旅中毒

バックパックと少しのお金とパスポートがあればいい。行けば行くほど行きたい場所が増え、人生狂って後悔なし!



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セルビアとセビリアとシベリアとセゴビアで記事を書いていて思い出した。3年ほど前に別ブログに書いたネタ。

 

当時、大阪に新しくできたばかりの 「世界のワイン博物館」 に行ってみたのです。その頃はウィーンで活躍する刑事犬レックスのおかげでオーストリアにハマっており、オーストリアワインの美味しさを知ってこれまたハマっている最中でしたので、ぜひともオーストリアのワインをいただこうと。

 

しかし、メニューに一通り目を通しましたが、オーストリアワインは見当たらない。一応確認してみようかと、ウェイトレスちゃんを捕まえて 「オーストリアワインは置いてませんか?」 と質問。

 
ウェイトレスちゃん、困惑した様子で「えっ… お待ちください」 と去っていく。把握してないのか…と思ったけど、知らないことをきちんと確認しに行くのは良いことだ。やがて戻ってきたウェイトレスちゃん、「ございます!これです!」 とメニューのオーストリアワインを指差す…。
 
私 「いえ、オースト リ ア です、オースト  リ ア じゃなくて」
ウ 「えっ?」
私 「オースト、 リ、 ア」
ウ 「えっ?」
私 「あの… ヨーロッパの、オースト、リ、アの方」
ウ 「えっ?」
 
あー、オーストリアという国があること自体を知らないっぽい…。
 
「メニューにないってことは置いてないんですよね」 と会話を打ち切りました。「世界のワイン博物館」だのと大層な名前を付けていても、何しろあの大箱です。フロア係は学生バイトか何かで、注文を聞いて酒や食べ物を運ぶだけなのでしょう。地理や国名の方面が苦手な子だっているよねそりゃ。まあ、オーストリアを知らない学生ってのもちょっと…とは思いますが。(それでもアメリカよりはマシかも ⇒ 「外国からアメリカにやってきた人々が聞かれる珍質問」 ) いや、私だって「代数幾何は学校で習ったはずだ」と言われても困るけどさ。(習ってる最中からテストで100点満点の10点とか取ってたし)

 

でもあの子もウィーンなら聞き覚えがあったかも。ウィーンがある国って言えば良かったかしら。……ウィーンはオーストラリアにあると思われてたりして。

 

 

国内でも同様な話はありますね。横浜の人が 「横浜が何県にあるのか知らない人はたくさんいる」 と笑ってました (神奈川県ですよ、念のため)。そして宮城県の人は 「うちも宮城と言っても通じなくて、仙台がある県と言わないといけない」 と。(宮城は地震のせいで有名になったかもだけど…) 滋賀県の人も 「琵琶湖のあるところと言わないと関西の外では通じない」 とも言ってました。
 
私も外国で 「日本のどこから来たの」 と訊かれたら 「大阪」 と言っちゃってます。兵庫なんて絶対通じないから面倒くさいもの。もっとも、大阪も通じないことが多い。まあ、外国ではトー キョーしか知らない人も多いからね。あとはせいぜいキョート。どうせ通じないならちゃんとヒョーゴと言って、面倒がらずに 「西にある県」 と付け加えておけばいいのかもね。

 

 

オーストリアとオーストラリアが混ざるのは世界的なあるあるでして、だからオーストリアでは「オーストリアにカンガルーはいません」と書かれたTシャツやマグカップが人気のお土産なんですって。

 

しかし2015年1月、オーストリアの北西部でペットのカンガルーが逃げ出し雪の中で佇んでいるのが発見され、「オーストリアにカンガルーはいた!」と騒ぎになったそうです。

 

あと、スロヴェニアとスロヴァキアもよく混ぜられるそうで、両国の大使館がお互いの国に間違って届けられた郵便物を月に一度交換するシステムになっているそうです。

 

アイスランドとアイルランドを混ぜてしまう人も多いと聞きますが、ホンマやろうか。この英語を勉強するサイト(英語)には「アイランド、アイスランド、アイルランドは音も綴りも似ているので間違えやすい単語ですが、この3つは全く違う意味を持っています」と書いてあったりするので、これも世界的にあるあるなのかしら。余談ですがアイスランドの民族音楽を聞いたらケルト音楽っぽいのがあって、説明を読むとヴァイキングがアイルランドからさらってきた女性たちが故国の音楽を伝えたからだろうと書いてあった。

 

あと、マイケル・ジャクソンがブカレストのライブで「ハロー、ブダペスト」とやっちまったのは有名ですね。でも実は、アイアン・メイデン、 モーチーバ、レニー・クラヴィッツ、メタリカ、オジー・オズボーン、ホワイトスネイク…と、間違える人は後を絶たないらしい。それくらいはご愛敬で済むかもですが、スペインのサッカーファン400人が2012年にヨーロッパリーグ決勝戦の行われるブカレストに行くつもりでブダペストに行ってしまった件は…
 

オーストリアとオーストラリアは離れすぎているからこんな恐ろしい事態は起こらないと思うけど、セルビアに行くつもりでセビリアに行ってしまう人くらいは、いそうな気もしますわ。

 

 

 

 

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ところで、セルビアについてネットで調べてたら面白いことが。

 

「セルビアとセビリアを混同する人が多い」とあちこちに書いてあるのです。「そんな人いるかしら」と思ったんですが、いるんですね。ロッシーニのオペラ「セビリアの理髪師」を「セルビアの理髪師」と誤記してしまう人たちが。つか、私の友人にもおりました。彼女の場合は、私が「セルビアに行くんだ」と言ったら、「あ、セビリアの理髪師の?」と返してくるパターンでしたが。(「中米に行ってきた」と言うと「へえ、南米に行ってきたんだ」と返してくる人が何人もいたし、まあ、驚きはしません)

 

 

なお、「映画なら「セルビアの理髪師」が本当にある」と言う人がいるのですが、これは「シベリアの理髪師」の間違いのようです。映画「シベリアの理髪師」を「セルビアの理髪師」と誤記している人たちがいるわけです。めんどいので確認してませんが、本家の「セビリアの理髪師」もこのカオスに巻き込まれているかもしれませんな。「今度「セビリアの理髪師」を見に行かないかと誘われてるんだ。イタリアオペラって初めて」 「は? イタリアオペラ? 何言ってんの、ロシア映画でしょ」みたいな。

 

(日本語字幕のDVDもありますよ)

 

 

セビリアもシベリアもセルビアにされちゃって、まあ。と思ったんですが、もしかしたら逆に「セビリアの一青年」とか書いている人もいたりする? とググってみたところ、そのフレーズではネタしか出てきませんが、文春新書の「第1次世界大戦はなぜ始まったのか」のAmazonの紹介に、「オーストリア・ハンガリー二重帝国皇太子フェルディナンド大公がセビリア人テロリストに暗殺された「サラエボ事件」」なる記述が!

