ひさびさのブログです。

ということで、父が亡くなり約1年が経過しようとしています。丁度、来月の28日が一周忌になりますね・・。

本当に一年なんて早い、ほんとうに時間が早い。

アっという間だなぁ、とよく言いますが、でも、振り返ってみると一年前の出来事から今までにあったことをひとつひとつ見ると、、長いかんじもしてしまいます。

内容が濃いというか、心身ともにありすぎて疲れたなぁ、、
父が亡くなったことにより、それに対する抵抗であれその逆であれ、自分の軸としてあった存在がいなくなることは、自分自身がしっかりとした自立した人間でないと厳しいものがあります。

特に私は家族もいないので、それがそのようになったのも、実際、この父の元に生まれたことに起因するというのもあるのですが。

一般論として、よく人は人のせいにするなとか言うけれど、子供の時にウケた虐待を、あの地獄のような恐怖や絶望を、一秒たりとも誰も立ち替わって受けてくれたわけでもないのに、偉そうなことだけ口先だけでは言う人も多く。

私達、きょうだいは、そのバカみたいな常識とか道徳とかいう都合のよいときだけ出てくる「自己責任論」に傷つけられてきたのでありました。

まだ心身ともに無力で無学で社会的な知識も何も無い状態の子どもに対して、圧倒的な力(暴力的、社会的含む)自己責任論を言うなど、無責任以外のなにものでもないのですが、私たちの周りの大人は自分が何もできない、何もしない、関わりたくないところから、そうやって私たちをほったらしてきて、大きくなってからは、なんだかんだと偉そうに私たちの心を搾取していたのでした。

今になってもふざけんなと思います。
何も分かっていないのに無責任な道徳論や正論ふりかざしているバカも多いですが。


私と弟は二人きりで居場所がないように感じていたけれど、私達お互いの存在だけがお互いの居場所だったのでした。 圧倒的に恐ろしい父という存在に対しての結束は固く強くありました。

しかし、私が田舎にいるままだとこのままだと自死を考えるしかもう道がないと感じているときに、幸いにも東京で働くという話が突然出てきて、私は死なずに済んだと思います。

いや、実際私は田舎にいたままでもこわくて自死する勇気がなかったと思いますが、でも、自分の魂はすっかり殺されていましたので、その時にもすっかりノイローゼか精神疾患となっていましたが、気づかずにいてどんどんおかしくなっていたのかもしれません。

当時は弟や大好きな猫たちがいてくれたからこそ、まだ生きていられた・・と思います。


今になって思います。


その後、弟はパートナーを見つけたのですが、(というかおしかけ何とか・・・)彼女の性格がものすごく強かったので、私たちは結婚に対して危惧していましたが、、彼女の父親もうちの父と同じような、いやもっと酷い暴力的なバカ父だったということで、その父に対する怒りによって、弟とその嫁は意気投合したということでした。苦笑。

なんとも、哀しい意気投合内容だなぁ、、と思ったものですが。

でも、ふたりのそれぞれの父親に対する怒りの激しさと結束はかなりなもので、特にお嫁さんの父親に対する怒りは今もなお常に「早く死んでくれたら幸い!」としか思っていないそうで・・・。

すごいですね。そういう人間。まぁいるんですよね。けっこう・・・
わかります。苦笑

けれども、弟がその生活費などの補助をしながら奥さんは今ドイツにいて何かカメラマンとして働いているそうでして、いい身分だなぁ、、と思います。 
弟、、ただのスポンサーになってないか?って気もしないでもないけれど、まぁ、弟がそれでよいと言うなら仕方ないですね。苦笑


そして、今回の父の亡くなったことにより、弟と数十年ぶりに再会、そして現在、彼女が家にいないおかげで、私と弟の結束がまたしても復活したのでした。(笑)


私はずっと家族というものがなくて、孤独でしたが、やっぱりきょうだいっていうか、家族っていうか何があっても大丈夫、味方でいてくれる、受け入れてくれるっていう存在があるっていうのはいいですよね~。
としみじみ思います。たった一人であっても・・。


弟と再会して、おとうとはすっかりおじさんになっていましたが(私もw)
でも、改めて長い長い、話をしていますが、子供の頃と何ら中身は変わっていなくて、きょうだいであるからこそだけど、趣味嗜好が本当に似ていて、猫が好き、SFが好きとか、色々と話をしていても共感することが多くて、やっぱり楽しくて仕方ありませんでした。


こうして心が交流できることって本当に楽しいなぁってひさびさに思った次第です。


というわけで、少し自分の日記みたいなかんじでしたためましたが、長くなったので、また続きは次に。



   数十年前の弟と飼っていた猫画像。