夏の風景 特別編(上) 平和と温もり | 水本爽涼 歳時記

夏の風景 特別編(上) 平和と温もり

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    特別編(上) 平和と温もり        


 また夏がやってきた。そんなことは云わなくても巡ってくるのが四季なのだし、今年の夏なのである。じいちゃんが剣道で僕に云う、“自然体”って奴だ。…少し違うような気もするが、まあ、よしとしよう。しかし、去年もそうだったように、天気予報によれば、また暑過ぎる猛暑日が何日も続きそうである。

「昔は三十度を超えりゃ、この夏一番のナントカとか云っとったんだがなあ、ワハハハハハ…」

 豪快に笑ったじいちゃんが西瓜を頬張る。父さんは、細々と一切れに噛りつく。

「そうですねぇ。真夏日は、確かあったようですが、猛暑日というのは、なかったですから…。当時は涼しかったですよね」

「ええ、そういえば、前は日射病って云ってましたわ。今は熱中症とかで大騒ぎ…」

 母さんも西瓜を手にしつつ、話に加わった。

「はい…。未知子さんの云う通りです」

 今日も見たところ、じいちゃんは母さんに“青菜に塩”である。

 夏休みの到来は、今年も僕に恩恵を何かにつけて与えてくれそうである。その予兆が先だっても湧き上った。

「クール・ビズだからネクタイはいいんだ」

「あら、そうだったわ…」

 父さんの会社も半袖ワイシャツにノーネクタイの所謂(いわゆる)、エコ通勤へと切り替わった。勿論、夏場だけの一過性のものだが、汗掻きの父さんは大層、喜んでいる。

「なんか…お前の格好は腑抜けに見えるな」

 僕が玄関へ向かった時、じいちゃんが不意に現れ、父さんを眺めつつ開口一番、嫌味を云った。父さんは口を噤(つぐ)んで、敢えて反論しようとはしない。反論すれば必ず反撃される…と、読んでいる節がある。縁台将棋で二手先を必死に読む程度の父さんにしては大したものだと思いながら、僕は玄関で靴を履いた。

「おいっ! 正也、まだ、いるかっ?!」

 玄関の戸口に手を掛けようとした瞬間、父さんのやや大きめの声が響いた。じいちゃんに嫌味を云われた鬱憤の所為(せい)でもあったのだろうが、その声は幾らか怒っている風に聞こえた。

「この前、云ってたラジコン模型な。ボーナスが出たら夏休みに買ってやるからなっ!」

 今度は同じ幾らかでも幾らか違いで、幾らか威張って聞こえた。恰(あたか)も、私はこの家の戸主だっ! と、じいちゃんを含む全員に主張するかのような物云いであった。

「うん! 有難う。楽しみにしてる。じゃあ、遅刻するから、もう行くよ!」と、一応は礼を尽くす。まあこのような、僕にとっては恩恵を与えてくれそうな幸先がいい予兆だった。とはいえ、半面には夏休みが始まっても買って貰えないといった不吉な事態も当然、有り得る訳で、油断は禁物なのだ。云わば、今年の夏休みは臨戦態勢で突入せねばならないとも考えられるのだった。

 そうこうしている内に、終業式が近づいてきた。この時期は通知簿があるから、僕にとっては最も辛く苦しい時期なのである…と云いたいが、実のところ、そうではない。以前にも云ったと思うが(自分で云うのも口幅ったいのだが)、僕は校内トップか二番の好成績で、丘本先生に見込まれているのだ。そうはいっても天才などでは決してなく、秀才と云えば、おこがましいが、まあ、その程度のようだ。丘本先生は関東ならばK高、関西ならばN高も夢じゃないと云う。両親とも、そのことは知っているから、成績のことは諄々(くどくど)とは云わない。但し、母さんは、勉強しなさい…とは口癖のよに云うのだが…。好成績でも、これだけは別で、母心としては、やはり安心出来ないのだろう。

 入道雲が俄かに湧き起こり、青空にその威容を現すと、もう夏本番である。恒例になってしまった湧き水の洗い場で水浴びを済ませ、僕は昼寝をした。恒例になってしまった…のは、二年前のリフォーム工事からのことで、この話も前に云ったと思うが、母屋では工事音が五月蠅くて寝られず、じいちゃんの離れで寝る破目に陥った所為(せい)であった。そのリフォーム工事も済んだ去年の夏も、僕は水浴びを終えてから母屋で昼寝をした。その訳は、味をしめたからである。洗い場で水浴びをして寝ると、実に眠り心地がいいのだ。これは、ある種の依存症の傾向にも思える。無論、アルコールとかニコチン程のものでは決してない。

「よく寝てるな…」

 蝉がすだく昼下がり、未だ眠っていないとも知らず、父さんが約束したラジコンの鉄道模型セットを僕の枕元へ置いた。冬のサンタじゃあるまいし、シャイで直接、手渡せない性格が父さんを未だに安定したヒラとして存続させている原動力なのだろう。出世、出世と人は云うけれど、出世する人ばかりじゃ偉い人ばっかしの世の中になってしまうから、父さんは貴重な存在だと僕は思っている。それに、自分の父親を弁護する訳ではないが、適度に優しい上に宴会部長だし、今一、じいちゃんのように度胸がない点を除けば、素晴らしい父親なのだ。勿論、母さんは、その父さんを管理しているのだから、文句なくそれ以上に素晴らしいのである。更には、某メーカーの洗剤で磨いた光沢に引けを取らない光を発する禿げ頭のじいちゃんに至っては、失われた日本古来の精神を重んじる抜きん出た逸材なのだ。こんな逸材は、世間広しと云えど、そうはいないと思える。…いや、これは少しベンチャラぎみで褒め過ぎのようだ。まあ、皆さんには三分の二程度の話と思って戴ければいいだろう。

 三時半過ぎまで僕は熟睡した。気にはなったが枕元の箱はそのままにして寝入ったのだ。起きると、欲しかった鉄道模型セットの箱が凛として存在した。やはり、ここはひと言、愛想を振り撒かねば…と思えた僕は、居間でカルピスソーダを飲む父さんに近づいた。

「父さん…有難う」

 少しバツが悪かったが、僕としては精一杯の笑顔で、そう放った。

「ん? ああ…」

 振り向いた父さんもバツが悪かったのか、シャイにひと言だけ、そう云った。そこへ、離れからじいちゃんが現れた。じいちゃんは、もっぱら団扇バタバタ派で、電気モノ、特にクーラーや扇風機は一切、使わないエコ族だから、洗い場で身体を拭く為に来たのだ。

「正也、買って貰えたようだな。・・よかったな」

 それだけを流れる汗で弱々しく云うと、父さんには何も云わず、じいちゃんは通り過ぎた。

「お父様、お身体をお拭きになったら、西瓜をお願いしますわ」

「オッ! 未知子さん。それを待っていました」

 俄かに、じいちゃんの声が元気さを取り戻した。やはり、達人はどこか違う…と思った。平和と温もりを感じる我が家の一コマである。

                                       夏の風景 特別編(上) 了