 

 

しかしその後には「オーストリアとセルビアによる「ちっぽけな限定戦争」のはずが(後略)」と正しく続く。これにより、スペイン人がオーストリア・ハンガリー帝国の皇太子を殺害したため、オーストリア・ハンガリー帝国がセルビア王国に宣戦布告したと言う謎展開になってしまっているのだった。ま、この本を読もうという人がサラエボ事件を知らないとは思えないので、混乱を招くこともないでしょうが。(てゆかこれ、どこに誤記を知らせてあげたらいいんでしょうね)

 

 

念のため、セルビアとセビリアとシベリアの入り乱れっぷりは英語サイトでも散見されます。日本人だけの問題ではないらしい。

 

そうだ、日本にはせっかくカタカナがあるのだから、セビリアでなくセビージャって書いたらどうかな。(アンダルシアの発音だとセビージャなんだって) あとシベリアは英語風にサイビリアと呼ぶのはどうだろう。ちなみに、オーストリアはオーストラリアとの混同を防ぐために「オーストリー」としてはどうかと言う意見があるらしいです。私としては現地語風に「エスターライヒ」とすればいいのではと思ったりもする。

 

 

あと、セルビアにおいても旧市街に行きたいものだと思いググりましたところ、

 

 

先日、ある人のスペイン旅行記に「セルビアのアルカサル」なる文が出てきて「セビリアのアルカサル」の間違いだろうと思いつつ読み流したのですが、「セゴビアのアルカサル」の間違いの可能性もあるね。こういう町、もっと他にないかしら。

 

さて、セゴビアは10年前にもう行ったわとグーグルを毒づきながらセルビアの旧市街をいくつか調べましたが、私好みの旧市街はないようです。でももしかしたら、有名じゃないから検索に引っかからないだけのこじんまりとした旧い町があるかもしれない。引き続き探してみようと思います。小さな村とかも行ってみたいな。

 

 

 

 

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今年の年末はセルビアに行くことに決めました。

 

最初はモンテネグロに行こうと思っていたのです。アルバニアに行ってからバルカンへの興味が高まっていたし、モンテネグロには素晴らしい旧市街やお城があるので前々からチェック対象だったしね。また、モンテネグロからアルバニア入りした人、アルバニアからモンテネグロに抜けた人などの話を聞き、彼らが「良かったよー」と声を揃えるので、更に期待は高まりました。

 

で、今年の旅先を選ぶにあたり、何年も前から候補になっているシチリアやブルガリアやポルトガルが浮かびながらも、多少他より気持ちが盛り上がっていたモンテネグロを選択しました。……が、旅行会社勤めの友人にチケット手配をお願いしたところ、「隣だけどベオグラードなら安いチケットがあるよ」と教えてくれたので、「あ、じゃあそっちにする」と…。

 

これ、ホントに安いの! 昨年のチェコ行きの半額に近い。たまにこういうのが出るんだってね。見つかるのはただの運。1日早くても遅くても手に入らなかったでしょう。

 

ところで私にとってセルビアは、「10年以内には行くだろうと思っていた国」て感じで、何があるかよく知らないのだ。知っていたのは修道院がたくさんあることかな。馴染みがあるものと言えば学校で習った「セルビアの一青年」くらい。昔、雑誌のネタ投稿コーナーで「知りたいもの:セルビアの一青年の名前」というのを読んで笑っていたのを思い出すわ。いや、笑い事じゃないんだけど。ちなみに今ならググればわかる、彼の名はガヴリロ・プリンツィプです。ネットは広大だわ。

 

セルビア国立観光協会のウェブサイト。どのページもちゃんとした日本語なのに、トップページには変なのが混じってる。英語で言うところの「Scroll for more」ですか。日本語なら「もっと読む」とか、そういう表記が多いですね。

 

で、その次に頭に浮かぶのはやっぱり旧ユーゴスラビアの一連の紛争でしょ。どうも暗いネタが…。とりあえずセルビア関連の情報を得ようと図書館で本を借りてみたものの、置いてあるのは言語学と近現代史の本ばかり。とても面白いんだけど、南スラヴ語群とか民族浄化とか読んでる場合じゃないのよ今は。

 

だって、どこに行くか決めないと宿の手配ができない。短期旅行で宿探しに時間は割きたくないから行く前に手配したいし、安くて好みに合う宿を見つけて押さえておきたい。怖いのはお目当ての遺跡に行った後で泊まるところがないと知る事態。ウズベキスタンでは、アラル海まで行こうと思っていたのを、宿があるかどうかわからなくて怖くなってヌクスで諦めたんだ(真冬だったし)。今ならネットで調べられるだろうけどさ。あ、ところでアラル海、ついに、大きな池って程度にまで減ってしまったそうです。復活プロジェクトのスタッフが死に物狂いで頑張ってるらしいけど…。かつては世界で4番目に大きな湖だったのに。(ニュースはこちら

 

とにかく、セルビアで行きたい場所の絞り込みは一応は出来上がってきました。初日と2日目、最終日の宿は押さえました。もうちょっと考えて旅程が決まったら他の土地の宿を手配します。嬉しいことに、要塞・修道院・鍾乳洞と、私の好きそうなものがいっぱいある。冬季閉鎖でないことを祈ろう。まだそれもわからんのよ。ネット上にも私が知りたい情報が少ない…。

