旅中毒

バックパックと少しのお金とパスポートがあればいい。行けば行くほど行きたい場所が増え、人生狂って後悔なし!



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聖ヴィート大聖堂を出た次は、脇の建物の中にあった写真展示みたいなんを見てきました。印象に残った写真を2枚。


バイカーの群れを祝福するというのは、どういう状況でのことなのか… 知りたいなあ。




なんとなくミスマッチ感があって楽しいんだけど、こういうの普通に乗っていらっしゃるのかしら。まーね、日本のお坊さんがスクーターに乗る姿も、最初の頃は違和感あったもんです。今は見慣れた光景に。つかこの写真の乗り物、電動自転車みたいなもん?ペダルないんだけど。あるいはサドル付きキックボードみたいなもんとか。

前に見かけた尼僧さんを思い出したよ。一人はクロアチアのスプリットで、初老の尼僧さんがサングラスをかけて歩いていた。もう一人はスロヴァキアのタトラだったと思うんだけど、日帰りトレッキングしてきたら、同じようにトレッキングを楽しんできたのか若い尼僧さんがバックパックかついでパンをかじりながら歩いていた。ちょっとびっくりしたけど、彼らも普通に生活してますのよね。



最後に入ったのは火薬塔。前はそこに火薬があったってことなんでしょうけど、今はピカピカにリノベーションされて軍事博物館になってます。軍事や歴史に特に関心がなければさほど面白くないかもしれないけど、興味深い貴重な展示ですよ。で、廊下の窓からは大聖堂が見えるのだ。面白いぞ。この位置から大聖堂を見るのも一興なので、時間に余裕があればどうぞ。高い位置からこんな至近距離で大聖堂を見れるのってここくらいじゃないかな?



外側から眺めて、さっき見てきた内側の記憶と合わせていくのが面白いのよ…。というか、建物が面白い。彫刻が素晴らしい。なんでこんなややこしい建物にしようと思ったんだろうね、昔の人って。ホント素敵だわ。外側をじっくり見るのにもたっぷり時間を取らないといけない。


後から増築されたペタッとした建物が、個人的にはちょっと、好きじゃないのよね。いや、それも充分古いんだけどさ。200年とか300年前だと割と新しい部類だから、このプラハ城においては。



とかやってたら時間が迫ってきた。宮殿の美術館とかも入れるんだけどそれどころじゃない。大聖堂の鐘楼にも上る気だったんだけど、諦めました。プラハで一番美しい眺めを楽しめる場所なのだろうけど、まあプラハならまた来ることもあるでしょうし…。さ、急がなくては。


この左側にあるペタッとした建物が入らないように気を付けて写真を撮ってます私。結構な人出でしょ。真冬でこれよ。


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聖ヴィート大聖堂が開く時間、12時が近づいていましたので、そろそろ並びに行こうと思います。が、その前に軽く何かお腹に入れたい。

お城の敷地内にはいくつかレストランやカフェがあります。これはおもちゃ博物館の前にある建物の中のレストランの前の看板。惜しい。


「こ」を直してあげたくて、ちょっと指でこすって縦線を減らそうかなと思ったんですけど、いたずらされていると思ったら嫌なので店員さんに言おうと店内へ。 ……お昼時で大忙しで、それどころじゃなさそうだったので、黙って出てきました。


私自身はレストランより屋台で食べたいので、大聖堂んとこの広場に向かう。が、途中のお店で先にグロックを購入。ラム酒のお湯割りにレモンとお砂糖を入れたもので、行く前にブロ友さんたちから「美味しいから是非」と薦められていたもの。ええそりゃもう、美味しくないわけがない美味しさでしたわ~。あったまるねえ。

さて、明るい時間に見る広場の屋台はこんな風です。


そこで買ったものがこれ。焼きチーズ。スモークチーズを鉄板で焼いています。パンに乗せて、クランベリージャムをかける。ポーランドで食べたと言ってる人がいましたんで、たぶん東欧で一般的なスナックなのではないかな。美味しいよ! 自宅で再現したい。


チーズをもぐもぐしながら大聖堂まで行ったら、既に行列ができていました。でも待ち時間に外壁の彫刻を眺められるので退屈しないよ。入り口に置いてあった門松的なものが気になる。ただの飾り? 何かの風習? ちなみに、ここ以下の写真はクリックで拡大します。

  


内部の様子。真ん中辺から、奥(左側の写真)と、入り口方向(右)。大きいでしょー。最初にここに聖堂が建てられたのは925年。今ある建物は1344年に建てられたもので、戦争などでたびたび工事が中断したもんで、完成したのは20世紀なんだって。

  


聖ヴィート大聖堂はステンドグラスの美しさで特に有名なんですが、その中でも皆のお目当てになるのがこの、ムハのステンドグラスです。



一番上は、両手を広げたイエス・キリスト。中央で膝をついて祈っている赤い服の少年はボヘミア公(在位:921年 - 935年)、ヴァーツラフ1世。ボヘミアのキリスト教化を強力に推し進め、列聖されました。聖ヴァーツラフはチェコの守護聖人なのよ。彼のお隣にいる女性は、彼を熱心なキリスト教徒に育て上げた祖母、聖リュドミラ。ヴァーツラフ1世のお母さんと対立して殺されちゃいました。ヴァーツラフ1世も28歳で弟とその部下に殺されちゃったんだよ。そういう時代だったのね。ちなみにこのステンドグラスの少年時代のヴァーツラフ1世のモデルはムハの息子だそうです。


