旅中毒

バックパックと少しのお金とパスポートがあればいい。行けば行くほど行きたい場所が増え、人生狂って後悔なし!



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2018/1/2

 

モンサントから離れる時が来ました。宿のお土産屋さんでカギを返したら、おばあちゃんがハグして両のほっぺを合わせるご挨拶をしてくれました。居合わせたお客さんが通訳してくれて、私が「とても素敵な宿でした。予約サイトで口コミしておきますから」と言ったところ、おばあちゃん「ちょっとお待ち!」みたいなジェスチャーしてレジの方に戻ったかと思うと、大きなパンを一つ包んで持たせてくれたのでした。

 

さて、観光案内所でタクシーを呼んでもらいます。案内所の女性に、近くにある イダーニャ・ア・ヴェーリャ 村を通って、次の宿泊地ソルテーリャ村へ行きたいとタクシーに伝えてもらい、OKをもらいました。

初日にタクシーを降りた村の入り口でタクシーを待ちます。さようなら、楽しかったモンサント…。(お城にあった大砲のうち3つがここに移動されているそうです)

 

そしてやってきたドライバー氏は、英語は話せないのですが、フランス語は少しだけ話せるらしい。道中、何度も「セボン?」と聞かれました。言うまでもありませんが、 C'est bon とは英語で言うところのGoodね。

 

最初にタクシーに乗り込んだ後(この時点で11:00前くらい)、イダーニャ・ア・ベーリャを見学してソルテーリャに1時半くらいに着く感じでいいかな?と聞かれました。モンサントからイダーニャ・ア・ヴェーリャまで20分くらい、イダーニャ・ア・ヴェーリャからソルテーリャまで1時間くらいなので、見学時間が1時間くらいか。いいんじゃないでしょうか。てことで出発。

 

……しそうになったのですが、ドライバーさんに電話がかかってきた。その電話を受けたドライバーさんが、モンサントがどうとか私に懸命に説明する……のですが全然わかんなくてポカーンとしていたら、とにかく車が出発。

 

……して、観光案内所に。そしたら案内所の女性が言うには、別の観光客が12時出発でカステロ・ブランコに行きたいんですって。てことで、とりあえずイダーニャ・ア・ヴェーリャに行き、さくっと見学して12時にモンサントに戻り、そこからカステロ・ブランコまで同乗して、カステロ・ブランコからソルテーリャに行ってもらえないかって。構いませんよと答えたら、「貴方はいい人ね!」だって、うふ。モンサント村にはタクシーが一台しかないそうだから、譲り合わなきゃね。

 

下界から見るモンサント村。お城は今また霧の中なんだろうねえ。

 

ところで、この地方は12の歴史村をセットで売り出そうとしております。モンサントはもちろん、私がこれから行くソルテーリャ村やピオダン村もそこに入っている。観光案内所で見た地図を見て、モンサントから近いし寄っていきたいなと思ったのがこのイダーニャ・ア・ヴェーリャ村だったのですよ

 

さて、イダーニャ・ア・ヴェーリャ村は紀元前16世紀から人が住んでいたそうです。紀元1世紀にはエジタニア王国の都が置かれていた。今の村の基礎ができたのは4世紀頃らしい。侵略と再定住によって時代に連れ住民が変わっていき、今でも、ケルト、ローマ、スエビ、西ゴート、アラブなど各時代の建築の跡を見ることができる。考古学的に貴重な、生きる博物館のような場所なんだそうだ。


ここにも泊まれば良かった。

 

でも今は普通に住民が暮らす過疎の村。人口は2011年時点で63人で6割が65歳以上。夏には観光客も多いみたいで色々と説明板も立っているけど、泊り客は少ないのかもなあ。

 

ローマ時代からここは城壁で囲まれていたらしい。現存する城壁の周りには今は歩道が設置してあります。右の写真はウィキペディアからの借り物です。上から見下ろしながら「後でここの写真も撮ろう」と思っていたけど時間切れになったの。

 

Quistnix at Dutch Wikipedia [CC BY-SA 2.5 (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/2.5)], via Wikimedia Commons

 

 

16世紀の教会。この教会の前が村の広場になっていて、17世紀の晒し台が残っている。火を焚いた跡があるけど、年越しのお祭りでもあったのでしょうか。

 

 

あんまり人がいない。私が村の中に入るところにおじいさん、おばあさんが2~3人いたくらい…。

 

上の写真の左側の道。と、右側に折れた道。

 

 

上の右の写真、なんか立派な建物だね。これは割と新しいらしい。これをホテルにする計画があるとかどっかで読んだ記憶があるんだけど… どこでだったかな…。

 

ローマ遺跡の発掘も続いているそうですし、これから観光開発も進んでいくのでしょうな。

 

カフェが一つ開いていたのでエスプレッソでも飲みたいなと思いましたが、その時、車が走る音が聞こえまして…勘が働いたのでそっちに走っていきましたら、私を探すタクシーが村の中をさまよっているのが見えました。車の走る向きから次はここに出るだろうと見当をつけて路地を走って先回りして、無事に拾ってもらいました。

 

