旅中毒

バックパックと少しのお金とパスポートがあればいい。行けば行くほど行きたい場所が増え、人生狂って後悔なし!


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2015/12/28

 

チェスキー・クルムロフで私が選んだ宿は、ホテル U マレホ ヴィットカ。立地と内装で選びました。何しろ広場から30mだし、ホテルのある通りは広場からお城に至るメインの道とも言える。

 

旧市街のそのまた中心にあるので当然建物は古く、ゴシック様式。この好条件で、バスルーム付きシングルでも4000円くらいでした。イイネ!

(写真はBooking.comから拝借)

 

 

20室あるのでそれなりの規模ですけど、こじんまりした印象があるのは、スタッフの気さくさのおかげかなあ。居心地よかった。観光や移動について相談すると、いつも「任せて!」みたいに応じてくれた。あとねー、無料WiFiは当然として、PCも使えたのがありがたかったです。大きな画面で調べたいこともあるのだ。

 

ベッドメイクするたびに、タオルの上にチョコレートを置いて行ってくれました。

 

通りにぎっしりと並ぶ家の一つなので、私の部屋からは隣の家が見えるのみ。もっとも部屋によっては窓からお城が見えるよ。

 

 

建築の細部を観察できて大変楽しかった。

 

 

ここも、ビール用の栓抜きと大きなコップが。チェコ仕様だぜ!

 

バスルームもピカピカ。使いやすかった。

 

 

 

部屋の前の廊下。向かって左側が部屋で、右側はクロゼットらしい。

 

 

廊下を出たとこに小さなホールがあります。この手前に階下に降りる階段がある。もーちょっと古い感じが残ってたらもっと素敵だけど、建物の構造を感じられる場所で、とても好き。階段のとこにある小さな扉は物入れか?ダストシュート?

 

 

1階の写真は撮ってないの。本当は、建物内の構造がわかるよう舐めるように撮りまくりたかったんだけど、いつも他の人がいたから遠慮しました。昔の人がどんな風に暮らしていたか想像しながら歩き回るとホント楽しいよ。

 

特筆すべきは朝食ビュッフェの豪華さですわ。これも写真撮ってないの。だって他の人が手を伸ばしているとこを撮るのって、ちょっと遠慮しちゃうよね? 朝一番に行けば良かったんだろうけど。(てことでBooking.comの写真を拝借)

 

チーズも3種類、コールドミートも3種類、このほかにベーコンやソーセージがホットプレートに用意され、ゆで卵もあります。パンも食べきれないほど何種類もあって甘いパンもあるし、パプリカやキュウリもあるし、果物やヨーグルトも充実。朝食に限定せず、朝昼晩のどれか一回という縛りで出してくれたら、晩を選んでこれをつまみにお酒を飲みたいわ。

 

チェコではチェスキー・クルムロフってプラハの次に人気の高い町なので、ホテルもたくさんあります。旧市街の中にも、バスターミナルに近い場所にもね。お高いホテルもあるようだし、B&Bっぽいのも。どこもきっと素敵なのでしょうけど、このホテルもホントお薦めですよ。

 

 

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2015/12/28

 

当初の予定を大幅に遅れてチェスキー・クルムロフに到着いたしました。

 

 

駅舎はなかなか味のある建物。ホーム側からも撮りたいけど、暗すぎて何が何だか…な写真になりそうだったのでやめちゃった。撮っておけば良かったな。後から加工したら見れたのに。

 

 

駅は町外れの高台にあり、旧市街からは離れています。事前に駅から旧市街までは徒歩20分ほどの下り坂と知っていたので、歩いていこうと思っていたんですが、時間が遅くなっちゃったし(つっても7時過ぎだけど)、とにかく暗いし、人影もないしなあ…。

 

同じ電車で到着した旅行者たちはタクシーで去りました。手配してあったのか、電車の時間に合わせて客待ちしてるタクシーだったのか。1台残っていましたが、大きなワゴン車だったので、普通のタクシーよりお金がかかるのではと変な警戒心が働き、乗りたくない。

 

ま、バスもありますんでね。時刻表を確かめたら、ありがたいことに割とすぐの出発でした。ありがたいんだけど、もうちょっと時間があれば駅前のレストランで一杯ひっかけてたとこよ。

 

ヨーロッパの田舎って、鉄道駅は町の中心から離れたところに作られていることが多いよね。で、駅の周りにはぽつぽつと民家があるくらいなので、駅前に待合を兼ねた小さなカフェやバーがあることが多い。ハンガリーのエステルゴムでも駅前のバーで道を聞いたんだった。ここでは、同じくバスを待っていた大学生っぽい男の子にバスの確認をさせてもらった。

 

バスは旧市街近くのバス停で私を下ろしてくれまして、運転手さんが「そこをまっすぐ行けばいい」的なジェスチャーで道を教えてくれました。バックパックを背負ったアジア人って時旅行者以外の何者にも見えないから、こういう時は何も言わなくても親切にしてもらえたりする。ありがたいね。

 

少し歩くと見えてきましたよ、チェスキー・クルムロフ城が。

 

 

この橋を渡ると旧市街だ。

 

 

で、旧市街のスヴォルノスティ広場からラドニチュニー通りを入ってすぐのところに宿がある… はずなんですが、なぜか迷う。広場に着いてんのになぜか迷う。バカなのか私は。広場から伸びる道はほんの少ししかないのに、なぜ迷うんだ? 迷えるんだ?

