熊野田城探訪 | 中川清秀公・本陣

中川清秀公・本陣

 郷土豊中の歴史を調べていくうちに出会った戦国武将・中川清秀。知名度は低いけど、実は男気あふれる魅力的な人物。此度タイトルを「中川清秀公・本陣」と改め、清秀公の魅力について皆様と語り合いたいと思います。ご意見、ご感想、情報など宜しくお願いします。

 先日豊中市熊野町(旧熊野田村)にある熊野田城跡に行ってきました。えっ?熊野田にお城があったのか?実はあったのです!お城というより居館というのでしょうか。

現在の八坂神社がある丘一帯が城跡の様なのです。以前発掘調査がされたようなのですが、その時室町時代と思われる館の跡とか室町幕府管領(室町幕府の№2)や摂津などの守護等を務めた細川氏との関係を示す“花押”が描かれた茶碗が出土しています。詳しいことは教育委員会発行の文化財ニュース№29に載っています。

熊野田の城主

さて戦国時代の熊野田の御殿様は“熊野田隠岐守宗伯”と言い幕府から“熊野田の御代官”に任じられ、また当時勢力のあった池田城(大阪府池田市)の城主に属していました。

隠岐守には女の子と弟の男の子がいましたが、先行きの見えない戦国の世。娘を立派な武将に嫁がせ、家を栄えさせたいと考えていました。

熊野田城主の娘婿

そんな折、池田城主の元でメキメキ手柄をあげている若武者がいました。兄弟は同じ具足を身に纏い、戦場で見分けを附けるために兄は“赤の日の丸”弟は“白の日の丸”を背負って戦いました。その兄こそのちに摂津茨木城主となり、熊野田氏の娘・稍(やや)姫の夫となる中川清秀公の若き日の姿でした。

隠岐守は颯爽たる若武者・清秀を見て一目で気に入り、娘との婚約を申し込みます。「熊野田氏世譜」という熊野田氏に関する文献によると・・・

「清秀様御年若の時、御武勇比類なく、其上御家は御代々摂州の旗頭筋にて候得ば、後々御家運開かせらるべしと思惟し、娘に御縁を組み、御縁者になりて子供をも皆御家来になして行く末を頼み奉る」

とあります。弟は千助・資勝といいますが、清秀公に仕えて手柄をたて、のちに家老となって中川姓を賜わり、中川(熊田)隠岐守となりました。

「摂津国豊嶋郡熊野田村古跡見聞書」

 その後、清秀公は荒木村重・織田信長・羽柴秀吉といった名だたる武将の元で手柄をあげますが、天正十一(1583)年、秀吉と柴田勝家が争った賤ヶ岳の合戦で戦死してしまいます。戦死の報に接した秀吉は涙を流して感謝したと言われています。

中川氏はその後、播州三木から豊後岡(大分県竹田市)に国替えとなり、人々の記憶から「熊野田の城」のことも忘れ去られていましたが、幕末の安政四年、熊野田を訪れた中川藩士の記録が残っていました。藩士の名は“下村市之丞”。熊野田村の庄屋・負田七郎兵衛の案内で熊野田を探索し、熊野田の城についても記述を残していました。

少し長くなりますが記述を引用してみます。

「庄屋の宅の後の方に御城山と申し候所が御座候。則ち是が熊野田隠岐守様の御居城の蹟と申し候。是を古(むかし)の殿様と申し候得共、御家、御子孫も絶え果て、跡形も之無く哀れなるけしきにて御座候と申し候ゆえ、私申すには熊野田様の御子孫は奥様の御由緒にて中川家へお出でにて御家老をして今其末は重役をして四、五家有之候」

と、七郎兵衛との会話を記録しています。当時の認識では“熊野田氏は滅んでしまった!”と思われていたようですね。市之丞から話を聞かされた七郎兵衛は

「殊の外歓び、むかしの殿様の御家に御座候へば一入御なつかしく、何卒して御機嫌伺いに豊後に出でたし」

と言っています。さて城跡については

「御城蹟と唱え候は山の尾崎を切り広め只今にては小松とつつじ御座候。赤土の小石交じりにて御座候。寛永の度 公儀(幕府)より古城蹟御取崩しに相成り候蹟と相見え申し候。石垣等の是が蹟と相見え候所は御座候得共、今にては名は之無く、山の方堀の蹟水溜り内廻して御座候。上の平の所は只今にては漸う漸う弐反位御座候。山の高さは六、七間位御座候。入り口の所弐反に御座候。」

と述べています。当時はまだ少し面影が残っていたようですね。城跡に関しては最後にこう締めくくっています。

「・・・夫れ是として荒れ果てたる有様、斯くもありしや。こふも有りしかとむかしを思ひ、さなきだにも秋の夕べの物かなしく哀れに成り、そぞろに落涕仕り候・・・」

私も市之丞さんの記述を片手に現地を回ってみましたが、当時を想像するのは容易ではありません。



八坂公園の五輪塔


八坂神社に隣接する八坂公園の一角に小さな一石五輪塔を見つけました。今でも誰かが供養して下さっているようです。熊野田氏ゆかりの五輪塔でしょうか。。。この辺りも小高い丘で城の郭のような雰囲気でした。


稍姫イラスト

原田城跡の古文書講座でご一緒している漫画家・木戸りんごさんに稍姫のイラスト描いていただきました!とてもかわいいです。ありがとうございました。


                 

参考文献:調査報告「原田氏と中川氏」高市光男著