やっぱり見学時間が足りませんでしたねえ。当たり前だけど。テンプル騎士団の塔とか、ローマ時代の橋とか、色々と見どころがあるらしいんだ。博物館にはローマ時代の墓碑の素晴らしいコレクションもあるという。最初の計画通りだったらなあと残念だけど、また来る日もあるでしょう…。

 

ドライバー氏、村の女性の一人に声をかけてました。顔見知りなのかも。

 

ここはもうモンサントです。村の中じゃない、山の下にあるドライバー氏の家なの。ちょっと待っててねとおうちに入っていきましたよ。奥さんが出てきて、私にミカンをくれました。走りながらさっそく食べてたら、私が手に持ったままの皮や種を見て「窓の外に捨てなさい」とドライバー氏。まあ、自然に返りますよねってことで外に廃棄しました。

 

帰ってきたよ、モンサント! ここは聖アントニー門と反対側にある東の端っこの門である、精霊と聖セバスティアヌス門。車の中から「おー」と声を上げてカメラを向けたら、ドライバー氏、すかさず停まってくれました。

 

カステロ・ブランコに行くお客さんは、日本人の若いカップル。今朝、観光案内所で会って、「明けましておめでとうございます」とご挨拶したお二人でした。カステロ・ブランコから電車ではるばる北部のポルトまで行くんだって。電車でも5時間くらいかかるのよ。

 

後から思ったんだけど、カステロ・ブランコまで南下しちゃうんだったら、私もコビリャンまで電車で北上して、そこからソルテーリャまでだけタクシーを使えば安上がりだったよねえ。この地図の上の赤い印がソルテーリャ、右下の小さな赤い印がイダーニャ・ア・ヴェーリャです。一番最初の計画では、モンサントからソルテーリャに行く途中でサブガルにも寄ってもらおうと思っていた。

 

まあタクシーなので時刻表に縛られることなくサクサク北上できました。カステロ・ブランコからコビリャンまではハイウェイが走っているので、ものすごいスピードで進みましたしね。ハイウェイを通す意味をしみじみ感じましたよ。舗装してあるってだけのローカルな道とえらい違いだわ。

 

でも走っていて車窓が楽しかったのは、コビリャンから幹線を外れてからの田舎道ですね。

 

ここら辺はドライバー氏もテリトリー外なので、私のiPhoneのグーグルマップに頼ったり、通りすがりの人に道を聞いたりしながら走ったのでした。それも楽しかったなあ。

 

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2018/1/2

 

この日はモンサントを発ちます。朝ご飯を食べた後、最後のお散歩に出かけました。

 

左の写真の辺りが、広めの道があるギリギリかな。これより上の方に行くと一気に山っぽくなる。廃屋が増えて、鶏小屋があったりする。

 

 

こちらは昔使われていた豚小屋の跡。元は村中あちこちで豚を飼っていたけど、衛生的な理由から、民家から少し離れた村の上の方に集中させるようになったんだって。中世ヨーロッパで食肉と言えば、育てるのに時間とお金がかかる牛や小さくて可食部分の少ない鶏ではなく、何と言っても豚だったのです。

 

とか散策してたら、もうお城が見えている。(見下ろすと、右へ行けば豚小屋、左へ行けば村)

 

来ちゃった💓 (2日目だけ来るつもりだったのに結局3日通ってしまったわ)

 

同じような写真を何度載せているのか私。でも載せたいの~。見て見て、この素敵なお城を!

 

左、第1のコートヤードから第2のコートヤードへ。右、第2のコートヤードから第3のコートヤードへ。

 

上の右の写真を撮った場所を反対に向く。左の写真の岩の間が、右の写真の通路ね。

 

その通路を抜けるとこの写真の左下に出て、正門の上の城壁に繋がるの。前にも載せたけど。

 

反対側から見たらこう。中央奥の辺りから右の岩の間を通って降りていくの。前にも載せたけど。

 

今朝は霧もないので、聖ミゲル聖堂や鐘楼、見張り塔、それに聖ジョアン聖堂もよく見えます。

 

結局、最終日のこの日が一番きれいに景色が見れた気がするけど、お城からモンサント村を見下ろすのは、お日様の向きからして、午後の方がいいと思います。朝だと山の陰になっちゃうみたい。

 

お城から降りていく途中の「見晴し台」の案内に従って、家と家の間の狭い通路を通ったら、広いテラスに出たよ。ガイドブックとかでよく見かける光景は、ここから撮っていたのか。

 

村の中を結構歩き回った気がしていたけど、まだまだ通っていない道がいっぱい。左は、上の写真の見晴らし台から見下ろした通りだね。村の南西かな。

 

 

 

そして中心部、宿まで戻ってきました。宿のすぐ近くにある洞窟の内部…。

 

この日は日本人やヨーロピアンの団体さんも見かけたよ。元日は空いてたんだな。

 

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2018/1/1

 

思ったよりも長くお城にいたので夕方になってしまった。暗くなる前に、未踏破の路地を回ってみたい。

 

 

