旅中毒

バックパックと少しのお金とパスポートがあればいい。行けば行くほど行きたい場所が増え、人生狂って後悔なし!



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2016/8/12

 

実を言いますと、まず仙台に入るのは決定として、その後どこに行くかは決めてなかった。元々は秋田に行きたいなと思ってたんですが、「まず仙台に行かなきゃ」があったんで、その後のことは仙台に着いてから考えようと思って。

 

でもやっぱり東北は広い~。仙台から秋田まで行くのに新幹線を使っても2時間。秋田から更に北へ行ったりしてまた仙台に帰ってくると考えると、なんだかちょっと…な気分になり、秋田はまたいつか、大阪から直接秋田へ入る旅程で行こうとアタマの中を切り替え。

 

で、福島に行くことにしました。まだ福島って行ったことなくて。前に計画を練って宿の手配も済ませたことがあったんだけど、宿がダブルブッキング状態になって、日程変更が面倒だったので全体キャンセルしちゃった。

 

で、今回、仙台からまず行ってみたのが相馬。バス1本で行けます。相馬といわき、どっちにするか悩んだんだけどね。いわきの方が遠いのと、その時もう福島駅の近くに宿を取っていたので、いわきまで南下せず相馬にしておくのがいいかなーと。(実はその後の旅程を考えたら郡山に宿を取った方が良かった。んで、郡山に泊まるならいわきを選んだかも)

 

さてバスで相馬の終点まで行きますと「相馬市千客万来館」のすぐ前に着きます。この「千客万来館」については、ウェブサイトに 『観光窓口である「相馬観光復興御案内処」と「相馬市観光協会」のスタッフが相馬市の観光情報発信や視察案内を行います』 と書いてありましたので、安心しておりましたのですが…

 

まあ、観光資料は揃ってるのですけど、あんまり観光案内所の空気じゃないんだよね。スタッフさんたちも奥の方で淡々と事務仕事をなさってて、こっちには気を向けてないし。声をかけたら『え、誰か来たよ』みたいに顔を見合わせてるし。出てきてくれた人も、案内し慣れてるとは言いがたい対応。 『知ってることは教えますけど』的な。

 

なんだか私が役所の仕事を邪魔しているみたいで、なんじゃこりゃと謎に思ってたんですけど、後で理由がわかった。そこは本当に市役所だったらしい。地元の人に聞いたんだけど、市役所が移転するんだったかな…。臨時なのか知らないけど、市役所が千客万来館に入ってるって。ホントに仕事の邪魔してたんだわ。基本的には個人向けの観光案内はしない場所なのでしょう。失礼しました…。

 

結局、自分でネットで調べておいた情報を頼りにまずは中村城址へ。神社が2つあるんだ。

 

芝生が広がってるのかと思ったら、お濠でしたよ。

  

 

この↓左の写真の道をまっすぐ行こうかなと思ったんだけど、右手にどっかに行く道が見えたので、そっちに行ってみた。ら、二宮尊徳先生がいらっさった。若い頃は歩き読書なさってた先生も晩年は座っていたのだ。友人いわく「キーボードを打ってるみたいに見える」。膝ですからそれ。

  

 

相馬の中村藩は、天明・天保の飢饉で藩の財政がピンチになった時、二宮先生の教えに基づく「御国安民法」の導入で乗り切ったそうな。二宮先生の長男や次男は相馬に移り住んでるし、縁の深い土地柄なのね。

 

辿り着いた場所にあったのは相馬神社です。(表と裏)

  

 

明治12年に、相馬氏の始祖『師常(もろつね)』公(1139-1205)を御祭神とし、本丸跡に創建されたそうです。明治時代に、先祖を祀って神社を建てるのが流行ったらしい。

 

師常公は千葉氏の庶流で、鎌倉時代に源氏に与して戦った武将。相馬氏も聞けば聞くほどややこしいんだけど、陸奥相馬氏(中村相馬氏)は、千葉氏が源頼朝から奥州の小高に領地を受けた後に一族が移り住んできたものだそうな。

 

地の利を生かした防御態勢により、大藩である伊達家とも真っ向から渡り合い、独立を守り抜いたそうです。関ヶ原の後は一旦改易されるものの伊達家を味方につけて復活。戊辰戦争の終結まで、実に740年もこの地を統治したそうな。これほど長期間にわたって一つの氏族が領地を治めた例は、日本では他に薩摩の島津氏と肥後の相良氏しかないって。世界レベルでも珍しいってよ。(…というようなことを後で歴史資料館の館長さんに教わりました)

 

相馬と言えば相馬野馬追(そうまのまおい)が有名ですわね。私も一回見てみたいと思っておりますが、人が多いよねと思うと二の足…。大阪の天神祭も京都の祇園祭も神戸まつりも行ったことないです。でも天神祭や祇園祭より相馬野馬追が見てみたい。500以上もの騎馬武者が競馬や旗取合戦するんだよー。一番多い時は1200頭も集まったって。ビデオを見たことあるけどホントかっこいいよ。(平成27年の相馬野馬追の様子

 

という伝統のある土地ですし、数は少なくなったけれど今でも藩士の子孫が自宅で馬を飼ってたりするんだって。

 

てわけで、相馬神社の横には馬場があって、乗馬体験ができます。「やったことないんですが大丈夫でしょうか」と訊いたら、お祭りで子供を乗せているという、小さなおばあちゃん馬を連れてきてくれました。馬場じゃなくて、参道のとこを歩いてもらったよ。

  

 

子供ならともかく私みたいなデブの大人が乗ったら重たくて嫌なのではと思いきや、調教師さんとの運動に比べたらこんなお散歩くらいどうってことないらしい。ちなみに左上の写真で首を突き出している黒い馬は人を見ると飛びかかってくるそうな。離れて見学してくださいと言われました。

 

こっち、中村神社ね。お馬さんの像が両脇に建っていた。本堂は修理中で見学ならず。

  

 

中村神社の売店(て言うのかな、お守りとか売ってる場所)に行ったら、「御用のある方は鳴らしてください」とブザーがありました。けど鳴らしても誰も来てくれなくて、再度鳴らしたら近くでゆったり座っていたお爺さんがハッとしたように来てくれて、「どうしました?」って。どうって、買い物です…。相馬野馬追のTシャツがかっこよかったので求めましたところ、「えーと、えーと」って感じで探してくれて、「あった、あった」と取り出そうとしている袋には「売約済」の文字が! 「あの、それは売ったらだめだと思います」と制止しました。

 

そして出てきたのがこの門。ここが正門なんだ。中村城の大手門があったとこ。相馬野馬追でも、ここから出陣するんだって。

 

こっちから入っていくべきだったのかもしれません。何も考えず、バス停から近い方から入っちゃったけど。

 

 

 

 

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ここんとこ毎年、年末年始旅行記を書き終わるころには次の年末が目前、次の旅行について書き始めると言う有様だったので、春~秋にお出かけしている国内旅行のことが全く書けておりませんでした。

 

が、今年はなんとか8か月未満で書き終わったので、ちょろちょろ書いてみよう、国内旅行を。

 

5月の松山・徳島旅行

6月の別府旅行

8月の福島・宮城旅行

さっさと書き終えられたら去年の秋の仙台とか犬山とか夏の舞子とか初夏の能勢とかその他諸々、書けたらいいんですけどね…。あんまり細かく書くとまた停滞するので、さらっと書いていくぞ。