他のステンドグラスも本当にきれい。日の光を浴びて壁に写るのがうっとりもの。

  


ステンドグラスがあまりにもきれいなので、壁のフレスコ画が損をしている感じ。フレスコ画も素晴らしいよ。

  



見ている時は夢中でしたが、思い出せるようにとりあえず全部撮っちゃえ…的に撮っておいたら、どれがどこら辺にあったものか思い出せなくなった。でも下のこの4つは、一番奥の部分だったはず。たぶん。壁が丸くなってるし。

  


  



本当はもっとたくさんステンドグラスがある。それに、フレスコ画も彫刻も素晴らしい。でもなんかもう途中でバカらしくなってきて写真を撮るのやめちゃったよ。何もかも全部すごいんだもん。どうせ私の腕じゃろくな写真撮れないんだし、だったらきれいに撮ろうと必死になるより眺めてた方がマシ。

  


つって、こんだけ撮ってたら充分か。逆光になってますが、左側は聖ヤン・ネポムツキーの墓碑で、2トンの銀を使っているそうな。ちなみにこの人が列聖されたのはハプスブルク家がチェコを支配するための政策で、ホントは別に特にキリスト教的に功績や奇跡があったわけではないそうな。こんなの本人も嫌じゃないかしら。

  



建物という点ではこういう部分が好きだわー。

  



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2015年12月26日


聖イジー教会を出た後は、黄金小路へ参ります。



1597年頃にできた通りで、当時はプラハ城で働く人たちが住んでいたんだって。のちに錬金術師が住むようになったんで「黄金の小道」と呼ばれるようになった…というのが定説。上の写真の青い家にはカフカが住んでたんですってよ。


中世の雰囲気をよく残した素敵な通り。今は建物はすべて博物館やお土産物屋さんになってますが。この↓写真の右側のピンクの建物はカフェ。



そのカフェに入って休憩しました。フロアが少し高い位置にあるので(2階ではない)、見晴らしが良い。



このカフェは小路のほぼ西端にあるから、東端の席に座れば通りをずっと見渡せるよ。この時は観光客だらけで道が見えないくらいだったけど。たぶん午後の方がましなんじゃないかな。団体は午前中に来ることが多いような気がする。しかし冬でこの混みようなら夏はどんなことになるんだ…。


これは武器博物館。ある建物の2階に上がると、長い長い廊下がずっと続いていた。何軒もの建物を貫いてるよね、これ。1階は個別の家になってて2階は繋がってるのか。面白い構造だね。


この黄金小路は北側の城壁に当たります。で、武器博物館がある長い廊下の外側の壁には銃眼がある。興味深いのは、丸太をくりぬいたものを窓にはめ込んであったこと。この写真ではよくわからんと思いますが…。この丸太は左右に回転するようになっている。それによって狙いを左右に変えることができるわけだ。窓が全開になっていたら、銃眼としては大きすぎるってことかな。てことは、お城を作った時には銃眼として使用する気はなく、後から防御システムを組み込んだってことなのかしら。いつ頃、この丸太を組み込んだんだろ。30年戦争の頃? 売店のお姉さんに聞いてみればよかった。


この廊下の端っこだったと思うけど、拷問博物館もありました。見ただけで気が滅入る拷問器具の数々が展示されている。そんで不思議なのが、拷問器具の置かれている床に、たくさんのコインが散らばっていたこと。何なの、お布施でもないだろうし。悲惨な死を迎えた犠牲者を悼んでのこと? ベルギーのゲントでフランドル伯のお城に行った時も、地下牢にたくさんのコインが投げ込んであったので不思議だったんだけど(よろしければ「ベルギー旅行記 34 : ゲントのフランドル伯居城 3」を)、ヨーロッパには獄死した人にお金を供える習慣があるのか?



これは錬金術師のおうちの再現です。枕元にリュートがあったりするのも良いですね。


錬金術師は化学者なので、地下室にはフラスコとかいっぱい置いてあった。……けど照明が消されていたのでよく見えんかった。それよりもこの階段がワクワクするね。



他の家屋の中も昔の人の生活を垣間見れる楽しい展示がいっぱい。地下室への階段がほとんど梯子状態の家とか、床が透明になってて見えるのも面白かった。確か少路の出口である東端はかなり時代が新しくて、映画の歴史か何かだったような。


で、黄金小路を出たところがここ。厳つくていい感じでしょー。ダリボルカと呼ばれる古い塔があります。



中世にはこの塔は牢獄として活用されておりまして、もっとも有名な囚人ダリボルにちなんでダリボルカと名付けられています。ダリボルは15世紀後半の人物。彼自身が名門貴族の騎士でしたが、民衆を苦しめる貴族の悪政に対しての反乱に参加しました。結局反乱は鎮圧され、ダリボルは1498年3月13日、この塔の外で斬首されたのだそうです。


分厚い壁を持つ大変堅牢な塔。たまらんね。ここにじっとしているだけで楽しい。内部をもっと探検できるようになっていたらもっと楽しいんだけど。一つだけ入れるのが、階段を下りたとこに見える入口の先。そこには小部屋がありまして……




ここにも拷問器具が展示されているのでした。さっきの武器博物館に展示されていた拷問器具はロープで隔てられて触れないようになっていたけど、ここのはまあ、むき出しですので… 観光客がキャッキャと拷問道具に自らをはめ込ませて写真を撮っていました。ホントに皆さん拷問道具が好きねw




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2015年12月26日

王宮を出た後は聖イジー教会へ。広場を挟んで、聖ヴィート大聖堂のお隣。最初は920年に木造で建てられ、火災で焼失したのち、1142年に石造りに。修道院も併設されています。



美しいロマネスク様式の教会ですけど、このファサードは17世紀に加えられたバロック様式。町の中にあったら「あ、古い建物だ」と嬉しくなるかもしれない。でもプラハ城という古いものだらけの環境で見ると、このデザインってあんまり好みじゃないと気づいてしまう。なんかペタッとしてるよね…。積み木みたい。


でも中は私好みでしたわ! やっぱりどっしりした石の世界がいい!