上の写真の真ん中辺のおうち…。人様のお宅を覗き込んで申し訳ないのですが、ここ、外の階段を上がると木の扉があり、その向こうはテラスになっているのがいいよね。テラスの反対側には別の部屋があって、その屋上に上がる階段があるのが見える。面白い造りだなあ。

 

こういう細い道がまた好きなんだよねえ。

 

なんか階段の上に出入り口っぽいものがある…と思ったら廃墟でした。で、その庭の奥に岩の下の小屋っぽいものがあり、中をのぞいたら、十字が描かれていましたわ。ここ、一応は聖堂だったのかな…。お城や村の下の方にある聖堂や教会、どっちも少し遠いから、日曜日を除いてはここでお祈りしていたとか? ほら、農村の辻に建てられている十字架みたいな感じでさ。詳しくり知りたいなあ。そういえばCasa de Maria のおじさんが村の上の方に岩の下の聖堂があると教えてくれたっけ。ここのことかしら。

 

岩を壁にするのはわかるんだけど、岩が屋根になっているのは不思議な感じ。外から見えているよりたくさんの部分が壁状態になっているんだろうけど。

 

私のお気に入りの場所、下から見たところと上から見たところ。

 

夜に撮ったらこんな風。

 

そう、歩き回っている間に夜になっちゃってさ。昼もいいけど、夜が本当にきれいなんだよ…。

 

この晩は月がとても明るくて素晴らしかったです。とか浸りながら角を曲がったら右の写真のこいつが立ってて、腰を抜かすほど驚きましたわ。

 

外からそっと覗きこみますと、ここは食堂っぽい。お客も一人いるし、閉店時間まで間があるし、何か食べさせてもらえるかな?と期待して入り、食事はできますかと尋ねたら若い男性の店主が「どうぞ、どうぞ」と。元日でどこもかしこも閉まっているかと思ったら、たまには開いている店もあるのだった。

 

ここは上の階で宿も経営しているので、だからってこともあるのかもね。ここに泊まれば元日でも3食温かい食事にありつけるんじゃないかな。で、私が食べたのはチキン・ブロス。鶏肉と言うか、砂肝でした。おお、大好物なのよ。それをピクルスやオリーブと煮込んだこってりしたシチューです。食べ終わってコーヒーを頼んだら「甘いものはいいの?」と言われたので、クランベリーのパイも食べておきました。

 

先に入っていたお客は近所のお爺さんらしかったけど、この宿はたぶん、主が若いだけに客の方も若い人が多そうな気がする。グッズも作ってるし、若い人がワイワイ集まるホステルっぽい雰囲気がする。ツアーもやってるかもね。「うんこビール」ってのも売ってたよ。製造過程のどこかで牛糞を使ってるとかそんなもんだろうと想像。疲れていなかったら試してみるところだけど、なんか気力がわきませんでした。もうそういうの面白がる年でもなくなったのかもね。

 

この後すぐ宿に帰ったのですが、2日連続で汗みどろになってお城に辿り着いた挙句に強風に吹かれて体が冷えたのでしょうね、ちょっとシンドイ。そこに、喉が渇いていたからって冷たいビールなんぞ2本も飲んだせいか、少し体調が崩れかけている感じが。持参のコイルヒーターでお湯を沸かして粉末のカフェオレを飲んで体を温め、早寝しました。(ちなみにこの1回を最後にコイルヒーターがおかしくなり、使えなくなりました…)

 

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2018/1/1

 

前日に来た時はもう日暮れ前だったので、お城を明るいうちに見たいと思っていたのですが、残念なことに霧(雲)に包まれてしまっていましてね。あまりすっきりした写真は撮れず。

 

北側、正門を上から見たとこ。

 

第1のコートヤードから第2のコートヤードへ、そして右側に第3のコートヤードに抜ける入り口が。

 

第3のコートヤード。

 

段差だらけの岩だらけですよ。本当に、山城。

 

第3のコートヤードに入ったすぐ右手に階段があるの。この階段大好き。

 

これを上るとこんな風で、

 

上から正門が見えるよ。

 

正門の反対側の城壁。右側の写真のとことか、岩を何とか乗り越えてるけど(ここに見張り台がある)、

 

この岩は乗り越えられなかったのか行き止まりで、奥に見えてる城壁と繋がってない。

 

聖マリア教会。18世紀に建てられたもので、廃墟になっていたのを最近復元したそうです。

 

南側の裏門。しかしこの塔、入り口が見当たらないんですが、どうなってんの。1940~1950年代の修復作業の際に入り口を作り忘れたってことなのかしら? 説明板に、この門は19世紀の場内図に記載がないとか書いてあるから(たぶん。ちょっとわかりにくい…)、ここら辺は想像で補いつつ修復したのかもしれないよね。ただ、裏門自体はここら辺にあっておかしくないらしい。お城としてそれは普通だからって。

 

ついでに言うと、塔に向かって左側の城壁と右側の城壁が繋がっていないんだ。それもおかしくない? 上の写真を見てもらえたらわかるかな。1メートルくらいの段差があって、階段もない。いっぺん地面に下りないと、塔のすぐ下のとこから、門のすぐ上のとこに行けないの。そんな不便な城壁っておかしいよね? これも現代の修復の間違いなのかしら。

