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2012-05-25 19:31:32

第185回アート引越センター社長への公開抗議・妹への詰問シリーズ48・「純麦飯を食ひしもの」の実

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第185回アート引越センター社長への公開抗議・妹への詰問シリーズ48・「純麦飯を食ひしもの」の実験があるのに無視した鴎外について質問の巻


きのうの当欄で、鴎外の『カズイスチカ』の「ひどく媚のある目」の「二十二三の櫛巻の女」の「生理的腫瘍(妊娠)」に触れましたが、それで思い出すのが、例の「アメリカ公民権運動の母」ローザ・パークスの自伝。どうしても見付け出せないので記憶で言いますが、国相手の訴訟をするのに(ふしだらな人間等すねに傷ある人間はまずく)、「まっとうな人間」であることが必要で、それには二つの要素が必要だったと覚えています。第一は、「きちんと働いていること」。此の「第一条件」で小生はノックアウトされました。だって、(何度もいいますが)此の67歳になるまで「定職」に就いたことが無いからです。第二の条件が、(ふしだらな)「生理的腫瘍」のないこと。確か彼女の自伝でも、「私生児(bastard)」という「成果物」の言葉は使っていなくて、(ふしだらな)「妊娠(pregnant)」という言葉が使ってあった筈です。つまり彼女のいいたいことは、実際に私生児を産もうが産むまいが、そういう「ふしだらな関係」の結果の「妊娠」が問題だという訳です。まあ、鴎外の「生理的腫瘍」は(恐らく医者仲間では今でも「ドイツ語」で)使われているのだろうと思っているのですが(実際には確かめたことはありません)。



今夕(5月25日)、ヤフー知恵袋に(同じ文章を使って)2件の質問補足をしました。以下に、コピペ引用しておきます。


『衛生新篇・食品及嗜品・穀・大麦』に「麦飯ノ堪ヘタルハ米ヲ混ジタルガ為ナリ純大麦飯ハ実験上八日以上之ヲ食フコト能ハズ(森林太郎)」とあります(『鴎外全集』第三十一巻196頁)。


しかし私は、「純大麦飯ハ実験上八日以上之ヲ食フコト能ハズ」は森鴎外のハッタリではないかと疑っていますが、同じことを過去指摘した人はいるでしょうか、お伺いします。

だって「賢さ」を誇った人ですから、まあ、大まけにいって、「1食」(あるいは「1日」)だけなら実際に食って「実験」したかも知れませんが、とても、自分で「7日間」大麦飯を「実験」したとは思えないのです。それとも、「ビイル」の場合のように、日記等に書いたものがあるのでしょうか(弊ブログに画像アップします)。

補足
質問をあらためます。『鴎外全集第三十三巻』所収の『兵食検査の成績中蛋白及び温量多寡の事』に、「第十三人は看護長にて、純麦食を食ひしものなるが、ここに用無ければ出ださず」とありますが、何故、「ここに用無ければ」なのでしょうか、お伺いします。
質問日時:2012/5/19 17:41:22
残り時間:23時間
補足日時:2012/5/25 19:29:25



第二の質問補足は以下の通りです。


『鴎外全集』第三十一巻後記に、『衛生新篇』改版の経緯についての鴎外資料の引用があります(弊ブログ本日欄に画像で転載させて頂きます)。

其のうちの明治34年7月25日(?)かの森峰子宛書簡に「衛生書は書いてある事が次第に古くなる故困ると存候へども小池が平気なるには如何ともすべからず候」と書いてあって、しかも、同趣旨のことを、賀古鶴所宛書簡でも述べていて後記に引用されています。

しかし私は、(昨日の当欄でも質問したのですが)鴎外が「純大麦飯ハ実験上八日以上之ヲ食フコト能ハズ(森林太郎)」は鴎外のハッタリだと思っており(単に「純大麦飯は食えない」といえばすむのに、此の項目だけ態々「8日間」と数字を出しており、ソモソモ、あのかしこい鴎外が一度はまずい大麦飯を食ったことがあるかも知れませんが「7日間」も我慢する筈がなく、部下に実験をやらせたにしても特に特定の「8日間」という数字を出しているのに不自然さを感じています)、小池が云う「ナニ、ソンナニ古ビルモノカ」という方が当を得ているようにも思っていて、数年後の日露戦争で(脚気患者で)28,000人が死んだことを考えれば、『衛生新篇』(の改訂に熱心で)賀古宛などは鴎外の「イライラ感」が出ているように感じています。