 

同じくセルビア国立観光協会のウェブサイトのトップページ。「Follow us」がこうなったか。

 

 

明日、ブラット社のガイドブックが届きます。Kindleで出してくれたら即日手に入るのに、紙しかないから英国から取り寄せたよ。さて、ゴルバッツにはスメデレボやラムからもバスで行けるかな? ライコバ・ペチナは10人以上のグループでないと入れないのかしら。ホリデイシーズンにも泊まれるワインロッジはあるかしら…。

 

 

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2016/8/16

 

友人に駅まで送ってもらい、そこから仙台へ。何度も通っているうちに何となく仙台に馴染みができてしまって、「ああ、戻ってきたなあ」てな気持ちになりますわ。

 

この日は夜行バスで戻ることになっておりました。集合まで2時間ほど。何かを見に行くには短いし、町中で無為に時間つぶしするには惜しい長さ。となりますと、飲食関係がいいかなーと。バスターミナルがあるJR仙台駅東口はラーメン激戦区と聞き及びますので、晩ご飯がてらラーメンでも食べましょう… と思ったんだけど、近いとこでそそられるお店ってどれもこれも夕方の6時からとかで、まだかなり待たなきゃいけない…

 

てことで、駅のすぐ近くの酒場に入ってビールで暇つぶしを。

 

……しかし、驚いたことに、このビールが進まんのですよ。どうしたんでしょうね、体が不調であるという自覚は全くないのに。真夏に冷たいビールなんて、クイクイ入っちゃうはずなのに。こういうこと、40歳を超えた頃からたまにあるんですよ。飲む気満々だったのに、一口飲んで「あ、今日は飲めない日だわ…」ってなるの。(今ふと思ったんだけど、昨晩飲み過ぎてて体が「今日はやめときぃや」と言ってたのかも)

 

結局、このビール1杯を飲むのに1時間かかりましたわ。残して帰ろうかと思ったけど、それももったいないやらかっこ悪いやら悔しいやら恥ずかしいやら申し訳ないやらで。でもそのせいでラーメンを食べに行く時間は無くなりましてね。

 

結局、バスターミナルの近くで立ち食いも同然のお店に入り、とろろそば400円で夕食にしました。

 

 

この後はあんまり書くほどのこともない。どっかのサービスエリアの自販機でココアを買ったらとても濃厚で、自販機も侮れんなと感心したくらいですかね。

 

 

お土産的な記録。これは会津武家屋敷で買ったレトルトこづゆ。美味しかったです。

 

 

 

次に東北に行くなら今度こそ秋田にしようと思っておりますが、どっちにしても来年以降ですね…。国内も行きたいところがありすぎて大変ですわ。

 

 

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2016/8/16

 

翌日向かいましたのは松島の瑞巌寺です。2011年に東北に来た時に友人が連れてきてくれました。私は瑞巌寺を大変気に入りまして、今回は友人が「前は修理中だった本殿が拝観を再開した」と教えてくれましたので再訪。前は本殿の代わりに庫裏を見学させてもらえましたが、今は庫裏は一般の立ち入りはできません。

 

私が瑞巌寺を気に入ったのは、建物よりもこの洞窟遺跡群が理由ですね~。

 

松島には凝灰岩層を掘った洞窟がたくさんあるそうです。ここは江戸時代に掘られたもので、お坊さんたちが居住し、供養場として使っていました。松島は昔から「奥州の高野」と呼ばれていて、故人の供養が行われてきた場所なんだって。 洞窟の中には大量の卒塔婆や五輪塔がある。一番古い供養塔は1636年のものだそうです。

 

 

こんなに近くで見られるのは今のうちだそうですよ。ここ↓はずいぶん昔に崩れたものだそうだけど、やっぱりすぐ下を歩くのは危険と判断されたようで、もうすぐ今ある通路は立ち入り禁止になります。地震もあったことだしね…。

 

昔は見学者が自由に洞窟に出入りできたらしい。この階段を上って2階のとこに行けたら楽しいだろうなあ。今は柵があって、洞窟には近寄れません。

 

ここ、きっちり直線になってるから人工的に掘ったんだろうけど、こんなに大きな部屋にする必要とは…? 本堂みたいに皆が集まるような部屋だったのかしら。奥には小さな部屋がある。貯蔵室だったらしいよ。

 

上の方にもたくさん彫ってある。

 

左側はすごく天井が低い。右側の写真の左側の小部屋はお手洗いだったそうです。

 

 

この写真の左側にある記念碑は、鉄道関係の殉職者の慰霊碑なんだって。鉄道の敷設には危険を伴いますしね。スウェーデンの森林鉄道インランズバーナンに乗った時も、工事で命を落とした人たちの慰霊碑を見学したよ。そのほかにも事故とか、色々あって亡くなった人も多いだろうし…。しかし1600名ってことは、殉職者だけじゃないのかも? 事故に巻き込まれて亡くなった乗客とかも入ってる?

 

ちなみに、いずれはこの↑右側にあるフェンスが、見学ルートの柵の設置場所になります。すごく離れちゃうねえ。安全のためには仕方ないけど。このフェンスは、新しい見学ルートを整備する工事のため張られているのだ。前に来た時はそこも柵だった。

 


さて、見学の本来の本番である本堂に参ります。(←頭韻を踏んでるわw 本、本、本)

 

元々ここには平安時代からの延福寺というお寺があったらしいけど、その後様々な変遷を経て廃墟同然になっていたのを、江戸時代になってから伊達政宗が復興したそうです。この本堂はその時に完全新築で建てられたもので、1609年の完成。お寺はお寺なんだけど、実質的には正宗の住居でもあった。江戸幕府からのツッコミに対してあくまでも「なんでですねん、どっから見ても寺ですやん」ととぼけ通したらしい。明治時代に解体されてしまった仙台城と同じ構造の大広間が残っています。(つかホンットに明治時代に解体されたお城って多いのね、発狂しそう)

 

 

