たまには雑感を喋ってみた魔道士です。こんにちは。

FFには関係ない話題ですが、当時質問を受けていましたので、簡単に触れておこうと思います。


7月に ”議論が出来ない背後には、日本の教育の問題もあると思っている (要約)” といった話しをしたことがありました。βキーの進呈が日本で行なわれない理由に関してのエントリ(こちら )です。

北米では、表現豊かに語れるようになるための授業ですとか、ディベートを通して相手の話しをよく聞き、論理的な対話が出来る様になるための授業、といったものがありました。彼らは訓練され習慣づけされているのです。

これは、現地の小学校、中学校の教育を受けているか、親をしていれば肌身で感じている所だと思いますが、日本の教育のみ受けた身だとしたら、理解し難い部分かも知れません。

匿名では特に、悪口と罵りあいになりがちになる日本に対して、北米ではそうなり難い部分があるとしたら、教育の成果ではないか、というのがわたしの主張でした。


もうひとつ別の視点ですが、怨望 (ねたみ・ひがみ根性・嫉妬) といった特徴も日本人には強いということも影響しているかも知れません。これは約140年前に福沢諭吉翁が 「学問のすすめ」 の中で指摘していることですが、そういった 「あらゆる悪徳の根本 (福沢談)」 があるが故に、相手を非難することで自分がさも高みにいるかに振舞うという事が、もしかしたらあるのかもしれません。

他人の幸福と自分の幸福とを比較して、自分の方に引け目があると、自分の境遇を改善して幸福を増やそうとはしない。かえって他人を不幸におとしいれて、その境遇をみじめにし、彼と我の不幸のバランスを取ろうと願うといった風だ。
学問のすすめより参照のため抜粋引用


このようなお喋りをしただけで、「欧米贔屓」 といったレッテル付など無粋なことは勘弁ね。