ところで、此の辺のことについて、どなたかが書いていますでしょうか、お伺いします。一応は読んだつもりなのですが、当欄でお伺いする次第です。宜しくお願いします。

補足
質問をあらためます。『鴎外全集第三十三巻』所収の『兵食検査の成績中蛋白及び温量多寡の事』に、「第十三人は看護長にて、純麦食を食ひしものなるが、ここに用無ければ出ださず」とありますが、何故、「ここに用無ければ」なのでしょうか、お伺いします。

質問日時:2012/5/20 19:08:02
残り時間:2日間
補足日時:2012/5/25 19:55:42
回答数:0
閲覧数:58

きのう県立図書館から、山下政三氏の4冊の脚気関係の本を(今年二度目として)借り出しました。まあ、呆れた「トンデモ本」でしてね、前回も直ぐ返本した筈ですよ。東大の医学部卒業だそうで、「センスがないのに東大に受かった典型」といっていい人のようで(本当は「頭が云々」と表現したいんですが遠慮して)、ゆっくり検討するのも馬鹿らしい本です。ですから近日中に、バサットやって終わりにしたいと考えていますが、今日のオマケ画像として、同氏の『鴎外森林太郎と脚気紛争』(日本評論社)をアップしておきます。ムロン、(当方としては「番外」ですが)名誉毀損でも何でも受けて立つつもりです。也


平成24年5月25日21時00分


「コードネーム021320123

(追うに意味ありtoアート引越センター)
又の名を(イギリス訛りで)today
アート糾弾ひつこしセンター」。




「追うに意味あり」アート引越センターへん=別題を 「狒狒爺爺 (ひひジジ) の 覆う非位の非々を追う日々 」に改題

2012-05-24 05:43:09

第184回アート引越センター社長への公開抗議・妹への詰問シリーズ47・スカイツリー特集・鴎外が大

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第184回アート引越センター社長への公開抗議・妹への詰問シリーズ47・スカイツリー特集・鴎外が大千住で「私生児」を見付けた「生理的腫瘍」の巻 


いま(5月24日)19時のNHKニュースで、どこだか知りませんが、「流しそうめん」を報じていました。しかし私はいつも思うのですが、(家族内で限られた人数でする)「流しそうめん」なら、まあ、考えられなくもないが、(不特定多数の)他人も参加している「流しそうめん」は御免こうむりたい。だけど、(こういう施設は全国にたくさんあるらしく)度々(他局でも)報じられているのは、ある意味の「歳時記」なのでしょうが、いつも、「不潔」ではないかと思って見ています。


(自分の父親の下着を割り箸でつまんで洗濯機に入れて洗濯する人がいるのを聞くらいなのですから=単なる「笑い話」なのかも知れませんがどうも本当かも知れないと思っているのですが)まして「口に入れる食べ物」に関して、他人の直か箸の「流しそうめん」には違和感を覚えます。第一、(此の67翁の私だって)自分くらいのお爺さんが来たら勘弁して欲しいと思いますもの。此の件、ヤフーに聞いてみますね。



今朝(5月24日午前)、ヤフー知恵袋に質問 を投稿しました。以下にコピペ引用します。


森鴎外の「日本の風土にあてはめる応用に思いを致さず」「遂に片鱗も独創を示さない」(谷沢永一)思考方法をブログで問題にしています。ところが『妄想』で主人(自分)が伯林に留学中に友人がチフスにかかります。

其の時の感想に、「自分は医学生だったので、どうも日本人には冷水浴は危険だと思って」という箇所があります(今日の弊ブログに画像で引用しておきます)。

此の文章の前半の「自分は医学生だったので」は、此の際問題にはならないと思いますが(本当は「自分は医学生だったので」という専門家意識をもって「どうも日本人には○○○は○○だと思って」という「独創性」を鴎外には発揮して欲しかったのですが)、谷沢永一氏の言では、「日本の風土にあてはめる応用に思いを致さず」「遂に片鱗も独創を示さない」とのことです。

しかし此の友人のチフスの場合は、「どうも日本人には冷水浴は危険だと思って」と考えており、そう考えることはまさに「日本人にあてはめて考えている」ことで、つまり「日本の風土にあてはめる応用に思いを致している」ことだと(私には)思われます。

では、何故鴎外は此の場面で、「どうも日本人には冷水浴は危険だと思っ」たのでしょうか、思うことが出来たのでしょうか。お伺いします。質問日時:2012/5/24 05:40:35ーー(以上コピペ引用終わり)。


