旅中毒

バックパックと少しのお金とパスポートがあればいい。行けば行くほど行きたい場所が増え、人生狂って後悔なし!



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インフルエンザにかかってしまいました。

もう体調はほぼ復活しておりますが、まだウィルス吐出し期間中なのでお仕事もお休みです。

 

最初は倦怠感と微熱だったのですが、あ、いや、微熱じゃないんだった。

ツイッターで医療クラスタが盛んにRTしていたTWによりますと、37.2度とか、微熱どころか発熱にカウントしないんですって、医療従事者的には。

じゃあ何度からなのさと今ググってみたら、「37~38度」……。

37.2度、微熱じゃん。

まあ、そんな程度の熱で医療機関を受診してんじゃねーよ、市販薬でも飲んで寝てやがれ、みたいな気持ちなのでしょう。

お忙しいからね。

 

んでもその状態が2日続いて、咳も出るし、職場は密室だし、インフルエンザだったら大変だと思って念のためお医者に行ったら「風邪」との診断が出てほっと一息。

 

しかしその夜に熱が39.8度まで上がりまして(体温計を二度見したわ)、翌朝お医者さんに行ったらインフルエンザの検査となり、A型と判明。この時、待合室じゃなくて診察室の奥にある物置スペースのベンチで待たされたのが興味深かったです。たぶん、インフルエンザの疑いがある人間は、待合室の他の患者に移さないよう隔離されるのでしょう。

 

で、イナビルを吸引してサクサクと快方に向かったのでございますが、今回大変印象に残ったことが。

 

背中が痛くなったのです。

 

背中の痛みは微熱が出た頃からありました。背中も腰も首も痛くて、どこも痛くならない寝方がわからない。寝るのがつらいってホンマきついですよ…。

 

高熱が出た晩は、さほど背中の痛みを感じなかったのですが、もしかしたら熱でぼーっとしていただけなのかも。

 

その翌日である仕事を休んだ初日に痛みが激化。だるいから寝ていたいのに、あおむけで寝られないんですよ、背中が痛くて。では、と座ってクッションにもたれてみたけど、それでも痛い。とにかく背中に刺激や圧迫があるのがつらい。横向きで寝るとマシだけどやっぱり痛い。あとどんな姿勢をとっても腰も痛い。(このころは首はあまり痛くなかった)(でもなんか、腕も痛かった)

 

もとから首も背中も腰もちょっとは痛い方だったんですが、こんなに痛くなるなんて何をしたんだ私!腰痛ならぬ背中痛ってのもあるのかもしれない、これが常態になってしまったらどうしよう… とかなり怯えておりました。

 

結局、クッションを置いた上にうつぶせに寝ておりました。(黄色いとこがクッションね)


腕もこの位置しかダメでしたね。顎の下に組んでみたけど、背中の筋肉に影響があるのか、背中が痛むのですよ。それでなくても熱があってシンドイってのに、この痛みでかなり体力や気力を消耗した気がする。

 

翌朝になっても痛みは続きましたが、午後になってしばらくすると、スウッと痛みが引きました。心から安堵しましたわ…。

 

やっぱり熱と関係があるのかなーと思ってましたら、ツイ友さんたちが教えてくださったことには、ギックリ腰ならぬギックリ背中というものもあるとのこと。何かで痛めていたのかもしれない。そして、発熱で筋肉が炎症を起こすこともあるので、痛めていた背中がえらいことになった、と。

 

あとは、発熱中に寒気がしてつらかったのもありましたが、とにかく、背中の痛みが強烈な印象です。背中が痛くて眠りに妨げがあるなんて生まれて初めてでしたわ。ああ、過去形で語れる幸せ…。眠るのがつらくないって、本当に大事なことですよ。

 

お医者さんには5日間は家から出るなと言われ、3日もやすむことになってしまい、熱も引いた今となっては申し訳ないほどなのですが、休むこと自体は別に私のためじゃないしな。申し訳ないのは、インフルエンザにかかってしまったことそのものだ。


それにしても、旅行に行くためのたった1日の休みを得るためにビクビクしてるってのに、こんなことで3日も休むことになるとは…。
 

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2017年の航空業界、知っておくべきトレンド

 

ウォールストリートジャーナル日本語版。システムを支えている設備が古いままなので、今年はついに業務に追いつかなくなってダウンし、大幅な遅延が頻発するであろうという恐ろしい予想が書かれてますが、まあ、それは私にはどうしようもないので置いておいて。

 

もっと身近な話題としては「プレミアムエコノミー」と「ベーシックエコノミー」ってのが。

 

他国(たぶん欧州)の国際線にあるような「プレミアムエコノミークラス」を、アメリカン航空とデルタ航空がついに導入だそうな。席が広くて機内食もワンランク上だって。人気が高いらしいけど、私はあんまり興味ないです。


だって、プレミアムエコノミーって普通のエコノミー席より5万~10万円も高くなるんだよ。一番安いチケットを漁ってる私には関係ない話よねw 従来のエコノミークラスとビジネスクラスとの間に差がありすぎたから、それを埋めるシステムなのかな。

 

あっ、そうだ。私もいっぺん乗ったことあるかも! 大阪と札幌の間で。そんな名前だった気がする。ガラガラだったから、いい方に乗せてもらえたのかねえ。特に憶えてないんだけど、席、広かったのかな。あれは確かJAL。職場の仲良しと行った、北海道2泊3日で3万円くらいの、どこで誰が利益を得ることができているのか謎なツアーだった。(ひたすらバスに乗ってるだけの退屈なツアーでしたが)