 

左の写真を撮ってる位置が、右の写真に写した場所。岩に突き当たってるからぐるりと囲めないの。そんで岩に掘った階段を下りて地面に下りるの。ワクワクするでしょ~。

 

 

塔の左側の突き当りは階段になっている…と書きたいところだけど、これ、元はもっと高かった城壁が崩れただけかもね。北側(正門側)の城壁の巨大さを考えると、裏門側が低すぎな気もする。

 

もっとアホほどいっぱい写真を撮りましたが、この辺で。霧だらけだしね。

 

お城の説明をしますと、例によってここには大昔から砦はあったらしい。1165年にムーア人からこの土地を奪還したアフォンソ1世が、この一帯の防衛をテンプル騎士団に任せたのが今のお城の歴史の始まり。テンプル騎士団イスラムの城塞の上に自分たちの城塞を建てたのが1172年のこと。そのあと訴訟があって、サンティアゴ騎士団に譲渡されたとウィキペディアには書いてある。

 

でも建設当時のロマネスク様式は今ではほとんど確認できず、現存する建物は13世紀後半に作られたゴシック様式。14世紀に大幅な改修が行われ、丘一帯が外堡で補強されたそうです。16世紀初めの調べでは、塔が4つに貯水槽と天守がある要塞と記録されているそうな。その後も繰り返し改修が行われましたが、1815年、火薬庫が大爆発してしまい、城塞の一部が吹き飛んでしまいました。火薬の不始末で崩れたお城って本当に多いよね(涙) 

 

更に1831年には崖が崩れたことにより外壁も損壊。この頃には聖マリア教会も廃墟となってしまっていました。お城の外にある聖ミゲル聖堂は1834年まで使われていたそうです。

 

1496年の調査では309名、1527年の調査では494名が城内で生活していたって。既に一つの町のようだ。しかし徐々に軍事的重要性を失っていき、それと共に周辺の集落も過疎化して、1853年にはモンサントは独立した自治体ではなくなりました。これに伴い、要塞に勤務していた歩兵連隊はモンサント村の中に駐留することになったんだって。

 

岩山が丸ごと城塞になっているこのものすごさ、伝わるといいんだけど…。

 

昨日、村の灯りを眺めながら帰っていった道ね。お昼に見るとまるで雰囲気が違う。

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2018/1/1

 

お城の前に、まだ見どころがあるのです。まずはこれ、「13のお椀の岩棚」。別名、「貴婦人のお椀の岩棚」。慈悲深い奥方様が貧しい者たちのために、この窪みにスープを入れて食べさせてやったと言う地元の伝説があるのです。また、過去には、大昔に儀式に使われたのだとする説が有力だったそうですが、実際には化学風化と呼ばれる自然現象だそうです。

 

 

そして見えてきたのが聖ミゲル聖堂。12世紀ごろから14世紀にかけて拡張されたとか書いてあるから、まあ、それくらい古いのでしょう。(最終的には19世紀まで工事していたらしい)

 

中はもう空っぽですけど、壁はしっかり残ってるよね。

 

装飾も残ってる。鐘楼は道を挟んだお向かいにあります。また背景に溶け込んでるけど。

 

この聖堂の周りには古い時代の墓地の跡が残っているのだ。

 

この後はお城を見学して、その途中で外に出て見てきたのが聖ジョアン聖堂。順番が狂うけど、先に載せてしまおう。聖ミゲル聖堂から、お城の正門があるのとは逆の方角に行くとある。お城の下だよ。

 

このアーチだけが壊れずに残っていたわけじゃなくて、近年にこれだけ修復されたんだって。なんでか知らんけど。この聖堂については記録がほとんどないらしい。16世紀のタイルが見つかっているので、その頃にはもう使われていたことだけはわかると。18世紀まで使われていたそうだ。とても小さな聖堂だったらしい。

 

お城の中にも教会があり、村にも教会があるなら、お城の周りにあるこの2つの聖堂は誰が使っていたのだろう? お城の中の教会は上官たちしか使えなくて、一般兵士は外の教会に行っていたとか? あるいは村の人もここまで来ていたんだろうか?

 

聖ジョアン教会がある道をそのまま進んでいきますと…

 

お城の裏門に出ます。

 

上にも書いた通り、私は聖ミゲル聖堂を見学した後は、聖ジョアン聖堂の方に行かず正門の方に回って、前日と同じルートからお城に入っていきました。

 

聖ミゲル聖堂を見ている時、自分がどこら辺にいるかよく把握していなかったんだよね(忘れていたとも言う)。で、道の続いている方に目をやったらそこにお城があったので肝を潰したよ。そのあまりの巨大さに。岩肌と合体した城塞の威容に圧倒された。写真じゃ全然伝わらなくて残念。

 

そりゃね、もっと大きな城塞もいくつも見ましたよ。もっと長い城壁も歩いてきた。でもこういう、岩山と一体となった城塞だけが持つ独特の風格っていうのが、あるんだよー。

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2018/1/1

 