紀州熊野からわざわざ木材を運んだそうで、ものすごいでかさの梁も残っています。今はどこでも、昔と同じやり方ではお城とか復元できないそうですけど、その大きな理由の一つが、もうそれだけの木材が手に入らないってことらしい。平城京の門の復元でも、国内では木材が調達できなくて台湾から輸入したそうだし。(ちなみに門だけで50億円かかったとか)

 

中は撮影禁止なので、「伊達政宗と瑞巌寺」とか「瑞巌寺公式サイト」でどうぞ。

 

これは御成玄関。天皇・皇族・藩主だけが使う門です。(そこを横から撮っております) 中には壁沿いに縁側みたいなのがあった。そこに下の者たちがズラッと正座して頭を下げて御迎えしたんだって。この御成玄関の前には御成門もありますよ。門も玄関も2つあったのだ。

 

この門を入って右に行くと洞窟がある。ガイドさんが教えてくれたんだけど、門の上に桃の彫刻が乗ってるの。桃は魔除けですからね。

 

上の門の手前側にはお土産屋さんがズラッと並んでいます。左が1回目の休憩で食べたずんだソフトクリーム。右が2回目の休憩で飲んだ松島ビールと、友人の食べたずんだシェイク。

 

この並びにある古いおうちが廃墟となっていたのですが、今はそれを修復中なんですって。大変喜ばしいことでございます。古いものは一度壊したらもう二度と手に入らないのよ…。

 

この後は定番、利休さんで牛タンをいただきました。普通のステーキとおろしポン酢和えを注文し、半分こ。連れがいるとこういうことができるのがありがたいわね。

 

 

そろそろ連れは帰らなければならない時間。最後に付き合ってもらったのが観瀾亭。前にも来たんだけどね。前と同じく、ここでお茶とお菓子をいただきました。鶴ヶ城の麟閣と御薬園に続き、今回の旅行で3度目ですわw

 

 

この建物はもともと伏見桃山城の一棟だったそうです。江戸藩邸に移築したものを、更にここに移したとか。これ自体は18畳2間とこじんまりしていますが、江戸時代には敷地内にお付きのお侍の部屋や台所など11棟もあったそうですよ。藩主一家が松島に遊びに来た時に使ったり、幕府から来たお役人の宿泊や接待に使ったりしていたらしい。

 

 

遊覧船の桟橋がちょっと邪魔かな。私も前に乗ったので文句は言えませんがw

 

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2016/8/16

 

会津若松から一気に塩釜まで参りまして、駅で友人に拾ってもらいました。まずはホテルに荷物を放り込んで、向かいましたのは亀喜寿司さん。地元民である友人のお墨付きです。

 

友人はとりあえずビール、私は初っ端から日本酒を。

 

2人の大好物であるホヤ、そしてちょうど季節のホッキ貝をお刺身で。至福。

 

私、昔とある場所でホヤを食べて、一口で「アカンわ…」ってなって、それ以来苦手な食べ物を聞かれたら「ホヤ」と答えたりしていたのです。(よく「珍味は数に入らない」と言われましたが) 

 

そして2011年の年末に牡鹿半島と気仙沼に遊びに行った際、民宿で夕食を頼みましたら、とても美味しい何かが出ましてね。後に落ち合った友人に写真を見せて「これは何か」と尋ねたところ、ホヤだと言われてビックリですよ。味覚が変わったのか、前に食べたのが口に合わなかっただけなのか…。

(これが牡鹿半島の民宿で出されたホヤです)

 

25年間もホヤは苦手だと思い込んで避けて生きてきた私は、25年損した損したああああとキャンキャン吠えながらホヤやバクライ(ホヤとこのわたの塩辛)を食らったのでした。

 

さて2016年の私はホヤとホッキ貝を堪能したのち、お寿司を4貫いただきました。エビの頭もカリカリと香ばしく焼いてあってそのまま食べられます。お寿司も本っ当に美味しかったので、次に来る時はお寿司だけで攻めようかと友人と相談。

 

ホッキ貝もホヤもお代わりしました。切り方や盛り付けを変えてくれる芸の細かさよ。

 

 

さて、海の幸と美酒を楽しんだ後は、ホテルの部屋で二次会です。友人がたっぷりお酒とつまみを用意してくれていましてね。外飲みも楽しいけど、部屋でダラダラ喋りながら飲むのがまた楽しいのよね~。

 

しかし、お風呂に入ってちょっと休憩… とベッドに転がって、その後は沈没……。飲み切れなかったお酒をお土産にいただきました。

 

 

ちなみにこのホテルは全国チェーンのスマイルホテル。禁煙の部屋がなかったので喫煙の部屋にしましたが、匂いもなく快適でした。見ての通り広かったし、角部屋だったので窓が2つの壁にあって明るくて良かったなあ。またこの部屋に泊まりたい。

 

 

ホテルの朝ご飯。ビュッフェです。なんと500円ですよ。やっす…。デザートにずんだ餅もちゃんとある。

 

朝ご飯が済んだ後は部屋に戻り、支度してさっさと出る…… はずが、あまりの居心地の良さ、気持ち良さに、「動きたくない…」となりまして。私は旅先ではお日様の出ている明るい時間は有効に使って遊び回りたい方ですが、元はだらだらするのが大好きな人間なのだ。寝心地の良いベッド、美味しいご飯で膨れたお腹、無駄話で盛り上がれる友人…と、条件が揃い過ぎていたため、受付に電話をかけて、1時間の延長をお願いしてしまったのでした。

 

 

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2016/8/15

 

この日はお昼過ぎまで会津若松にいますので、七日町(なぬかまち)の散策を予定に入れておきました。古い建物がたくさん残っているエリアなの。雨が降っちゃったけど、そぞろ歩きするだけですからね。

 

まず行ったのは「野口英世青春通り」なる場所。この写真にある、会陽医院跡がある通りです。この委員で野口英世はやけどで負った傷の治療を受け、た医院であり、書生として勉学に励んだ場所でもあります。

 

一階は今はカフェですが、若き日の野口博士が暮らしていた二階が博物館になっている。入り口を入ってすぐ、細い細い階段がありまして、上ると右の写真のように二階に出る。(字だけで説明してもいいのに、こういうとこ好きだから写真を載せてしまう…)

 

 

