私が住んでいる地区は最寄りの小学校まで歩いて1時間(小学生の速度で)、高校まで自販機が1個だけでコンビニも飲食店(これは今もない笑)もない、田舎です。


我が家からの光景⬇


子供の頃の地区の雰囲気は割とThe昭和の田舎みたいな空気感がありました(色んな意味で)


40年前に開発?開拓?されて我が家の裏側にあった山が住宅地になりました。

この写真より右側なんですが…


昔からの住民はA、ご新規の住民はBみたいな振り分けになりA地区の私はB地区の方々と交流することもなく社会人になり仕事三昧の人生でした。


ある日、私の人生にもゆとりが出るようになり、地域の方々との交流も必要だと思えるようになり、年に1度のお祭りでは地域の子ども達にお菓子を配ったり夜の宴会では料理を差し入れしたりしてB地区の方々とも交流を持つ事ができるようになり、そこから別の料理のお仕事のご依頼を貰ったりとご縁が広がりました。


以前、我が家に飲兵衛のB地区の方々をお招きして私の料理で交流会という名の飲み会をさせて貰った事もあります。


そんな中、突然の大阪での入院療養生活となり一昨年、4年振りに自宅へ戻ってきた訳ですが、去年の秋の地区のお祭りでまた料理を差し入れさせて頂き、また交流が復活しました。


コロナ禍で中止されていたお祭りの復活はさぞかし盛り上がるかと思いきや…


少子化で子供がいない地区になっていました😭

小学生2人ではお祭りのお神輿は中止と💧


山車なんてない小さな地区のお祭りで、子供の頃2日間かけて小さなお神輿を子供達で担いでわっしょいわっしょいと、各家に回ってお菓子やジュースを貰うのが1年に1度の楽しみでもありました。


B地区の方々はお酒好きな方も多く、飲食店のない我が地区は機会があればみんなで集まって飲み食いしたり楽しく過ごしているそうです。


地区を盛り上げる有志の方々のランチ会?的な集まりがあり、その時の食事をぜひ、私の料理でお願いしたい、というリクエストがありお料理を作らせて頂きました。


光栄なことです。


気合い入れたものの、当日は思っていたより手間取り納品時間に遅れてしまって大反省なのですが、とても喜んで頂けたようです。

私の近況も知った上でのご依頼で寛大なご対応に感謝です🙇‍♀️(言い訳です)


アスパラのミモザ風
ピザパイ
ツナのリエットとクラッカー
タコのマリネ
野菜のグレック
スパイス煮豚
野菜の浅漬け
ポテトサラダ
おいなりサーモンいくら

男女比を知りませんでしたが全員女性で宝石箱みたいと感想を頂きました💎✨🎁

男性だったらボリューム少なかったかもしれませんね💦

以前、私の料理は油っこくなくていい、と年上の方から褒めて頂いた事があります。
自分自身、あまり揚げ物を食べず、自分が食べたいものばかり作るのでこうなりがちです👩🏻‍🍳

我が地区は自然は豊富ですが公共交通機関がなく車がないとどこへも行けません。

ちなみに子供の頃は路線バスが走っていて(現在は廃止)幼稚園~小学生は子供だけで各自バスに乗り通学していました。

集団登校制度もなかったですね。


私は何度も朝7:01発のバスに乗り遅れていたものです😆

仕方なく親に小学校まで車で送ってもらいました。

幼稚園児だけでバスに乗るって今では考えられませんよね🤣


これからも出来る限り、地域のイベントに協力していきたいです。


それでは、また。



 

 



 

 


ひなまつりに関連する食材は入ってないものの、今年もオードブルを作りました。

かろうじてサーモンやホタテを使ってピンクっぽく🩷

昨年の徹夜で仕込んだひなまつりを反省し、今年はこじんまりと、心を込めてお作りしました🙇‍♀️

・サーモンのテリーヌ
・ハーブ鶏(手羽先、砂肝)のコンフィ、スパイス風味
・ツナのリエット、カナッペ
・北海道産ホタテのマリネ柑橘ドレッシング
・焼きナスとタコのエキゾチックマリネ
・野菜のエチュベ



昨年から、料理を作る時間が増えて体力が付きました。
去年の今頃は料理作っていても疲れて休憩ばかりでしたが今は集中しすぎて食事も取らずに6時間仕込みしてたり…
もうお勤めレベル🤣今どきはちゃんと休憩あるか…

私の修行時代は、仕事が遅い人は休憩もできず先輩達も自分の仕事が終わればそれぞれ休憩してるパターンが多かったです。

4キロの補助人工心臓のリュックを背負いながらのシェフ業も慣れたもんです🎒😆

私はちらし寿司を家にあるもので作って頂きました🎎



 中日新聞朝刊 『この人』の取材を受け2024/2/22に掲載されました。

中日新聞は、とっていますが、この人というコーナーが毎日ある事を知りませんでした🙏

いつも心臓移植、補助人工心臓の取材となると重く思われがちですが(実際そうですけど💧)体調もいいですし、何度も死にかけたのに生かして頂いてるなら、楽しく過ごしたい精神の私。

今までの経緯や今の生活を沢山お話させて頂き、素晴らしい記事に仕上げてくださいました。

取材してくださった記者さんも学生時代に、この人に掲載されたことがあるそうで…

今の生活でなくてはならないものとなったのがラジオ。
そしてSNSを通じて多くの方々から勇気と元気をいただいた。
野菜作りも今後の目標に向けて継続は必要。
今の私を説明すると、まんまこの記事です。

実は密かにずっと叶えたい夢があります。伏線ではありませんが、いつも取材を受ける時にシレッとアピールしています。
→分かる方には分かるのでいつもコメントで突っ込まれます🤣

40歳で初めて病気になって心臓移植を受けることになり順調だった仕事や取り巻く環境がゼロ、白紙になり再スタート。40代は病気と向き合うことになるだろうから10年間は活動をセーブしようと思い8年。
あと数年したら本格的に社会復帰出来るはずなので、その日のためにも今の一日は大切だと、思っています。

ありがたいことに、新聞掲載エリアは静岡、愛知、岐阜 、三重。
反響の大きさにびっくりです😳

健康であることがどれだけ、幸せで感謝すべきなことか…
健康な人にはなかなか気づけません。

とは言え、今の環境をどれだけ楽しむかが得意?な私なのでマイナスと思われる状況を武器に前向きに考えて、これからも過ごして行きたいと思います。

よく聞かれるのですが、移植はいつ?と…

これは本当に分かりません😭
明日かもしれないし来年かもしれない。
それはそれで、すぐ先の予定も立てられずなかなか辛いものです。

その日が来たら突然入院、手術、また大阪で療養しなければいけません…

補助人工心臓や心臓移植のこと、多くの方に知って頂けることは本望です。

私が補助人工心臓を装着することになった時、心臓移植という言葉が現実味を帯びてきた時、SNSで発信されていた多くのバド患者さんから情報だけでなく勇気や元気をもらって来ました。

先輩の女性バド患者さんから、同じバドガールとして楽しく過ごそうね!とコメント頂きとても嬉しかったことが思い出されます。
バドガール先輩も、ハートメイト2から3への機種変更(あるある案件)など乗り越え、今は移植も終わり元気に過ごしています✨

新聞掲載という素晴らしい機会を頂き、ありがとうございました📰🙇‍♀️

 取材の日は雪が降ってて寒かったー🥶 ⸝⸝

記事はこちらです⬇⬇⬇


それでは、また。