もっと後期になるとアーチを交差させて天井の重みを受ける技術ができるのですけど、この教会が建てられた当時は壁で天井を支える方法しかなかったので、壁が分厚くなるんだって。うっとりだわ。


この華麗な階段は18世紀に付け加えられたバロック時代のものです。重厚な石の壁と繊細な曲線の組み合わせ、素晴らしい。この階段は聖歌隊席に続きます。この教会は音響がいいので、よくコンサートに使われるんだって。私もここでグレゴリオ聖歌とか聞いてみたい。



奥に見える聖リュドミラ礼拝堂にはロマネスク時代の壁画がきれいに残っています。


色がひどい… 画像が荒いし…



聖イジー教会の中にはクリプトもあって、プシェミスル王家の人々が埋葬されています。聖ヴィート大聖堂ができるまでは、ここが王族の埋葬場所だったそうです。


聖イジーとは聖ゲオルギウスなのでして、だから龍と戦う聖イジーの彫刻が。



豪華絢爛な聖ヴィート大聖堂も素晴らしいけど、私は断然この聖イジー教会の方が好きだなあ。


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2015/12/26

前の晩は、宿に戻って「やれやれ、ちょっと休憩」とベッドに転がって、「あ、なんか寒い」と思ったら何時間も経ってて、とりあえず布団をかぶったら、次の瞬間には明け方になっていました。

夜にお城から帰る時に、まだかろうじて開いていた働き者のキオスクで買っておいた水とお菓子とオレンジで簡単な朝ごはんを食べ、シャワーと洗濯を済ませて、早速出発。再びプラハ城へ!


チケットにも何種類かあって、入れる場所の数によって値段が違う。私はもちろん、一番たくさんの建物に入れるチケットに写真撮影チケットをプラス。


正門をくぐったとこにある第1の中庭とか第2の中庭の辺りって面白くないのよね。ペタッとしててさ。左側の、真ん中の門の部分だけは素敵だけど。右側の噴水はバロック。



毎正時に衛兵さんの交代があります。



朝日を浴びる聖ヴィート大聖堂!…は今日は日曜なので開くのは正午。後回しにして、




まずは建物として一番楽しみにしていた旧王宮に入ることに。最初の王宮は9世紀頃に木造で建てられたそうだけど、正確な場所はわかってないんだって。今ある石造りの建物は12世紀に建てられ、その後増改築されたもの。


これは15世紀末~16世紀初頭に作られたヴラジスラフ・ホール。戴冠式はわかるとして、馬上槍試合もここでやってたってというのが面白い。屋外でやるものだと思ってたよ。今は大統領選挙の時に使われている。かっこいいな。


ホールの外にはバルコニーがありまして、ルートヴィヒ翼と呼ばれる棟を臨むことができます。


ホールの奥にある階段を上がってきて…


上の階。


ここは確か領地の登記所だったかな…。この紋章は各領主の紋章だったような。なんで壁や天井に描くのかしら。オーディオガイドを借りたら良かったなあ。


上の部屋の隣の部屋も良かった。特に奥の本棚。どうしてもっと下にずらして撮らないのか…。本棚の下をくぐって奥のドア(本棚?)に行けるのが面白いのに、この写真じゃわからない。


家具も素敵。ドアの鍵も楽しい。昔の生活や仕事を感じさせるものはすべて楽しいな!


他にもいくつか部屋があって、考古学的な遺物などを展示していました。


んで、ホールに戻り、ホール反対側(王宮の入り口に近い側)から…(古くていい感じね)


突き当りの部屋にあるこの窓が、ある意味、この王宮で最も有名なものでしょう。



こういう、有名な事件の舞台になった場所なので。


「プラハ窓外投擲事件」……と呼ばれる事件は歴史上3回起きておりまして、そのうちの2回目、1618年5月23日に起きたのが、ここ、プラハ城だったそうです。その立札が立っていた窓が上の写真の窓なんですけど、でもこの絵で見る限り、上の写真の窓じゃなくて、手前の部屋の窓 ↓ の方が正しいような。……でも、この絵の左側の入り口、存在しないのよね…。ただのイメージ画かな。奥の部屋にもう一つもっと小さな窓もあって、それこそがその窓だと書いている人もいるし。


この第二次プラハ窓外投擲事件では、ボヘミア王になったハプスブルク家のフェルディナンドがプロテスタントを弾圧し、怒ったプラハ市民が王宮を襲撃して国王の顧問官2人と書記1人を窓から投げ落としたんだって(軽傷)。これがヨーロッパ最大の宗教戦争となった30年戦争の始まりだったのです。本当にものすごい歴史の舞台なんだ。本当はどの窓なんだよ!


