変なアレルギー反応は起こさないんじゃないだろうかと思います。

そして最近は、僕らより下の世代(20代前~中盤)の活動や行動を見るかぎり、その辺(お金と美術)にはあまり偏見はないようです。

美術を社会に着地させる方法を考えず、求道者のように美術をおこなっていたのが僕らから上の世代であり、僕らより下の世代の興味は、美術と社会のコネクションをどのように、どういった形で求めていくか?ということのようです。というか今の日本の美術シーンの共通の問題点はその一点に尽きるのではないでしょうか。

美術館、ギャラリーなどの既存のシステムからの脱構築、それに尽きるように思います。

だからこそカオスラウンジや0000のようなグループでの表現活動が目立つようになったと言えるのではないでしょうか。

つづく