 

2016/8/11

 

まずは記憶が新鮮なお盆の旅行から。この夏休みは6連休でして、最初はどこにも行くつもりなかったんですが、何かでスイッチが入っちゃって「よし、東北に行こう」と。いきなり思い立ったので夜行バスも空きがなく、普通料金の新幹線を使うと言う太っ腹ぶり。なんでも、ピーチなら早めに手配すれば片道2000円とかで飛べるチケットもあるらしい。やっす…。

 

新幹線でいつもいただく朝食セット、400円。(お茶をつけたら500円) 特に美味しいわけでもないけど、列車の中でお弁当を買うと言うのが楽しい。400円なら許容範囲です。

 

到着初日にはTABIさんにお願いして会ってもらったのだ。仙台駅まで迎えに来てもらって、お昼に盛岡冷麺のお店に連れて行ってもらった♪ 私はハラミの鉄板焼きをつけたセットにしました。この写真を見た友人が「冷麺の上に乗っている赤いのはショウガのスライス?」と聞いてきたわw スイカだよ!

  

 

その後行った、ホシザキ珈琲さん。優雅な店内ですね。壁にズラッと並んでるのはカップ&ソーサー。ウェッジウッドで美味しいブレンドコーヒーをいただきました。

  

 

私はTABIさんみたいに仕事で世界中を周るようなことは経験がないけれど、打てば響くで理解してくれる人との旅談義はやっぱ楽しいですね。前提知識の説明も要らないし、感覚が共有できているし、相手がその話題に興味があることに疑いもないわけで。それと、同年代なので、今の暮らしのままで老後がどうなるかと言うような話題も合う… hahaha

 

お別れした後はお宿へ。元は料亭だった建物を改装したゲストハウスです。なかなかいい味だ。繁華街にも近いので夜遊びしたい人にもいいと思うよ。ドミトリーでもプライバシーが保たれるようカーテンを付けてあるし、枕元にランプも電源もあるし、非常に快適。ただ、シャワールームが男女1つずつしかなくて23時半までしか使えないのがマイナスポイントかな。

  

 

もっと静かな環境がいい人には、住宅街にある「宿や萩」というゲストハウスもお薦め。そっちも同じくらい快適ですよ。

 

 

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2016/1/2

 

さてさて、チェックインも済ませて手荷物検査も受けて搭乗ゲートへ…。

 

……。

 

やってもた…。絵ハガキ、切手まで貼ったのに出すの忘れてたわ…。ドバイで出せるかなあ。ビールなんか飲んでる場合じゃなかったわ。

 

美味しいエミレーツごはん。これもラムだったっけ?

 

プラハからドバイまでの便ではしっかりと通路側を確保。…しておいたんですが、CAさんから「家族連れがバラバラに座っているので、席を譲ってあげてもらえませんか。通路側のお席はありませんが、窓側をご用意できます」と打診されましてね。そりゃ気の毒だってことで「いいですよ」と快諾。…したのですが、私の隣、真ん中席に座っていた若い女性にもCAさんが「席を譲ってあげて」と頼んだら、その人は「通路側か窓側でなきゃ嫌です」と。CAさんが「あ…」みたいな顔で私を見るもんで、「真ん中でもいいですよ」と言ってしまう私。まあ、お手洗いに行くのがちょっと面倒くさいってだけだし。

 

しかし、その家族連れっての、てっきり子供連れのことだと思ったんだけど、40代くらいの夫婦と70くらいのお母さんでしたよ。いい年して何をワガママ言ってんのかと思わなくもない。でもまあ、もしかしたら老婦人の初めてのフライトかもしれないしね。だったら子供たちとしては一緒にいてあげたいだろう。真ん中席から窓側になった女性は、私があっさりと通路側を手放すのを見て、窓側もあっさり譲ると踏んだのかもしれんw

 

ちなみに、プラハも最終日は寒かったんですよ。だからずっと極ヌク下着の「ひだまり」を履いておりまして、そのまま脱がずに搭乗。機内でも「ちょっと暑いな」と思ってたんですが、わざわざ脱ごうと思うほどではなかった。けど、ドバイの空港は…! 夏かと思うほどの暑さで! すぐさまお手洗いに行けたら良かったんですけど、なかなかそうもいかなくて、じっと待たされている時の苦しみと来たら。「今ひだまり脱がさせてくれるなら500円払ってもいい」とか思ったわ。

 

 

ところで、ドバイから関空までの便は、プラハでのチェックイン時には席が決めてもらえなかったんですよ。何でか知らんけど。ドバイの搭乗ゲートで席を割り当ててもらえと言われました。で、ゲートで「通路側」と言いかけたけど完全無視されてさっさと発券されました。これが「B」と書いてありましてねえ。Bってことはたぶんまた真ん中席だね…。
 

違った。

 

この席、いいね。お手洗いにも近いし。こういう席がある便ならここを指定したいわ。ちなみにそのお手洗いでまたひだまりを履き直しました。今度は機内が寒くてさ。忙しいこと。

 

 

帰りはゆっくり映画を楽しみました。「ミスター・ホームズ」、「ラスト・ナイツ」、「マッドマックス」。どれも面白かったよ。「ラスト・ナイツ」、忠臣蔵みてーだなと思ったらホントに忠臣蔵がベースなんだって。日本人監督による作品だったのね。ハチャメチャなファンタジー騎士物語ですが、私はこういうの好きだぞ。「主君に忠義を尽くす」とか「仇討ち」とか「精鋭が敵陣に乗り込む」とか「中世ヨーロッパ風の活劇」とかが好きなら楽しめると思う。ありきたりなファンタジー要素の寄せ集めとか言われたらしく、その通りだけど、別にええやんw 

 

 

ドバイから関空に行く便は、急病人が出たとかで1時間くらい出発が遅れましたわ。人はすぐ下せるけど、その人の荷物を貨物室から引っ張り出すのに時間がかかるんだよね。そしてつまり関空への到着も遅れたわけでして、乗り継ぎのある人は気が気じゃなかったろうなあ。だから私、乗り継ぎって3時間くらいないと嫌なんだよね。

 

関空に到着したら「成田からお戻りのお客様~」って呼んでる係員がいて、「は?」ってなった。成田からドバイ経由で関空…? でもその人が持ってるボード見てやっとわかった。成田じゃなくてマルタでしたw マルタって言葉がスッと脳みそに浮かばなくて、よく知ってる成田に置き換わったのだな。ちなみに、マルタからの荷物がドバイで積み替えられなかったらしく、宅配便で送ると言ってました。翌日職場で「お土産が入った荷物がまだ届いていなくて~」と言わなきゃいけない人がいっぱいいるんだろうな。

 

エミレーツのごはんには、サルサソースがよく付いていた。何に付ければいいのかわからんメニューでしたけど。クラッカーに付けたい人がいるのかなあ。

 

 

そして家まで無事に戻りまして、手元にはチェコで出せずドバイでも出せなかった絵ハガキが残ったのでした。つか、まだ手元にある。50円切手を貼って出そうと木っても買ったのに、せっかくだから写真もつけようかなとか考えているうちにうだうだと…。どうしよう。今からでも出した方がいいかしら。

 

 

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2016/1/2

 

ヴァルドシュテイン宮殿を出た我々が向かったのは、マラー・ストラナにある一角。

 

ここ、私が泊まっていた宿からすぐのとこですよ。この手前の角を右に曲がったら宿がある広場に出る。 この正面の黄色い建物は何かのお店が廃業したようだった。いい雰囲気の建物なんだけど、ちょっと壁がボロッとしてたな。立地もいいので、何かで営業してくれたらいいね。

 

この黄色い建物の横の細い路地を通っていくのですが…

 

路地を通り抜けて振り返った図。この建物と建物との間にあるブリッジ、何だろ? 渡り廊下ならわかるけど、このサイズのこれは一体…? 飾り? 古い建物が倒れないようにお互いに支え合ってるとか?

