前回の話に引き続き・・・
大好きだった愛猫、イオの話です。

私の人生の中でイオの存在は大きくて、、たかが猫、というかもしれません。でも、猫たちがいなかったらどれだけ寂しい人生だったかと思うぐらいです。
それほど猫好きに生まれついたのも、何か因果でもあるのかもしれませんが・・・?

①からのつづきです、、

父の布団から顔だけを出して、ドアから覗く私の方を、まっすぐに見つめるキラキラした目の愛らしさ。
すぐにでも抱きしめたい気持ちになったけれど、それよりもその時の私は、亡くした子猫への思いに引きずられて居間に戻り、盛り塩をおいたわら半紙の前に座ってまた再び一人で懺悔し泣き続けた。

普段決して声を上げて泣くことのなかった弟もしばらく泣いていたものの、やがて落ち着き、2階の部屋に行って寝るといって上に行った。

だけれども、私はどうしたって眠るどころか、、
その場所から動くことが出来なかった。


「なんで?こんなことが起こるのか?なんでその猫は、よりによって今日に限ってうちの部屋に入り込み、どうしてうちの子猫を襲って噛み殺したのか?今までそんなの見たことも無かったし!聴いたことも無い。子猫を襲って殺すなんて酷過ぎる!!!なんで、なんでなんで?なんで?なんで???どうして?どうしてうちの猫を襲ったのか?

そんな動物のことなんか考えても意味もなく、仕方ないことなのに、
問いかけずにいられなかった。

どうして、こんな悲しいことが私に起こるのか!?

私がそこの窓を開けておかなければ!
開けなければよかったのにー!!!!!

と、、、取り留めなく何度も何度も反芻して考えては泣き、泣いては考え、考えても仕方のない、、もう取り戻すことの出来ないことを繰り返し繰り返し自分を責めた。
かなりおかしくなっていたのかもしれない。

ただ、その姿が横たわっていた、盛り塩をおいた長方形の半紙を、ただずっとず~っと眺めつて「ごめんよ!ごめんよ!」と言いながらシクシクと泣き続けていた。

「父や弟はこんな悲しいことがあったのにどうしてシレっと眠れるんだろう?」と思った。

私だけがどうしても眠れなくて・・。
それはやっぱり罪悪感だったのか?
猫好きの度合いの違いか?(後者かな・・・)


そして、私はその後も、深夜から朝にかけて、ずっとそこに座り込んだまま、
「まだそこにおるよね!?おるよね?姿を見せて!?出てきて!幽霊でいいから!」
などと口走るようになり、必死に懇願するという状態に。

悲しさのあまり異常な?心理状態になってしまっていたのだと思う。苦笑

でも、すると、、少し不思議なことが起こった。

朝方になるにつれ、盛り塩を置いた半紙に何やらシミのようなものが浮き出てきたのだ。

じわじわ~と、、

私はその不思議なシミが浮き出したのを見つけて、じーっと見守った。さっきまで何もなかったはず。
なのに、紙の上に何かがじわじわと染み出すように出てきている。

どのぐらいの時間でそれが形作られたのか・・・記憶は定かではないものの数分か数十分ぐらいかかって、じわじわと沸いて出てきた半紙の上のシミは、、

やがて猫の顔の形になった。

よくある微妙な心霊写真のような、そう言われて見れば、顔にも見えるかな?的なあやふやなものではなく、、ハッキリクッキリとしたカタチで、猫の顔の輪郭、目、鼻、口のところ、、と、、、ハッキリとした顔が浮かび上がったのだ。
ただ、噛まれたところ側の耳のほうだけが欠けているかんじになっていた。

