今回の棚ボタ就職の経緯について書きたいと思いまーす
7月末から外資系銀行の教育関連部署に派遣されていました。
前にもちょっと書いたけど、そりゃぁもうひどいアメリカ人の部長で、
一見いい人だったけど、めちゃくちゃ無責任な人でした。
そして、入行1か月ほどたったある日、部長はご両親の結婚50周年ということで
1週間アメリカへ帰っていきました。
それも翌週から始まる研修3つとも準備をほとんどせずに・・・
そのうちの一つは私しか絡んでなくて、派遣なのに私が担当することに。
その研修は前にも書いたけど、グループ全体の部門が集まる30人前後の研修で
研修3日前からテキストの準備やら、教室の準備やらでてんてこ舞い。
当日も不慣れながらも受講生に必要なアナウンス、通訳さんや講師のお世話など
いろいろ、アタフタ。出社も8時半だし、帰社も8時半という生活が1週間続きました。
周りの人たちに助けてもらって、泣きそうになったし、最後にはみんなに声をかけてもらえて
ほんとにうれしかったです。
そんな大変だった研修後、研修の主催者であるカード会社の部長から研修のまとめを
したいから後で来てくれとよばれました。
7月末から外資系銀行の教育関連部署に派遣されていました。
前にもちょっと書いたけど、そりゃぁもうひどいアメリカ人の部長で、
一見いい人だったけど、めちゃくちゃ無責任な人でした。
そして、入行1か月ほどたったある日、部長はご両親の結婚50周年ということで
1週間アメリカへ帰っていきました。
それも翌週から始まる研修3つとも準備をほとんどせずに・・・
そのうちの一つは私しか絡んでなくて、派遣なのに私が担当することに。
その研修は前にも書いたけど、グループ全体の部門が集まる30人前後の研修で
研修3日前からテキストの準備やら、教室の準備やらでてんてこ舞い。
当日も不慣れながらも受講生に必要なアナウンス、通訳さんや講師のお世話など
いろいろ、アタフタ。出社も8時半だし、帰社も8時半という生活が1週間続きました。
周りの人たちに助けてもらって、泣きそうになったし、最後にはみんなに声をかけてもらえて
ほんとにうれしかったです。
そんな大変だった研修後、研修の主催者であるカード会社の部長から研修のまとめを
したいから後で来てくれとよばれました。