しかしプレミアムエコノミー導入のあおりなのか、ベーシック・エコノミー席の客には逆風も吹くとか。航空会社や便にもよるんだろうけど、最安値のチケットを買う客は下記のようなデメリットを課されるらしい。

①事前の座席指定ができない

②アップグレード不可

③搭乗が最後に回される

④(アメリカでは義務付けられている)購入後24時間の払い戻し期間を過ぎると、変更不可
⑤オーバーヘッドキャビンは使えないので手荷物は座席の下に置ける1個のみ

⑥フライトでマイレージを貯めることはできるが、ステータスを取得するためのポイントには加算されない

……私、どれもあんまり気にしなくていいかなあ。

 

敢えて言えば①は嫌だけどね。やっぱり通路側か窓際がいい。でも後は別にいいや。

②アップグレードなんかどうせしない

③どうせゆっくり乗ってる(つか最近は後ろの座から順番に搭乗案内されてる気が)

④年に一度の休みに乗るだけで、日程が確定しているから影響ない

⑤どうせ座席の下に押し込めるくらいの荷物しか持ちこまない

⑥マイレージためてない。(でも今回、加入した)

 

一方、上記⑤のように手荷物に制限を加えたフライトでは、搭乗手続きがスピードアップして遅延が減少したらしい。結構大きなキャリーバッグとか持ち込む人、多いもんね。手荷物検査も時間がかかるし、オーバーヘッドキャビンに詰めるのも時間がかかるし。別途料金を払ったら持ち込めるそうですが。

 

アルコールが有料のフライトは前にも乗ったことがある。機内食が有料のフライトも今後増えるかもしれんね。それはそれでいいんじゃないかと思う。お腹が空いた時のためにパンでも買って乗ればいいじゃん。機内食は確かに楽しみなんだけど、ないならないでもいいや。長距離バスでも食事は出ないし、休憩時には自費で購入するでしょ。同じだと思えばさ。(チリのセミ・カマクラスの長距離バスでは温かい食事が出ましたが、あれはプレミアムなクラスなので)

 

あと、座席の広さを確保するために、私は再度ダイエットに取り組むつもりです…。痩せればその分スペース確保できるぞ。

 

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3連休あるから、ここで一気にセルビア旅行の写真の整理しちゃおう!

ブログに使う写真の整理さえできたら、あとは文を書いていくだけで簡単なんだから。

 

とか思ってたんですが、結局、日にち別にフォルダに分けただけで終わってしまいました。

 

3連休の初日は昼前から夜まで出かけていたので、まあ、カウントに入れないとして。

2日目は何をしていたのかすら憶えていない… よく寝たのは確か。あと掃除と片づけをちょっとした。

3日目こそはと思ってたけど久しぶりにあれこれ料理して常備菜を作ったり昼間からワイン飲んだりダラダラとツイッター眺めたり録画の整理したりしてたらこんな時間に!あ、ワインはセルビアのワインです。500ml あったの、昼から深夜までかけたら空いちゃったわ。

 

 

現在、ヨーロッパを大変な寒波が襲っているそうで。イスタンブールも、陸海空の交通がストップしたなんて話も聞くし、ひえー、1週間ずれてたら帰ってこれてなかったなー、と。セルビアも山岳地帯では小さな村々が孤立してしまっているとか。みんな、大丈夫やろか。寒波襲来のタイミングがちょっとずれてたら私も修道院とかに行けなかったんだろうと思うけど、それどころじゃないよね。生死にかかわる。

 

ゴルバッツの宿の方と事前にやり取りしていた時も、「すべては天候次第ですよ」と言われて、「もし吹雪くようなら宿にこもってのんびりします」って返事したんだっけな。幸い、閉じこもる必要はなく済みましたが…。

 

関西も、水曜日から相当冷え込むらしい。冬本番ですね。皆様もお気をつけて。

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明けましておめでとうございます。
 

前の更新から1か月以上経ってますな。

セルビアから少しくらい更新しようと思っていたのですが、夜になると満腹か酔っぱらってるかで寝てしまいまして。

きちんと寝た夜って3晩くらいじゃないかしら…。

あとはベッドに倒れこんで寝入ってしまい、深夜か早朝に起きだしてダラダラしてることが多かった。

それはそれで楽しかったのですが、せっかく携帯キーボードまで買っていったというのに!

いえ、まあ、多少は使っておりましたけどもさ。

(持って行った仕事をやったりとか)

 

旅行記を書き始めて途中でストップするのが嫌なので、ある程度書きためてから始めるつもりです。

今年こそ、春に書けちゃったらいいなあ。

 

しかし実はブログどころではない問題も。

セルビアの絵葉書を出さねばならんのですwww

はい、去年に引き続き今年も持って帰ってきました!

去年は切手まで貼っていたのに間違えて持って帰ってしまったのですが、今年は切手を買えなかったのでした。

詳しくは旅行記に書きますが、まったくもう~。

 

では、しばらくは旅行と関係ないネタででもポツポツ書いていくことにいたします。

 

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

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5/8

 

朝、少しばかり体調不良でした。そりゃ仕方ない。前夜の痛飲が祟っておりました。吐いたり頭痛がしたりってのはありませんでしたよ。ま、いいお酒だったしね。でも、最終日は早起きして公園をハシゴしようと思っていたのに、ちょっと、無理でした。きれいな庭園がいくつかあるので楽しみにしてたんだけどね。

 