今日のタイトルは、森鴎外の『カズイスチカ』から。(大千住の)父親の医院の代診をする話ですが、(まあ馬鹿な話ですが)読んでいて、例えば「田と田との間に、堤のやうに高く築き上げてある」というのを読むと、ツイ、スカイツリーの事を思ってしまうのです。と言っても、鴎外の続く言葉は(ムロン、スカイツリーではなく)「長い長い畷道」なのですが。ヘイ、お退屈様。


イヤイヤ御免なさい、タイトルの(鴎外が発見した)「私生児」について触れるのを忘れていました。つまり此の『カズイスチカ』には、三つの(面白い)病名の話があって、順番にいうと、「落架風」(顎はずれ)・「一枚板」(破傷風)・「生理的腫瘍」(妊娠)なのです。


「もう土地の医師の処をニ三軒廻つて来た婦人の患者」だが、それらの医者では診立てがつかず来た「二十ニ三の櫛巻きの女」(鴎外の表現では「ひどく媚のある目だと思つた」ですが)、ナント、結論は「生理的腫瘍」つまり「妊娠」だというオチなのです。(全集での)最後の1頁を引用しておきますので読んでみて下さい、「子が無くて夫に別れてから、裁縫をして一人で暮してゐる女なので、外の医者は妊娠に気が附かなかつたのである」ということだそうです。


引用の一番最後は「此女の家の門口に懸かつてゐる『御仕立物』とお家流で書いた看板の下を潜つて、若い小学教員が一人度度出入をしてゐたといふことが、後になつて評判せられた」と。ホントに、今度はお退屈様。


ヤフーに聞いた『妄想』のは「画像1」でアップしておきます。ついで、『カズイスチカ』のラストを「画像2」でアップします。でも正確にいうと、ラストの場面だけでは、此の「子」が産まれてくる時に、「私生児」かどうかは(今のところは)分らないことです。

幸田文が、父・露伴に、しぼった手拭の水のしたたりを趣向にミステリーでも書けないかとフト云ったら、言下に「こきたない趣向」だといわれた逸話があります(御免なさい酔っ払い老人のあやふやな記憶の儘を記しましたので正確さは保証なしです)。今日の私の話も、たまたま読んでいた『カズイスチカ』に、「高く築き上げてある」とあったのでツイ悪戯心が出て、続く言葉を「スカイツリー」としたのでした。同じ下町に住んでいた露伴が云う通り、まことに「こきたない趣向」でした。チャンチャン。


平成24年5月24日21時00分


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「追うに意味あり」アート引越センターへん=別題を 「狒狒爺爺 (ひひジジ) の 覆う非位の非々を追う日々 」に改題


「追うに意味あり」アート引越センターへん=別題を 「狒狒爺爺 (ひひジジ) の 覆う非位の非々を追う日々 」に改題

2012-05-23 20:34:07

第183回アート引越センター社長への公開抗議・妹への詰問シリーズ46・マルクスの「ごまかし」をい

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第183回アート引越センター社長への公開抗議・妹への詰問シリーズ46・マルクスの「ごまかし」をいうと鴎外の「ごまかし・歪曲」が薄まるがの巻 




板倉聖宣先生の『模倣の時代』の『あとがきの追加の追加』を紹介する前に、ポール・ジョンソン(別宮貞徳訳)の『インテレクチュアルズ』から、カール・マルクスについての(以下画像で紹介する順に引用するが)、「まちがって解釈したり」、「自分の説に都合が悪い時は無視し」たり、「意味をねじ曲げたり」、「歪曲や不正」、「虚偽」、「不正」、「偏った歪曲」、「紛れも無いごまかし」、「故意に歪曲して引用」、「曲解もいいところ、これ以上のたちの悪いものは考えられない」・・・等の執筆態度があげつらわれていて、それを画像で引用しておきます。そして、森鴎外の「脚気問題」についての、坂内正の『鴎外最大の悲劇』から、上記のように、鴎外への否定的言辞のみを列挙してみたら、どんなものになるだろうかと夢想しているところです。


上記のような「ごまかし」が羅列されると、此処数日述べようとする鴎外の「ごまかし」など可愛いものに思えてきます。其の為にも、やはり、「否定的言辞」の羅列は必要なのかも知れません。


