愛媛・香川旅行11 別子銅山 - 端出場地区 | 旅中毒

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2016/5/7

 

端出場(はでば)地区に戻ってきて、今度は一般に公開されている観光坑道に遊びに行きます。端出場駅から乗りこみましたのは、こんな可愛らしいトロッコ列車。当時の蒸気機関車の8分の1モデル。

 

この端出場地区は、別子銅山の昭和時代の中心地。東平地区の次に、別子最後の採鉱本部が置かれた場所です。山の上の方から掘り始めた別子銅山は、地下へ地下へと掘り進み、最後は海底より下まで掘っていたんだって。

 

これは当時実際に使われていた通勤車両。

 

別子銅山では1893年に日本初の山岳鉱山鉄道が導入されました。最先端の技術が次々と取り入れられたことからも、当時の隆盛ぶりと勢いが感じられる。

 

この鉄橋はドイツから輸入した部品で作られたもので今では非常に珍しく、国の登録有形文化財です。

 

上の駅に着いたらすぐそこが観光坑道の入り口。ここは旧火薬庫を利用して、当時の鉱山内部の様子を再現してあります。

 

内部は江戸ゾーンと近代ゾーンに分かれている。まず出てくる江戸ゾーンには、堀場や湧き水の汲み上げ、精錬、運搬など仕事の一連の流れをお人形で再現しています。

 

昔に描かれた絵もあるよ。左は掘ってる人たち、右は湧き水をくみ上げている人たち。水の汲み上げ、この頃は手作業だったのね…。

 

鉱山で働いていたのは男性だけじゃありません。女性も肉体労働にいそしんでいました。

 

役所だったっけ…

 

こちらは近代ゾーン。明治時代の鉱山のジオラマ。列車がちゃんと走るのが楽しい。

 

体験ゾーンでは色々な作業を試してみることができます。当時の女性従業員に倣って30キロの鉱石を背負ってみる友人。他にも、掘削機や湧き水の汲み上げも体験できる。掘削機が面白かったな~。体がガクガクしないためにはコツが要る。

 

ここら辺はジャングルジムとか足漕ぎの車とかがあって、小さな子供さんには楽しいと思いますよ。これはリフトの体験。あと、当時使っていた道具の展示コーナーもある。本当に盛りだくさんです。

 

 

帰りは列車に乗らず歩いて戻りました。距離的には大したことないの。

 

 

近くには第四通洞と呼ばれる1915年に完成した水平トンネルもあります。中には入れません。

 

第四通洞は、東平地区の第三通洞から大立坑(垂直の坑道)を経由して運ばれた鉱石を端出場に輸送する運送路として1915年に開通。山上の東平で鉱石が掘りつくされて、掘削がどんどん地下深くなるにつれ、下部にある第四通洞が最も重要なルートとなり、1973年の閉山まで大動脈として活躍しました。1942年にはなんと約10,000メートルもの長さになったそうな。

 

こちらは1919年に開設された四通橋。

 

 

端出場には美しい花園もあります。私たちが訪れたゴールデンウィークは芍薬の季節が始まったところでした。盛りには少し早かったのが残念。でも結構咲いてたよ。夏なら百合、冬には冬桜が楽しめます。秋には紅葉も。

 
 

こんな素敵な建物もある。これ、住友グループの幹部が視察に来た時の宿舎として使われていた迎賓館「泉寿亭」の一部を移築したものなんだって。中にも入れるよ。

 

別子銅山の産業遺跡一帯はマイントピアと名付けられた複合施設。点在する鉱山関連遺跡はもちろん、バーベキューを楽しめる芝生広場、様々なタイプの浴場を備えた温泉、登山道など、鉱山マニアの一人旅から幼児を連れたご家族まで、どなたも満ち足りた一日を過ごせる場所なのです。有名な鉱山ではありますが、施設がこんなに充実しているとは知らなかったわ。もっと広く知られるべきだ。

 

ところで、マイントピア別子、「東洋のマチュピチュ」というキャッチフレーズで売り出してるそうだけど、そんな言い方する必要あるのかなあ。同じツアーの何人もが「マチュピチュの名を借りる必要なんかない。別子銅山は別子銅山で素晴らしいのに」って言ってたよ。まったく同感。山の上に大きな町があったのは同じだし、イメージしてもらいやすいのはわかるけどさあ。私、小京都とか小パリとか、そういう言い方って全部嫌い。

 

 

さて、新居浜市街に戻って夕食です。お酒は近藤酒造の「銅山(たから)こそあなた」にした。この名前には「新居浜の礎を築いた別子銅山と、地域の人々こそ宝であるという想いが込められて」いるそうな。鯨の竜田揚げやジャコ飯の出汁茶漬けも美味しかった。

 

 

丸2日世話になった友人に別れを告げ、この夜は丸亀にて投宿。


 

駅を出たら現代アートに迎えられました。地元出身の芸術家、猪熊弦一郎氏の作品だそうです。駅前に彼の美術館もあるんだって。三越の包装紙のデザインをした人だそうですよ。