しかし、宿のチェックアウトの時間ぎりぎりまで寝ているという選択肢は、私にはありませんでした。と言いますのは、部屋が猛烈にヤニ臭かったから。時々窓の外に顔を突き出して外の空気を吸わないと死にそうになるほどの、凄まじい悪臭でした。禁煙の部屋がなくて喫煙の部屋にしていたので文句もつけられませんが、普通は喫煙の部屋でも多少タバコ臭いなと思う程度ですよ。前日にパイプを吸う人が泊まった部屋に滞在したこともある。でもいつも「煙の臭い」がしただけです。今回みたいな、ゲロりそうになるほどヤニ臭い部屋、後にも先にも知りません。前日にとまった人がヘビースモーカーだったとかじゃなくて、壁とか拭いたことがなくて長年のヤニがしみ込んでる感じの、まとわりつくような汚臭。

 

安いし場所もいいからと選びましたが、大失敗でしたね。寝ている間は意識不明なのでどうでも良かったけど、覚醒中に滞在できる部屋ではない。喫煙者であっても、あんな拷問部屋は嫌なんじゃないだろうか。それに、夜に受付にいた男性は感じが良かったけど、朝にいた男性はいちいちツンケンしてケンカ売ってるみたいな喋り方だったし、お金をもらっても二度と泊まりたくない。人生でワースト2位の宿。1位はグルジアでオーナーが部屋に忍び込もうとしてきた宿ですが、それはもう事件の範疇なので、通常営業で語るならここがワースト1位か。

 

 

さてさて、この日の観光は玉藻公園のみとなりました。高松城があった場所ね。JR高松駅から徒歩5分もかからない場所にお城があるなんて、すごいなあ。ここでも素晴らしい無料ガイドさんがついてくれて、入場料200円という激安で堪能してきました。駅に近いのは二の丸で、結局そこの門(があった場所)が現在ではメインの入り口になっている。

 

これは月見櫓。下にある水手御門は、お殿様が参覲交代に行く時などに船に乗るのに使った門です。お城の中でこの櫓と門の眺めが一番かっこいいと思う。

 

殿様はまずここから小舟に乗ってお濠を進み、海に出てから大きな船に乗り換えたのだ。


櫓の中の階段が幅広くて驚いたわ。こういうのって普通は一人分の幅か、2人分でもすれ違いが大変なくらいだと思うけど、ここなら詰めたら3人は通れるね。写真ではまったく伝わらんと思いますが。誰か人がいる時に撮れば良かった。

 

ここから海上を監視していたのね。遠くに山城が見えているのも教えてもらった。山城に上るルートも整備中だって。いつか行きたい。この写真の奥に写ってるお屋敷は、殿様のお住まいだったところ。大正時代に建て替えられたので比較的新しい。

 

櫓の中は博物館でもあるので、咸臨丸の模型や屋根瓦などの展示もあります。

 

ガイドさんがいなかったら見落としていたであろう、石垣の面白さ。左側の写真、上にある櫓が拡張されているのですが、その痕跡が石垣にも残っている。石の積み方が全然違うの、わかりますでしょ。そして右の写真のポイントは、石に穿たれた穴。石工は大きな石を割るために、ここならパキッと石が割れるであろうと当たりをつけてノミを打ち込むのですが、どうやらこれは失敗の跡らしい、と。


 

本丸跡と天守に行ってみましょう。お濠を超えていくのよ。昔は、本丸のある島を囲む内濠、お城の敷地を囲む中濠、城下町を囲む外濠の三重だったんだって。ああ、そのまま残ってたらどんなに…。

 

これは左右がつながっている写真ではありません。左は橋越しに天守を臨む一枚。右は二の丸の方角を撮っています。

 

左の写真に写ってるのがガイドさんです。頼まなきゃ損だよ、お城の歴史はもちろん、修復のこぼれ話とか本当に色んなことを教えてもらえる。自分だけで歩いていたら気づかなかった見どころも教えてもらえる。ところで、お濠は海と繋がってるのでチヌとかがいるの。ガイドさんがばらしたところによると、雰囲気作りのためにわざと海の魚をお濠に放っているそうですがw

 

天守は土台しかないんだけど、それでも上に上がると海や島が見える。三大水城の名にふさわしい、美しい眺め。

 

お堀の突き当り、ちょっと左側に黒く見えているのは水門です。水門っていいよね。ワクワクする。

 

さっき渡ってきた橋。屋根の付いた橋っていいよね! なんかときめくよね。あ、写真の奥左の方、お堀の向こうに見えているのは、ことでんの高松築港駅です。私が昨夜ビールを飲み始めた場所。

 

それにしてもお濠の水のきれいなこと。お天気が良かったせいもありましょうが、この澄んだ緑色の美しさよ…。言いたかないけど、大阪城のお濠なんてドロッとした色で気持ち悪いったら。高松城のお濠になら落ちてもいいけど、大阪城のお濠に落ちるのは嫌だわ。

 

高松城は1588年から数年で建てられたそうだから、松山城や今治城より少し古いのね。明治維新も関係なく無事に残りましたけど、例によってアホ明治政府が出しやがった廃城令により取り壊されました。まあね、全国を巻き込んだ内戦を経て政権交代したばかりで、国中に軍事拠点なんて置いておきたくないわよね。

 

 

頭ではわかっても心が納得せんわ!

くそおおおおおおおおおおおおおお

 

 

それでも天守は1884年(明治17年)までは残ってたそうですよ。老朽化を理由にぶっつぶした。んで、土台だけが残ってたんですが、2005年に海のかなたの英国はケンブリッジ大学の図書館で、1882年の高松城の写真が発見されたのだ! これを機に天守復元の運動が起きて、まずは2006年から発掘調査が始まり、ゆるみが生じていた土台の解体と再建が成りました。

 

天守の一階は土台の地中部分にあったの。礎石や柱穴の跡が発見されております。

 

今治城だと、今ある建物は検証をもとに推測した姿で建てられています。でも高松城が目指しているのは「復元」なんだって。在りし日の天守閣の真の姿を今によみがえらせたい。だから証拠が得られるまで再建に着手しないんだって。価値ある資料には懸賞金がかけられています。どんな小さな資料でもいいから、連絡してくださいって。どこかお金持ちの蔵の中にでも、お城の設計図が眠ってないかなあ…。高松市、頑張ってくれ!