ちなみに英語版ウィキペディアによりますと現場はこれだって。上記の窓いずれも違う気が…。




この事件をモチーフにしたレゴ作品。(Pinterest から)



1回目の窓外投擲事件は1415年のことで、宗教改革者ヤン・フスの処刑後、ヴァーツラフ4世はローマ・カトリックとフス派の仲を仲裁すべく努力しまして、しかしフス派で固められていた市議会を一転カトリック勢力で固めたため、怒ったフス派が市庁舎を襲撃してドイツ人市長と市参事を窓から突き落として殺害したんだって。これがフス戦争の発端に。(事件を聞いたヴァーツラフ4世はショック死したそうだ)


この第1次プラハ窓外投擲事件の再現イベントなんてものもあります。(První pražská defenestrace - 590 let výročí ←動画です、クリック!投げ落とされるシーンは2分過ぎくらい)



第3回目の窓外投擲事件は1948年3月10日のことで、チェコスロバキアの外相ヤン・マサリクが寝間着姿で転落死しているのが発見されたもの。自殺と発表されたけれど共産主義者による暗殺とも言われているそうです。時代が新しいと一気に生々しくなるなあ…。



他にもいろいろ部屋がありましたけど、万聖人の礼拝堂は閉鎖されていて入れなかった。残念。


これは最後に見た議会の間。


ここで写真を撮ったら、中国人の団体にいた女の人に優しく何か言われまして(たぶん中国語で)。カメラを指さして何となく咎めるような口調でしたので、たぶん写真撮影はしちゃいけないのよ…とか言ってたんじゃないかな。「写真撮影チケットを買っています」と英語で言ったけど通じなくて、あっちもずっと中国語で言い聞かせてくるし、困っちゃった。(撮影禁止の場所も確かにあるけど、ここはOKです)


どの部屋でも、大きな撮影禁止マークの下に、条件付き撮影OKマークが小さく付いているので、誤解されやすいのかも。



王宮の出口はホールからスロープになっていまして、それは馬上槍試合のために馬を連れて出入りするための道だったのだそうな。全天候型スポーツ施設が中世にもあったのよね、ホントに。


旧王宮の中を詳しく見たい方には、こちらがお薦め。mas98765さん(←クリック!)のフォートラベルへの投稿。私と同様、動画を撮るかのように順を追って写真を撮っていきたい方のようです。臨場感あるわあ。


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この記事を書いたのは2010年くらいのことです。そのまま、お蔵入りになっていました。アゼルバイジャンのビザの記事とセットでアップしようと思って、ずるずると。でもどんどん情勢が変わっていくので、さっさとアップしますわ。
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これはナゴルノ・カラバフのビザです。

旅中毒 ―かくて卑しき道を―



ナゴルノ・カラバフは、アゼルバイジャンの中に飛び地として存在する地区です。


昔はアルメニア系の町とアゼルバイジャン系の町があったのですが、ロシア革命を発端にして両国が独立した時からこのナゴルノ・カラバフの領有権を巡って紛争が始まり、2万人以上の死者と100万人以上の難民を生み出しました。現在はアルメニア系の占拠下にあります。


詳しくはウィキペディアのナゴルノ・カラバフ戦争 を。


私がナゴルノ・カラバフを訪れた時2008年春も、前線がある町は一触即発と言われ、近づくなんて論外でした。他にも、紛争で荒れ果てて非常に治安の悪くなっている町があり、そこには絶対に行ってはいけないと警告されました。


もっとも、首都や近隣の町は安全ですよ。


で、ナゴルノ・カラバフは独立を宣言していますが、国際的には認められていません。いわゆる未承認国家と言うやつです。


他にも未承認国家に行ったことはありますが、入管はあったもののビザも何ももらえなかったので、未承認国家のビザはナゴルノ・カラバフのものが初めてでした。


しかし、上記のような政治的な事情がありますので、このビザがパスポートに貼ってあると、アゼルバイジャンへの入国は拒否されるのだそうです。アゼルバイジャンに入国する時にはガイドブックまで検査され、ナゴルノ・カラバフを独立国家扱いで記載していたら、そのガイドブックは没収されるという話も聞きました。実際、没収されたと嘆く旅行者にバクー(アゼルバイジャンの首都)で会いましたよ。そのページだけ破いてくれたらいいのに、丸ごと取り上げられたって。


2009年10月10日に2国間の国交が正常化されましたので、今(←2010年ごろです)はまた事情が変わっているかもしれません。正常化されたと言っても問題が解決したわけじゃないから、予断は禁物でしょう。 ですんで、両方の国を訪れるのであれば、先にアゼルバイジャンに行く方が良いんじゃないかな。(2016年4月6日現在、それどころじゃなくなってるのではと)


もしどうしてもナゴルノ・カラバフに先に行く必要があるなら、ナゴルノ・カラバフ大使館で事情を話して頼めば、ビザをパスポートに貼らずにクリップ留めしてくれるそうです。アラブ諸国に行きたい旅行者のイスラエルのスタンプと同じで、その後のパスポートの使用に支障がないように気を使ってくれるのです。


もっとも、クリップで留めてと頼んでおいたのに貼られちゃった、これでアゼルバイジャンには行けないと嘆いている旅行者もいましたけど。


ナゴルノ・カラバフ大使館では、ビザを入国後に買ってもいいと言われました。オンアライバルじゃなくて、入国後。外国人は、入国してから外務省で外国人登録する必要があるのですが、その際にビザを買っても間に合うとのこと。それじゃビザ(入国資格証明書)の意味がないような気がするけど…。とにかく、もし国境で追い返されたら嫌だから、私は先に買っておきました。




てわけで、ビザを事前に入手したのですが、この時、ちょっと慌てる羽目になりました。と言いますのは、イェレバン(アルメニアの首都ね)のナゴルノ・カラバフ大使館に行く際、バスを降りる場所を間違えたちゃったのだ。そのせいで、予定した時間を大幅に過ぎまして、午前中の受付ギリギリに大使館に駆け込むことになってしまいました。


日本みたいに 「受付時間」 が 「申請者から申請書を受け取る時間」 とイコールなら大丈夫だったんですけどね。国によっては、受付時間イコール係員が業務を終える時間てことも多い。


5分前なんて、絶対に受け付けてくれない!