村を抜けるとひたすら岩山となります。なんとなく道っぽいとこはあるんでそこを歩いてましたが、こういうとこって、人が歩いている道なのか、放牧されている山羊なんかが通ってできた道なのか、わからんよね…

 

と思って心細くなっていたら、壁が見えた!左側の写真の真ん中へん。に近づいたのが右側。

 

人造建築物があることにホッとして、昨日の夕方に見た「お城へはこちら」の標識も間違っていなかったんだな、ここに城壁があるもの、なんて思ってたんですけどね、

 

……城壁、あれだけしかなくてね……、あとは岩、岩、岩…。

 

と思ってたら、別の標識が! ここは「支え合う大岩」というモンサントの名所の一つらしい。

 

とか写真を撮っていたら、人間も出現。どうやら、彼らの立っている辺りの道が、昨日私が引き返した「お城へはこちら」の標識があった道に繋がっているらしい。そっちからなら普通に歩いてこれたのでしょう、岩山を通らずとも。でもそっちから来ていたら、こんなところまで城壁があったことも知らずに終わっていたのよね。あれが本当に城壁かどうかわからんけどね。ただの民家の残骸かも。

 

ここからはモンサントの村が見下ろせます。

 

さて、こっち(左側の写真)にも何やら道っぽいものがあるようでしたが、お城への正規のルートがこっち(右側の写真)なのでこっちに行く。同じ時間に同じ場所から撮っているとは思えん色合い…。

 

こういう石の割れ方と言うか残り方、面白いよねえ。

 

とかやってたら本当に城壁が見えてきたじゃない!

 

昨日見てきた部分のどこに当たるのかな? 昨日実際に上った中にも、そこから見た中にも、あんな風に崩れかけてるところなかったから、外側に突き出た部分とかがあったのかな。早くチェックしたい! と、とにかくまずこの城壁の下まで行こうと突き進みました。…が、どこをどう通ればいいんだか。岩だらけだし、一つ一つの岩が大きいから常に上ったり降りたりしなきゃだし、苔も生えていて滑りやすいし、しっかりした靴(足首も固定できるやつ)を履いていない人にはお勧めしません!

 

山の、モンサント村があるのと反対側の辺りを見下ろす。小さな集落が見えるね。つか、雲が眼下を流れていくんですよ… 風がすごいので、雲が動き続けていましたわ。

 

とかやっててふと見ると、あれ… お城、あっちじゃん…。

 

じゃあ私が今目指してるのは何さ、と言うと、結果から言いますとですね、見張り塔でした。こんなとこまででもわざわざ来る人たちもいるので、ちゃんと説明がついていたよ。中世後期に破壊されたそうです。建設当初はもちろん、お城から見えにくい北側を見張る役に立っていたのですが、お城が包囲攻撃に晒されていた頃には、むしろお城にとって危険だとされたためだろうって。

 

見張り塔から見たモンサント村。

 

見張り塔から見たお城。昨日私が上ってきた道や門も見えておりますね。つかもう下が雲海。

 

こっちの方からお城に行く近道がありそうに見えたのですけど、まあ、500年前にはあったのかもしれませんが、今はありませんでしたね。てゆか、自分がもともと上ってきたルートすらわからなくなった。この見張り塔ねえ、真面目な話、トレッキングシューズでも履いてないなら考え直した方がいいかもです。私が見つけられなかったルートがあるなら別だけど。岩の上を歩いて、その先に行きたくても、次の岩の間に深いギャップがあって、とげとげ下草で埋まってるし、そもそも降りたら深すぎて上がれそうにもないし、飛び越えるには広いし、飛んだ先の足場も最悪だし、草や苔で滑りそうで怖いし、えらい目に遭いました。

 

人が踏みしだいた道に戻れた時には嬉し涙が零れそうでしたよ…。

 

さよなら、大変だった見張り塔! 大変だけど楽しかったよ!

 

しかし、あの「お城へはこちら」の標識、確かに間違ってはいないけど、まったく何も知らない人には誤解を招く書き方なんじゃないだろうか。山を半周してお城に辿り着くんだもの。

 

 

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2018/01/01

 

元旦、そこそこ早起きして、さっそく部屋から通りを見下ろす。と、観光案内所の女性が公衆トイレの門の鍵を開けているのが目に入りました。そうか、年中無休でこれやらないとダメなんだ。村中、あちこちにお手洗いがありましたけど、あれ全部一人で毎朝開けに行って、晩に閉めにいくのかしら。大変だわ。

 

村のあちこちに水飲み場を見たよ。やはり城下町(村)だったからインフラが整っていたのかしらね。

 

この岩の奥に、何か中世の時代の遺跡があるらしかった。けど、この日も、翌日も、閉まっていました。残念だわ。小さな洞窟になっているんだよね。他にもいくつもあり、別のやつに入れた。

 

中心部に向かって撮っていますが撮影地点は村の南西端の一番下の辺り。この手前の左が…

 

もう、町の出入り口である聖アントニー門です。小さな見張り塔は門よりも後に付け足されたもの。

 

この道は隣村のレルヴァに続いている。門の上には紋章が付いていたのに、近年盗難にあったそうで、今はレプリカが飾られています。こんな小さな村の紋章じゃ高く売れるわけでもないだろうし、歴史好きのドアホ観光客が「記念に♪」とか盗っていったんでしょうかね…。

 

それにしても、石をバックに石を撮ると迷彩効果がすごいな。背景に溶け込んでしまう…。


当たり前ですけど門を出るといきなり岩だらけの土地に農家の小屋が点在する景色になります。

 

村のすぐ下にあった何か。何だろう? 井戸?