出生時の記録から始まり、書生時代から渡米しての活躍、アフリカでの医療活動など、当時の資料を基に展示。初恋の人に偽名で恋文を出しまくって神父に厳しく叱責された黒歴史もさらされております。

 

 

見学が終わった後はカフェへ。いい雰囲気だねえ! 素敵、素敵。

 

 

右側の写真手前、私が食べたゴマのシフォンケーキセット、抹茶アイスクリーム付きが写っている。

 

 

お隣もいい感じの建物だったけど、お土産屋さんだったのを閉店したらしい。後には何が入るのかな。

 

そのまた隣の蔵もいい感じだ。

 

この後は、ネットで見つけた簡易版街歩きマップを頼りに歩きだし… 1ブロック歩いたら街角にもっといいマップが立っていたので写真に撮って、それを見ながら適当に歩き出す。と、途中で「会津広域観光案内所」なる場所がありましたので、入ってみる。スタッフさんが「いらっしゃい、良かったらお茶を飲んでいってくださいね」と招いてくれたので、座って冷たいお茶をいただき、街歩きの相談にも乗ってもらい、お店の情報なども満載のマップも入手して装備を充実させて出発。

 

ここまででも既にレトロで素敵な建物がいっぱいありました。マップに載ってないのがもったいないくらい。普通の近代的なビルの間に、いっぱい残ってるんだよ。リフォームする際にもレトロな外観は残そうとしているんだろう。電線だらけなの残念だなあと思っていたら、電線の地下への埋め込みが計画されているとか。大変いいことです。お金はかかるけど、頑張っていただきたい…。

 

これは白木屋漆器店。300年の歴史を持つ老舗で、現在の店舗は大正3年に作られた土蔵造り3階建てのルネッサンス様式。買うつもりもないのに入るのは気が引けるというところですが、ここは資料館も併設していて「どうぞ」と言ってくださるので、お邪魔してきました。1万5千円くらいの小物から、庶民には手が出せない超高級品まで、色々あります。そして建物はもちろん素晴らしかったです。この隣にはイオニア式の円柱を持つ旧第四銀行会津支店(現:滝谷建設事務所)があります。


 

白木屋さんのすぐ近く、こちらは昭和2年に建てられた「だいにつかはら」さん。正面上部中央には「Department Store」、右側には「呉服 百貨店」、左側には「第二営業所」とあり、側面には「株式会社」「第二 チエンストア 呉服百貨店」とあります。反対側の側面には「新柄なら塚原へ」とある。

 

左は会津藩主であったキリシタン大名、蒲生氏郷の資料館。閉まっていたので入れず。右側は1834年創業のお味噌の老舗、満田屋さん。蔵がどれくらい古いかは知らない。

 

 

こちらは大正15年に建てられた木造モルタル3階建て。ここが塚原呉服店の第一営業所だったらしい。現在は野球中心のスポーツ用品店、バンダイスポーツさん。七日町の建築で一番印象的なのはこれだなあ。素晴らしいよ。正面にはプロレス興行のポスターが貼ってありました。

 

こちらは池田種苗店。これも昭和初期らしい。これを建てたオーナーはよほど蕪がお好きだったらしく、窓の上のレリーフも蕪、窓のテラスの欄干のくり抜きも蕪。洒落てるわ~。

 

 

駅に近づくとこんな感じの古い木造建物がずらっと並んでいて、これもまたいい味です。

 

こちらは旅館兼郷土料理屋「渋川問屋」さん。宿泊は2名一室で1人26,000円とかだから手が出ないけど、食事なら2,200円~。奮発して食べてみても良かったな…。てゆか、洋風の喫茶店もあったらしい。知らんかった。そっちなら普通に入れたんちゃうやろか。

 

こちら、阿弥陀寺に隣接する「御三階」。元々は鶴ヶ城にあったのが、明治にお城が解体される際、こちらに移築されたそうです。一階の破風がめっちゃ立派なのは、本丸御殿の玄関唐破風も移築してくっつけたからだって。残せるものは残したかったのね。外から見ると3階建てだけど、中は4階建て。お城にあった頃は、見張り等として使われるほかに、秘密の会議などにも使われていたそうな。

 

 

 

あと、お寺には戊辰戦争で亡くなった会津側の戦死者が祭られており、また、斉藤一のお墓があるそうです。斉藤一は土方たちと一緒に函館には行かず、会津に残りました。東京で没しましたが、会津に埋葬してほしいと遺言したんだって。

 

元はこの3倍くらい写真を準備していたのですが、いざブログを書き始めてから「これは写真が多すぎるのでは」と我に返りまして。色んなタイプの古い建物が残っていて本当に楽しいんだよー。

 

シフォンケーキが思いのほかお腹にたまって、あんまり食欲もなかったんだけど、意地になっておそばを食べておきました。右の写真は観光名所周遊バス「はいからさん」。反対向きルートの「あかべえ」もあるよ。

 

 

バスでも会津若松駅に戻れるけど、明るい時にこの路線に乗っていなかったので電車にしてみた。七日町の駅は観光客誘致のため、レトロ風に建て直したそうです。

 

 

駅舎の中にはカフェもあります。時間つぶしに、りんご三兄弟の飲み比べをしてみました。左から、酸味が強く爽やかな紅玉、甘みが強く芳醇な国光、甘みと酸味のバランスがよく濃厚な緋の衣。味もだけど色も違って、紅玉はピンクっぽく、国光は緑っぽく、緋の衣は黄色っぽかった。こういう飲み比べって大好きよ。

 

 

 

会津若松駅まで戻っても、予定の電車まで30分もありまして。七日町から間に合うように会津若松駅に来るには、電車でもバスでもこうなるしかなかったの。せっかくなので駅の周りだけブラブラしてみる。駅前のこの古風な屋根がついたものが何かといいますと、、

 

地下道への入り口なのだった。階段の上には白虎の絵がついていて、地下の壁は部分的に石垣風。

 

 

 

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2016/8/15

 