午前中に出しておけたら、運が良ければ今日の夕方にもらえるのに!

これじゃ午後に出直せと言われて発給は明日になるんだ!

またこんな遠いとこまで来なくちゃいけないんだわ!


と思いつつダメ元で、入り口にいた人(入口の受付でもガードマンでもない、無人の入り口にたまたま通りかかった人)にパスポートを振り回して見せて『ビザが欲しい』とアピールしたところ、2階に行きなさいと言われまして。


2階のどの部屋かわからなかったから、適当にそこら辺の部屋に入って、パスポートを振り回して見せて『ビザが欲しい』とアピールしたところ、向かいの部屋に行きなさいと言われまして。


その部屋に駆け込みますと、あっさりとパスポートを受け取ってくれて、じゃあ夕方に来てね、だって。


融通が利くんですね、ありがたいことです。近隣をお散歩したりカフェでお茶したりして、夕方に大使館に戻って、無事にビザ入手。


この係の女性は本当に親切な人でした。私の外国人登録のことを考えて、土曜日に着いたら月曜まで外国人登録ができないからちょっと日をずらしましょうねとか、どうせならこの記念日はアルメニアにいた方がいいから、それまでに帰れるようにしたらどうかしらとか、そんなアドバイスもくれました。色々、助かりました。



ナゴルノ・カラバフ問題について私は確固たる意見を持ってはいません。どちらが正しいとか、そういう判断ができるほどの知識も理解もありません。


ただ、私はあの大使館で親切にしてくれた女性が好きです。

アゼルバイジャンで優しくしてくれた人たちも好き。




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2015年12月25日

さて、スラヴ叙事詩を堪能した後にやっと宿に入りまして。その後、まずは晩ごはんを食べた方がいいのかなとも思っていたのです。宿に近いレストランもいくつか紹介してもらっていたし。でもさほどお腹が空いていなかったし、とにかく早く色んなものを見て周りたくて、プラハ城にお出かけすることにしました。

プラハ城ってのは、お城が一つドドンとあるだけの場所じゃありません。城館、複数の教会、邸宅、家屋などの複合施設なの。建物は冬季は夕方でしまっちゃうけど、敷地内は23時まで開けてくれている。そして私の宿はプラハ城のすぐ下にあるので、夜のお散歩も余裕なのよ!

プラハ城は銃を構えた兵隊さんたちが警備しているのですが、それだけでなく、夜でも観光客が結構いるからか、お巡りさんたちもパトロールしてくれていました。団体さんもいたよ。昼に見て周る時間がない旅程なのかな? あるいは夜のプラハ観光とかの現地ツアーかもね。


これがプラハ城で一番の見どころであろう、聖ヴィート大聖堂だ!(入りきらんw)



横から。


早く明るい時間にこの彫刻をじっくり見たい。でも、この夜の陰影も美しい…。


まだクリスマスシーズンですから、例によってネイティヴィティ・セットが。



そうなの、クリスマスシーズンですから、敷地内でクリスマスマーケットやってたよ。21時まででしたけど。仮設のお手洗いもあるから、安心して大いに飲んでもよろしい。プラハ最初の食事は何にしようかと目移りしちゃうわねえ。ソーセージやら、串焼きやら、甘いお菓子やら、ワインやら蜂蜜酒やら…


これにしました。



酢漬けキャベツとベーコンで和えたパスタ。他でもよく見かけたので、ちゃんとした名称があるに違いないけど、知らない。お姉さんに「これくらいでこの金額よ」と身振りで言われて頷いて、お支払いして受け取ろうとしたら、ホイッとおまけを乗っけてくれたので大ボリュームに! (そして 「ビールは350mlで飲む」 と言う誓いを初日から破り500mlを頼んだ私)  気温が低くてすごい勢いで冷めてしまうので、大急ぎで食べました。残れば持って帰っても良かったんだけどね、宿には電子レンジもあるから。


建物が開いていないので、敷地内をぶらぶらと歩き回る程度しかできない。それに、「黄金小路」と呼ばれる小さな路地がある部分とかは、夜間は立ち入り禁止になってるの。大きな建物がある通りしか歩けません。だけど昼間であれば大変な賑わいになるであろうこの場所を静かに歩けるんだから、貴重な時間ですわ…。


正門があるのとは反対側の出入り口。ここも兵隊さんが守ってくれている。私がいったん外に出て、真ん中の道を通って戻ろうとしたら、「そっち(歩道みたいな部分)を通ってくださいね」と丁寧に言われました。



