フィンガー5ストーリー1 | フィンガー5ファンブログ

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平成生まれのフィンガー5ファン

沖縄から上陸したチャイルド・タイフーン・フィンガー5は、もっか日本の歌謡界で猛威をふるっている。

この恐るべきパワーはどこで発生し、どんなコースをたどってきたのか!?


できるなら

歌のキングに

なってみたいよ

ハハハハーン



 



レッスンはますます熱がこもってきた。

5人とも額に汗がいっぱい。

だが、だれもそれをふこうとはしない。

幼い晃や妙子さえ、泣き声ひとつ言わず、必死に楽器と取り組んでいる。

長男の一夫には、そんな弟や妹の姿が、胸がつまるほどいじらしい。

このへんで一息入れて休ませてやりたい。

しかし、(いや、ここで気を緩めちゃいけない。俺たちは何が何でもスターになるんだ。甘やかしちゃいけない。)

3男の正男のベースが、しっかりとリズムを刻んでいく。

(いいぞ、その調子だ)

だが、その途端――、

“ドン、ドン、ドン・・・・・”

次男の光男のドラムが突拍子もない音を立て始めた。

リズムにもなっていない。

「おい、光男!やめないか!」

その自分の大声に、一夫はハッと目を覚ました。

そこは我が家の寝室。

横を見ると、兄弟がズラリと枕を並べて寝ている。


彼は、フィンガー5が『個人授業』で華々しく世に出るまでの、苦しいレッスン時代を夢に見ていたのだ。

“ドン、ドン、ドン・・・・・”

また激しい音がした。

玄関の方からだ。

ドラムの音と聞こえたのは、ファンがドアを叩く音だった。

この頃は毎朝、8時頃になると、ファンが押しかけ、こうして眠りを覚ますのだ。

(そうだ、俺たちはもうスターになってるんだ)

一夫はホット息を付いた。

疲れてぐっすり寝込んでいる弟たちや妹の寝顔を、カーテンの隙間から差し込む朝の光が優しく照らし出していた。




子供たちの熱意に父はついに負けた

フィンガー5の5人兄弟が生まれたのは、沖縄の東海岸にある具志川市。

父の玉元松市さんは、この町で徒業員10人のクリーニング店と、席数80のクラブを経営していた。

玉元という姓は、その昔、沖縄へ渡った源為朝と琉球王女との間に生まれた子供の子孫といわれる由緒ある家柄だ。

兄弟は、小さい頃から揃って音楽好きだったが、特に3男の正男は、小学校に上がる前から楽器を欲しがり、それにつられて兄二人も一緒になって、父にねだったものだった。

だが、マジメ人間で大の芸能嫌いの松市さんは、「楽隊のマネなんてとんでもない」と、いっぺんにはねつけた。

それで諦めるような3人ではない。

それからというもの彼らは毎日毎日、「楽器を買って」とねだり続けた。

それを約2年間休みなしにやられて、さすがの父もとうとう根負けしてしまった。

小学校6年の一夫がリード・ギター、5年の光男がドラム、3年の正男がベースという編成で、3人ははりきって練習を始めた。

(やれやれ、これでもう責め立てられずにすむ)

松市さんはホッとしたが、それもつかの間、やがて3人はとんでもないことを言い出した。

「お父さん、僕等将来どうしても音楽をやっていきたいの。それには東京へでなければダメだと思うんだ。」

「なに?東京へ」

「お願いします。僕らを東京へやってください。」

「いかんいかん。そんな甘い考えが通ると思うのか」

押し問答がまた毎日続くことになる。

そして結局、子煩悩な松市さんは、一夫たちの熱意に負けるはめになった。

と言って、子供3人だけをやるわけにはいかない。

そこで家族ぐるみ移ろうということになったのだが、当時まだ本土復帰していない沖縄から、東京へ移住するのは難しかった。

一家はまず、母・久子さんの養母が住んでいる奄美大島にわたった。

奄美へ移るのは大目に見られていたし、奄美から内地に移るのは簡単だったからだ。




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画像のカズとミッチーがおソロのパーカーを着ていますね!


あと、マーちゃんとアーちゃんが、色違いのジャケットを着ています♪


妙子ちゃんは、スヌーピーの服、着てますねぇ。


おソロ率高すぎだろぉぉ!!



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