当欄の主要話題である私生児については、此の本の引用画像(87~92頁)の直前に、「夜勤のせいだとされた私生児の出産数にしても、その数字が1801年のものだということは述べられていない」(86頁8~9頁)とありますし、何よりもマルクス自身の私生児(此の本ではそういう言葉は使われていませんが)、章末の数頁を費やして「マルクスの個人的搾取の最たる、異様な行為の産物」、「文字どおり、一文ももらわない労働者」で「愛人でもあり子どもを身ごもった」レンヒェン。「マルクスはそのとき(誕生時)もあとになっても、自分の責任を認めず、子どもの父親ではないかという噂をにべもなく否定した。ルソーのように、その子を孤児院に入れるか、永久に養子に出してしまいたかったのかもしれない。しかし、レンヒェンはルソーの愛人よりも強い性格の持ち主で、子どもを自分で認知すると言い張った」とのことです。いまウィキペディアを見ると、「隠し子 」という項目で出ています。しかし、まあ、恐ろしい「記述」で、ある意味では、この前紹介した、(明治の)「蓄妾の実例」ならぬ、現代の(眼から見た)「蓄妾の実例」にあたるのでしょう。


そういえば、上述の「隠し子」のなかに、司馬遼太郎の「隠し子」については触れられていません。ムロン(離婚歴を隠しての)前妻との「正式な嫡出子」ですから、世間一般でいう「隠し子」ではありませが、司馬遼太郎は(離婚歴を)ヒタスラ隠したのですから、これは新手の「隠し子」に違いありません。いまネットで「司馬遼太郎・隠し子」で検索すると、「千葉市在住・ばばのりあき」という方の発言がありました。以前当欄で「噂の真相」を紹介した時と同じような論調ですので、リンクを貼らせて頂きました (私の当欄での発言・紹介画像は自分では消したつもりがないので、ネット世界のどこかに残っているのではないかと考えているのですが、本当のところは分りません)。「噂の真相」の其の号を買うために、態々、北海道の古本屋から「噂の真相」1年分揃いを5千円で買ったことを思い出しています。


今日のオマケ画像は、例の高橋由一の「由一」の部分を包む「かまえ」のこと。『諸橋大漢和』によれば、「かんねう」(新仮名で「かんにゅう」)、「かんがまへ」(同「かんがまえ」)だそうです。驚きですね、「かまえ」は分るけれども、「しんにゅう」(辶)などの「にゅう」の仲間だなんて。也


平成24年5月23日21時10分


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2012-05-22 21:11:52

第182回アート引越センター社長への公開抗議・妹夫婦への詰問シリーズ45・ヤフー知恵袋に「鴎外は

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第182回アート引越センター社長への公開抗議・妹夫婦への詰問シリーズ45・ヤフー知恵袋に「鴎外は裸の王様」と諷した人
について質問の巻


本日(5月22日)、ヤフー知恵袋に質問投稿 をしましたので以下コピペ引用します。--(以下引用)。


森鴎外を「はだかの王様」と呼んだ人はいますか?

(去年7月に立ち上げた)弊ブログで、一時、アンデルセンの『はだかの王様(原題・皇帝の新しい衣装)』を話題にしました。いま鴎外の脚気問題を取り上げています。

大畑末吉訳の岩波文庫版『完訳アンデルセン童話集(一)』(1984年5月改訂版)所収の『皇帝の新しい着物』の最後は、以下の如くなっています。ーー「なんにも着ていらっしゃらない!」とうとうしまいに、ひとり残らずこう叫びました。これには皇帝もお困りになりました。なぜなら、みんなの言うことがほんとうのように思われたからです。けれども、「いまさら行列をやめるわけにはいかんわい。」とお考えになりました。そこで、なおさらもったいぶってお歩きになりました。そして、侍従たちは、ありもしない裳裾をささげて進みましたとさ。--

此の『はだかの王様』の最後が、私には、森鴎外の『脚気劇』の最後その儘に思えるのです。此の「アナロジー」をどなたか指摘した人がいるでしょうか、教えて下さい。質問日時:2012/5/22 20:03:59ーー(以上引用終わり)。



きょう市立中央図書館に行ったら、木村由利子訳/イブ・タルレ絵の『完訳アンデルセンどうわ・はだかの王さま』(偕成社)がありましたので、ヤフーに聞いた岩波文庫版の最後の場面を「画像1」にして、木村由利子訳/イブ・タルレ絵のを「画像2・3」にします。


むかしある本の書評で、此の「鴎外のアキレス腱」ともいわれる「脚気問題」について触れたことがあります。(さんざん探しまわって見付けたら)1999年の事でした。なお、オマケ画像は板倉聖宣先生(「せんせいせんせい」のオフザケではありません)の「仮説実験授業研究」第2集(1977年再版)の表紙の画像です。此の資料は「書く材料」として使ったものですがたまたま残っていたもので、昔ある講演で、地球の大きさと「土壌の厚さ」を説明するために、仮説社が販売していた「地球風船」を膨らませて説明したことがあります。先日、仮説社のホームページ を見たら、まだ売っていました。懐かしい。但し、事務所がいま高田馬場に移っていますが。