 

 

 

さて、こちらは披雲閣といいまして、藩主の職場や住居。…があった場所。

 

江戸時代には今の倍の規模の建築群だったそうです。しかし明治時代に老朽化により取り壊し。

 

 

やたら壊すな!補修してくれえ!

むしろ放置してくれていた方が…!

 

 

そして大正3年に松平家の伯爵が昔の姿に倣って3年かけて再建しまして、別宅兼迎賓館として利用したのだそうです。今では国の重要文化財。でも気さくなことにレンタル可能ですので、私も貴方もここでパーリーできちゃうの。この日も公園に見学に来た人を相手にお茶席をやってましたよ。私も行きたかったけど、時間がなかったのでやめておいた。次に行ったらゆっくり披雲閣を見学して、お茶でもいただきましょう。

 

 

さて庭園と馬場を抜けて、ついに公園の反対側まで来ました。艮櫓です。

 

そして大手門。可愛らしいサイズね。ポイントは、橋がめっちゃ斜めにかけてあること。

 

本当は、艮櫓と大手門をお濠越しに眺める場所が一番の写真スポットなんですって。確かに、高松城っての写真といえばそれだわ。私も撮りたいのは撮りたかったんですが、とにかくね、もうバスの時間が迫ってましてね! 艮櫓の向こう側まで行く心の余裕が! 「どうせなら公園を抜けて戻っていきましょう。まだまだ説明することはいっぱいあるから」とガイドさんが言ってくれるので、速足で歩きつつ最後の最後まで色々と聞かせてもらった。

 

マジで、ガイドをお願いした方がいいよ! 絶対にお得だから!

 

ああ、高松城、1時間半じゃ全然足りなかったなあ。当たり前だけどさあ。3分の1も見れなかったよ。ま、高松なら近いからまたいつでも行ける。次に行ったら船でお堀をクルーズするのもやってみたいし、批雲閣でお茶もいただきたいわ。

 

 

というわけで、割と突然決めたゴールデンウィークの四国旅行が終了いたしました。夕方まで使って、夜遅くに自宅に戻るのでも良かったのですが、この日5月8日は、難波の紅鶴で「最狂超プロレスファン烈伝」の徳光康之先生のトークショーがあってね。それに間に合うように帰ってこないといけなかったから。

 

高知や徳島には昔家族で行ったことがあるし、金毘羅さんにも15年位前に同僚たちと行きましたが、なぜか瀬戸内海沿岸部は未知の土地でした。こっちのほうが近いのにね~。何といいますか、よく旅行好きが言うところの「行けば行くほど行きたいところが増える」の状態ですね。気に入った場所は再訪したいし、それまで知らなかったものを知ることになるので、興味を惹かれるものが見つかってしまうのだ。

 

せっかく近いんだから、夜行バスなども上手に使って、ちょくちょく行きたいものです。

 

お世話になりましたダニーさん、Nちゃん、本当にありがとう! 普段が一人旅ばかりなので、連れがいるとこんなに楽しいのかと開眼する思いでしたわw また行くのでよろしく!

 

 

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2016/5/7

 

さて、東から北上して一周していきます。瀬戸大橋がきれいに見えますね。

 

さっきまでは海沿いの平地だったのですが、道が海から離れて山の中へ… つまり坂を上る。

 

そしてまた海岸に降りてきました。確かここは屋釜地区だな。

 

この↑右側の写真の奥にのぼりが立ってるのわかります? 「ゆうパック」と書いてあるの。小さな商店です。ここで郵便も出せるらしい。本島にはスーパーマーケットやコンビニはなく、こういう小さな商店が5軒あるんだって。中にアイスクリームのケースがあるのが見えました。入ってみたら良かったな。なんだか、あまりにも生活を覗き見して回っている感がして、気が引けて。

 

本島の人口は、平成27年の国税調査によると374人。小学校が1つ、中学校が1つあるけど、先生は四国本土から船で通勤するらしいし、本島住民も本土までお買い物に行くのかな?

 

集落ごとに墓地があるみたい。何度も、こういうオープンな感じのお墓がありました。墓石がなくて、石で囲ったお墓もある。こういう風習なのかな。写真を撮って載せるのはどうかという気もしたのですが、お墓は文化だなとつくづく思ったので…。

 

さて、北の海岸線(たまに内陸部)を走っていったのでございますが… ございますが… 思っていたより距離があり、途中で不安になってきました。私、正しい方向に進んでるんだろうな? 迷いようもないって気はするけど…。

 

民家がある場所なら「すみませーん」と聞きに行けますが、不安が最高潮に達したのは内陸の畑に囲まれた場所でして。走りながら何か標識はないかと探しますが、何も出てこない。いっそ引き返そうかとまで思った時、車が通りかかりました! 必死に手を振って停まってもらい、「福田ってこっちでいいんですか!?」と尋ねると、はい、合ってました…。だって迷うほど道がないんだもの。ハンガリーのツァーク村に行った時にもこんなんだったな私。畑の中の一本道で迷いようもないのに一人で勝手に怖がってた。


さて、西の端まで来て道が南下を始める(標識がありますw)。しばらく行くと、こんなのが出てきた!