 

も一つ気になるのは、このブロンズ像。チャーチルなのよ。なんでこんな路地にチャーチルがいるのさ。

 

と思ったら、この奥に英国大使館があるのでした(垂れ下がってるユニオンジャックが見えますかしら)。プラハ本駅の裏にはチャーチル広場があって、立像がある。

 

よくわからんのですが、チャーチル広場にあるようなチャーチルの立像を設置するプロジェクトってのがいくつかの国であったらしい。ロンドンの国会議事堂広場にあるアイヴァー・ロバーツ=ジョーンズ作のチャーチル立像のレプリカでして、オスロとニューオリンズにもあるんだって。プラハのチャーチル立像の設置に当たっては、プラハで基金が設立されたそうな。("Abstraction and Reality: The Sculpture of Ivor Roberts-Jones"より。ウェブで全文読めるようだけど気力がわかない) 

 

この本によりますと、大使館前にあるチャーチル胸像はロバーツ=ジョーンズのライバルでもあったチェコの彫刻家フランタ・ベルスキーによるもので、立像より先に設置されていたそうです。チャーチル立像をロバーツ=ジョーンズに作らせると聞いたベルスキーは、いい気分はしなかったようだけど、外交センスもあるプロフェッショナルで、ロンドンの像のレプリカをという趣旨も受け入れて、俺が俺がとは言わなかったって。さらに言えば、ベルスキーさんはロンドンに設置するチェコとスロヴァキアの兵士のための慰霊碑を制作中で忙しかったらしい。

 

でも、なぜプラハに、なのかしら。ウィンストン・チャーチル・ホテルってのもあるし、プラハでチャーチルは人気なのかしらと考えていてですね…

 

第2次世界大戦中の1939年、ヒトラーはチェコ・スロヴァキアに対しチェコのドイツへの編入とスロヴァキアの独立を強要し、編入されたチェコは「ベーメン・メーレン保護領」と名付けられ、軍需生産の拠点とされました。その保護領の副総督としてヒトラー直々に派遣されたのが残忍さで有名な国家保安本部長官ラインハルト・ハイドリヒ。「絞首刑執行人」と仇名されていた彼は、新しい赴任地でも次々に人々を死刑にして「プラハの虐殺者」と呼ばれるようになります。

 

軍需生産を成功させてはならず、チェコを奪還せねばならず、ヒトラーの後継者と目されているハイドリヒを殺せば大きなインパクトを与えらえる。かくて名高い「エンスラポイド作戦」が発動しました。

 

当時、チェコ・スロヴァキアの亡命政府がロンドンにあったのですが(正式な成立は1942年らしい)、1941年その亡命軍から7名の精鋭が選ばれ、ハイドリヒ暗殺のため英国空軍機からプラハ郊外にパラシュート降下。何度かの計画と中止を経て、5ヶ月後、プラハ城へと出勤するハイドリヒの車を停めさせて手榴弾により負傷させ、1週間後にハイドリヒは死亡。(ヒムラーが治療を送らせてわざと死なせたと言う陰謀説もある)

 

しかし激怒したヒトラーは「血の報復」を宣言。7名の暗殺者たちは密告により探し出され、3人は銃撃戦で死亡、残る4人は自決しました。が、その他になんと1万3千人のチェコ人が殺されたそうです。完全に消滅されられた村も2つある。そして、それに対してはチャーチルが激怒。ヒトラーが破壊したチェコの村1つにつき、ドイツの村を3つ消してやろうと連合国に提案したそうな。(さすがに実行されませんでしたが) 

 

……というようなこともありますが…。これくらいしか思いつかない。まあ、対ナチスの英雄ですからね、チャーチルは。ちなみに「エンスラポイド作戦」は「死刑執行人もまた死す」や「暁の七人」等で映像化されております。どっちもアメリカ制作。

 

 

さて、私らのお目当てはチャーチルが睨んでいる先にあるビールハウス、U Hrocha(カバ)。

 

ここは前にもザダネクさんに連れられて2回も来てみていますが、満員で入れなかったんだ。立ち飲み状態の人ですら満員でしたわ。

 

プラハ城のすぐ近くという立地だけど、観光客よりも地元民に大人気のお店なんだって。昔ながらのビアハウスの雰囲気があると評判で、プラハで一番おいしいビールが飲める店との呼び声も高い。12時の開店と同時に入りましたので、無事に席を確保。空港に向けて発つまで1時間は飲める!

 

店内の雰囲気もいいね。奥のお爺さんは常連さんらしい。ザダネクさんが話を聞きに行っていた。誰とでもすぐ仲良くなる人だなあ。

 

私 「(ジョッキを傾けつつ)ああ、これがプラハ最後の一杯になるんだなあ…」

ザ 「そんなわけないじゃん。あと1時間あるのに」

私 「そ、それは確かに、まあ」

ザ 「空港でも飲むでしょ?」

私 「…チェックインしたら暇だもんね…」

 

 

そしてザダネクさんが取り出したものを見てまたびっくり。

彼が愛してやまないブラウフレンキッシュのボトル、それにスリヴォヴィッツ!

 

 

私もブラウフレンキッシュが好きだと言ってたの憶えてくれてて、お土産にと渡してくれたんですよ。そしてスリヴォヴィッツ、これはプラムブランデーなの。薫り高くて美味しいのよこれが!

 

ザダネクさんが次に日本に来たら私もいっぱい歓待しなくては。来年くらいに来たいと言ってたよ。私は次にチェコに行くならゴールデンウィークにしたいな。冬には入れなかったところに行ってみたい。プラハの北、すぐ近くに行きたいお城が3つもある。山岳地帯にもきれいなところを見つけてある。つかモラヴィアにも行きたい。今回ボヘミアだけだったからねえ。

 

お喋りしているうちにあっという間に時間が経ちまして(2杯飲みました)、トラムで空港へ。ザダネクさん、空港まで送ってくれたんだよー。ホンマに親切。チェックインを済ませるまでいてくれて、さよならしました。

 

本当に本当にお世話になりましたわ。私、誰か友達が来た時に、あれだけ世話を焼けるかなあ。そんなに穴場とか知らんし…。面白いところを紹介できるように、大阪や神戸をきちんと探検しておかなきゃなあ。

 

 

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2016/1/2

 

ヴィシェフラドからトラムで一気にプラハ城方面まで戻ってきました。向かいましたのはマラー・ストラナにあるヴァルトシュテイン宮殿。

 