寒くなってきたから帰ることにいたします。22時くらい。お城の外の展望テラス的な部分から、市街が良く見えますよ。私のカメラではこれが限界だけど、立派なカメラを持ってる人たちが美しい夜景写真を撮ろうと頑張っていらっしゃいましたわ。


私のお気に入り写真はこちら。この階段を一番下まで下がって右に曲がったとこにある広場に、私の宿があります。


すてきな眺め。人の入っていない写真は夜間か早朝しか撮れまいとカメラを出したら、誰かが上がってきちゃって。おまけに、そこから動こうとしない。3つ目の街燈の下にいる人、見えますかしら。「ああ……」と苦笑いしてたら、きれいな音が聞こえてきましてね。ストリートミュージシャンが演奏を始めたのでした。

少しの間この場所で聞いていて、それから階段を下りていきました。演奏していたのは男性で、ギターを弾きなからハーモニカを吹いておりました。こんなに遅くなってから、どこか別の場所から移動してきたんだな。プラハ城は人気の観光地で夜にも人が訪れているけど、たぶん夜間に一番人が集まっているのは旧市街やカレル橋の周りだと思う。でもその分、競争も激しいかもしれないね。


彼の名前は忘れちゃったなあ。少しだけお喋りしました。それから、「ロマンチックな曲を弾くね」と、4月の雨みたいに優しくて暖かくてきれいな曲を弾いてくれました。簡単なフレーズの繰り返しでしたけど、古い美しい町と冴えた空気に何と似合うことか…。お礼を言って、クリスマスプレゼントを兼ねて少し多めのチップを投入。プラハ初日の、素晴らしい締め括りでした。



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プラハに降り立って、市街に出るべく空港の外に出た時、最初の感想をツイートしましたよ。「大阪より暖かい」と。なんなのこれ。私の用意した極ヌク下着「ひだまり本舗」は何のためだったの。

さて、到着初日の予定はムハ尽くし。美術館のはしごです。まずは何と言っても、「スラヴ叙事詩」ね。全20点がプラハで2015年いっぱい展示されているとのことでしたので。(その後2016年いっぱいに延長されたし、2017年には日本に来ると発表されてましたがw)

目指すはヴェレトゥルジュニー宮殿です。……が、ここに行きつくまでも一苦労でしたわ。路線図を見てテキトーに「ここで乗り換えて、こっちの線に乗って3駅…」とか何とかやってみたのですが、着いた日が土曜日でしょ。線によっては休日ダイヤで本数が少ないんですよ。心細かったわ。んで、乗ったら乗ったで、「あっ、違う!これ方向逆だった!」と慌てて降りて、「あっ、違う!今ので合ってた!」と次のに乗ろうと思ってたら、同じ場所にある別の線の駅に同じ方向行きのが来たから「待って、待ってー!」と慌てて乗り込み…。ほんの短い距離の移動にどんだけ苦労したことか。まあ初日はそんなもんですけどね。

んで、目指す駅で降りたら今度はどこにヴェレトゥルジュニー宮殿があるのかわからなくて。実際にはすぐ斜め前くらいだったんですけど、いや、宮殿って言うからさ…。

まさかこんな形だと思わなかった。調べてなかったわけじゃないけど、見るたび「???」と思ってた。これがホントにヴェレトゥルジュニー宮殿だったとは。



やっとたどり着きました、ムハのスラヴ叙事詩…。写真OKなので丁寧に撮ってきました。が、まあ、コンデジだし脚立もないしで、ろくな写真がないわw 暗くなってしまうから色を調整すると白っぽくなるし…。ま、何枚かお気に入りを。

この20作の連作はスラヴの人々の年代記です。私が一番好きなのはこの一番最初の絵。神話の時代です。スラヴの神様スヴァントヴィトを、正義を表す若者と平和を表す娘が支えている。左下にうずくまるのはスラヴの農民で、侵略者たちの暴力から逃げている、受難を表しているんですって。



これは9世紀の後半ごろ。最初のスラヴ人国家、大モラヴィア国では、ビザンチン帝国から派遣された聖職者によって、自分たちの言葉での礼拝、自分たちの言葉で書かれた聖書を手にしました。しかし左上に、カトリックの司教たちが迫ってきている…




バルト海に浮かぶルヤナ島には古代スラヴの神スヴァンヴィトを祀る神殿が見つかっています。この絵は、スラヴの神々を称えるお祭りの様子。しかし左上にはゲルマンの神々が迫り、右下には傷を負ったスラヴの騎士の姿が…。



これはブルガリアのシメオン皇帝。彼は非常に知識と教養のあるインテリで、彼の時代のブルガリアはスラヴの文化センター的な存在だったそうです。カトリック勢力によって大モラヴィア国から追放された正教の聖職者たちもブルガリアに亡命したそうです。この絵も好きだわー。





これはオトカル2世が豪華絢爛な結婚式に近隣諸国の君主を招いている様子。1261年。オトカル2世はボヘミア(今のチェコ西部)をヨーロッパ屈指の強国に育て、「黄金の王」という異名を持っています。



これは1346年のセルビア皇帝ステファン・ドゥシャンの戴冠式の様子。長く続いた混乱の後、この時期にセルビアは強大な王国となり、スラヴの春とよばれる時代が訪れました。




この3枚が中盤のクライマックスですね。中世チェコの宗教改革を描いています。



左は、クロムニェジージュのヤン・ミリチ。カレル4世の宮廷で副大臣を務めるほどの政治家でしたが、教会の腐敗に激しく怒り、1372年に私財をつぎ込んで娼館を修道院に改装。そこは娼婦たちのシェルターとなりました。