 

1979年に廃校になった旧本島小学校西分校。荒廃していたのを、映画「機関車先生」のロケに使うため修復したそうです。映画、坂口の息子が主演だし見てみなきゃと思いながら、まだ見てないや。

 

教室内に、映画の小道具であろう「ろうかをはしらない」なる貼り紙があったけど、ここ、廊下ないじゃん。あえて言えばこの軒下かな?

 

ごく最近、観光客に対し、建物が老朽化しているのでと注意が促されていました。手入れはしているようですけどね。教室のお向かいの建物(たぶん体育館兼講堂)は倉庫になっていて、中がボロボロでした。他にも、先生の宿舎か何かだったのか、小さな建物があって、かなり朽ちていました。40年近くも経てば仕方ないね…。

 

シャワーがあるところが海沿いの学校らしいなあと思いましたわ。

 

 

走っていると、道端にこんな風にお地蔵様(?)がよく出てきます。左側のは岩に彫ってあるんですが、見えますでしょうか。アップにして切り取るとこの雰囲気が伝わらないし~。

 

ここまで来たらかなり南まで下がってきたぞ。夫婦蔵と呼ばれる蔵です。ニックネームの由来は見ての通り、仲良く2つ並んでくっついてるから。

 

このまま海岸沿いを走っていけばいいのね。

 

なんて、甘い考えでした。またしても山の上へ。

 

ここも岩に彫り付けた仏様が。本島霊場第十八番札所、ゆるぎ岩観音です。今は過疎の島ですが昔は非常に栄えていましたから、寺社の数も多いし(今回ほとんど行けていない)、こうしてあちこちに仏様が出現する。ベンチがあったけど、座ったら蚊が来襲しそうだったので10円だけお供えして早々に退散。

 

いい眺めでしょ。つまりそれだけ上ってきたのだ。この時すでに17時15分くらいで夕方の日差し。

 

上の左の写真に、洲が出てるの、わかりますかしら。これは「園の洲」と呼ばれる、大潮の時に2~3時間だけ出現する砂浜。名前の由来は、約350年前の代官の娘さん。代官があまりにも年貢を厳しく取り立てたため、里人が代官をこの洲におびき出し、置き去りにして溺死させたんだそうです。それを悲しんだ娘のお園が、洲が見える崖から身を投げて死んだそうな。(悪役の娘では、あんまりいい話じゃないな…)

 

とか何とか色んなものを見ながらヒィヒィと自転車をこいでおりますと、かっこいいスポーツバイクに乗ったサイクリストが2人、「こんにちはー」と声をかけてくれながら、颯爽と駆け抜けていきました。パワーが違う…。人も、自転車も…。ママチャリでヨロヨロ走ってる私にも一応声をかけていってくれるなんて、紳士ですな…。(後ろから自転車が来てるよという合図かも)

 

やっと小坂港が見えてきたよ! 人里だ! あとは港沿いの平坦な道だけだ!

 

何とか、自転車貸し出し所が閉まる10分前に戻ってこれました! 最後の方、ちょっと焦っちゃったよ。

 

こんな感じでした。


本島、6時間半あれば余裕かと思ったけど全っ然!足りない! ああ、また来なくちゃ。笠島みたいに古くなくても、年代物の民家がいっぱいあったし、素敵な路地もたくさんあった。せめて2泊してゆっくり回りたい。民宿もあることですし。次は内陸のお寺や集落を見て回りたいな。

 

さて、帰りはフェリーではなく小さな客船です。正に「瀬戸は日暮れて夕波小波」。(最初湯波コナミ、次は優菜美古奈美と出たわ。この歌、古すぎましたかね…)

 

 

さてさて、今日という日ははまだ終わっていない。

 

丸亀駅から「瀬戸は日暮れて♪」のメロディと共に送り出され高松までやってまいりまして。今回の四国旅行を計画し始めた時から必ず行くと決めていた場所の一つ、ことでんの高松築港駅の中にあるアイリッシュパブ、ザ・クラックへ。

 

 

乗客はあまり使いたがらないらしいです。通勤路だけに上司とかに会っちゃう可能性があるからw しかし観光客の中では駅の中のパブとして話題に。

 

キャッシュオンデリバリーが面倒くさいので、先に5000円札をデポジットで渡して飲んでたら、2杯目の時点で「たくさんお飲みになるなら本店にも是非」と言われまして、移動。私の食いかけの炭火焼きチキンはスタッフのお兄さんが運んでくれました。


本店にはこういうものもあります。

 

ビアクルーズと言いましてな。左からことちゃんエール、キルケニー、ギネス、マグナーズ、Punk IPAに、それぞれに合うおつまみを付けて2500円。好みを探る人にも、あれこれ飲みたい人にも、サイコーです。

 

この後もいろいろ飲みまして…

 

正直、この晩のことは反省というか後悔しているwww オーナーも面白かったし、他のお客とも盛り上がって、楽しくってさあ。つい、飲みすぎちゃった。歩いていける距離の宿に、タクシーで行く羽目になりました。次に行ったらもう少し節制して飲みます。てゆか、パブトレインに乗ってみたい!

 

 

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2016/5/7

 

次に訪れましたのが、笠島集落。江戸時代・明治時代の街並みが残る、国指定の重要伝統的建造物群保存地区です。ここを目当てに本島来訪を決めたのだ。

 

これは集落共有の井戸だったのかな。

 

ここは確か、東小路というところ。

 

年代によるのか、異なる様式の家が混じってる感じ。ああ、細い路地の奥の階段とか最高。

 

古民家のうち、いくつかが公開されています。まず、藤井文庫。文庫というだけあって、昔の書類などを展示してくれている。古い家具や道具もあるよ。

 

笠島集落にはにゃんがたくさんいました。

 

吾亦紅というカフェでおやつ。いっぺん食べてみたいと思っていた大福餅入り白味噌仕立てのお雑煮を体験できて嬉しい。
 

 

東小路が交差するマッチョ通り。すげえ名前ですが、「町通り」が訛ってこうなったんだそうです。

 

この交差点にある小栗家邸宅および真木家邸宅が、今はふれあいセンターおよび町並み保存センターとして公開されております。めっちゃ楽しいぞ!