前にも書きましたけど、1618~1648年の三十年戦争で勇名を馳せたヴァルトシュテイン将軍(1583-1634)が、プラハ城の下にあった26の邸宅、6つの庭園、2つの工場を接収して自分の家しちゃったと言う、巨大な宮殿と庭園なの。でも将軍は12ヶ月くらいしか住めないまま死んでしまった。彼の死後はお城は皇帝に没収されましたが、5年後に将軍の甥が買い戻しました。1945年からは国の資産です。(今は国会の上院議事堂が入っています)

 

し かし国有化当時、宮殿には94歳になる伯爵夫人が住んでいました。今更追い出すのも非道と思ったのか、伯爵夫人だけはそのまま宮殿に住むことを許されたそうです。その後、宮殿で夜会などが開かれると、うるさがった伯爵夫人が現れては杖を振り回して参加者を威嚇したそうです。(この元気な伯爵夫人は104歳まで長生きなさったとか)

 

町中にあって気軽に寄れる観光名所でございます。でもあんまり人も多くなかった。見どころが多すぎるんだよね、この界隈。庭園だけでここの他に6つあるってよ。

 

外玄関から入ってきた中庭の様子。

 

階段は装飾もなくシンプルで、とっても私好み。

 

華麗なる大広間。100歳近い伯爵夫人が大暴れしていたのはここなのかしら。

 

ナイトガウンを羽織った夫人が、イブニングドレスやタキシードに身を包んだセレブに向かって杖を振りかざす光景が目に浮かぶわ。後ろから侍女が「奥様、ベッドにお戻りください」と半泣きでついてくるの。セレブ達は「ああ、また来た」とうんざりしつつ、こちらからは手荒にもできないので夫人を宥めながら逃げる。主催者(例えば大統領)が飛んできて、夫人とセレブの両方に謝りながら丁重に夫人を連れ出すのだった。うっかり杖が頭に当たったりして。

 

私の好みからするとかなり時代が新しいのですが(何しろ17世紀)、これはこれで素敵よ。

  

 

ヴァルトシュテイン将軍は、元は田舎地主の小貴族で、大学を退学した後は傭兵稼業で暮らしていたそうです。しかし富豪の未亡人との結婚・死別により資産家となり、領地内の産業を大いに振興して財政基盤を整備。ハプスブルク帝国内では初めて常備軍を創設した人だそうです。

 

30年戦争では皇帝側につき、プロテスタント勢力を蹴散らす大活躍。見返りに与えられた特権を最大限に利用してお金も土地もバンバン増やし、あっという間に大権力者に…。更に皇帝の側近である有力貴族の娘と再婚して宮廷に乗り込み、その後もすさまじい勢いで戦績を上げていく。地位は皇帝軍総司令官、身分は公爵にまで上り詰めました。最盛期には彼の率いた軍隊は12万人を超えていたそうです。

 

宮殿の大広間の天井には、軍勢を引き連れて天駆ける将軍が描かれている。元々この宮殿は、将軍が自分の軍功を誇示するために作らせたらしい。

 

しかし、あまりにも急激な出世や、占領地で独自に敷いた軍税制度などからヴァルトシュテインは他の貴族たちの大反発をくらっており、皇帝は板挟みに。そんな中で皇帝の出撃命令を拒否したりしたもんだから、総司令官の職は解かれるわ公位は剥奪されるわで、ヴァルトシュテインは軍も解散して領地に戻りました。

 

後には皇帝から請われて復職し皇帝軍を率いますが、自分の軍隊じゃなかったこともあってうまく統率できず敗戦。更には、敵と勝手に和平交渉をした疑いをかけられたりと色々あって反逆者の宣告を受け、1634年2月25日、皇帝の差し向けた刺客に暗殺されたのでした。彼の周りにいた将校たちは誰も彼を助けなかったそうです。

 

中世の傭兵軍団は食料など必要物資や兵の給料を略奪により現地調達していたのですが、ヴァルトシュテイン将軍は略奪する代わりに税金を取り立てる制度を作りました。金品を没収されるのは同じでも、暴力と破壊よりはシステマティックな税制の方がマシですね。彼は近代軍隊制度の父なのだそうです。しかしその制度は誰でも採用できるわけで、制度さえ定着すれば、彼のようなずば抜けた人材は皇帝には不安材料だったのでしょう。ドイツの詩人シラーがヴァルトシュテイン将軍の生涯を戯曲に書いていますよ。読んでみたい。(「ヴァレンシュタイン」というタイトル)
 

 

さて、そのヴァルトシュテイン将軍が徹底的に叩き潰したプロテスタント勢力の方ですが、そっちの英雄は何といっても、将軍の250年前くらいに生きたヤン・フス(1369頃-1415)。この宮殿にヤン・フスの生涯を描いた漫画が展示されているのは、歴史的な関連性からなのですか!? (ちなみにヴァルトシュテインは実家はプロテスタントだそうな)

 

1415年7月6日、火刑に処せられるヤン・フスの誇り高い最期…

 

 

この漫画はちょっとコメディ調で描かれている。右の真ん中にいるのがフスだね。賄賂を受け取る聖職者に説教台から指を突きつけて非難している。

 

日本にも歴史漫画がありますが、世界各国でそれぞれの国の歴史上の人物をこうやって描いているんだなあ。面白い。

 

もちろん、漫画の他にも昔使われていた生活道具や装飾品などの展示がありますよ。なかなか興味深い。とか見ていてふと気づいたら隣にザダネクさんがいてびっくりした。いや、この宮殿で落ち合いましょうと言ってくれてたんだけど、知らん間に横にいたので。

 

窓からの光景。


 

しかし本当に見るべきだったお外の光景はここじゃないのだ。この宮殿は、宮殿そのものよりも庭園が有名なのだ! しかし私は庭園には入っていないのでした。いや、ザダネクさんに会ったらつい、「さ、飲みに行こか」みたいな気分になっちゃって。

 

Prague.eu / プラハ市公式観光ポータル よりお借りしました…

 

 

 

ヴァルトシュテイン将軍は写真奥に見える、お庭を見晴らすテラスで朝食をとるのが好きだったらしい。ほかにも、人工の鍾乳洞だの色々と見どころのあるお庭だそうなので、次にプラハに行ったら訪問しよう。ちなみに無料なの。

 

 

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2016/1/2

 

チェコ旅行も最終日を迎えてしまいました。午後の便でプラハを発つ。

 

最後の朝、まず訪れたのはヴシェフラドです。ここは絶対に来たかった場所。Katkaさんが薦めてくださって非常に気になっていたし、神話によると、ここでボヘミア最古の王朝、プシェミスル王朝が始まったのだ。当時この一帯を治めていたのは女王リブシェでしたが、臣下たちが「女になど従えるか」と逆らうので、リブシェは善良な農夫プシェミスルと結婚して彼を王にした…という男尊女卑な伝説が残っている。

 

ヴィシェフラドは小高い丘の上にありましてね。リブシェはここに立って「ここに大きな町を建てよ。その町をプラハと名付けよう。その栄華は天に届くほどとなるだろう」と予言したんだよ。だからプラハ最古のお城と紹介されることもあるけど、実際にはプラハ城より少し後、10世紀頃に作られたと考えてられているそうです。でもいいの、そんなことどうだって。

 