翌日はまず飯盛山へ。白虎隊関連の史跡には特に行くつもりはなかったのですが、行きたい場所がこの近くだったので、せっかくだからお墓とか記念碑とか見てきました。250円払えばコンベアで登れるんだけど、足腰が悪いわけでもないのにそんなの使わんでも、てことでテクテク。彼らが会津城の方向に火の手が上がっているのを見たという場所へ。

  

 

ちなみに会津城はこれくらい遠い。

 

彼らは「市中の火災を見て落城したと勘違いし、悲観して自殺した」と伝えられているけれど、生き残った飯沼貞吉の話では事情が違うみたい。飯沼氏によると、何とか城に戻って戦闘を続けよう主張する者と、敵陣に斬り込んで玉砕しようと主張する者とで激しい意見の対立があったそうです。結局、どちらにしても成功しないだろうからと、「生きて虜囚の辱めを受けず」ってことになって、全員ここで自害という結論に至ったらしい。

 

飯盛山で自害した隊員たちのお墓だけでなく、白虎隊の他の隊士たちや玄武隊、朱雀隊、青龍隊の隊士たちの碑もあったので何となくホッとしました。戦死・自刃した女性たちの碑もありましたよ。

 

 

お墓があるところの奥にも元は道があったようですが、最近は整備されていない様子。普段着で通れるような状態じゃなくて、ここで諦めて引き返しました…。

 

左はイタリアから寄贈された碑。右はドイツの大使が個人的に贈った碑。

 

 

このイタリアからの記念碑寄贈に関してはとんでもないエピソードが残っています。「ムッソリーニが白虎隊の話に感銘を受け、ファシスタ党と通じるものがあるとして寄贈した」という説明があちこちに記載されていますけど、実はこの寄贈のきっかけとなったのは詐欺同然のフカシ。

 

下位春吉という、イタリアのファシズムを日本に紹介していた人物がおります。「自分はムッソリーニと非常に親しい」と触れ回っていたけれど、ムッソリーニ側の資料には彼についての記述など一切ないという、そんな人物。その下位春吉が若松市長に「ムッソリーニが記念碑を寄贈したいと言っている」と吹いたのです。しかしこれは事実ではなかった。下位は恐らく、相手(若松市長)が関心を示す鉄板ネタ(白虎隊)を使って、「自分とムッソリーニがどれほど親密で、そのおかげでムッソリーニがどれほど会津に興味を持ったか」と印象付けることで、自分の評価を高めようとしただけだったのでしょう。いるよねー、こういう奴。

 

しかしこの話が会津の新聞に載ってしまったので大変なことに。生き残った隊員や名士たちが賛同者として集まってしまって、「実は嘘でした」済まされない状況になりました。かくて、日本の外務省がイタリアに頼み込んで、本当に記念碑を贈ってもらうに至ったんですと。下位春吉、なかなかの怪人ですね。それなりの実力も実績もあった人のようですが、実際以上に自分を大きく見せてのし上がろうとするタイプだったんでしょう。

 

 

さて、次に見学したのがこの日一番行きたかったさざえ堂。

 

 

1796年に、当時あった正宗寺というお寺の住職さんが建てたのだそうです。正式名称は「円通三匝堂」(えんつうさんそうどう)。昔はこのお堂の中に三十三観音像があり、一周することで三十三札所巡りを完遂できる便利な場所だったそうな。最大の特色は二重螺旋構造。二度と同じ場所を通らない一方通行で上まで行って降りてこられるので、混雑しても人がぶつかり合ったりしない安心設計だったと。

 

こんな風に上って行く…

  

 

ここが頂上。この橋みたいなのを渡ると、下りに入ります。

  

 

頂上の天井のお札がちょっと怖い。

  

 

さざえ堂から観音像が取り外された後、一時は自刃した白虎隊隊員の像が飾られていたそうだけど、今は隊員の像は下に見えるお堂の中にあるんだって。

  

 

これがさざえ堂の中心の部分。向こう側に抜けられますよ。向こうにちょっと見えている床、これが手前側の天井に繋がっている。手前側の床は向こう側の天井になっていくわけです。

 

出口が近づいてきて…   出たらこんな風。

 

入口んとこの彫刻もなかなか。(写真はすべてクリックしたら拡大します)

  

 

 

さざえ堂から階段を降りてきますと、神社があります。

 

左の写真の奥に見えているのが戸ノ口堰水神社。右の写真に見えるのは戸ノ口堰洞穴。猪苗代湖から会津に水を引くために、17世紀に150mも山をくり抜いて作りました。白虎隊の隊員たちはここを通って飯盛山にたどり着いたんだって。

 

 

こちらは厳島神社。杉の枝が落ちてくるから立ち止まらずに急いで通り過ぎろとスリリングな注意書きが。

  

 

 

さて、このまたすぐ近くに旧滝沢本陣があります。7月まで屋根の葺き替え工事をしていたとのことで、だったらもう見れるよねと楽しみにしていたのですが、工事、終わってませんでした。残念。しっかし、新しくなった屋根と古いままの屋根の違いが凄まじい…。古い方が味があるわねw

  

 

この屋根の吹き替えに関しては、色々大変だったらしい。と言いますのは、ここは国指定重要文化財ですので、補修でも何でも、文科省の許可が要るそうです。で、屋根の葺き替えの申請を出していたのですけれどなかなか許可が下りない……と思っていたら、今年に入ってすぐに「やりなさい」と許可が。でも葺き替え用の藁って、簡単に入手できるものじゃないんだって。秋に作るものなので、予め手配しておかないといけない。なのに許可が出たのが真冬だったので、日本中あちこちに頼んでかき集めて、やっと工事に入ったのだとか。文科省、もうちょっと事情を考えてくれたらいいのにね。

 

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2016/8/14

 

家老屋敷の3周目に入らなかった理由の一つは、お昼ご飯をここで食べたかったから。鶴井筒。郷土料理屋さんです。入った時は16時に近くなっていました。

 

右側の玄関が家族や使用人が使っていた玄関。左側の玄関がお客様専用の玄関。

 

とにかく、この建物の中に入れるというのが興奮ものだし、中で会津の伝統料理をいただけるなんてまさに一石二鳥! 郷土料理セット、「会津の味丸かじり膳」をいただきました。

 