 

母屋から離れに行くところだったかな。意外に、こういう裏庭の辺りの方が面白いよね。

 

裕福な廻船問屋の家でしたから、豪勢な作りになっていますよ。玄関を入って奥にたどり着くまでには部屋を3つ4つも通らないといけない。ところで、左の写真の障子のところが右側の写真なんですが、畳が長方形じゃなくて台形になってるの面白い。

 

屋根裏にも上がれます。博物館状態で、昔の生活道具がいっぱいあって面白かった。

 

吉田家邸宅ってのもありまして、公開されているのですが、今もフツーに住人の方がいらっしゃるお宅でしてね。当然のことながらご都合によって見学時間が異なるわけです。残念ながらその日はもう見れませんでした。

 

さて、マッチョ通りをさらに進みまして、

 

ここを曲がって、

 

さらに進んでいこう。笠島集落から離れていきます。

 

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2016/5/7

 

朝、丸亀港にやってまいりました。これは港のシンボル太助灯籠。太助ってのは、寄進者の名前だそうです。

 

本日は本島に遊びに行くのです。お天気が今ひとつで、港や船上から遠くに見えるはずの島もよく見えず、ちょっと残念。

 

フェリーに乗ること35分、本島の泊港に到着。

 

周囲16キロだそうなので歩いて回ろうかとも思ったんですが、気に入った所でのんびりしていたら時間を取るだろうしってことで、やっぱ自転車を借りました。船の待合所で借りられます。電動自転車もあるので、坂がつらい人はどうぞ。


本島に来た理由は、古い町並みが残っている地区があると聞いたから。そういう見どころは島の東側にあるので、港(南)から東回りで進むぞ。

 

出発して早々に素敵な洋館を見かけましたが、今は誰も住んでいないみたい…。

 

最初の見どころは塩飽(しわく)勤番所。

 

本島を含む塩飽諸島は、古代から水軍が活躍していた場所。んで、戦国時代にも有力大名たちがここをとても重要視していて、江戸時代には全国でも珍しい自治領だったそうです。どこの藩にも属さない。幕府の御用船方650人が人名(にんみょう)として、塩飽全島1250石の土地所有や役職の権利を幕府から直接認められていた。

 

塩飽は廻船業を営み、主要な運航ルートを一手に引き受けて大いに栄えましたが、18世紀にはその座を大阪の海鮮問屋に奪われます。残された漁業だけでは島内で自活していくのは難しく、船大工たちは家大工や宮大工として全国に散り、若者は水夫として出稼ぎに行くようになったんだって。

 

でも水夫として彼らがどれほど評価が高かったかは近代の歴史にも残っている。幕末に、幕府の船として初めて太平洋を越えてアメリカに渡った咸臨丸(かんりんまる)の乗員50名のうち、35名が塩飽の出身でした。

 

ちなみに、戊辰戦争では咸臨丸は榎本武明の指揮のもと脱走して北に向かいます。しかし本隊とはぐれ、下田港に入港。そこで維新軍に追いつかれて、激戦の末に敗北しました。戦死した大勢の乗組員たちの遺体は、逆賊として海に投げ捨てられました。それを引き上げて弔ったのが清水次郎長です。(船はその後移民船として使われ北海道で沈没)

 

さて、当初は人名(にんみょう)の中から選ばれた4人の年寄が交代で自宅に朱印状を保管し、政務を執り行っておりました。そして後には3人の年寄りがこの勤番所に交代で詰めるようになりました。

 

余談になるんですが、人名株を持つ特権階級と、株を持たない漁師など間人(もうと)との間の身分や資産の格差は大きく、差別も激しかったそうです。純粋な漁村で島外からの移住者が多かった小坂地区はとりわけ厳しい差別にさらされていました。1868年の1月、生活苦にあえぐ小坂地区は、支配層であった泊地区に対し、たった2株だけ人名株を求めました。しかし願いは一蹴され、長年の怒りと恨みが爆発した小坂の住民が泊を襲撃。そして泊は報復として小坂の全戸を焼き払い、18人を殺害。同年に発足した明治政府がたった2年後に人名制度を廃止するなんて、誰も思っていなかったのでした。

 

制度がなくなっても、人名やその子孫はプライドから自分たち自身で漁業を行うことを嫌い、漁業権の収入などで生活するようになりました。人名の子孫の一部は今でも株券や台帳を大切に保存し、年に一度は総会を開いているとか。しかし今、本島で一番栄えているのは、漁業が盛んな小坂地区だそうです。
 

 

というようなことを、丸亀駅で買っておいたウィリーウィンキーの美味しいパンやパイを食べながら、勤番所の中にある番所(上の写真の右奥)の壁に貼ってあった新聞の切り抜きで読みました。番所は休憩所になってて、置いてあるお茶を好きに飲んでよろしい。他にもめっちゃ面白い記事がたくさん貼ってあり、全部読みたかったけど、時間を取りすぎては後に響くので諦めました。ここにアーカイヴがあるので、ご興味のある方はどうぞ。咸臨丸の記事もいっぱいあるよ。(「四国ニュース「新瀬戸内海論・島びと20世紀」)

 