 

どうも、自分が地図で見て確信していた道と、実際に通っていた道が、違っていたようで。道が違っても広場には到着できてしまったことが、かえって混乱を招いたらしい。意地になって「自分で探すんだ」としばらく頑張ってみたけど、疲れてたし寒いしで嫌になって、レストランのテラス席を片付けていたウェイトレスさんに助けを求めました。「あはは、すぐそこよ!」みたいな感じに教えてもらって、やっとたどり着いたよ…。最初の予定の1時間半後のことでした。

 

宿の前からこの光景が見えることは知っていたんだから、宿や道がわからなくても、お城との位置関係から割り出せば良かったんじゃないかなと今にして思う。

 

 

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2015/12/28

 

さて、次に私が目指すのはチェスキー・クルムロフ。ターボルの鉄道駅とバスターミナルは隣接しておりまして、どちらからでもチェスキー・クルムロフに行けますが、簡単なのはバスでしょう。バスは直通だし。電車は乗り換えが必要です。

 

しかし正にこの、乗り換えをやりたくて、電車を選んだ私でございます。乗り換える駅はチェスケー・ブディェヨヴィツェ。この地名をスラッと言えるようになるまでにしばらくかかりましたよ。ここはかの有名なバドワイザーの生まれ故郷と言うか盗まれ故郷。そのごたごたについては前にも記事にしておりますので、よろしければ… 「チェコでやりたいこと ビール編

 

とにかく、駅の中のバーでもいいから本場でブドヴァルを飲みたいものだと思っておりまして。乗り換え時間は30分もなかったけど、電車が遅れたりしなければ15分くらいは使えるよね。バーが駅の中にあれば小さいのを一杯ひっかける時間くらい取れるだろう。

 

ターボルに比べるとはるかに大きなチェスケー・ブディェヨヴィツェ駅。

 

 

しかしここで困った事態が発生。電光掲示板に出ているチェスキー・クルムロフ方面への乗り継ぎが、私がお昼にネットで調べておいた時間と違う! 1時間くらい後やん! ダイヤの乱れなの!?

 

びっくりして窓口に赴くも、「もう閉めるから」とすげなく断られてしまった。つか、まだまだ電車が走ってる時間なのに閉めるって…。こんな大きな駅で…。鉄道の窓口ってそーゆーもんなの? 何か理由があったのかな? とりあえず、次の電車は電光掲示板に出ている通りだというありがたくない情報の確認だけはさせてもらえました。

 

私がこの時焦っていたのは、チェスキー・クルムロフの宿のチェックインタイムに間に合わなくなりそうだったから。でも、電話したら「別にいいですよー」ってあっさりしたお返事でした。たぶん、無神経な旅行者が断りもなく深夜に到着してもめたりするんで、予防線を張ってあるんじゃないかな。

 

まあとにかく予想外に時間ができたわけです。ゆっくり飲めるぞ。キヨスクで売っているものもちょっと惹かれたけど、どうせならバーで飲みたい。

 

てことで外に行く。 日本だと改札があるから出られないけど、乗車してから車掌さんが検札するシステムだとこういう時に便利よねー。システムとしては、改札という関所を設けてコンピュータ管理する方が効率的だとは思いますが。

 

建物はリノベーションでピカピカだけど、ドアは古めかしくて素敵。このピアノは自由に弾いていいってことかしら?

 

 

駅舎の中にバーはあるのかな。よくわからん。てことで、少し外をぶらついてみる。時間があるからね。こうなってみると、電車が思うように乗り継ぎできなかったのがかえってラッキーでした。

 

しかしチェスケー・ブディェヨヴィツェはターボルに比べると大都会。小さな町から大きな町に来ると心細くて嫌だわ…。ここの駅前、ちょっと猥雑な感じだし。あまり遠くに行きたくないな。つか、よく考えたら旧市街が駅から歩いて5分だったはずなので行けば良かったかも。ビールを飲むことしか頭になかったよ。旧市街があるのとは反対側に出たので、気づきもしなかった。

 

バーは大抵、外にネオンサインを出して、酒飲みたちに場所を知らせてくれるもの。それを探して歩いておりました。まあ、駅前ホテルの1階もそれっぽい感じがしたのですが何となく入りづらくてパス。そしてそのお隣にあったここ。ブドヴァイゼル・ブドヴァーの赤いサインが出ているじゃありませんか。

 

 

入り口ドアを開けるといきなり暗い階段があって、ホントに店なんてあんの?って感じがしますが、何しろ通りからも窓越しにお店の中が見えていましたので心配ない。

 

お店の中はこんな感じです。2015年9月に開店したばかりだってよ。お手洗いもきれいだった。

 

指さしで、赤いのをもらいました。かなりの満足感だ!