左側を向いているような顔で、少し悲しそうに見える顔だった。

それを見た私は、驚喜し
「やっぱりまだここにいるんだ!出てきてくれたんだ!」と思い、慌てて2階で眠っている弟を起こしに行った。


弟は、何事かと思って、眠い目をこすりながらしぶしぶと起きてきてくれたのですが・・・。

「てっちゃんみてー!!トリトン(子猫の名前思い出した!)が出てきたよ!出てきてくれたよ!おるんや!ここにやっぱりおるんや!」

その時の私の精神状態は、死んでしまったのが身体だけであり、存在はまだここにいるのだということで自分を必死に慰めたかったのだと思います。


そして、「トリトンが出てきてくれた!」などと言って喜ぶ私に連れられて、早朝に起こされて、寝起き一番に半紙に浮かぶ、猫の顔の染み出した様子を見た弟はというと、見たとたん、

目を見開いてのけぞり、

「うわぁああああ~~!!!」
と、腰を抜かさんばかりの様子で(私もビックリした)恐怖におののいた顔つき&声を上げて慌てて二階にかけ戻ってしまったのです。

「え?なんで怖いんやろか?」、、私は首をかしげました。

それから数十分ぐらいかけてじわじわと猫の顔は消えていきました。

その後、しばらくして普通に起きてきた弟に、
「早朝、私に起こされたとき半紙に浮かんだ猫の顔を見たよね?」と尋ねたところ、弟は起きたことも見たことも何にも覚えていないと言うのです。

「え~?うそ!?」

私は呆気にとられました。

その時のことを、後で弟に聞いても、まったくもって記憶に無いそうです。
私はとぼけてるのかと思ったのですが、本当に覚えていないようでした。


人は耐えがたいものや、受け入れられないような(怖い)出来事などはそうやって記憶を消してしまうものなんだと、、その時の弟の様子を見て理解しました。

確かに私にもそういうことがいくつかあります。
その、事実としての結果は分かっていても、その過程や何があったかを具体的に思い出せないこと。
ありますね。

だからそれは、弟が思わず恐れて叫んだ悲鳴に象徴されるような
それほどに、リアルな猫の顔が半紙に浮かんだでいたのです。

今思えば、それが本当に死んだ子猫トリトンの姿だったのか?意志だったのか?
それとも、私が願うあまり、そのような現象を作り上げてしまったのか?

その両者だったのか??分かりませんが。

人の(人に限らずですが)思いや念というのは現象をつくりあげますよね。


残された親猫のタイタンも、兄弟猫のイオも、人間から見ると、何もなかったかのようにしていましたが、猫たちにとってどういう感情があったのか?彼らは逞しく、いつも通りにしていました。

少なからず私は立ち直ることが難しい状態になっていましたが。
可愛いイオがいてくれて、それだけで救われていました。

イオはとびきり美しいだけでなく、とても賢く、そして猫らしくツンデレで、
でもとてつもなく愛らしくて、沢山の思い出を作ってくれました。

私が東京に来ることになったため、一緒にいたのはたぶん2、3年の間だったけれど、それもとても辛かった、その別れの時にも、その後もイオとの絆を感じることが多々ありました。

思わぬ悲しい事故?で逝ってしまった子猫トリトン・・・。
ごめんね。

これだけじゃなく、まだまだ動物の悲劇はあったけど、
なぜどうして私のところに起こり続けるのか?

トリトンやイオだけでなく、田舎にいる時には多くの猫や犬たちと縁もあり、特に私は猫好きだったので、、猫たちは一番私になついていました。

こういう言い方をすると良くないのかもしれませんが、私は自らの経験により、人間という種が好きじゃなかったので動物たちのほうに偏る傾向がありました。今もそうかも・・・。w

人間よりもずっと短いサイクルで命を終えていく彼らとの別れは避けられないことであって、その繰り返される別れが耐え難く。それだけの理由でもないのだけれど・・・

でもだから猫も何も動物は飼わないと決めた。


でも、今まで私の心を救ってくれなぐさめてくれてた猫たちとは、向こうの世界に行ったときに再会したいと願っているんですよね。いや、もうむしろ猫だらけの世界にいって永遠に安住したい。ww(異常か!)


突然、昔飼っていた猫のことなどを打っているのは、
私は、おそらく人よりも忘れてしまうことが多々あるので、残して起きたいことは、こうして打って残すことにしようと思ったのです。


--------- イオの話③につづく