真ん中が中世チェコの大宗教家ヤン・フス。カトリック教会の腐敗を厳しく批判し、プロテスタントの先駆けとなりました。マルティン・ルターが「心の師」と呼んだ人です。対立する勢力との議論のため赴いた先で姦計により捕えられ、異端審問にかけられた後、1415年に火刑に処せられました。この処刑に関し、2000年にカトリック教会がチェコ国民に対して謝罪したそうです。この絵は1412年のプラハでのヤン・フスのプラハでの説教の様子を描いています。


右側の絵は1419年のクジージュキの集会です。ヤン・フスの処刑の後に続いた混乱を経て、ここクジージュキで開かれた集会を契機に、信仰に生きる運動、宗教戦争、農民闘争などがヨーロッパに広がっていったのです。



これは1420年のヴィトコフの戦い。ヤン・フスの後継者であるヤン・ジシカ率いる農民軍が、攻めてきた異端撲滅十字軍の大軍を撃破しました。



フス派の中には、急進フス派とは違う平和路線を歩んだ人々もいました。ペトル・ヘルチツキーがまとめあげたチェコ兄弟団です。「悪をもって悪に報いるな」と説くヘルチツキーは、絵の真ん中で復讐を叫ぶ若者の手を抑えています。文豪トルストイは彼を「中世最大の偉人」と呼んでいます。



ちょっと北に移って、1410年のグルンヴァルドの戦い。ポーランド・リトアニア連合軍とドイツ騎士団による、ヨーロッパ中世最大の合戦です。前に記事に書いたことあるので、良かったらお読みください。(グルンヴァルド古戦場跡 in ポーランド



全部載せるのもウザいと思うので、オスマントルコとの戦いとか、ロシアの様子とか、ちょっとスキップ。


これは17世紀前半の偉大な教育者、ヤン・アーモス・コメンスキーです。同年代の人間が一斉に学校に進み、全員に教科書を配布する。このシステムを生み出したのはこの人。知の共有が世界平和をもたらすと言う、ユネスコの基本思想ともなっている理想は、彼が提唱したものです。命が尽きようとしているコメンスキー師の静かな姿…。この絵も本当に大好き。



これは連作の最後を飾る作品、「スラヴ賛歌」。



1918年の、チェコ・スロヴァキアのオーストリア=ハンガリー二重帝国からの輝かしい独立を表しています。青の部分には古代スラヴの神話の時代を描き、黒い部分にはスラヴと対立してきた勢力を描き、赤い部分にはフス派の戦いを描き、白い部分に独立後のスラヴの人々の栄光を描いている。



とまあ、この20作はスラヴの歴史をたどっているのです。この連作を見れば歴史をざっと掴むこともできますが、やっぱり先に簡単でいいので歴史を少し頭に入れておくと絵をより楽しめると思います。私も、チェコ史をさらっとでも勉強しておいて良かったーと思いました。ああ、あの人たちが…、あの場面が…!と感動でしたわ。


で、この後はムハ博物館に行く予定でしたので、そろそろ移動しなくちゃ、もう1時間くらい経ったわよねと時計を確認したら、2時間を軽く超えておりました…。まあ、そりゃあねえ、20枚ありますからねえ。120分あったって、1枚につき6分しかありませんし。


ムハ博物館、行って行けなくもなかったけど、慌てながら駆け足で見るようなことも、したくはないしねえ。旅行の最後の日に行くとか、スケジュールを少し考えることにして、閉館までスラヴ叙事詩を楽しむことにしました。


ちなみに入り口の近くに分厚い図録があり、読めるようになっています。この本の素晴らしい所は、絵の細部を見れるようになっていることです。絵の見どころをじっくり解説してくれているの。英語ですけど、英語がわからなくても絵の細かい部分を見れるので楽しいですよ。これを読むだけでまた2時間必要だわ…。時刻ギリギリまで読みふけりましたが、係りの人が「もう閉めますので…」と言いに来たので、未練を残しつつ去ることになったのでした。


また見たいなあ…。



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3分の2くらい書き終わってから1日1記事ずつアップしようと思ってたけど、諦めた。全然書けてないけどチェコ旅行記を始めます。次の冬までに終わればいいや。

2015年12月24-25日

最近は深夜出発便ばかり使っておりましてね。今回の候補はトルコ航空かエミレーツ航空。お値段の点から最終的にエミレーツを選びました。

エミレーツに前に乗ったのはチュニジアに行った時だったかな? 久しぶりだったのであまり記憶にもありませんでしたが、今回思ったのはエミレーツは機内食が美味しいなってこと。

深夜出発だってのに夕食が出るわけでして、海鮮釜飯を選択。全く期待していなかったけど(基本的に興味本位で選ぶので)、悪くないお味でした。予想外に薄味でね。サラダもケーキも美味しかった。



朝ごはん、かわはぎの煮つけ。これも「洋風朝食で炒り卵にした方が無難」と思いつつ好奇心が勝って頼んでみたもので、全く期待していなかったけど割と美味しかった。「どうせ味付けが濃くて、火が通り過ぎてカチカチだろう」と思ってたのに、薄味でそこそこふんわりしてて。釜飯と言い、エコノミーの機内食でこれだけやってくれたら文句ないです。侮ってすみませんでした。



2回目の朝ごはん、普通に美味しかった。



でも一番気に入ったのはこれ。ラムのシチュー、マジで美味しかった。香辛料が好み。付け合せのポテトもハーブが入ってて美味しかった!それに豆のサラダ、これもホンット好みの味。一式お代わりしたいくらい気に入りましたわ。



その他おもしろかったことと言えば、ドバイでの乗り継ぎですかね。

私は乗り継ぎ時間がたっぷりないと不安でしてね。理想は3時間くらい。今回が正に3時間くらいだったので安心してました。ドバイ到着が5時45分で、ドバイ出発が8時55分。んで、ドバイに到着してウロウロしてて、何度かフライトボードを確認していたのですが、





はいいいいい!!!???