 

 

そしてやっと、チェスキー・クルフロフへと向かうのだった…。ちょっと旧型の車両かな?

 

 

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2015/12/28

 

ターボル編もこれが最後です。もう写真だらけで行きます。

 

これはビール工場の跡。元はお城の敷地内でして、刑務所が置かれた頃もあったらしい。奥はお城の建物の一部です。1612年から市のビール工場となり、ビールの醸造権を持つ金持ち連中がどんどん事業を拡張し、建物をばんばん改修しちゃったらしいけど。1908年にはお城の南の部分は丸ごと新しい建物に建て替えられてしまった(涙) 1948年にここは国営の「南ボヘミア醸造」の持ち物となりました。ビール醸造は1980年に終了、その後はビールの瓶詰め工場になり、段々に荒れてきて1989年には倉庫に。21世紀に入ってから新しいオーナーが整備して今の姿になったそうです。レストランなどがあります。

 

上の写真の左奥に、小さな博物館がありましたよ。月曜日なのに開館していたわ。昼休みは閉めていましたが。市の発掘作業で発見された中世のコインが展示されています。コインだけでなく、それが埋められた理由や持ち主の推測、当時の階級別のターボル市民の生活、発掘作業の様子など、コインから膨らませた町の歴史博物館ってとこ。中世の生活に関心がある人には興味深いと思います。英語の説明もありますよ。

 

街歩きマップはここで終わり。後は自由に歩き回ります。

 

こういう、路地っぽいところが好きなんですよね私は…。狭くて細い道が好き。だから大きな建物が並ぶ政治経済センターの旧市街より、こういう庶民の住宅街の旧市街の方が好きなの。

 

どの道も真っ直ぐには続かないのがターボル。

 

ターボル印マンホール。

 

広場に入っていく道。

 

たぶん上の写真の左側に写ってる緑の家が、下の写真の右側の家だと思う。見えている広場の建物の位置からしても。

 

 

さて、そろそろお昼にしよう。宿でご主人に「チェコ料理を食べたい」と相談して薦められたお店に行きました。

 

 

内装が面白いよと言われていましたが、確かに。連れがいたら奥の窓際の、荷車の上みたいな席に座るところですが、ぼっちでそれやると晒し者みたいなので、写真の一番手前にあるエレガントな席に座りました。

 

テーマは中世ヨーロッパ。足枷とか飾ってあったよ…。地下にはフォーマルなパーティーにも使えるような、シンプルで大きな部屋もあります。

 

実はここ、最初の夜にも通りかかった店なんだ。灯りが点いていたから入ろうかなと思ったんだけど、ちょっと勇気が出なくて。とにかく時間が遅かったし…。でもここ、日曜は22時までやってるそうだから、通りかかった時に入っていればビール一杯くらい飲む時間あったな。月~木は23時、金・土は24時までやってます。バーもあるからお酒だけでもどうぞ。

 

店の外にハバナ・クラブの看板があったのをよく憶えている。ここまで来てハバナじゃなくてもいいよねと思ったからw まあ地元民もよく使うお店らしいので、チェコものにこだわる必要ないのよね。メニューには英語表示もあったよ。

 

食べたのはお魚のソテーと温野菜。ヘルシーやろ。盛り付けもきれいね。

 

 

私の好きなフォーク道。ここ、前の晩にも撮ったな。

 

更にフォーク道。

 

もひとつフォーク道。正面はペンションで、1階はバーです。飲んだくれたい人にはいいかも。

 

ここはフォークどころじゃないほど複雑なことになっていましたが、写真では写らないのよね…。

 

シンプルにこんなトコとか。

 

 

角にタワーが付いている変わったおうち。昔の写真が飾ってありました。大勢の人がこの家の前に並んでいるらしき写真…。あと騎馬像も飾ってあった。何なんだろ。

 

こういう、角が面取りしてある家をいくつか見た。曲がりやすくするためなのかな? ところで、この家、面取りしている部分の1階の出入り口を塞いでありますね。

 

 

さて、そろそろお別れの時間です。駅に向かいましょう。ジシュカ広場から、既に通い慣れた感のある、農家風バロック建築とやらの向かって右側のプラジュスカ通りを…

 

プラジュスカ通りから右側のコストニツカ通りを行けば、ヤナ・ゲストハウスに着く。でも今はプラジュスカ通りをまっすぐ行く。

 

 

劇場の隣にある建物も華麗で素敵。これも面取りしてあるね。パトカーが何台も停まってるから、警察署なのかも。

 