 

聖アントニー門を入ってすぐのところにある聖アントニー礼拝堂と墓地。この墓地は1836年からのものだそうなので、もっと古い時代の墓地は別の場所にあるのかな。

 

村の中心に戻っていこう。

 

村のあちこちに十字架が立っているのも印象的でした。他の村では記憶にないな…。

 

時計塔の近くにある慈悲教会と、村で一番重要な救世主教会。どっちも開館時間が決まっているから、見逃さないでね。私は慈悲教会を見学し損ねました。

 

慈悲教会の前で、英語が堪能な年配の男性に話しかけられました。地震や爆発事故でお城が損壊したときのことをお母さんから聞いているそうで、色々と面白い話を聞かせてくれました。彼のおうちも宿を経営しているそうです。Casa de Maria共同キッチン&リビングルーム付きで一泊35ユーロだそうですので、なかなかのお値打ちよ。 casadamariaidn@gmail.com までご連絡を。

 

 

救世主教会の前にある場所。へこんでるとこには水飲み場がある。この上の道の通りが、観光案内所や私の宿、土産物屋がある通りです。この右の建物、あっち側とこっち側で、入り口のある階が違うんだよ。こういうの好き。

 

ここで野菜やミカンを売っているおばあさんがいたので、ミカンを求めたところ、問答無用で2キロの取引にされました。食べ切るのに5日くらいかかったわw ここら辺は庭先にミカンの木が植わっている家も多いんですよ。ソルテーリャでも見かけた。でもピオダンでは見かけなかったなあ。

 

洗練された中心部も良いのですが、こういうのもときめきますよね。


御伽噺のようだ。

 

教会の上の通りを、墓地と反対側方向(北)に行く。

 

メインストリートから一歩奥に入るとこんな感じです。それにしても、ほぼ同じ場所から、北向きと南向きで撮ってるんだけど、色が全然違うねえ。

 

ここをずーっと北に歩いていくと、村が終わって、右の写真のような場所になります。


村歩きは終わって、続きはハイキングだ…

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2016/12/31


実はこの日はまだお城にまで行く気はなかったんです。軽く村の中を散策して土地勘をつかむにとどめ、お城は翌日、時間を取ってじっくり見ましょう、と思っていた。けど、来ちゃったんだから見ていきましょう。

 

モンサント村がそもそも小山の上にあるんだけど、その村を見下ろす頂上に、この巨大な城塞… こういうの、いつ見てもホント、感心を通り越して絶句するよ。自分たちを殺しに来る敵の襲撃に備えるという言葉の意味が、平和ボケしてる私のアタマにもほんの少しだけ伝わる。圧倒されるわ。

 

ここが正門。ここを潜って、すぐに直角に左に折れます。

 

するとここに出るわけです。第1コートヤード。このタイプの階段、この中東部地方独特なのかな? モンサントの次に行ったソルテーリャでも見かけたけど、中西部のオビドスの城塞では見なかった。

 

第1のコートヤードから第2の、メインのコートヤードへ。

 

メインのコートヤードから、一番奥の第3のコートヤードへ入れます。

 

REDDITから拝借してきました、dezasseteさんのモンサント城の空撮写真。入り口は写真の右側。白い塔の左下辺りが第3のコートヤードね。


白い塔(現代に追加されたらしい)の辺りから、モンサント村を見下ろせます。この頃には脚がプルプルしていたわ…。しんどかっただけのことはある素晴らしい眺め。

 

 

入り口とは反対側。こっちにも出入り口がある。城下町はモンサント村だったわけですが、農村なのであろう集落が点在しています。

 

もうすっかり日暮れ。遠く、雲の下にはテージェ川が光って見えた。今朝あっちから来たんだよなあ。

 

メインのコートヤードには教会だけがポツンと残っています。左奥が正門ね。

 

夕方の日差し。

 

上の写真の奥に進むと、こんな場所が通路になるんですよね。ホント、無理やり作った城塞なんだなあ。軍事施設以外の何物でもないので、快適さなど二の次、三の次。

 

上の通路を通ると、こっちの城壁の上に出るんだよ。正門があるとこね。

 

日が暮れちゃったらここ真っ暗だよな、嫌だなー、早めに帰ろうかなーと思ってたけど、日が暮れかけているそんな時間にも次々に見学者が来るのだった。カップルや若者グループや家族連れ。これだけ人がいるなら怖くないや、と、村に灯りが灯るまで待ってみる。

 

モンサントの向こうに見えている村は割と早めに灯りが灯ったのに、モンサント村はなかなか照明を点けなくて、待たされました。定住者人口の差ですかね。

 