9時24分て!
出発時刻、過ぎとうやん!!




ななななな何がどうなってるの、私の iPhone、時刻をドバイに設定してあるけど、まだ7時になってないんやけど!

と思ったら、



なんじゃこりゃー!
びびらすなやアホ―!


それでも心配になったので、両替所のお兄さんに 「すみません、今何時です?」とか聞いて、不審そうな顔で腕時計確認されたりして。

要するに、9時24分と表示されていた時計が狂っておったわけですが、一つのボードに二つの時刻が表示されてる、それも大きい方の表示が間違ってるってどうなのさ! 進んでるからまだしもだけど、あれが遅れていて、それを信じた人が乗り遅れたりしたらどうすんのさ! フライトボードなんて時間が一番大事なんだから、そこ間違えんなよ…。

ドバイ空港は施設が充実しているし、見た目も優雅だけど、それより先ず正確さを追及してほしいです。

優雅なお庭のベンチでは旅行者たちが爆睡しておりました。



ドバイからプラハまでは窓際をお願いしたのですが、正解でしたわ。




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私、ライブには月に1、2回行くって程度の人間です。パフォーミングアーツでは音楽とダンスが好き。自分の好きなジャンルのライブをやってくれる会場が行動圏内にいくつかあるのでありがたいと思っています。

この冬、そのうちの一つで開催されたプラハ交響楽団のコンサートにご招待いただいて行ってきましたわ。スメタナの「わが祖国」にドボジャークの「新世界」と、大定番を堪能。すごく楽 しかった! しかし一番安い席でも8000円だって(汗) 私が行ってるライブって大体2500円~5000円くらいだから、自分ではちょっと手が出にくい値段ですわね…。

そー言えばですね。前に、お気に入りのワインバーで飲んでたら、オペラ歌手の方々の打ち上げが始まったことがあるんですよ。私はオペラも好きです(特にオペラファンってわけじゃないけど)。でもお金を払って見に行ったのは人生で2回だけですわ。また行きたいけど、高いんだもの…。バレエもだけど、安い席でも1万円はするやん。(団にもよるけど)

でもその日は無料でオペラを聞ける催しがありまして。私も行くつもりでした。しかし同じ日のその前にあった用事が押しちゃって、断念。という経緯を聞いたオペラ歌手の方々、「じゃあここで歌いますね」と、バーで歌い まくってくれて、めっちゃお得だったw 


説明がないと何が何だかわからんと思いますが歌手の方々が歌ってるとこです。(写真投稿はOKをもらったのでお顔も出してます)  女性の方が歌ってる時に、ワインを買いに来たお客さんが入ってきましてね。私の席からは見えなかったけど、たぶんびっくりしてたんでしょう。歌手さんが朗々と歌い上げながら両手を合わせて申し訳なさそうに頭を下げてたのがめっちゃ可笑しかったw



音楽とは関係ない写真。この冬にそのワインバーで参加した牡蠣パーティーの。「牡蠣は飲み物です」状態でした。私は生が好きだー。焼くと旨みが凝縮して、それも美味しいんだけど。


日本は生ガキと言えばレモンくらいしか合わせないけど、欧州とかでは様々な薬味でいただくそうで。定番は、なんだったっけ…忘れたw この日、ビネガーだけでもシャンパンビネガーやシェリービネガーなど5種類くらい用意されていた。あとペッパーも数種類。それから、エシャロットを刻んだやつに、オリーブペーストにアンチョビ混ぜたやつに、バジルとニンニクで作ったペーストに… もっともっといっぱい。夢のひと時でした。



話を戻しまして。オペラは高いからなかなか聞きに行けないと言ったら、歌手の方々、複雑な顔をしてました。すみません、それだけの対価を払う価値がないという意味じゃないの。単に、一つのライブにそれだけお金かけることが私の収入では難しいってことで…。まあ、こういう牡蠣パーティーとか行くのやめたら出せるんでしょうけど。でもこういうのはバランスの問題で~。私、音楽もお酒も美食も楽しみたいの。旅行も行きたいしプロレスも見たいし本も買いたい。

ものすごく贅沢な生活しているように思われるかもですが(いや、実際してるけど)、服なんてほとんど買わない。化粧品もコープさんで安いの買うだけだし。好きなことにしかお金を使いたくない。でもお金を使いながら貯蓄もと思うと難しいですねえ。最近は、なるべく誘惑の多い場所には行かないようにしてる。阪急梅田で今やってるフランス展も行かないぞ。こないだのイタリア展で意志の弱さを思い知ったからな。この冬は北欧フェアが小規模でつまらなかったけど、それで良かったのかも。北海道展も北陸展も九州展も最近は避けてる。ちょっとだけ楽しむってことができたらいいんだけど、つい買っちゃうからな!

副業しようかなあ…。って何度言ったことやら…。


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