写真を撮っておりましたら、後ろからスッと現れたロードバイクの男性が走り過ぎながら「まだいたんだねー」と声をかけてきました。ヘルメットやレーサーパンツに身を固めた、ワインバー THIRのオーナー、ヤンさんでした。「美味しいワインをありがとう!」と返したらヤンさんは手を振ってくれて、警察署と劇場の間に消えていきました。

 

 

 

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2015/12/28

 

再び城壁の中に戻る。ああ、こんな感じステキ。少し古びている方が雰囲気があるように感じてしまうわ。もちろん、剥げたり腐食したら補修した方がいいだろうし、住んでる人は補修するからにはピカピカにしたいだろうし、ちょっと古く見えるようになんて技を使ったら余計にお金がかかりそうだし、ピカピカになって当然だと思うけど。

 

そう言えば、姫路城も「きれいになりすぎて風格がなくなった」と嘆く人も少なくないらしいw でもまあ、白鷺城と呼ばれたからには、建てられた当時は今みたいに真っ白だったんじゃないのかな。

 

町のあちこちに井戸があります。ヨルダン湖から汲み上げられて木造パイプで給水されるとのことだったけど、地下にパイプが張り巡らされているんだよね、きっと。給水システムをもっと知りたいなあ。ところで、写真の左奥、建物と建物の間に道があるんですよ。

 

横向きに壁に張り付いたら、まあ、すれ違えないこともない。

 

 

特に由緒あるわけではない普通の民家がホントに良い味で。お役所や邸宅が3階建て4階建てで壮麗に並ぶ光景も素敵だけど、こういう庶民のおうちが古い時代の空気を残して並んでるのってホント好き。

 

 

とかやりながら町の西側を南下していき、また町の外へ。ターボルで最も古い建物であるコトノフ城に着きました。15世紀前半にフス派がここを拠点とすべく町を作ったよりもっと前、13世紀後半、プレシュミル家のオタカル2世の治世に建てられたお城だそうです。

 

お城は防衛上の重要性を少しずつ失っていき、1612~1613年頃にはビールの醸造所になってしまいました。塔も最初は4つあったようですが、現存するのは1本だけ。でも塔に連結している門は建設された当時のままだそうで、ゴシック全盛期の姿を見せてくれています。ターボルの町の門はこれ一つしか残っていません。

 

 

お城は劣化が激しかったので現在修復中だって。次にターボルに行くのは修復が終わってからにしますわ。今も中には入れますよ。私が行った時は冬季閉鎖中でしたがね、ええ。

 

 

塔が全部残っていたらどんなに素晴らしい眺めだったか…

 

 

お城のお向かいくらいにある公園。ここは古い時代には墓地で、町の有力者の多くもここに葬られました。礼拝堂は16世紀のものだそうですが、その前にも14世紀には既にこの場所に礼拝堂があった記録が残っているそうです。

 

 

 

旧市街の南を流れるルジュニツェ川。ヴルタヴァ川に注ぐ川としては最大の川だって。このルジュニツェ川と、この高さが、町の防衛システムの一部でありました。

 

川べりに降りていくこともできますよ。ああ、ああ、もう1泊するんだったっ!

 

 

さて、もっぺん町中に戻るぞー。

 

 

目的地に向かう道すがら、こんなものを発見。チョコレートとマジパンの博物館です。(公式サイト 英語)

(写真は Radio Praha からお借りしました)

 

チョコレート博物館なるものがあるとは何となく聞いていましたが、ここか。2012年に出来た博物館だそうで、チョコレートとマジパンの歴史や製造についての展示があります。マジパンで作った町の模型もあるそうな。評価の高い博物館だそうです。私は入館はせずショップでチョコレートを買っただけ。カフェでココアを飲みたかったけど、どこからカフェに入れるのかわからんかった。博物館の中なのかも。

 

チョコレートの説明がチェコ語のみでしたので、売り子のお姉さんに全部英訳してもらいながら買いましたわ。他にお客さんもいなかったから、いいよね。お支払いの時、まだチェコの貨幣に慣れていなかった私が手間取っていたら、お姉さんが親切に「台に適当に出してくれたら必要なだけもらいますよ」と言ってくれましてね。で、外国人旅行者あるあるで財布に溜まっていた小銭をジャラジャラと出しましたところ、色めき立つお姉さん。「まあっ、ちょっと、これ両替してちょうだい! 小銭はいくらあっても足りないのよ!」と、レジからお札を出して、本当に嬉しそうに私の小銭を引き取っていきました。チェコに限りませんが、どうしてもっと小銭を流通させないんだろうねえ。

 

ターボルはチョコレートが名物なのかと聞いてみたところ、むしろ博物館ができたからチョコレートが評判になってきたのだとのお返事。伝統でもないし歴史にも関係ないけど、今はターボルはチョコレートの町にもなりつつあるようです。いいわね。

 

博物館の外に置いてあったゴミ缶。

 

 

別の街角にも、デコったゴミ缶がありました。

 

 

 

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2015/12/28

 

