語る人によって歴史は変わる② | きっと地球に遊びに来たんだよね!

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「私は誰なのか? なぜ生まれてきたんだろう?」忘れてしまっている大切なことを、思い出したい人へ…

語った人によって歴史は変わる

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それは長い長い地球や世界の歴史もそうなんだけど

小さな一個人のこともそうだと思うのです

いろんな人がいろんなことを語ります

その中で

親のことや
子供のことや
パートナーのことって
たくさん話題に上がると思います

友人のことや
職場の人の話もよく出てきますね


そしてその話を聞きながら、そこに歴史を見ます

そういうお家で育ったんだ
そういうことをされたんだ
そういう出来事があったんだ
そういう職場なんだ
へぇー!そういうことする人がいるんだ

でも、これは語った人の歴史です

語った人のものの見方や価値観や好みや思いや正義や立場や・・・

その人のものが入ります

語っていない人に同じことを聞くと
また違う歴史を見ることになると思います

歴史とは、語った人のものなんですよね


で、何が言いたいかといいますと

自分が語っていることは、自分から見たものであって

ほんとに起きたこととは、ちょっと違っているかもしれないよってことなんです


誰かが語っていることは、その人から見えた世界であって

実際に起きたこととは、ちょっと違っているかもしれないです

たとえば

たくさんの人が、親と子のことで悩んだり、苦しんだりしています

何十年も前の出来事(自分から見た)によって、苦しんでいる人もたくさんいます


わたしは、母親から愛してもらえなかった
なぜならこういうことをされたから
こういうことを言われたから

わたしの親は、最低です
なぜならこういうことをする人なんです
こういうことを平気で言うんです

わたしは生まれてくるべきじゃなかったんです
なぜなら母は、わたしのことが邪魔だったから
かわいくない子だったから

そう自分の歴史を語ったとします

そこには必ず語られていない歴史があるってことなんですよね

お母さんが語る家族の歴史
子供が語る家族の歴史

そこには、違いが出てくると思います


わたしは、お母さんに愛されていなかった
なぜなら
なぜなら

いくつものなぜならを語ることができるかもしれません

でも、そこには、語られていない歴史があります

お母さんから見た歴史
それは、自分が語っているものと少し違うかもしれない

きっと違うこともたくさんあると思います


お母さんは、わたしのことがかわいくなかったんだ!
これが自分の歴史だと信じていたものが

お母さんから見た歴史は
あなたのことがかわいくて仕方なかった
くらい違っているかもしれない

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☆ミュウが見てる世界とわたしが見てる世界も違うんだろうな〜☆