そして、灯りが灯っても、隣村に比べるとモンサント村の灯りは少なかったんですよ。この写真では全くわからんと思いますけど。やっぱり隣村に比べて定住人口が少ないのかも。隣村もとても小さな村だけど、平地にある分モンサントより住みやすいだろうし。モンサント村の人口は100名程度だって。過疎になったからこそ開発されないまま昔の姿が残っていて、それが観光資源になっているわけだね。

 

隣のレルヴァ村をグーグルのストビューで。遠くの山の上に見えてるのがモンサント村。

 

モンサント村からレルヴァ村まで歩いてみた人の動画。私もあと1日あったらこういうのやってた。レルヴァじゃない他の村にしたかもしれないけど、近くの集落まで遠足に行ってみたかった。

 

では下界に戻ろう…。あの灯りはたぶん隣村だけど。

 

夜の姿がまた格別ですね、モンサント。

 

 

赤っぽく映る写真と黄色っぽく映る写真があるのは、なぜなんだろうね。

 

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2016/12/31

 

3時半くらいになっちゃったけど、とにかくお散歩に行きます。日暮れには間があるし、このためにリスボンを朝早くに発ったんだ。

 

これ、宿の近くにあるから割と村の中心部。村にはこのように標識がちゃんと出ています。観光案内所でもらった地図と照らし合わせつつ進んでみよう。

 

とにかくどの道も細い坂道です。山肌に立つ村はどこでもそう。遊びに来た身としてはそこが素敵なんだけど、住んでる人は大変だろうな。

 

階段を上った先にの岩戸岩の間に少し青空が見えているのわかりますかしら。

 

上の写真の岩の間を通り過ぎて振り返ったとこ。モンサント村は巨岩だらけで有名なの。

 

モンサント村は「最もポルトガルらしい村」に選ばれた村。確かに個性がある魅力的な村だよね。人口百人ほどの小さな村なれど、そうして選ばれたことで有名になって、観光客がずいぶん増えたみたい。村の中にいくつも公衆トイレがあったのも印象に残っている。村歩きが観光のメインだから、そこら辺は対策されているんでしょう。周辺には農家が点在しているけど、この村の中心部は観光業で食べているらしい。でも、夏はどうだか知らないけど、冬は観光客の数も知れていて静かなものでした。

 

かなり上ってきて、かつ、村の端っこに来た。ここは北端だと思う… たぶん。

 

更に上に上がっていく道がありまして、行ってみたんだけど、その先にはもう家も何もなくてさ。「お城へはこちら」と標識が出ていたけど、どこにもお城など見えないし、何だこりゃ状態。もう夕方だし、それ以上進む気になれなくて、戻りました。

 

ここら辺にもゲストハウスがあります。私が泊まっていたような中心部からは少し歩くことになるけど、その分、静かで雰囲気があると思うわ。それに、たぶん、安いよ。

 

その中心部に戻ってきました。反対側に行ってみよう。行きたい道があっちにもこっちにも伸びていて、どっちに曲がろうかと迷ってしまう。まあ2泊するからね。明日は朝から夜まで一日歩き回れるから、焦ることはないわ。

 

坂の村だから階段もいっぱい。あと、玄関先に水がめ的なものもよく見たわ。馬の水飲み場かな。

 

階段と言えば、こういう階段もよくありまして。

 

昔は手すりもなかったんだろうね。つか、一段ごとに壁に組み込んであるのはわかるんだけど、ボロッと落ちそうで怖い…

 

ここは特に好きな場所。階段と岩の組み合わせが最高だ。

 

なんかもう写真ばっかりだけど、とにかくこういう場所を歩き回って楽しんでいただけで、特に何かをしたわけでもなく、これと言った出来事もなくて、書くことがないのだった。

 

せっかくだから少しは歴史的なことを書いてみますと、5世紀から11世紀にかけては西ゴート族やアラブ人が住んでいた痕跡があるそうですよ。その後はレコンキスタの流れでキリスト教徒の手に。

 

歴史は歴史で面白いけど、そういう背景を知らずとも、風景だけで問答無用で人を惹きつけるよね!

 

とか言って歩き回っていたら、お城が見えてきたんですけど…。さっき見た標識と反対側だよね。謎。

 

ちなみに、かなり早い段階で地図を参照しながら歩くのを諦めておりました。道が細かくてやってらんないし、そんなのなくてもあ歩き回っているだけで楽しい。迷ったところで小さな村だし、下に下りていけば中心の教会まで戻れるもんね。

 

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2016/12/31

 

カステロ・ブランコで既に少し雨が降っていましたが、山の上のモンサントまで来るとすっかり霧に包まれた状態になっておりました。

 

これは村から少し下った道沿いにあったもの。こういうの何て呼ぶんでしょうか。畑の中の道沿いに時々十字架が立っていたりしますけど、あれと同じ? 町や村の中心から離れた農家の人は仕事中に教会まで行くのが大変だから、そこを通りかかった時にお祈りするんだとか聞いたことがある。

 