番所の中は、今では塩飽諸島と咸臨丸に関する歴史博物館になっています。信長、秀吉、家康の朱印状や、漁業権で高松藩ともめた際の判決文(大岡越前守の署名もある)などの実物を見ることができます。咸臨丸の模型もあるよ。

 

昔の道具も展示してある。これは確か、船で使っていたお湯差し。お湯を入れた熱い容器を中に入れて、その容器には触らずお湯が注げる仕組みだ。

 

ここら辺は偉い人たちの使っていた区画ね。

 

この番所が設置されたのは1798年だから、もう200年以上も前。1860年に改築されておりますが、それでも100年以上前の建物だ。1972年までは、丸亀市役所の支所として使われていたそうです。渋すぎる。

 

ここはお風呂。左の写真の穴から火を焚いて、右の風呂釜を温めるの。

 

お勝手口から外に出ると

 

奥から、倉庫、お手洗い、水場の跡。

 

こっちは使用人たちの部屋。畳もないし、シンプル。

 

 

島全体で6時間くらいしか使えないのに、ここで1時間半も使ってしまった。先に進まねば。読み物が多いと、つい過ごしてしまうよね…。

 


 

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2016/5/7

 

端出場(はでば)地区に戻ってきて、今度は一般に公開されている観光坑道に遊びに行きます。端出場駅から乗りこみましたのは、こんな可愛らしいトロッコ列車。当時の蒸気機関車の8分の1モデル。

 

この端出場地区は、別子銅山の昭和時代の中心地。東平地区の次に、別子最後の採鉱本部が置かれた場所です。山の上の方から掘り始めた別子銅山は、地下へ地下へと掘り進み、最後は海底より下まで掘っていたんだって。

 

これは当時実際に使われていた通勤車両。

 

別子銅山では1893年に日本初の山岳鉱山鉄道が導入されました。最先端の技術が次々と取り入れられたことからも、当時の隆盛ぶりと勢いが感じられる。

 

この鉄橋はドイツから輸入した部品で作られたもので今では非常に珍しく、国の登録有形文化財です。

 

上の駅に着いたらすぐそこが観光坑道の入り口。ここは旧火薬庫を利用して、当時の鉱山内部の様子を再現してあります。

 

内部は江戸ゾーンと近代ゾーンに分かれている。まず出てくる江戸ゾーンには、堀場や湧き水の汲み上げ、精錬、運搬など仕事の一連の流れをお人形で再現しています。

 

昔に描かれた絵もあるよ。左は掘ってる人たち、右は湧き水をくみ上げている人たち。水の汲み上げ、この頃は手作業だったのね…。

 

鉱山で働いていたのは男性だけじゃありません。女性も肉体労働にいそしんでいました。

 

役所だったっけ…

 

こちらは近代ゾーン。明治時代の鉱山のジオラマ。列車がちゃんと走るのが楽しい。

 

体験ゾーンでは色々な作業を試してみることができます。当時の女性従業員に倣って30キロの鉱石を背負ってみる友人。他にも、掘削機や湧き水の汲み上げも体験できる。掘削機が面白かったな~。体がガクガクしないためにはコツが要る。

 

ここら辺はジャングルジムとか足漕ぎの車とかがあって、小さな子供さんには楽しいと思いますよ。これはリフトの体験。あと、当時使っていた道具の展示コーナーもある。本当に盛りだくさんです。

 

 

帰りは列車に乗らず歩いて戻りました。距離的には大したことないの。

 

 

近くには第四通洞と呼ばれる1915年に完成した水平トンネルもあります。中には入れません。

 

第四通洞は、東平地区の第三通洞から大立坑(垂直の坑道)を経由して運ばれた鉱石を端出場に輸送する運送路として1915年に開通。山上の東平で鉱石が掘りつくされて、掘削がどんどん地下深くなるにつれ、下部にある第四通洞が最も重要なルートとなり、1973年の閉山まで大動脈として活躍しました。1942年にはなんと約10,000メートルもの長さになったそうな。

 

こちらは1919年に開設された四通橋。

 

 

端出場には美しい花園もあります。私たちが訪れたゴールデンウィークは芍薬の季節が始まったところでした。盛りには少し早かったのが残念。でも結構咲いてたよ。夏なら百合、冬には冬桜が楽しめます。秋には紅葉も。

 
 

こんな素敵な建物もある。これ、住友グループの幹部が視察に来た時の宿舎として使われていた迎賓館「泉寿亭」の一部を移築したものなんだって。中にも入れるよ。

 

別子銅山の産業遺跡一帯はマイントピアと名付けられた複合施設。点在する鉱山関連遺跡はもちろん、バーベキューを楽しめる芝生広場、様々なタイプの浴場を備えた温泉、登山道など、鉱山マニアの一人旅から幼児を連れたご家族まで、どなたも満ち足りた一日を過ごせる場所なのです。有名な鉱山ではありますが、施設がこんなに充実しているとは知らなかったわ。もっと広く知られるべきだ。

 

ところで、マイントピア別子、「東洋のマチュピチュ」というキャッチフレーズで売り出してるそうだけど、そんな言い方する必要あるのかなあ。同じツアーの何人もが「マチュピチュの名を借りる必要なんかない。別子銅山は別子銅山で素晴らしいのに」って言ってたよ。まったく同感。山の上に大きな町があったのは同じだし、イメージしてもらいやすいのはわかるけどさあ。私、小京都とか小パリとか、そういう言い方って全部嫌い。

 

 

さて、新居浜市街に戻って夕食です。お酒は近藤酒造の「銅山(たから)こそあなた」にした。この名前には「新居浜の礎を築いた別子銅山と、地域の人々こそ宝であるという想いが込められて」いるそうな。鯨の竜田揚げやジャコ飯の出汁茶漬けも美味しかった。

 

 

丸2日世話になった友人に別れを告げ、この夜は丸亀にて投宿。


 

駅を出たら現代アートに迎えられました。地元出身の芸術家、猪熊弦一郎氏の作品だそうです。駅前に彼の美術館もあるんだって。三越の包装紙のデザインをした人だそうですよ。

 

 
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2016/5/6

 

前夜は伊予西条駅のすぐ前にあるホテルに宿泊。スケジュールにもう少し余裕があれば、駅に隣接の鉄道博物館に行ったんですけど、今日は遠くに行くので仕方ない。ところでこの駅、割と大きな駅なんですけど、券売機が無くて切符売り場で駅員さんから買うシステムでした。自動改札がない駅は今でもそこそこあると思うんですけど、券売機がないのは珍しくないかな?