1085年にはヴラスティラフ2世が王宮をプラハからヴィシェフラドに移します。聖ペテロ・聖パウロ教会や聖マルティン教会、防御システムなどをガンガン増築しました。司教座聖堂参事会もプラハ司教区に属さない法王直属となり、政治的にも経済的にも特権を与えられて大いに栄えたらしい。しかしその孫の代の1140年に王宮はまたプラハに戻されました。

 

こちら、ヴラティスラフ2世が建てた聖マルティン教会のロタンダ(円形の建造物のこと)。ロマネスク様式で、ヴィシェフラドで最も古い建造物です。壁の厚さは95-97センチもあり、内部の直径6.5メートル、後陣の奥行きは2.2メートルだって。中に入れるらしいけどこの日は閉まっていました。

 

打ち捨てられていたヴィシェフラドが次に光を浴びたのは14世紀の初め。カレル4世がプラハ城を今ある規模に拡張し始め、市の城壁をヴシェフラドまで延長したんだって。(ホントかよ… めっちゃ距離あんねんけど…) カレル4世はプシェミスル家出身の母方の血筋に敬意を表すため、ヴィシェフラドを堅硬な城塞として整備しました。城壁、2つの門、ゴシック様式の王城などが建てられ、教会も修復。

 

その後ヴィシェフラードはプラハの南を守る砦の役を担いましたが、フス戦争の際にフス派がほぼすべての建物を徹底的に破壊 (ギャー)。廃墟と化しました。

 

17世紀中ごろからはバロック様式で再び整備され、軍隊の駐屯地として活用されていました。これがその頃に作られたレオポルド門。

 

ヴィシェフラドは1911年にプラハ市の所有となりました。19世紀後半には民族熱が国民に広まるとともにヴィシェフラドを復興する機運が高まり、聖ペテロ・聖パウロ教会がネオゴシック様式で再建されました。今は緑豊かな公園でもあり、市民の憩いの場となっています。また、元は教区の墓地だった場所に国営の墓地が作られ、政財界から芸術界まで、著名人の多くがここに葬られています。

 

私が訪れた時は朝がまだ少し早かったせいか、訪れる人も少なく、とても静かでした。長期旅行だったらここだけで一日ほしいところ。敷地は広大です。

 

ヴィシェフラドの南側からヴルタヴァ川と町を見下ろす。美しいね…。

  

 

 

ここ、リブシェ女王の沐浴場…と地図に書いてあったけど、どの部分がどう沐浴場なのかよくわかんなかった。どうも、川の上に突き出しているように見える白っぽい部分らしい。

 

これね。本当は中世の見張り台だそうですが。

 

このすぐ下、トンネルになってるのもいいよねー。岩に組み込まれたかのような塔も見える。

 

レオポルト門やターボル門みたいな立派なのを除いても、城壁にはあちこちに小さな門があるようだ。

 

北の果てにプラハ城が見える。カレル4世はプラハを拡張して、その新市街の城壁とヴィシェフラードの城壁を繋げたと書いてあるんだけど、大工事だったろうな。

 

ちょっとアップで。こうしてみるとホンマでかいな、プラハ城。

 

 

ハンドル付きの井戸。チェコではよくハンドル付きの井戸を見たなあ。こんな小さな井戸でもハンドル付きなんだ。

 

 

聖ペテロ・聖パウロ教会。最初は1070-1080年に建てられたんですが、1249年には焼失。今あるのは19世紀の再建によるもの。塔の高さは58メートルだって。どっしりと重厚だけど、細部に至るまで繊細な装飾が施してある。ファサードはつぶさに見てほしい!

 

内部は壮麗で溜息もの。豪華だけど、何だろう、とても落ち着いた感じがする…。  

 

壁にも天井にもぎっしりと絵が描かれています。

 

聖クララ。ほかにも大勢の聖人が柱を埋め尽くしている。

 

ムハによく似た画風ですが、これを描いたのはフランティシェク・ウルバンと彼の妻マリー。

By Andrey Kryuchenko - Own work, CC BY-SA 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=30598550

 

 

教会の裏手に墓地があります。一番奥の合同廟にはカフカやムハなど錚々たる偉人たちがずらりと並び、そのすぐ前にスメタナのお墓もありました。墓標が音符で装飾されていたよ。

 

少し離れたところにカレル・チャペックのお墓がありました。地元民らしき方がお花を取り換えていた。愛されているんだなあ。ドボジャークのお墓は、合同廟とは反対側の方にあるギャラリーみたいなとこにありました。著名人のお墓がわかるように、入り口に番号を振ったマップがありましたよ。

 

そういう世界的に有名な人だけでなく、外国人はよく知らないような人たちのお墓も、美しい彫刻で飾られているものがたくさんありました。ホント、お墓は文化だね。

 

聖ペテロ・聖パウロ教会のすぐ前にカフェがあったので一休みしたかったけど、そろそろ次に行かねば…てことで、城壁の外へ。ヴィシェフラドの丘から下界へと降りていきます。

 

 

伝説の女王が国を建てた場所。かつては王宮が置かれ国の中心となって栄えた場所。国が割れた時には炎に包まれ血が流された場所。今はその華やぎも喧噪も遠く去り、丘は静かに眠っています。そこに、国を支えた偉人たちも眠っているのです。

 

 

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2016/1/1

 

プラハに着く頃にはすっかり日が暮れておりました。バスターミナルにザダネクさんが迎えに来てくれてるのにちょっと渋滞しちゃって遅れてて「どこにいるの?」とメールが来たりして、申し訳なかった。

 

バスからの光景。遠くにプラハ城が見えてる。ヴルタヴァ側にはたくさん遊覧船が出ていたよ。

 

この夜もザダネクさんに飲み歩きにつれて行ってもらうのだ。(ついでに名所めぐりもするのだ)
 

名所めぐりの前に、ここに行った。どこにあったんだったっけ…トラムが建物の下を通る場所があるとザダネクさんが教えてくれて、私がぜひ見たいと言ったので連れて行ってくれたんだ。

  

 

トラム来たよ! もうちょっと後、トラムが見える位置から撮れば良かったんだけど、「わっ、来たっ」ってなって慌てたもんで。つか、夜だとライトが逆光になってトラムが見えにくいねw 明るい時間の、ちゃんとトラムが通っている写真もあります。よそのブログにw katkaさんの「旅のスタイル」をご覧ください。

 

ここがどこかわからないかなーと画像検索してみた。類似の写真リストに出てこないかと思って。無理すぎだったね。ただの、旧市街の夜景リストができただけだった… 素敵…。これ参考に次の旅行をまた考えようっと。日本の街も入ってるよ。つか、伏見神社のあの鳥居とか図書館とかベッドの上で絡み合う男女とかの写真もあって、サーチエンジンが何をどう「類似」と捉えたのかを考えるとなかなか面白い。

 

 

さて、旧市街のあたりから臨む、ヴルタヴァ川の向こうにプラハ城。ここからは素晴らしい景色を堪能できます。やっぱ地元の人はよくご存じだ。この橋はマーネス橋…かな。

 

この美しい建物は「芸術家の家」。 19世紀に建てられた、プラハを代表するルネッサンス様式建築だそうです。大小のコンサートホールやギャラリーからなる複合施設で、国際音楽祭「プラハの春」のメイン会場であるドヴォジャークホールもこの中にあるんだって。(念のため、「プラハの春」は有名な民主化運動から名前を取っているのです)

