書こう書こうと思いながら全然まとまらなくて、ほったらかしにしていましたが…
被災地支援に行った時の感想と、震災に関する徒然の雑感をちょっとだけ、書こうと思います。
実際に行ってみれば、考えや気持ちが明確になるんじゃないかと思っていましたけど、余計にまとまらなくなった感じだったんですよね。
それは、関わり方とか、どんな支援の形が自分にとって一番しっくりくるのかとか、そういうことについてなんですけど。
私が参加させてもらったのは、チーム王冠
さん。
自宅避難者を対象に食料や物資の支援を行っているチームです。
避難所と比べると自宅避難者には支援が届かないとよく聞きます。
行政が把握しきれず、管理下にないのが大きいようです。
もっとも全体的に行政の支援は打ち切りの方向に向かいつつあるようですが。
私が仕事をさせてもらったのは、チームの拠点になっている内陸部です。
津波被害がなかった場所ですので、町は普通に動いています。
そこにある居酒屋さんがチームの本部であり、各地からやってくるボランティアのための宿泊所ともなります。
中心メンバーはたったの3人。
本部の板の間にごろ寝して生活しています。
そこを朝早くに発って津波被災地に向かい、物資を届け、町を走り回って、未だ支援が届いていない自宅避難者がいないかと探して周り、深夜に戻ってくる。
よくもまあ何ヶ月もこんな事を続けていられるものだと…。
倉庫の整備が遅れ気味だとのことで、私は今回はずっと倉庫詰めでした。
自宅避難者に物資のリクエストフォームを渡し、そのリストに従って倉庫番が物資を詰め合わせて、配達。
そう言う流れなので、倉庫が整理できてないと効率が落ちちゃうから。
リクエストフォームを見ていると、トイレットペーパーやティッシュペーパー、台所用や洗濯用の洗剤など、生活用品が手に入らないという声が多いことがよくわかりました。
Tシャツが欲しい、下着が欲しいと言う方も多い。
リクエストの多いものは、あっという間に倉庫の在庫が尽きてしまう…。
衣類だとサイズやデザインも問題になりますので…。
デザインってのはつまり、ご高齢とわかっている方に中学生が着るような柄のシャツもどうかと言うような、そんなことも含めてです。
これを経験して、「ふんばろう東日本プロジェクト」 がやっているような、被災者側の要望をリスト化して、支援者が直接被災者に物資を送ると言うやり方は、確かに効率がいいと改めて思いました。
アマゾンの「欲しいものリスト」 にもたくさん載っていますので、どうぞご協力を。
ただ、そうやってネットに反映していくにもまた、膨大な手間がかかるのです。
100人や200人のことじゃありませんものね。
そして、ネットに馴染みがまったくない高齢者が多い地域では、ネットを支援要請の手段とするのは現実的とは言えない。
それに、必要とされているものはどんどん変化していきます。
さらに、土地柄、そして世代の特徴として、我慢強くて遠慮深い人が多いため、なかなか 「これがなくて困っている」 という声を上げないと言う事情もあります。
だから、地域によっては、チーム王冠 さんや、女川町被災者サポートREAL eYE さんが行っているような、地元民による「御用聞き」スタイルで要望を吸い上げていく活動が、成果を上げているのでしょう。
どんなスタイルでやろうと、反対意見は出る。
どのチームも、プロジェクトも、NPOも、葛藤を抱えていると思います。
その葛藤の部分、つまりうまく機能していない部分を、外部の人間があげつらい、非難し攻撃するのも、しょっちゅう目にします。
もうね、どんなやり方でやっても、うまくいく部分があって、同時に何かがうまくいかないんです。
だから、「どれか」 のスタイルで支援するしかないと思っています。
「これは○○だからダメ。こっちは△△だからダメ」 と、ダメな部分にだけ注目して、支援しない理由ばかり数え上げていても、何も生まれません。
私は、自分が一番納得いくスタイルで、支援を続けます。
今、必要な事だから。
3ヶ月以上経ってもライフラインが一つも復活していない地域もある、支援物資を一度も受け取ったことがない人たちもいる…
ボランティアの際に聞かされた話です。
そして、今でも、似たような話を毎日のように目にします。
一方では、 「物資を渡すから被災者に依存心が湧いて自立しないのだ」 と言う人が増えています。
実際、支援要求の中には、納得できないものも目につくという話も聞きます。
でも、一番近いお店まで10キロで車もない暮らしを送るお年寄りたちもいる。
自宅住まいで家賃が要らなかったから年金暮らしでも何とかなっていた人たちが、自宅を失った。
そして、仮説に入って公的支援を打ち切られ、でも職を得られず、ただ貯金が減っていく事に怯えている人たちは山ほどいる。
今彼らに完全な自立を説くのは、あまりに酷ではありませんか?
