『生まれ直し』② | ひふみの1・2・3歩★

『生まれ直し』②

おはようございます♪
人生日々模索中のひふみです( ̄▽ ̄)

さて、『生まれ直し』第2弾。
今回は更に重~くなります(^^;;
重い話苦手な人は、読まないでね~(*^^*)

前回の記事で、全ての根源に辿り着いた。
ここから、その根源「自分という命に価値を感じていない」のは何故なのかというところを探ってみた。


受精卵からやり直そうと思った時、どうしようもなく涙が止まらなかった。

その涙の意味を探ってみたら、生まれたくなかったという、とてつもなく辛い気持ちが当てはまった。

生まれたくなかった。

この言葉を発すると、今までの色々な葛藤の辻褄が合う。

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子供の頃の私

幼少期の私には実態のない(他の人には見えない)友達がたくさんいた。

いつもその子達と代わる代わる遊んでいた。

最近まで、それは1人だと思っていたが、改めて思い返すと1人ではなかったのを思い出した。

余談だが、俗に言う「小さいおじさん」「妖精」の類いも2回程見たことがある。

ここらへんの話は、精神疾患者にはよく見られる話なので、まぁわかってはいたけど、幼少期の私が逃げたかった場所がどこなのかを、改めて考えると、
たぶん、生まれる前の世界だったんだろうなと思った。

何故そう思うか。

それには一つ確信がある。

私には、自分が生まれる前に死産した兄姉がいて、その姿を姉として見ていたから。

私はその姉とよく一緒に過ごしていたことを覚えている。

姉の存在だけは、物心がついても感じていて、その姉のおかげで交通事故を免れたこともあった。

幼少期の私は、その見えない姉が心の拠り所だった。

なんで、あんなに姉にすがっていたのか。

生まれたくなかったから。


姉の存在を感じなくなったのは、私がダンスにハマり始めた頃だった。

生きてる意味を最初に感じられたのは、踊っている時だった。

だから、その後20年間、舞台という世界に没頭した。

ちなみに、30歳で舞台を引退したわけだが、そのきっかけは現実で生きてる意味を感じるようになったからだった。

たぶん、そこから私は自分が生きてる意味を探している気がする。


子供の頃から、何度も何度も死にたいと思った。

一刻も早く、人生を終わらせたいと思った。

よく、生き急いでるよねと言われたこともあった。

何が私を終末へと掻き立てるのか。


生まれたくなかったから。


私の中で、34年間の辻褄が合った。


なんで生まれたくなかったのかは、わからない。

ただ、なんで生まれたかはわかる。


両親の喜ぶ顔が見たかったから。


この言葉は、今でも私を駆り立てる。

両親を喜ばす為に、私はよくいい人ぶろうとする。

自分の人生を、親の犠牲にしようとするのだ。


もう、いいんじゃないか。


両親も、自分の生きたいように生きればいいと言ってくれてるし、何より両親は私が可愛くて仕方ないのがよくわかった。

元気に生まれた時点で、私は「両親を喜ばす」ことを達成させたのだ。


それだけで、十分私の命には価値があるじゃないか。

これからは、「自分が喜ぶ」人生を送ればいい。

それは、何か大きな喜びを見出だすことではなく、日々「生きている」喜びを「命を与えられた」喜びを感じることなんだと思う。


やっと、本当にやっと、
心底生まれて来て良かったと思う。



これで、生まれ直せたかな(^^;;
私の気分的には、だいぶスッキリした( ̄▽ ̄)
もう、しばらくは突然何かを思い出したりするんだろうけど、今はまず生きてることが嬉しいという気持ちになれたことがシアワセヾ(@⌒ー⌒@)ノ


重た~い記事を最後まで読んで下さって、ありがとうございましたm(_ _)m


私の人生はこれからだ!!*\(^o^)/*