ジシュカ広場から、今度は西に向かう。このピンク色の建物と奥のベージュの建物はレストランになっています。実は私は奥の方のレストランで昼食を食べましたが、それはまた後で。

 

 

ここら辺に学校があったらしい…とウロウロしてた。よくわかんなかったの。塀の内側とかかもしれんが、それならマップにそう書くだろうし。1522年に設立された学校で、プラハのカレル大学を卒業したエリート教師たちが教えていました。大学とターボルによって運営されていたそうで、先生の一人がターボル最初の議員の一人だって。

 

 

聖母マリア生誕教会と修道院。カソリック改革運動の柱であったアウグスティニアンにより1642~1666年に建てられた、初期バロック様式。内部は地元の職人たちによる美しい彫刻で飾られていたそうですが、現存していません。それどころか19世紀初頭には修道院として存続できなくなり、刑務所として使われることに…。大きな古い施設ってすぐ刑務所にされるよね。

 

この道の先、家と家の間にアーチがありまして、ここから階段でまた城壁の下に降りていけるのです。敢えてアーチを残してくれているところが嬉しい。

 

 

 

城壁の下にはホレチェック公園があります。外壁のあった部分を1832年にターボル知事がプライベートなお庭にしたもので、今はターボルの下に広がる谷を含めた市民公園になっています。階段でどんどん下まで降りていける。時間があれば行ってみるところですが、残念。公園の名前に冠せられたヨーゼフ・ホレチェックは作家で、1860年代にターボルの学校で学んだのだそうです。

 

 

この稜堡(の土台部分)は15世紀半ばのフス派が用いた築城技術として非常に貴重なサンプルだそうです。先進の西欧諸国で腕を磨いた職人たちの経験とターボルの富豪たちが蓄えた建築知識とが見事に融合しているそうな。

 

5角形をしてるんですが、どっちから撮っても5角形がわかる写真にならない…

 

 

ジョギングする人やワンコを連れてお散歩する人、子供たちを走り回らせてる親御さんなどに会いましたわ。(写真にも一応写ってるんですが見えます?)

 

 

城壁に沿って歩いているだけでうっとりするわ…。城壁っていいよね! この出っ張りも稜堡の跡だな。

 

 

これはジシュカの稜堡と呼ばれているそうです。バロック時代の歴史家の記述によると、ジシュカのフレスコ画があったらしい。防衛システムの一部として敵を銃で攻撃するための稜堡だそうですが、普通の家にしか見えないわ…。後に宿泊施設として利用されたそうですので、改装されちゃったのかしら。

 

でもこのジシュカの稜堡も5角形なのだ。確かにこれは軍事施設だったのだ(疑ってるわけじゃありません)。ここと、この後で見に行くコトノフ城の塔とで、町の北西にあるクロコティ方面を見張っていたのだ。 この写真の右手裏に階段があってドアが見えましたが、門があって鍵がかかってました。当たり前か。

 

 

ベンチがあったりバスケットボールのゴールがあったりと長閑ですが、この城壁は元は、自分たちを殺しに来る敵に備えたものだったのだなあ。ここにも稜堡の土台が残り、上の方の城壁には狭間もある。

 

 

これ、外壁の跡かな?メインの城壁と6~10mを隔てて建てられていたという…。2つの城壁の間にはお庭や職人の工房があったって。今、遊歩道になっている部分だよね。

 

 

外壁の外に降りていく階段と扉がありました。でも今は使われていないらしく階段は落ち葉で埋まり、扉もびくともしませんでした。

 

 

 

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2015/12/28

 

こんな調子では旅行記を書き終わる頃には「チェコ旅行記 100」とか書いてるんじゃないかと思いますが、ターボルは特に気に入ったので自分のメモ的にも書いてしまう。

 

射撃場と展望台がある場所から更に北上します。この写真でいうと右の道。ピンクの家を左に見て進む。

 

こんな道いいよねえ。とフラフラ行ってしまいそうになるけど、ここを曲がってはいけないのだ。

 

 

手前の、こんな建物もいいよね。角部屋の中が見てみたいわ。右手前方に見えてきているのは城壁に作られた稜堡です。

 

 

ターボルは元はぐるりと城壁で囲まれていました。1621年に町は神聖ローマ帝国軍に包囲され、城壁や稜堡は破壊されてしまいましたが、東側や北側には少し残っています。

 

 

これ、ヴィノテカ&ギャラリーって書いてある。中で食事もできるっぽい。入ってみたかったけど、中の扉は開いていて誰かいるらしかったのに、外の門は閉まってたので、営業時間外だったのかも。てか、この信号にびっくりです。旧市街の中で信号を見たの、ここだけだった。ちゃんと赤信号で車が停止していましたよ。大きな道でもないけど、近くに学校でもあるのかしら。

 

 