何故、其の「板倉先生」なのかというと、此の「脚気問題」にかかわっているからなのです。でも、今日は(ちょっと事情があって)此の辺で。也



平成24年5月22日21時10分


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2012-05-21 17:28:47

第181回アート引越センター社長への公開抗議・妹夫婦への詰問状公開シリーズ44・「ヤフー知恵袋」

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第181回アート引越センター社長への公開抗議・妹夫婦への詰問状公開シリーズ44・「ヤフー知恵袋」に又もや鴎外・脚気・麦飯について質問の巻


本日(5月21日)夕刻、ヤフー知恵袋に質問 を投稿しました 。当欄の5月7日に画像を添付してありますのでリンクを貼っておきます


ーー(以下ヤフー知恵袋コピペ引用)

いま脚気問題に興味を持っていて、弊ブログ(5月7日)で、頼山陽の「飯は必ず麦を雑ふ」(中川漁村)記述について、此の山陽の習慣は脚気と関係あるのかと記しました。何か書いたものはあるでしょうかお伺いします。質問日時:2012/5/21 17:28:10ーー(以上引用終わり)。


私はいま調べる時間がないので重複を恐れず以下書きます。今日は、坂内正の『鴎外最大の悲劇』(新潮選書)から、(裏表紙に印刷された)谷沢永一氏の『揺蕩の迷路』を引用させて頂きます。※きのうヤフー知恵袋に質問したことに関連して、同書241頁からを画像引用しようと思ったのですが、まず、谷沢氏の思いきった表現「森鴎外は近代日本の知識人を代表するかの如く、留学した国の学術を結論だけ信奉して、その方法を日本の風土にあてはめる応用には思いを致さず文藝および美学の論では、遂に片鱗も独創を示さない」、「世には鴎外を絶対視する神主や宝物殿案内人が後を絶たぬが、今後は本書を学ばずして鴎外を語るわけにはいかぬであろう」と。


表紙に記された著者・坂内正氏の言は「鴎外の偉業は改めて言うまでもない。だがそれはなんの秘密の同伴もなしに達成されたものだったのだろうか。秘密とは、例えば近年明らかにされつつある陸軍兵食論の致命的誤りと、その誤りの固執とが陸軍に齎した脚気惨禍についての彼の重大な関与と責任である。その結果、陸軍は日清戦争で四万一千余の脚気患者と四千余の同病死者をだしただけでなく、次の日露戦争でも二十五万余の患者と二万八千にのぼる同病死者をだしたのである。鴎外の等美掉尾を飾る文業はこの事実を背後において達成されたものであった。そこに彼の悲劇と晩年の憂鬱があった」と。


(此の本はむかし持っていたのですが早々に「整理」したもので)当欄に引用するため図書館で借りたが紛失して弁償、が直ぐ出て来て図書館に行ったら、まだ受け入れ作業をしていなくて「無傷」で今わたしのものになっています。すごい数の書き込みをして、本はもうバラバラになる直前です。


私はね、よほど此の本から、鴎外への「否定的言辞」を抜き取って一覧にしたらどんなになるだろうかと思っているのです。ムロン、谷沢氏の云うように、鴎外神社の「神主や宝物殿案内人が後を絶たぬ」現在では、坂内の冒頭のエクスキューズのように、(今の段階ではやみくもに鴎外非難をしては大変で)「鴎外の偉業は改めて言うまでもない」と書かざるを得ないのが、今の「実態」でしょう。しかし私のように、官の横暴によって父の開発した方法を世に出すのにエライ苦労をした人間には、鴎外の「脚気問題」は過ごしに出来ぬ問題なのです。


そこで今日も、ヤフーに此の件について質問投稿しますので、此の辺でオヒラキを。「画像1・2」は、今日の『鴎外最大の悲劇』の表裏の両表紙で、「オマケ画像1・2」は、岩波文庫版『一年有半・続一年有半』巻末の『兆民著作振り仮名要覧』と解説です。数日前の、御徒町の4通りの読み(書き)と同時に並べて論じれば分りやすかったのですが、ナニシロ、自分の欄内検索でも一仕事なので、当欄は「言いっ放し」でのちまとめるところと決め付けて斯くする次第です。お許しを。也



平成24年5月21日19時50分


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