  

 

とりあえずドアを開けてすぐの場所までは入ってみたけど、新年のコンサートがあるので、その先にはチケットがない人は入れなかった。着飾った人たちがいっぱいいて、華やかだったよー。建物の前にはドヴォジャークの像がありました。

 

後で地下鉄に乗った時、ザダネクさんがハッとした顔で「あれ見て」と言うので振り向いたら、ホームに揃って和服姿のご夫婦がいらっしゃいました。ザダネクさんが話したいと言うので声をかけて少しお喋り。どのホールか聞かなかったんですが、新年のコンサートを正装して聴きに行かれたそうです。やっぱ新年のコンサートってそういうものなのね。優雅だわ~。では、とお別れしたのですが、直後ザダネクさんが「写真撮りたかった…」と呟くので、戻って写真撮影もお願いしました。やっぱ民族衣装はいいね!素敵、素敵。

 


さて、ここからすぐ近くにユダヤ人地区がある。この夜はあちこち行った割にあまり、というか全然写真を撮ってないのよねえ。旧新シナゴーグとかすごく素敵だった。13世紀建てられた部分と16世紀に建てられた部分から成る建物なので、こういう名前がついているんだって。13世紀の部分から、ヨーロッパに現存する最古のシナゴーグとされていて、かつ、現役です。この旧新シナゴーグの屋根裏にはゴーレムが眠っているそうよ。ラビが呪文を唱えると泥人形に息が吹き込まれて、虐げられるユダヤ人を助けるために夜の街に出ていくの。

 

By Photo: Andreas Praefcke - 投稿者自身による作品, CC 表示 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=103693

 

 

旧市街広場にはヤン・フスの像もあった。広場からすぐの場所には、ヤン・フスがスピーチした場所もあるんだけど(たぶんかの有名なベツレヘム礼拝堂とは別だと思う)、そこは今は商業利用されていて、うるっさい音楽がガンガン流れていた。なんだかショックだわ。歴史的に重要な場所だろうに。…まあ、ヨーロッパでは使われなくなった街中の教会とかの利用法に苦慮しているとも聞きます。ショップにしたり、スケートボード場にしたり、宿にしたり… 壊すよりはずっといいと思う。

 

 

広場でビールでも飲もうかと言ってたんだけど、寒かったからホットワインにしておきました。私たちは屋台を使っただけですが、レストランもカフェも大変繁盛しておりました。さすがプラハの旧市街…。美しい建物が並んでいる様子はとても素敵なんだけど、とにかくどえらい賑わいぶりで、ザダネクさんが昼間に来るもんじゃないと言ったのもわかる気がしました。

 

私が最初に予約を入れて後日キャンセルしたホステルも、このとんでもない喧騒の中にありました。めっちゃ賑わってる通りの建物の上階にあって、「ここにしなくて良かった…」と思ってしまったわ。

 

大道芸人もいっぱい出ていましたが、ザダネクさんによるとほぼ全員「聞かなくていい」そうでw、ただ、一人だけお薦めがあると連れて行ってくれたのがこちらのグラスハープ。

 

見事でしたよ。グラスハープを生で見たのは私、初めてかな? 人だかりしていて、みんな熱心に動画を撮っていました。さすがに寒いから、暖房器具で手元を温めながらの演奏です。

 

 

そしてザダネクさんが「XXXは知ってるよね?」と聞いてきて、耳慣れない言葉だったので「知らん」と答えたら、鬼のような形相にw 見なきゃダメだ!ってことで連れていかれたのがプラハ旧市街観光の目玉中の目玉、天文時計でした。ごめん、英語でなんて言うのか頭に入ってなかっただけなの。

 

自分で撮ってないからウィキメディアからもらってきた。夜だし、きちんと撮れるとも思えなくて。

By C1815 - 投稿者自身による作品, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=9549555

 

上が地球とその周りをまわる太陽、月、星(当時は天動説でしたので)。年月日と時間を示しながら一年で一周するんだ。下は黄道12宮と農業の4季で、一日に一目盛りずつ動くんだって。ちょうど正時だったので、上の円盤の両脇に12使徒が出てきてたよ。ラッキーだったなあ。私の隣にいた人は嬉しそうに動画を撮っていた。皆、時間を見計らってきてるんだろうなあ。

 

 

一通り旧市街の見どころを見て回ったので、ごはんにします。「タチノミ(立ち飲み)のすごくいい店がある」と連れて行ってくれたのですが、ザダネクさんが恐れていた通り、元日はお休みしておりました。てことで、じゃあもう一つ素晴らしいレストランがあるとのことで連れて行ってくれたのがこちら。

 

ビストロ KRYSTAL    ザダネクさん、ここも顔馴染みらしく、お店の人とお喋りしていましたわ。

  

 

ビールはザダネクさんご推奨のマツシカ。日本各地で地ビールの指導に当たった醸造家が建ち上げたマイクロブルワリーのブランドで、チェコのビールコンテストで最高賞を取っているそうです。美味しかったなあ。日本でも生が飲めるといいんだけどなあ。

 

食べるものは、ナッツのスープ、チェコ名物の豚の膝肉、プラム入りのおまんじゅうを注文してくれました。舌がとろけるかと思うほど美味でしたー!

 

  

 

 

お店を出た頃はもう23時近くなっていました。そろそろ休まなくてはね。で、翌日のことなどつらつら話しながら歩いて宿のすぐ近くまで戻った時に私が好きなカクテルの話をすると、ザダネクさんが「カクテルも飲むの!?」と。飲むとも。酒なら飲まないものはないぞ。

 

で、「カクテルならすごくおすお薦めのバーがあるんだけど、今から旧市街に戻る?」と言われ… ちょっと迷ったけど翌日が最終日であることを考えると、そしてヴィシェフラドは絶対に見たいことを考えると、そしてそして既に24時近くなっていることを考えると、やめておこう… ってことに…。残念すぎる。次の課題だ。

 

でもなぜかカクテルの代わりに最後のビールを一杯、宿の近くで引っかけたのだった。早く寝ろっつの私。ザダネクさんもよく最後まで付き合ってくれたものだわ。

 

 

ちなみに、私が帰国したのちにザダネクさんが送ってくれた我々の飲み歩き記録マップ。なんでこんなにマメなんだこの人! ありがたすぎて足を向けて寝れん。マップのタイトルが「乾杯」なのがまた良い。

 

 

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2016/1/1


さて、3時ごろにロケトを発ち、カルロヴィ・ヴァリまで戻ってきました。ここからまたスチューデントエージェンシーのバスでプラハに戻ります。バスの時間まで少し間があったので、カルロヴィ・ヴァリをお散歩することにしました。

 

バスターミナル周辺は何もないので、何やらきれいな建物が集まっているっぽいあっち側に行ってみよう。(あっち側に渡るには地下道を通ります) 

グーグルストリートビュー

 

何もないと言っても川沿いに緑があったりしてきれいなの。大きいけれど、自然に囲まれた環境のいい町ね。歴史ある高級保養地で、昔から国内外の多くの人々を惹きつけてきたそうなので、品よく発展しているのでしょう。ドイツ語名のカールスバートの方が馴染みがあるかな。世界的に有名な温泉地なのだ。

