西岡利晃について(その3)~最後の挑戦~ | 10papaのボクシングブログ

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前回は、日本プロボクシング界最大のホープと言われていた西岡利晃選手が、王者ウィラポンに4度挑戦するもタイトル奪取できず低迷した苦難の時代について説明しました。
そして、その後4年半もの間、世界の表舞台から姿を消したとも説明しましたが、西岡選手はその間どうしていたのでしょうか?


ボクシングをやめていたのでしょうか?


いえいえ、違います。
ボクシングを変わらず続けていましたし、試合も行っていました。


しかしそれは周囲から見れば決して希望に満ちた、華やかな時期には見えなかったようです。
結果的にあまり目立たなかったというのが事実でしょう。




実は、西岡選手は王者ウィラポンとの最初の敗戦の後、所属するジムをJM加古川ジムから帝拳ジムへ移籍していました。


西岡選手としても東京へ進出し、世界再挑戦へのチャンスを確実なものにしていきたいという思いがありました。
一方、帝拳ジムも、名門ジムと言われながら1986年の浜田剛史以来10数年も世界チャンピオンを輩出できずにいましたので、国内で最も世界チャンピオンに近い選手が移籍してくることは大きな価値があったでしょう。


鳴り物入りで移籍してきて、ジムでも特別扱いされ優先的にチャンスも貰っていた西岡選手でしたが、ことごとく世界挑戦に失敗し、期待にこたえることができず、ジム内でも徐々に孤立していきました。


帝拳ジムも有望な若手の台頭などもあり、限界説もささやかれるベテランボクサーへの優先度は徐々に下がっていきます。

試合は組んで貰えるものの消化試合的なカードも増えていきます。


そんな状況でも、試合に負けてしまえば年齢的にも引退の二文字もチラつき、負けたら最後というプレッシャーもあったでしょう。
天才ボクサーと唱われた西岡選手も30歳を過ぎ、与えられた試合をこなしながらチャンスを待ち続ける日々が続きます。




この期間に彼をささえたものはいったい何だったのでしょうか?





「自分がチャンピオンになれないわけがない」
「自分が諦めたら全ては終わり。諦めない限りその道は続く…。」


それは、ボクシングに対する強い信念と家族の支えでした。



2005年に美帆夫人と結婚し、翌年には長女・小姫ちゃんが誕生します。
大きな支えを得て、何事も前向きにとらえるようになり、西岡選手は明らかに変わりました。
これまで周りから腫れ物に触るように扱われていた孤高の天才も、自分から後輩達に話しかけるようになり、自ら周囲の環境を変えていきます。



そうして、この不遇の期間を8戦8勝(5KO)という戦績で結果を残し、遂に彼にとっておそらく最後のチャンスが巡ってくるのです。


階級を一つ上げ試合をしていた西岡選手の次のターゲットはWBCスーパーバンタム級のベルトです。
正規チャンピオンが怪我により休養に入り(のちに引退)、王座決定戦のチャンスが巡ってきたのです。

 



■■■WBC世界スーパーバンタム級暫定王座決定戦■■■

 ◆WBC世界Sバンタム級2位:
   西岡利晃
    VS
 ◆WBC世界Sバンタム級3位:
   ナパーポン・ギャットティサックチョークチャイ




試合は2008年9月。このとき西岡選手は32歳、まさに最後のチャンス、背水の陣でリングに上がります。


対戦相手はタイのナパーポン選手。
そして対戦相手のコーナーを見ると、セコンド陣にはなんとあのウィラポンがいるではありませんか。




ウィラポン。



西岡との最後の戦いから4年半、その後も絶対王者として安定政権を築き、計14度の防衛に成功します。
しかし、ついに15度目の防衛に失敗。相手は西岡選手に変わりバンタム級のエースとして台頭してきた長谷川穂積選手でした。長谷川選手との再戦でもKO負けを喫してしまい、以降も現役は続けていましたが、徐々にトップ戦線から離脱し、引退を表明していた時期でした。

そんな彼が今回、同じタイ国のナパーポン選手のため、西岡の攻略法を熟知したセコンドとして参加していたのです。


辰吉を2度KOし、西岡の挑戦を4度阻み、長谷川に2度倒され、引退したウィラポン。
そして選手を離れてもなお、対戦相手のセコンドとして我々の前に姿を現す。
おそらくウィラポンは、日本のボクシングファンにとって最も印象深い外国人選手の1人でしょう。




そして運命の試合が始まります。
2001年に断裂した左足アキレスの怪我も完全に回復し、動きを取り戻した西岡選手は、序盤から優位に試合を進めます。そしてKOには至らなかったものの12ラウンド大差判定で圧勝。


初めての世界王座に失敗してから8年以上の歳月をかけて、ついに悲願の世界王者に就くのです。



レフェリーから勝利の勝ち名乗りを上げられ、声をあげて泣く西岡選手。
普段あまり表情を表に出さない西岡選手が、人目をはばからず涙する姿、これまでの道のりを思えば、その想いが溢れるのは当然かもしれません。


長女こひめちゃんも祝福のためリングに上がります。チャンピオンになったら愛娘をリングに上げると約束していたのです。



そして彼を祝福するためリングに上がった人物がもう一人いました。
対戦相手のセコンド、ウィラポンです。彼もまた西岡選手のもとに近づき、西岡選手の左手を高々と掲げリングを1周し祝福したのです。


右手に愛娘を抱えていた西岡選手が「ウィラポンだよ」と彼女に教えていた姿がとても印象的でした。




2008年9月15日、5度目の挑戦でついに西岡選手が念願のチャンピオンベルトを巻いたその日、リングの上で我々は、孤高の天才と言われ続けたクールな男の涙、そしてデスマスクと呼ばれリング上では笑わない男の笑顔を見るのでした。

10papaのボクシングブログ-西岡ウィラポン


(つづく)




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