2月16日 | 都わすれの「ベガルタ応援日記」

2月16日

2月16日は私にとっては特別な日・・毎年来ますが・・


実は明日が亡き夫の44回忌です・・昨年43回忌法要は、父の33回忌と母の17回忌(本当は今年)済ませました。 


今日はアメブロのメンテで予定より遅れましたが、墓参に行きお墓の前で色々お話して来ました。 


死亡診断書が「17日0時3分」になっていたら、明日が命日と言うことですが・・


あの日「まだ帰って来ないかなぁ・・」と当日発売の、婦人雑誌を見ながら待っていた。 


それにしても遅いなぁと思いながら・・


あの頃我が家に電話が無くてお隣とブランチだったが、下に寝ていた父が電話の前で立ち尽くしていて、母が声を替えたらしかった。 


「○○・・事故か?」と・・頷く父で、母が二階に上がって来た。 


当時車の免許を持たない私は、従姉弟に連絡して車を出して貰い・・叔父さんは夫に実家へ知らせに行った。 


電話があった時点で「死亡」が伝えられ、当時走っていた市電の「舟丁安全地帯」に、まともにぶつかったようだった 叫び 


要するに市立病院まで運ばれて、検視された時間は「17日0時3分」でした。 


当時の市立病院は今の商工会議所の向かい側(三越の隣り辺り)にあり、静まり返った廊下に従姉弟娘をおぶった私叔母さんの、3人の足音だけが響く・・・ 


会社の庶務課長さんが先にいらしていた。 


「間違いないですね・・?」と確認させられて、寝台車を手配してありますと・・


娘をおんぶして一緒に自宅に帰ったが両親や義母とは、途中ですれ違ったようだった。 


明日からどうするって考えたら、涙も出なかった。 


葬儀の日程が決められないと翌日朝一に、市立病院へ「死亡診断書」を貰いに・・


2月16日から3日3晩一睡もしなかったが、私もまだ若かったんだね。 


忘れてしまいことなど山ほどあるが、2月16日の夜はまんじりともせず待っていたことと、あの足音が忘れらない。 


当時仙台南警察署は舟丁の事故があった真向いにあり、病院へ行く途中夫の車があった。 


仙台南警察署は今は長町にあり、今日は例の「駐車証」も貰いにってきた ビックリマーク 


交付された駐車証には「平成28年2月16日」と、「平成31年2月16日」の文字が・・おりしも仙台南警察署でした パー


例年明日は一日「自宅待機」なのですが、午前中は月二度しかない絵手紙教室があり行って来ます あせる


事故は昭和48年2月16日で、10日後は娘の一歳の誕生日だったから、26日で娘は44歳になります(孫も同じ日で7歳に)グッド! 


娘の誕生日を待っていたのに・・あの時泣けなかったのに、今は涙があふれます・・



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