人の言うことが信じられない。
過去に騙されたとか、酷いことされたら防衛反応でそうなる場合があるでしょう。




他愛のない会話ですら信じられない。
自分が信じていることと違っていたからなのか、その人とは反対のことを強調し不快な雰囲気を作る。
何でも疑ってかかる、素直さがない。
本当は共感しているけど表面的に共感したくない、本心を見せたくない。




自分が傷付かないよう安心できる環境を作る為に、不信感を抱き守るのだそうです。
傷付きたくない傷付かないよう、人に指図し従わせようともするそうです。
守りが強いから本心は見せたくないんでしょうね。




確かに世の中物騒にはなってきていて、用心して疑ってかかることも必要でしょう。




日常会話すら信じられない。
人と信頼関係が築けない。




これって寂しくないでしょうか。
傷付くのが嫌だから本当はやりたいけどやらなかったりもするのではないでしょうか。
人生かなり損をする気がします。
私なら常に傷付くことを恐れ用心して生きるのは、頭がおかしくなりそう。





その人の生き方と言えばそれまでですが、傷付かない為にとやっていることって結果、人を傷付けることもあり、因果応報で必ずまた傷付くことになると思いました。





傷付くことで人生の重みと言うのか、その人の持ち味がまた生かされる部分でもあるのかなとも思います。
だからって、敢えて傷付きにわざわざいくこともないのでしょうけど。




傷付かないようにしてることって周りに守られてる部分もあるので、何かあった時に這い上がるのはかなりの努力が必要と思います。





金銭が絡むとまた違うんでしょうけど、素直な気持ちって大切ですね。




気付くには傷付くことが必要なんでしょうね。