左の写真、手前はお蕎麦。奥は棒タラ煮とニシンの山椒漬け。右の写真は味噌田楽(厚揚げ)。

  

 

左の写真は具だくさんの汁「こづゆ」、右はデザートのお餅。きなことごま。

  

 

これに天ぷらをつけるコースもあったんだけど、天ぷらまで食べたらお腹がいっぱいになりすぎるかなーと思ってやめといた。でも、天ぷらって、お饅頭の天ぷらだったの! 食べてみれば良かったわ! ちなみに、お蕎麦は喜多方ラーメンに変更できます。

 

そうそう、こづゆ、お城の見学中に読んだわ。会津の武家料理なんだって。乾燥ホタテで出汁を取ったおつゆで、根菜やキノコ、シラタキ、麩などがどっさり入ってる。昔は宴席に呼ばれたら、お膳のお魚やら煮物やらのご馳走には手を付けなかったんだって。それは最後にお土産にいただいて持って帰るの。その代わりに、こづゆは食べ放題で、どれだけお代わりしても良かったんだって。

 

さてさて、この建物の方ですが、明治30年代に建てられた大地主のお屋敷だそうです。造り酒屋でもあったそうで。元は別の場所にあり、地主一家が手放した後は旅館として営業されていましたが、それが更に廃業して、今のオーナーが買い取って現在の場所に移築したんだって。

 

ここは私が食事をとった部屋。元はこのお屋敷の大広間で、32畳あります。


移築した時、地主一族のうちこの家に住んでいた最後の世代である男性(その頃80歳)が遊びに来たそうです。家の中をあちこち見て回って懐かしんでいたそうですが、この部屋だけは懐かしくないと言う。なぜか。それは、この部屋はお祝い事があった時など特別な時にしか使わなかったから。彼は住んでいた当時小さな子供でしたので、この広間に入ることも珍しく、馴染みのない部屋だから懐かしさを感じなかったそうなw 他の部屋以上に足をきれいに拭いてから上がらなきゃいけなかったとか、そういう面倒くさい部屋だったと記憶しているそうです。

 

ご当主はここで食事をしました。

 

んで、当主の家族はここで食事をしました。一段下がった板の間でね。

 

写真を撮ってないけど、土間を挟んでこの板の間の反対側に、もう一つ小さな板の間がある。さらに一段下がった低いその板の間にも囲炉裏があった。そっちは使用人たちが食事をする場所だったの。とにかく家の中で階級がきっちり分けられている。

 

この家を移築する際、作業を手伝ってくれた人の中に近隣の農家のおじいさんがいて、「昔は随分こちらのお屋敷にお世話になった。最後にもう一度だけお邪魔させていただけないか」と言うので、オーナーは「どうぞどうぞ、ご遠慮なく」と迎え入れたそうです。おじいさんは家の中に入ると、土間に正座して家の中をゆっくりと見渡し、「ありがとうございました」と頭を下げて帰ろうとする。びっくりしたオーナーは「えっ、どうぞ上がって見ていってください」と勧めたんだけど、おじいさんは「私は上げていただけるような身分じゃありません」と固辞し、帰っていったそうです。

 

こちらの階段を上がった2階には、家族の寝室など私室があった。立派な床の間のあるお部屋がリーフレットに載っていました。私は上がっていないけど、お願いしたら覗かせていただけたかしら…。

 

こっちの階段(これの斜め向かいに使用人用の囲炉裏があり、その奥が台所)を上がった2階と屋根裏は、昔の使用人たちが寝室に使っていた。昔は窓に鉄格子がはまっていたそうです。別に閉じ込めるためとかじゃなく、上下関係を示すためのものだったのでは、とのこと。

 

そんでね、この料理屋さんの面白いところなんですが、この2階と屋根裏が「ネパール博物館」になっているんですよ…。何なの突然。オーナーが個人的に何年もかけて買ってきた収集品を展示してあるの。楽器や武器、宗教関係の彫像や道具、服などの日用品などなど…。この2階にある階段を更に上がると…

 

…この屋根裏に。頭をぶつけないよう梁に緩衝材が巻き付けてあります。この屋根裏、めちゃくちゃ暑かった。使用人さんたちはこういうところで生活していたんだなあ。一番奥の仏像の前には見学者が置いて行ったらしいお賽銭が。博物館の運営に役立ててくださいというとこですか。

 

3階から見下ろした家族用の囲炉裏。

  

 

個人的に一番気に入った展示品はこの収納箱と呼び鈴(?)。

 

 

さて、会津とネパールを堪能した後は、さらに周遊バスに乗り込んで先へと進む。バスのルートマップを見ると終点に「東山温泉」とあるので、行ってみようじゃないか、と。武家屋敷がある場所が既に「会津若松の郊外」って感じで、広々してるんだけど、東山温泉まで来ると山の中なんだよね。川沿いに温泉街が広がっています。

 

もしうまくいけばここで一泊…などと考えておりましたが、観光案内所には「本日満室」との文字。当たり前か。こんなとこで泊まれたらどんなに楽しかっただろう…。

 

お盆だから、町の中心には櫓が組んであって、夜はお祭りになるらしかった。屋台も出ていたわ。せめてそれを見物してから帰れたら良かったんだけど、最終バスが結構早いんだよね。残念。

 

まあ、とにかくお風呂だけは入って帰りたい。てことで、観光案内所に入って、まずはバスの時間を確かめ、それから日帰り入浴をやってるとこを教えてもらいました。「大きいお風呂がいい? 小さいお風呂がいい?」と尋ねられ、あんまり大きいとこだと面白くないかなと思って小さいところを希望。すると案内所のお兄さん、「そうだなー、それだったら… あっ、ハイマートさーん! ハイマートさーん!」と案内所を飛び出していきました。何事。

 

目で追いますと、お兄さんは道路で何やら年配男性をつかまえて話している。戻ってきたお兄さんが言いますには、バス停のすぐ隣にあるホテルが「今の時間ならどうぞ」と言ってくれているとのこと。バスの時間を気にするなら、近いところがいいでしょ、と。このお兄さんもほんとに気が利いて親切でした。

 

泊り客が入浴するには早い時間だからか、最初は独り占めでした。後から窓からの景色も素敵!