ついに村に着いた… この状態ですが…。ちなみにカステロ・ブランコから1時間くらいで50ユーロ弱。Rome2Rioの情報は確かだったな。

 

ここが村で一番古いメインの教会です。タクシーのドライバーさんが観光案内所への行き方を教えてくれて、さっそく向かう。

 

観光案内所に入ったのが午後1時ちょっと前だったんですが、大晦日なので1時で閉めるんですって。元日はお休み。あらら…。とりあえずマップをもらい、ついでに宿の場所を聞いたら、同じ通りでした。で、すぐ見つかったのはいいのですけど、どこから入ればいいのかわからんのよ! 表札が出ているドアをノックしても返事がないし。

 

結論から言いますと、私が泊まった宿 A Casa Mais Portuguesa (A カーザ マイズ ポルトゲーザ) は、その通りの隣接する何棟かの家を所有していて、お土産屋さん、食料品店、宿、カフェなどを経営しているのでした。その時はお土産屋さんしか開いておりませんでしたが。で、お土産屋さんに経営者のおばあさまと娘さん(英語堪能)がいて、私を部屋に入れてくれました。

 

部屋でゆっくりする間もなく急いで食事に出かけます。お昼も食べてないしね。観光案内所の女性がいくつか食べる場所を教えてくれたけど、大晦日だから早仕舞いすると思うと聞かされまして。

 

実際お目当てにしたレストランは閉まっていたし、このお店も「今日は3時で閉める」って。

 

英語メニューをもらったんだけど、何なのかよくわからないものがあったので、それにしてみました。そしたらまず左の写真のが出てきたので、あれ、これだけなのかしら?と思っていたら、次に右のが出てきました。もしかしたら何か2皿注文しちゃっていたのかもしれない。それと自家製ワイン。

 

左のは生ハムとふわっふわのチーズ。めっちゃ美味しい。右は豚の何か。食感がハツっぽいんだけど、後でお宿の人と話してたら「それは頬肉だと思う」って。めっちゃ美味しい。

 

食べ終わってお店を出たら晴れ渡っていた!

 

とりあえず、いっぺんお宿に戻ってお散歩の準備をするぞ。

 

宿の入り口はこんなの。大きな荷物を抱えていたら、両側のドアを開けないと入れないね。ドアを開けるとすぐに階段がある。この階段の下は、位置的に、お土産屋さんのレジの奥にある居間だな。

 

そして、私の泊まっていた部屋がある家の右隣が、宿の方々のご自宅。多分階段の下でお土産屋さんとつながってるじゃないかしら。いっぺん、間違えて彼らの自宅のドアにカギを差し込んでしまった。ワンコがオウオウと吠え、私が「ごめん、ごめん」と言ったら中から娘さんが「どうしたのー?」と声をかけてくれまして、私が「家を間違えました、すんません!」と言ったら「貴方の部屋は土産物屋のすぐ隣よー」と笑っていました。

 

階段を上がったとこにある踊り場的な場所。表の通りに面している。そのドアが私が泊まっていた部屋のドアで、お部屋から通りが見下ろせるのよ。海が見える部屋がシービューなら、通りが見える部屋はストリートビュー? 私がいつもお世話になっている別のものを思い出すけど。

 

山肌の坂の村で通りも細いから日照時間は短いけど、こんなにお日様が差し込むよ! 朝にまず窓を開けるのも、夜に通りを見下ろしながらワインを飲むのも、楽しかったなあ。私は通り側の部屋にしたけど、反対側の部屋ならテラスがあったりして、山の下の村を見下ろせる。そっちの方が絶景なんでしょうね。好みによりますが。


 ウェルカムのお水とリンゴとパン(クリスマスに食べるという揚げパンで少し甘い)を置いてくれていました。バスルームは機能的でピッカピカよ。

 

宿の前の景色はこんな風。標識には「カフェ・マイス・ポルトゲーザ」とある。繁忙期にはカフェも開くのでしょう。奥の白い建物に観光案内所があります。案内所の中にモンサント村のミニ博物館もあるよ。時間があったらゆっくり見たかったわ。

 

お土産屋さんは夜7時まで開けているとのことでしたが、帰りが遅くなった時のことを考えて、お出かけ前に晩ごはんを仕入れておきました。生鮮食品はないけど、簡単な食べ物は手に入るよ。私が買ったのはビールとワイン、クリスピーな平たいパンに、チーズとツナペースト。

 

ワインはローカルのものをと希望したら、モンサント印のヴィーニョ・ヴェルデ(緑ワイン)を進めてくれました。緑ワイン、スロヴェニアとかのも飲んだことある。若摘みのブドウで作るすっきりした白ワイン。大好き! そしてチーズは、山羊チーズをと希望したら、山羊のもあるけど羊と山羊のミックスのを薦められたのでそれを。最高。他にもアンチョビやオリーブのペースト、蜂蜜やジャムなど、気になるものがいっぱいあった...。

 

そして宿の方は、私が食器を持っていないことを知ると、家からお皿やらナイフ、フォークなど、一式を持ってきて貸してくれたのでした。恐れ入ります…。

 

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