 

前にスロヴァキアの温泉地に行った時に(野外博物館を見に行ったら温泉地だったのよ)、温泉を飲むために特化した吸い口付きカップがあって、面白いと思って購入したんですが、カルロヴィ・ヴァリにもそういうのあるんじゃないかしら。お土産屋さんには入っていないけど、ちょっとだけでも冷やかしてみれば良かったな。

 

地下道を出た辺りにこんな道があるので、ここを行ってみることにしました。(地図でも見りゃ良かったんですが、お目当てもなかったので適当で)

 

この道は歩行者専用道路らしく(時期的なものかもしれんけど)、のんびり歩けましたよ。この一帯はきれいな大きな建物が集まっている賑やかな地区で、しゃれたショップやレストランが集中していました。

 

フォーク道の先がまたフォーク道になっている素敵な光景。

 

私はこの右の道から歩いてきた。そうそう、この場所だ。この角の一際美しい建物は郵便局なんだよ。

グーグルストリートビュー

 

ロケトから来るとなんかもう、ホンットに大きな町で…。気後れしたわ。この川沿いに大きな建物がずらーっと続いていくんだ… 壮観だった。このストリートビューでは馬車がここでお客さん待ちしているけど、それを見た記憶はないな。憶えてないだけか、真冬だったからいなかったのか。

 

上の写真の手前側には大きなフラワーガーデンがある。入ってないけど。ストリートビューで見ると木がずらりと植えられた、林みたいな公園だ。その林の奥にはこんなお城みたいなスパがあるらしい。カルロヴィ・ヴァリの雰囲気、わかるでしょ…。

グーグルストリートビュー

 

さて、私はガーデンには行かずに川を渡ってみました。なんか屋台が出てたよ。何か食べたかったんだけど、結局ホットワインだけもらった。お昼に食べ過ぎて、お腹が空いてなかったのよ。ちょっと心残り。屋台で食べるの好きなのに。

 

なんでもう少し上に向けて撮らなかったかな私。濡れた路面に写った灯りに気を取られたんだろうか。これはたぶんホリデイシーズンだけの移動遊園地だろう。

 

後ろのペタッとした建物はホテル・サーマル。カルロヴィ・ヴァリでは毎夏、国際映画祭も開かれます。このホテルも会場の一つになるんだ。ホテル前にこういうスペースがあるし、川沿いだから土手にも人が集まれるからちょうど良いんだろう。

 

お散歩を終えて、バスターミナルまで戻ってきました。大きいでしょー。

 

中も立派よ。バスの発着を知らせる電光掲示板もあるし。でもなんか人が少なくて心細かったわ。皆、ぎりぎりまで来ないのよね。つか、バスもターミナル発車時には半分くらいしか席が埋まっていなくて、途中でどんどん拾っていった。

 

電光掲示板でプラットフォームを確認してあっても、バスが来ると「もしかしてあのバスでは」 「もしかして乗り場が変更に」といちいち不安になる私。やたらと聞きまくりました。結局、電光掲示板の通りの時刻とプラットフォームで良かったんだけど(当たり前だ)。

 

このバスでは、どうせ発車後すぐに日も暮れちゃって外も見えないし、だったら開放感のある通路側の席をと予約しておきました。が、私より後に来た隣席の予約者が背の高い男の子でしてね。彼が窓際に行けるように私が立って場所を開けようとしたら、彼が「窓側に詰めちゃってよ」と言うのだ。んで窓側席に座りました。私はどっちでもいいっちゃいいのだ。実際には完全に暗くなるまで結構時間があり、車窓の景色を堪能できましたわ。

 

スチューデントエージェンシーのバスは各席にモニタもあって映画などを楽しめます。この隣席の男の子もずっと映画を見ておりました。たまに耐えきれなかったのか爆笑していた。そこまで映画に集中しつつも、私が水のボトルの蓋を開けようと苦労してたら、画面に目を据えたままヒョイと手を出して開けてくれたりする、自然体の紳士でございました。

 

 

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2016/1/1

 

お昼にはまた、お城のレストランに行きました。頼んだもの、名前をメモっておけば良かったなあ。鶏の脚の煮込みか。クネドリーキ、食べきれずに少し残してしまった。美味しいんだけど量が多いよね、中年女には。2枚あれば充分だわ。

 

お城から降りたら広場へは一本道… その道筋に宿があると言う事実にうっとりする私。

 

で、広場を突き抜けてまた、旧市街反対側の城壁まで来ました。雪がかなり溶けてるね。

 

壁のあちこちに、何やら歴史解説の漫画が貼ってあります。

  

 

左はクリシュトフ・ハラント・ス・ポルジッツ・ア・ベスドルジッツさん(1564-1621)。ウィキペディアに日本語のページもある。貴族・軍人・テロリスト・文人・音楽家だそうです。神聖ローマ帝国皇帝ルドルフ2世の側近。「白山の戦い」でプロテスタントとして反乱軍に与したため、カトリック勢力によって処刑された。作曲家としては、フランドル楽派に倣った流麗なポリフォニー音楽を残している。声楽家やすぐれた楽器奏者としても知られた。そうです。

 

右の Bedřich z Donína さん(1574-1634)は探検家であり著述家。1回目はオーストリアとハンガリー、2回目はバヴァリア、3・4回目はイタリアに旅行して、その時の旅行記が20世紀になってから出版されたんだって。洞窟について調査して結果をまとめたそうですよ。素敵。

 

他にも色んな人のがあった。撮ってくれば良かったなー。

 

そしてここ、もう一度降りてみたよ。

  

 

シミュラクラ現象で顔に見える。口から外に吐き出されてみよう。

 

降りたらこんな感じ。町全体が小高い丘の上にあるのよ。お城はその丘の更に頂上。

 

東に歩いて行ってみる。見張り塔が見えているね。(つまりあっちからもよく見えたわけだ)

 

次に西にずっと歩いていって、ここは町の北側の橋の上から撮った西端。町の南に残る城壁は東端-西端まであって、城壁としての美しさは東端かなと思うけど、西端の方が最後まで歩けるし、下に降りる階段もいっぱいあって楽しい。

 

この↑黄色い建物は「フロリアン」というホテル兼ピヴォヴァです。ロケトでも特に有名みたいよ。お金持ちっぽい老齢の団体さんも泊まってたし。前にはズラッと巨大ビール樽が飾ってあった。宿の人にも薦められたので入ってみたかったけど、パーティーシーズンだからか貸し切りでした。

 

とか何とか歩き回ってたら、やたらとランニングギアを身に着けた老若男女の市民が目に入る。何事なの。広場に戻ると人だかりがしていたし。

 

これは宿に戻ってからの光景。どうやら、ロケト新春マラソン大会らしいのだ。

 

子供やお年寄りも大勢見かけたので、真剣にタイムを競うようなものではなかろう…と思っていましたが、想像以上に緩かったです。

 

ベビーバギーを押しながら走るパパやママ、ワンコと一緒に走る女性たち、小学校低学年の孫たちをつれたおじいちゃん… と、そんな感じ。ちなみにトップランナーはスタート後15分くらいで広場に戻ってきました。 若い男性でした。

 

ゴールした人たちには何やら暖かいものが振る舞われているようです。

 