こちら、上のヴィノテカのお向かいにある給水塔。ルネッサンス様式で装飾されたこの優雅な給水塔は、32メートルも水を汲み上げ、木造パイプを通して町全体に給水していたそうです。取水元は15世紀末に作られたヨルダン湖です。このヨルダンって名前はもちろん、聖書から取られています。

 

 

城壁の外側には遊歩道があります。これ、来た道を振り返って撮ってますが、時系列的な写真の掲載ではやらないほうがいいことですね。城壁、どっち側にあるのって思っちゃう。

 

三十年戦争の終わり頃、ターボルの司令官は城壁を再建させました。この写真に写っている城壁の先っぽ、見づらいと思いますが、稜堡があります。1646~1647年に、戦争で破壊された家屋や城壁から材料を集めて作られたそうです。古い時代の城壁と異なり、こういう稜堡を250~300mごとに突き出させて全方位に火力で攻撃できるようにしてあるのが、当時最新だったターボルの城壁の特徴だそうです。また、メインの城壁の外側には6~10メートルを隔てて外壁もあったそうです。

 

 

旧市街の東の端っこを北上してきて、ここが北端。町の中に向かってグーッと坂になってます。

 

坂を上がったところにはかつては頑丈な門がありました。門番の詰め所もあったんだ。19世紀に壊されちゃったけどね。ああああああもったいない。1436年に既に門について記述した文献も見られるそうですが、発掘作業で、そのさらに昔にはプレミシュル王朝時代の町の頑強な城壁の跡が発見されたそうな。

 

では町の中に戻ろう。マップではここから旧市街の真ん中を横切ってジシュカ広場に戻る。

 

 

これは、聖十字病院教会…という訳し方でいいんだろうか。もとは、フス派がターボルを建設する前に墓地だった場所に、聖エリザベト教会と附属病院が建てられていました。(聖エリザベトは13世紀前半のハンガリー王女。夫である伯爵の死後は私財で病院を作って貧民に尽くした) 1946年に正教会のものとなりました。

 

 

はい、ジシュカ広場に戻りました。向かって右側は1532年に建てられた後期ゴシック建築。左側は元は1440年代にはあった家だそうですが、1532年の大火の後でルネッサンス様式で再建。外壁にミスリク家の紋章が描かれている。地下にはゴシック期の内装が保存されているそうです。

 

 

キリストの変容教会。傾いて見えるのは、少し遠くから撮ったせいなのかな? 15世紀には木造の教会があった場所に建てられました。元はゴシック建築ですが、後にルネサンスやバロックの様式で補修が行われていきました。塔に上がれるんですが、入り口がよくわからんかった。塔からは街を一望できまるそうなので、次に行ったら上がろう。

 

 

内陣の天井のつなぎ骨によるアーチは非常に珍しい…と書いてありますが、教会建築の知識がないのでありがたみがよくわかりません。

 

 

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2015/12/28

 

ジシュカ広場から東へ伸びるプラジュスカ通りへ入ったところにある、コンスタンツ邸。元は帯を作ってたプロコップさんの家でしたが、1994年にドイツのコンスタンツ市との姉妹都市提携のしるしに改名されたそうな。1階より2階の方が広くて、肘木で支えられてるんだって。

 

 

ベンチで休憩してたおっちゃんが連れてたワンコ。目の前がスダレだ…。

 

 

Starek邸。1526年に建てられたもの。1570年頃に新しい一族がこの家を手に入れ、ファサードを装飾しましたの。上部の絵は神話をモチーフにしてるそうだ。

 

 

ターボルが大火に見舞われた1559年に建て直された家で、当時の流行を取り入れているそうだ。この屋根んとこね。さっきからよく出てくるよね、こういう屋根。で、外壁の真ん中に見える丸い突起は砲丸を模したもので、1648年のスウェーデン軍による包囲を記念している。

 

このスウェーデン軍による包囲というのは、1618~1648年の三十年戦争の折のものね。カソリック強硬派の王に迫害されたプロテスタントの民衆が怒ってプラハ城の窓から役人を放り投げた例の事件に端を発した、ヨーロッパ中を巻き込んだ大戦争。発端は宗教だったけど、この戦争そのものは各国の権力闘争です。この際にチェコはスウェーデンに占領されちゃってます。歴史的にチェコにとって一番の仇敵はスウェーデンだという説もある。

 

ところで、スウェーデンはチェコから引き上げる際、大量に書籍を持ち去っていったんです。当時は書籍は非常に貴重なもので大切な財産でした。チェコは今でも返還を要求しておりまして、聞くところによると、スウェーデンの外交官がチェコに来る時に1~2冊ずつ返しているとか。今となっては古書として別の価値がありますし。

 

13世紀の初めに書かれたギガス写本というものっすごく貴重な本は、返してもらえずストックホルムの博物館にあります。

 