  

 

最終バスで戻るつもりで、少し温泉街を歩こうかと思っていましたが、お風呂から上がってバス停に戻って飲み物を買ったところでバスが来ました。終バスから1本早いバス。乗っちゃいましたわ。だって、暑くて。せっかくお風呂で汗を流したのに、また汗をかいてしまう…。ドライヤーはなかったので髪が濡れたままだし、なんかもういろいろと不快指数が。しかし濡れ髪を背中に垂らして公共交通機関に乗るのって、どうなんでしょね。

 

会津若松駅で降りちゃうか、七日町まで行っちゃって街歩きをしちゃおうか、ちょっと迷っていたのですが、迷うまでもなくバスは会津若松駅が終着でした。時刻表にはもっと先まで行くように書いてあったんだけど、季節的なものですかね?

 

もともとの計画ではこの晩はどこか居酒屋にでも入って、地のものを食べさせてもらいながら一杯やりましょうと思っておりました。が、お昼ご飯が4時半だったのでさすがにまだお腹が空いていない…。てことで、さっさと宿に向かいました。

 

この晩も宿はネットカフェです。昨晩はお城に近い店舗でしたが、今晩は会津若松の駅に近い方。どっちも最寄り駅から歩いて20分くらいかな。この晩の店舗は隣がコンビニなのもありがたいね。ビールとつまみを買ってから入りました。

 

私の友人がネットカフェを全く知らなかったので、他にもそういう人がいるかもしれんと思って書きますが、多くのネットカフェにはフラットシートと呼ばれる、靴を脱いで上がれる板の間に絨毯敷きのブース席があります。寝る時は私はフラットシートが好き。んで、PC台の下に上半身を突っ込むと暗くてよく眠れる。枕代わりのクッションや毛布も無料で使える。店舗にもよりますが、たいていはシャワーもありますよ(別料金)。食事もできるし、最近じゃアルコールも出すのねえ(別料金)。ちなみに料金は12時間パックで2263円でした。ソフトドリンク飲み放題、ソフトクリーム食べ放題、マンガ読み放題、ネットやり放題で、横になって眠れてこの値段。やっぱネットカフェありがたいわあ。

 

 

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2016/8/14

 

跡継ぎの若様のお部屋の角を曲がると、使用人や女中たちの居住区・職場に。ちなみに、若様の部屋の隣には使用人たち用のお手洗いがありました。もうちょっと配置を考えるべきなのでは…。

  

 

下っ端女中たちは小さな部屋に複数人が詰め込まれて寝ておりましたが、女中頭は個室を持っているうえに、奥には女中頭付きのアシスタント女中の部屋もあったのです。女中頭のお部屋の隣が、使用人たち専用の玄関。

 

その玄関の反対側の隣は厨房エリア。厨房と外との出入り口は、角を曲がったところにある。水は外でのみ使っていたそうで、屋内に桶を持ち込んで流しを使ったりはしていなかったみたい。鎌を置いていたスペースは今お土産屋さんになっている。下の右側の写真の奥の部屋が、家臣たちが食事したところ。

  

 

手前と右奥が調理スペースで、左奥は配膳室だったって。

 

その横にあるのが、家老の家族や家臣が使っていた玄関。その脇には、お客様のお付きの使用人が、自分のある自我用を済ませるまで待機していた小さな部屋があった。塀の向こうに見えているのは、表玄関です。

 

 

左の写真の左半分が家族用の玄関。右半分が屋敷内の事務を執り行っていた役人所。右の写真は役人所のアップで、ここをずっと奥に行くと応接室や当主の執務室に続いていく。…間取り図がないとわかんないでしょ? 間取り図を見ながらでも時々混乱したよ! 楽しい!

 

もっぺん載せとくね。

 

これは敷地内にあった精米所。水車を使って杵が順番に持ち上げられ落下する。今も動いてるよ。

 

これはお台所のお向かいにある長屋。自宅を持っていない若い侍などが警備を兼ねて住んでいたそうです。倉庫みたいなとこには籠もあった。

  

 

倉庫の一部は歴史資料館として使われていました。昔の道具を展示したり、歴史の解説をしたり。西郷頼母の夫人と息女たちが自害した場面をお人形で再現したコーナーもありましたわ。別にグロい展示ではないのですが、見学していた4歳くらいの女の子が「怖い、怖い」と泣き出して、お父さんが抱き上げて宥めていました。感受性の強い子は凄惨さを感じ取るんだな…。

 

 

次に見に行ったのは中畑陣屋。これは本物の移築なのかな?

 

ここが表玄関。場合によっては裁判所としても使われたそうです。つまりお白州がこの玄関の前に設置されたのだ。

 

一番奥が玄関の奥の式台、隣が通り間、手前が茶の間。

 

茶の間の隣は台所です。土間に面している。

  

 

左の写真の手前が台所や茶の間があるとこ、真ん中が表座敷、奥が奥座敷。右の写真は単に反対側から撮った。いや、絵になるね、この構図。他のブログでも皆この構図で写真を撮っているw

  

 

2つの座敷はかっこいい書院造です。

 

 

麟閣の復元コピーがありましたが、そっちはさっき本物を見てきたから写真は無し。

 

「会津武家屋敷」敷地内には、この3つの建物が復元されている他に、歴史資料館とか体験コーナーとか食事処などもあります。弓矢で遊べるコーナーもあって、家族連れやカップルがキャッキャと矢を射て楽しんでいましたわ。

 

それから再度、家老屋敷に戻って、もう一周してきました。ヨーロッパ中世のお城でもそうなんだけど、本当は最低3周はしたいんだ。概要を掴むため下調べ的にさくっと見て回る1周目、用途や構造を確認しながら細かく見ていく2周目、どっぷり浸りながら好きなところでのんびりする3周目。

 

家老屋敷は2周しかできなかったけど楽しみました。会津若松で一番楽しかったのここだわ。繰り返しますが間取り好きにお薦め。冬季には中にも入れるんだって。冬なら人が少ないからかな。次は絶対に冬に行くわ。

 

 

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