面白いなあ。

 

私がロケトで年越しすると言ったら「どうしてプラハにしなかったの」という人が何人かいたけど、地方都市の方が面白いんじゃないかと思う。首都での年越しはブダペストで経験したから、もういいや。

 

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2016/1/1

 

明け方、雪化粧を施された広場の美しさ。明け方といっても7時50分ですが。

 

この時計塔のような建物は市役所です。17世紀後半に建てられたバロック様式。この建物の中には小学校、そしてカルロヴィ・ヴァリで使われていた古い陶器の博物館もあり、また、絵画や彫像の展覧会も開かれるそうです。

 

本当はこの日、近場に遠足に行こうと思っていたんですよ。特にお目当てがあったわけではなく、近隣をぶらぶらしようと。しかし朝起きた時、何となくだるいような、何となく息が熱いような…。起き上がってお手洗いに行くだけでその感覚は霧散しましたが、体の出しているサインを無視しない方がいいと感じまして、遠足はやめました。

 

ロケト周辺は川、森、山がある美しい一帯ですし、自転車か徒歩でのんびり回って、小さな村にでも行ってみたいなと思っていたのですが…。

 

 

てことで、またお城に来ました。どうせ、町を出る前にもう一度来ようと思っていたんだ。

 

前日みたいな上天気じゃない方が、変に影ができなくて写真を撮るにはいいかもなあ。前日の午前中なんて門を内側から撮ると逆光で大変だった。何度見ても実に美しいお城だわ…。

 

ここは、お城の入り口だな。手前にある屋根はチケットオフィスのだ。この少し右側、ここからは見えない低い位置に第1の門があって、正面奥に見えている渡り廊下があるのが第2の門。

 

昨日も見て回った場所をもう一度ゆっくりと見学して、動画を撮ったりして。やっぱりこれくらいじっくり見れたら満足感が違うね。遠足しなくてよかったかも。

 

白いお城もいいね…。つか、大晦日も元日も朝から開けてくれてるってすごい。

 

朝一番に来たんですけど、既にお城のスタッフにより雪は荒らされていたw つか、タイヤかキャタピラの痕かと思っていたけど、よく見たら岩のテラスの上にまで跡がついている…。手押し車かなあ。それにしちゃ幅が広いような気も…。

 

山も霧でかすんでいて本当にきれい。前日も静かだったけど今日はまた特別にシンとしている。神秘的に感じるほど静謐な世界でした。

 

 

しかしその静謐の中に今日も拷問されてる人の絶叫が響き続けておりました。

 

この巨大井戸、前日はじっくりと見ていなかったので説明を読んだり構造を確かめたりしながら見学していたんですけど、このすぐ下に拷問部屋があるのよ…。ずっと聞こえてくるんだよ…。

 

拷問部屋の見学は放棄も已む無しと諦めもつきますが、井戸の見学まで諦めるのは悔しい。意地になってその場にとどまりました。でも悲鳴を聞くのは嫌すぎるので耳を強く押さえつけて何も音が入ってこないようにしておりました。

 

こちらが頑張って読んだ井戸の説明 : この井戸は元は貯水槽として作られたものです。15世紀の初めになって、オフルジェ川まで岩を掘り抜きました。花崗岩を55メートルの深さにまで掘ったのですから、当時としては大変な工事だったに違いありません。

 

とかやってたら、何やら背後に気配が。振り返ると、私と同じように井戸を見学しようとしている若いカップルがすぐ後ろに。音が聞こえなかったからなかなか気づけなくて見学の邪魔しちゃったかしら。「ごめん」と謝って場所を譲ったら、男性が「いいよ、彼女も同じだから。さっき下(拷問部屋)に降りたけどすぐ出てきたんだ」と笑っていました。女性の方は笑わずに「怖かったら、愛を思いながら歌を歌えばいいわ」と真剣にアドバイスをくれました。

 

愛を思いながら歌を…… ってどうすればいいのかしら。と少し考え、キリスト教圏だしってことで、その後はずっと「神はわが力 わが高き櫓 苦しめる時の近き助けなり たとい地は変わり 山は海原の中に沈むとも 我いかで恐れん…」と小さな声で歌っておりました。(私はキリスト教徒ではないので悪を払う効果はないでしょうけど気分はマシに)

 

それにしてもあの音響、ちょっとシステムを変えたほうがいいんじゃないの!? 見学者が来た時だけセンサーで感知して叫び始めるとか! スピーカーをもっと奥の方に設置するとか! 今って朝の開館時間から夕方の閉館時間まで、ずーっと悲鳴が響き渡ってるのよ、中庭まで! 拷問部屋の見学で悲鳴を聞くのは仕方ないにしても、中庭を見るだけでも背筋が凍るような悲鳴を聞き続けねばならないってどーなん!

 

後にプラハに戻ってからザダネクさんにこの話をしたら、「随分楽しんだようだね」と笑っていました。そうね、拷問部屋が恐怖を売りにした場所だとすれば、私やあのアドバイスをくれた彼女みたいに怖くて逃げ出した見学者こそ、一番魅力を味わったってことになるわね。

 

さてさて、井戸と言えば別の井戸もあります。

 

この井戸は1995年の修復時に発掘されたそうです。ちょっと変わった形の井戸で、開口部は直径1.4メートルですが、内部が洋梨みたいに膨らんでいて、2.5メートル下には平らな底があるそうです。使われていた頃は定期的にメンテされていたに違いないそうで、中世初期の貯水槽によく見られる形に似ているので非常に古いものだろうとのこと。発掘時、井戸はがれきで埋まっていました。1810年に監獄にされた際の再建時に捨てられたらしい。繊細な突起のある薄い陶器のゴブレットの破片も見つかっており、1520-1530年ごろのものと推測されているそうです。

 

こちらは墓標ですね。左側の十字架は、元はロケト地域のCínovýという小川を見下ろす場所にあったそうです。暗殺されたカルロヴィ・ヴァリの市長のために1639年に建てられたそうな。1934年にゴロツキが壊しやがったのでお城に移築したとか。

 

もう一つの十字架は1926年までは聖ヤン教会の屋根にあったそうですが、1926年にこちらに移された由。1490年にヒェロニム・シュリック伯爵の命により処刑されたニクラス・フォン・ペルシュタインに関係するそうだけど2人とも全く知らない。手前の砲丸は1618-1648年の30年戦争でスウェーデン軍がロケトを包囲した時の名残で、カタパルトに入ったまま放置されていったんだって。

 

 

そしてこの変な像が何かと言うと、ロケトの岩と石と地下世界の主、ゴットシュタインさんだそうです。尖がってるのはクチバシじゃなくて顎ひげ。

 

ゴットシュタインさんの顎ひげの先に触りながら願い事をして、いくらかのお布施を入れますと、願いが叶うそうです(だからひげだけテカテカに変色してる)。しかし気をつけねばならないのは、それは良い願い事に限るってこと。悪い願い事をしたり、あるいは彼が背後に持っているブラックジャックに触ったりしたら、 彼の怒りに触れ て1年以内にひどい目に遭います。

 

念のため、ブラックジャックってのは布袋や革袋に砂などを固く詰めた武器のことよ。私もおひげの先に触りながら願い事をして、コインを一つ入れておきました。

 

 

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