2007年に4ヶ月だけチェコに貸し出されることになり、359年ぶりに里帰りしたそうだ(ニュース記事)。現存する中世の写本としては最大のもので、高さ92cm、幅50cm、厚さ22cm、重さ75kg。完成には20年かかったと見られている。重罪を犯して監禁された修道僧が一晩で写本することで許しを得ようとし、でも真夜中に「無理だ」と悟って(当たり前だ)、ルシファの助けを得て完成させたそうな。写本に描かれた大きな悪魔の絵はその感謝のしるしだとか。

 

話がずれたわ。

 

1603年に建てられたと思われる、フランダース地方風のルネッサンス建築。華麗ですね。 華々しくスグラフィートで飾られた壁面が印象的。

 

スグラフィートとは、2層の異なる色の漆喰の上層だけを掻き落として絵を描く装飾技法で、 ルネサンス期に流行しました。16世紀のイタリアで広まり、ドイツにも移入されて好まれたんだって。その流れでチェコでも流行したのかな。

 

 

あ、私、幼稚園でスグラフィートで絵を描いたよ!最初に画用紙に色とりどりに絵具を塗り、その上からクレヨンで真っ黒に塗って、それからスプーンか何かでクレヨンを落として下のカラフルな地を出していって。あまりにきれいで楽しかったので、今でもよく憶えている。

 

さて。

 

こちらは旧市街のかなり端っこにある劇場です。プラハの国民劇場に似せて1887年にネオ・ルネッサンス様式で建てられたもの。舞台は1つだけど、観客席は大小2つあるという珍しい劇場だそうです。

 

上の写真の劇場がある場所には、19世紀までは城塞の門があったんですよ。1884年に、歴史家たちの必死の反対も空しく、門は取り壊されました。町の防御システムのほとんどがこのころに取り壊されています。

 

バ カ ー !!!

 

で、門の塔がかろうじて残っている。

 

 

門を反対側から見てみる。こういう、一本の道が中州でフォーク状に分かれる場所って大好きだわー。何か専門用語あるのかな。この、塔にくっついてる家はガウス邸。20世紀に建て替えられてるけど。

 

 

上の写真の手前側にさらに進むと、ヨルダン湖を臨む展望台に出る。ヨルダン湖は、1492年に飲料水確保のため作られた、ヨーロッパ最古の人造湖です。

 

 

展望台に面しているこの建物は… 射撃場…?と書いてあるんですけど、この華麗な建物の中にそんなものが。1811年に建てられた最初の建物を1894-1895年に建て替え。コンサートなどに使われるホールやレストランを備えた社交場として賑わいました。

 

 

これで東の端っこに来ましたよ。次は町を北上します。

 

 

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2015/12/28

 

街歩きに先立ち、ジシュカ広場にある観光案内所へ行きました。この白い建物ね。ちなみに中では無料でPCとネットを使える。最近は皆スマホを持ってるから需要も低いだろうけど、それだけにスマホ持ちじゃない人は旅先で情報を得にくくなっているから、公共の場所でこういうサービスがあるのはいいことだと思う。

 

観光案内所では街歩きマップをもらえます。もちろん英語版も用意されている。

 

お薦め散策ルートと、それぞれの建物の簡単な説明があります。何もなく歩き回るだけでも充分に楽しいけど、町の歴史や建築物の謂れに触れながら歩くのもいいですよ。私は赤のルートで行きます。この日も泊まるなら、黄色のルートも歩いてみたかったけどねー。

 

まず、この写真の右手に写っているベージュ色の建物。これが市庁舎です。こんな建物の中にお役所があるなんて素晴らしいわ。つっても今ある建物は割と新しい。元は16世紀前半に3軒分のお金持ちの家があった場所に建てられて、後にバロック期に建て替えられ、それを更に1878年に後期ゴシック様式に立て直して現在に至る。

 

 

市庁舎の中にはフス派の博物館があるんですよ。残念ながら月曜日なので休館。役所はやってんだから博物館も開けて~。

 

更にですね、ターボルには町の建設に伴って15世紀から作られた、複数の層に渡る地下道があります。食糧やビールの保管庫、有事の際の避難場所として作られたらしい。そのうち、旧市街を横切る650m(16世紀のもの)が公開されている。しかしその入り口はフス派博物館にあるのだ…。いや、覚悟はしていたんですが、やっぱりこの旅程は失敗だったなと思う。

 

 

市庁舎の横にある、上部にややこしい飾りのついた家がSkoch邸。ゴシック-ルネサンス期の邸宅としては全ボヘミアでも貴重なものらしい。この飾りは1532年以降に用いられた、「ロバの背中」と呼ばれる装飾だそうです。

 

このモザイクは広場とそれを囲む建物を表しているそうです。この写真では何が何だかわからんと思いますが。撮る必要なかったかも。

 

 

右端の、ホテルになっている建物は特に貴重なものじゃないらしい。その左隣、白っぽい建物は典型的なルネッサンス建築だそうな。ここもだけど、ターボルの広場の建物は、通りを超えて隣と渡り廊下で繋がってるのが多くて嬉しい。入ってみたいけど、見れるだけでも。