念のため、自立を促すことが間違っているとは、決して言いません。
ただ、「自立できる人が自立していない例」 を基準にして、自立が困難な人にまで自立しろと迫ったり、支援を打ち切ったりするのは、おかしいと思うのです。
それに、自宅避難者=家が無事だった人、ではありません。
一階が津波でめちゃくちゃになった家の二階に住んでいると言う人は多い。
それはつまり、家電製品を筆頭に、生活必需品のほとんどが失われたと言う意味でもあります。
水道が復活したと言っても、それはほぼ、上水道が復活と言う意味。
下水施設はまだ復旧していない地域も多い。
つまり、生活排水は垂れ流しになっていたりする。
お手洗いの始末も、穴を掘って埋めているだけだったりする。
おまけにヘドロで埋まった側溝には水が流れなかったりして、雨が降ればあっという間に道路が汚水で冠水する。
真っ黒な水がたまった側溝にメタンガスがわき、蠅が大量発生している…。
被災地にいる人が幾人も、「テレビに映っている場所だけが被災地だと思わないで」 と言うのは、震災直後から何も変わっていないも同然の場所がたくさんあるからでしょう。
被災地の中でも温度差があるそうです。
実際、ネットで、宮城県で被災した人が 「世の中が平時に戻りつつあるのに未だに非常時気どりのNPOが 云々」 と書いていて、驚きました。
彼女の住む地域は、比較的被害が少なかったのでしょうね。
私がボランティアしていた際に話をした被災地の女性は、職場で被害の話はしないのが暗黙の了解だと言っていました。
職員の住む場所も出身地も多岐にわたっていて、被害に差がある。
だからどうしても気持ちに温度差があり、支援のあり方や行政に対する考え方も異なる。
自分が目にしたものだけがすべてだと思ってはいけないというのは、私が旅行中によく自分に言い聞かせることですが (でもすぐに勘違いしちゃうのですが)、同じことが被災地にも言えるのでしょうね。
今でも新聞やテレビには震災関連の話が出てきますが、やはり、「復興に向けて」 というトーンのものが多い。
それは確かに大切なことで、皆で後押しをしていくべきです。
ただ、それと同時に、復興どころじゃない、今日や明日の生活で精いっぱいという人たちがまだまだいる事も、忘れないようにしたい。
今でも被災地ではボランティアによる助けを必要としています。
無理のない範囲で、参加してみて下さい。
現地に行けない人は、遠方からでも参加できる企画に目を向けてみて下さい。
コソボ紛争で難民になった男性が、翌年だったかにインタビューに応えて言った言葉が今も頭に残っています。
「世界がもう僕たちのことを忘れてしまったんじゃないかと思うと、とても怖い」
阪神大震災の翌年、神戸出身のタクシー運転手が乗客同士の話を聞いて怒りに震えたという記事を読みました。
「神戸の連中はいつまで甘えてるんだ、だって。まだ何も終わっていないのに」
以下、お知らせです。
まずは拡散希望。
そして以下はお役立て下さいのリンク。
ボランティアバスの一覧表
http://www.jpn-civil.net/support/volunteer/post_4.html
色んな団体、色んな支援が探せます。
支援物資マッチングサイト
助け合いジャパン被災地で支援したい、遠方から支援したい…。色々できます。
夏休みに入り、学生向けボランティアツアーも充実。
ボランティアジャパン
いわきや石巻での活動参加者募集中です。
8月には福岡からもボラバスが出るよ!
福岡被災地前進支援
森岡は、ボランティアの活動拠点を提供してくれてます
http://www.morioka-shakyo.or.jp/kawai/index.html
神奈川県も頑張ってくれてる
神奈川県が遠野に支援拠点 ボランティア宿泊施設
富山泰庸氏
めっちゃ被災地支援に打ち込んでる吉本芸人さん。
ブログ
もあるけど、ツイッター
の方が活動がわかりやすい。
アクアクララさん
を通して、ツイッターやフェイスブックから、書き込み1件につき飲み水1杯を被災地に送れます。
「ありがとう」 ツイートという触れ込みなので、私も 「ありがとう」 な呟きをしてみたら、友人から 「どうした、何かあったのか」 と心配されました…。
普段どんだけ感謝の足りない生活ぶりなのか私。
「気に留めてますよ」 の気持ちを、ぱんつ2枚に託して送ってください!
探せばまだまだ沢山あります。
自分に合った支援の形を見つけてみませんか。