 

今朝の電車は2両。ワンマンではなく車掌さんもいました。通勤通学時間帯を過ぎてたのでのんびり。

 

新居浜駅を出たら、新居浜太鼓祭り&国体バージョンみきゃんちゃんが出迎えてくれました。ここで友人と合流して、まずは駅構内のベーカリー、ウィリーウィンキーで朝ごはんに。このウィリーウィンキーってJR四国のグループ企業なんですよ。主に松島と香川の主要駅に入ってる。駅の中のパン屋さんに多くは求めないなんて思ったら大間違い。ここのパン、美味しいよ! 関西にも来てくれないかな~。関西の有名チェーン店より品揃えが私好み。

 

 

さて、またしても友人に車で連れて行ってもらいます。今日は別子銅山へ。私、鉱山って好きなんですよね。ポーランドのヴィエリチカ、スロヴァキアのバンスカー・シュティアヴニツァ、ルーマニアのトゥルーダ、そして石見銀山…。訪れた数は多くはありませんが、旅先に行きやすそうな鉱山跡があれば引き寄せられる。もともと洞窟好きなので、その流れなのかもしれません。

 

まずは別子ラインと呼ばれる素敵な渓流沿いのドライブウェイを進み、端出場(はでば)ゾーンへ。ここには資料館やレストラン、土産物屋などの施設があります。ここに車を停めて、専用バスに乗り換えて、楽しいクネクネ山道を登ること30分。

 

標高750メートルの山中に出現するのは、別子銅山の東平(とうなる)地区です。


別子銅山は1690年に発見され、翌年から1973年まで、約280年の長きにわたって銅を産出。この富が住友財閥の礎を作ったそうな。この巨大な建築物は貯鉱庫です。掘れば掘るだけ出てくる銅が、ここに積み上げられていった。

 

この東平地区は大正5年から昭和5年まで14年間採鉱本部が置かれた場所。最盛期には3800人が暮らす大きな町だった。病院や消防署はもちろん、学校も保育所も劇場も美容院もあったのよ。生鮮食料品も含め生活必需品は麓から運び、行商人もやってきました。

 

下に見えてるのが輸送機関の停車場。運んだのは鉱石だけでなく、日用品や郵便なども。

 

どんな場所にあったかわかります? 下界とのつながりは保ちながらも、ある意味では隔絶していた一つの世界。

 

写真は撮ってないんですが、ツアーでは近くにある旧保安本部にも寄ります。写真集や、銅で作ったお土産なんかも売ってるよ。

 

 

お天気は今イチだったんだけど、おかげでこんなきれいな光景も見れた。

 

これは往時の輸送列車。なんという眺めだろう…!

 

ここは鉱夫の一家が住んでいた長屋の後。縦に区切った一区画が一つの家でした。小さいけど、ここで暮らせたならまだ近くて良いよね。あとから来た人たちはどんどん遠くに住まなきゃいけなかったらしいから。

 

これは昔のインクライン跡。当時はこの急な斜面を走る軌道に乗せて物資を運搬しました。今は階段になってますけどね。

 

とゆーよーなことを説明してくれたボランティアガイドさんがめちゃくちゃ面白い人だった。すっげえ鉱山マニア。連れがうっかり「彼女(私のこと)は銅山が好きで」なんて言ったら、目を爛々と輝かせて語りかけてきたんで焦った。違うのー違うのー 私は旅先に鉱山があれば入るってだけで鉱山に入るために遠くに旅したりしないのー 

 

秋田県の何とかいう鉱山をお薦めしてくれたけど、空港から鉄道を乗り継いで、そこから高速バスに乗って、降りたとこからタクシーとか!
 

さらに、私が兵庫から来たと知って、当然私がすでに生野銀山には行ったことがあるものとして話を始めるんで焦りました。すんません、佐渡金山に行く計画を立てたことはあるのに、生野銀山は予定したことがないのです。近くほど行かないものっつか。外国のお祭りならいくつか見てきたけど、天神祭も神戸まつりも祇園祭も行ったことないし。

 

ボランティアガイドさんは複数いて、それぞれに得意とする専門分野が違うんですって。何度いらしてもガイドが違えば違う話を聞いていただけますから、またぜひどうぞって。楽しかったなあ。あれなら有料でもいいわ。

 

 

さて、端出場地区に戻ってきて、お昼ごはん。美味しいお豆腐の定食をいただいたよ。唐揚げのことをここら辺ではザンキと言うそうです。水がいいのでお豆腐も美味しい!

 

 

 

きれいでしょ。レストランとかがある施設のすぐ裏手がこの通りの渓谷美よ。なんて色…! お天気が悪くてもこれだもの。日が差していたらその美しさはどれほどだったろう…。

 

これは水力発電所の跡。緑の中でレンガの赤が映えるね。中を見学できたらいいのに。

 

 

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