1週間以上前ですが、セーラー万年筆の社長が解任されました。前社長が解任取消の仮処分を申請したため、会社は以下のプレス発表をしました。


http://www.sailor.co.jp/wp-content/uploads/2015/12/2712press2.pdf

代表取締役の異動の経緯に関するご説明
2015 年12 月13 日付の新聞紙上におきまして,当社代表取締役の異動に当たり,前代表取締役の中島氏は「社長解職の決議は無効で,速やかに法的措置を講じる」としている旨の報道がありましたが,この報道を受け,今回の代表取締役の異動の経緯につきまして,ご説明させていただきます。
1年ほど前の当社の社内取締役会におきまして,中島氏以外の当時の社内取締役4名は,代表取締役社長であった中島氏に対し,以下の3点を要請しました。
1.私的な活動を控え,会社の業務に専念すること
2. 知人が仲介してくる仕入商品を当社に持ち込まないこと
3. 当社の得意先回りをすること


一方、前社長の反論が東洋経済と日経ビジネスに掲載されています。


http://toyokeizai.net/articles/-/97300

 12月14日夜。東証2部上場のセーラー万年筆のウェブから、社長だった中島義雄氏(73)の顔写真が削除された。会社側は2日前の12日付けで、中島氏の解職と、比佐泰氏(63)の社長昇格を発表したばかり。これに中島氏が翌13日、「解職の決議は無効で法的措置を講じる」と、報道機関を通じて反論したのである。

 一方、会社側も一歩も引かない。14日には解職の経緯を発表。1年ほど前から、比佐氏ら現取締役が、社長である中島氏が業績不振にもかかわらず、講演など私的活動に注力していたことなどを問題視。会社の業務に専念するといった3点について、中島氏に要請したのだった。
 だが結局、1年たっても、中島氏に改善が見られないとのことで、今年12月11日、比佐氏らが中島氏に対して社長職からの退任を要請。これに中島氏は拒否した。翌12日の定時取締役会に中島氏は欠席し、最終的には会社側が解職を決議、社長交代発表となったのだ。

中島氏と言えば、旧大蔵省(現財務省)出身で、主計局次長まで上り詰め、「将来の事務次官候補」とまで呼ばれた、エリート中のエリート。が、金融機関からの過剰接待が問題となり、1995年に退官していた。

 一連のクーデターを経て、中島氏は14日には、決議無効と社長としての地位確認を求める仮処分を、東京地裁に申請。以下は、セーラー万年筆の現経営陣に対する、中島氏からの反論である。


http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/110879/121600186/

 セーラー万年筆で社長解職騒動が起きた。追われた中島義雄氏は、「末は大蔵次官」と言われた元大物官僚。曲折を経て創業100年を超える老舗文具メーカーの社長に就いたが、新経営陣は「社業に専念せず、業績が上向かなかった」と解職した。「まったくの言いがかり。社長は是非続けたい」、1時間に及ぶインタビューで中島氏が解職の経緯や心情を吐露した。

(聞き手は 秋場大輔)


どちらの言い分が正しいのか、良くわかりませんが、前社長は6年前に前任者の逝去により社長に就任し、ようやく黒字にたどり着いたということのようです。

現在73歳ですから、黒字化を花道に勇退してもおかしくない時期ではあります。


ちなみに、セイラー万年筆の本社は弊所から徒歩5分の場所にあり、今日写真を撮ってきました。




老舗ではあるものの、現在は従業員400名程度の中堅企業のようです。大塚家具と同じく、中堅企業の代表者争いと言えるでしょう。


社長に勇退してほしかったら、後を継ぐ人間が上手く花道を作って、格好が付くようにしなければなりません。今回のように無理矢理引き摺り下ろす形になれば、法廷闘争になるのが目に見えています。大塚家具も同様でした。


かつてソニーが、業績の上がらないハワード・ストリンガー会長兼CEOを退任させる時、社外取締役が中心となり、ストリンガーを取締役会議長にする人事を主導しました。


会長も取締役会議長も、英語では同じChairpersonで、ストリンガーのメンツが立つ形にしたとのことです。

当時は、CEOを引責辞任しても、なお取締役に残り、議長になるとは厚顔無恥であるという報道もあったと思います。


しかし、退任する代表者のメンツを立てなかったら、セーラー万年筆のようなトラブルに発展した可能性もあります。


辞めて欲しい上司には、北風吹かして引き摺り下ろすのではなく、太陽で暖めて卒業してもらう。中堅企業では、このような老獪な戦術は難しいのでしょうか。