海外に住んでいると、日本にいるとき以上に日本が恋しくなることが多い。当然と言えば当然であるが、これはまことに、人情である。

 最近、私の好きな歴史家の方が、ネットの番組で太平記を勧められていた。筆者が若い頃(今ももちろん若いが)に放送されていた大河ドラマを時間をかけてみたが、まことに壮快である。保守の方々にとっては、足利尊氏は後醍醐天皇に逆らった憎き朝敵であり、許し難い大悪人であるが、筆者、個人的に、足利尊氏が大好きである。これは皇室に対して不敬という意味ではない。現在でも、また江戸時代でも、その前の室町時代でも、またその前の鎌倉時代でもそうであるように、皇室の存在は、日本の権威のそのものであり、すべての権力は皇室の権威により保証されることにより成立する。現在の内閣総理大臣が、天皇陛下により任命されることからも、それは明明白白たる事実である。つまり、皇室は権威であり、権力ではないのである。後醍醐天皇は、建武の新政ということで、権威自らが、古代に習い、権力を握られようとしたことで、日本の国柄の流れにそぐわず、武士という、いわば庶民の政権の代表たる足利尊氏と対立せざるを得なくなった。私はどちらに理があるという話をするのではなく、武士(庶民)たちの意向を代表せざるを得なかった足利尊氏の苦しさに思いを馳せ、またそれを重々承知しながらも、忠義に死んだ楠木正成にも遥かなる思いを馳せる。主観的な良い悪いの問題ではない。

 足利尊氏は楠木正成が好きだったし、楠木正成も足利尊氏が好きであった。お互いに好きであっても戦わざるを得なかったのは、それぞれが背負うものが違ったからである。足利尊氏は後醍醐天皇も好きであった。互いが互いの背負うものをもち、戦った時代であった。こうした深い歴史を観るにつけ、筆者は心から、日本人に生まれて良かったと、思うのである。

 日本の歴史は、世界のどの地域の歴史にも勝るとも劣らない素晴らしい歴史である。ふと、そんなことを書きたく、この項を書かせていただいた。

 主観的な話ではあるが、読者の方々も是非、大河ドラマの太平記を今一度ご覧頂きたい。フランキー堺、陣内孝則、真田広之など、錚々たる役者陣を配した大河ドラマの一大傑作である。足利尊氏と佐々木判官との間の友情も観ていて実に清々しい。

 鎌倉武士の、「名こそ惜しけれ」という、高々とした精神性、司馬遼太郎氏の言葉を借りるなら、日本の三大美的倫理感情の一つを忘れて、日本人もなにもないであろう。太平記は、その時代を、かすかにでも思い出させてくれるのである。

 今回も読んでいただき、ありがとうございます。

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