 

 

上の写真、左端の緑色の建物も19世紀に再建されたものですが、デザインはルイ16世時代のロココ様式。

 

通りを挟んだそのお隣は17世紀初めのルネッサンス様式で、この屋根の装飾は当時のお金持ちに好まれたデザインだそうな。そのまた左隣は、最初に建てられた家は1430~1440年ごろのものだそうですが、1610年にパブを開くに当たって建て替えられたんだって。パブの名前は「赤獅子」であったことが1680年の資料で確認されております。この2軒は今レストランとパブで、前夜遅くまで営業していたぞ。

 

 

これも1801年に建て替えらえておりますが、デザインは「田舎風バロック建築」なんだってさ。

 

真正面からばかり撮ったけど、少し斜めから撮った方が屋根とか写って良かったよね…。

 

これで広場の南半分。北半分はルートの後半に見るのだ。こうしてみると、広場の建物って建て替えらえた新しいのも多いなw (新しいと言っても100~200年以上前ですが)

 

警察署もこの広場にありましたわ。ターボル全体は大きな町なので、新市街の方にも行政機関がいっぱいあると思うけど、ここはここで色々集まってるのね。

 

さあ、広場から出ていきましょーかとプラジュスカ通りに向かって歩き出した時、バッタリと会ったのは、ワインバーTHIRのヤンさん。スロヴァキア人のお友達ともう1人誰か男性が一緒でした。「あれ、おはよう」と笑い合いましたわ。ヤンさんが他の2人に広場の説明をしていたよ。

 

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2015/12/28

 

ワインを散々飲んだ翌朝、すっきりと目を覚ましました。が、心地良すぎてベッドから出られない…。起きてるけど起き上がれない。しかし朝食を8時にお願いしてあったので起床。たらふく食べる。そして部屋に戻って出かける支度を……する前にまたベッドに寝転がってうだうだ。

 

ああ、この部屋から出たくない…。チェックアウトタイムは12時でしたので、午前中いっぱい宿でのんびりしようかという気になってきました。だって、こんな素敵な部屋で寝ただけだなんて。もっとこの部屋でくつろぎたい。ビール買ってこようかな。ターボルを発つのは3時ごろの予定だし、3時間あれば町を一通り見れるよね。

 

と自分に言い聞かせてみましたが、私は私を知っている。そしてターボルの素晴らしさも昨夜のお散歩で知っている。きっと丸一日あったって足りないのよ。と、己をベッドから引き剥がすように起き上がり、名残惜しくお出かけしたのでした。(荷物は宿に預かってもらった)

 

ターボルの町。西が上になってますね。(ウィキペディアより。権利放棄の写真)

 

グーグルマップ(北が上)。ワインバーTHIRと宿Jana Guesthouse。

 

 

宿の前のコストニカ通り。これが旧市街中心のジシュカ広場へと至るプラジュスカ通りに繋がる。手前から2台目の車が停まってるとこが宿。

 

ブラフシュカ通りに出たところから広場が見えてる。中央に見えるベージュっぽいのが教会ね。

 

上の写真の奥、左側、赤く見えている建物のとこを左折すると、すぐそこがTHIR。

 

 

ジシュカ広場に出ました。

 

 

隻眼の英雄、ヤン・ジシュカ。

 

 

 

ターボルはジシュカが作った町です。小貴族の出ながら武勇と英知で出世した彼は、プラハでヴァーツラフ4世の軍事顧問を務めるまでになりました。しかし当時プラハではヤン・フスがカソリックを厳しく批判し、宗教改革を推し進めているところでした。フスに共鳴した彼は、1415年にフスが処刑された後はフス派の同志を集めて、カソリック勢力に真っ向から対抗しました。フス派の中でも「急進フス派」と呼ばれるのはジシュカの一派です。

 

1420年には、迫害を逃れてジシュカのもとに集まったフス派の民衆と共に、城塞都市ターボルを建設。信仰に基づく厳格な軍規と、新しい兵器の積極的な採用により、強大な軍隊を作り上げました。神聖ローマ帝国軍や異端撲滅十字軍をも何度も撃破しています。

 

ジシュカは1424年にはフス派の様々な派閥を一つにまとめ上げてフス派全体の指導者となります。しかし同年、ペストに罹患し死去しました。彼を慕う民衆は、以後自分たちを「孤児」と呼んで、フスやジシュカの遺志を継ぎ戦い続けたそうです。

 

という目的で作られた町なので、敵が町に攻め込んできた際の防衛のため、道が狭くて入り組んで曲がりくねっているのですよ。もう最高。

 

https://youtu.be/7tYitvc8YQ8 ←ジシュカ広場を中心からぐるりと見る映像。ブレブレ。

 

 

ジシュカ広場にあったネイティビティ・セットは、私が今まで見た中で一番かわいらしいものでした。

 

 

広場の建物を紹介するはずが、長くなりすぎたので、続く。

 

 

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