春の風景 (第一話) 異動 | 水本爽涼 歳時記

春の風景 (第一話) 異動

        春の風景       水本爽涼


    (第一話) 異動        


 辺りに長閑(のどか)な陽の光が射して、いよいよ厳しかった冬の寒さから僕達を解き放つ春の鼓動が聞こえ始めた。今日も今日とて、僕は小学校へ一生懸命、通っている。父さんも一生懸命? いや、これに関しては僕の方が長けているとは思うのだが、兎も角、会社へ日々、通っている。

 春休みが近づいた昨日辺りから、俄かに僕の周りではソワソワする輩(やから)が増えだした。この場合の輩は、誠に口幅ったいのだが、父さんを含む。生物、特に渡り鳥などは季節が変わると住処(すみか)を移動するのだが、人の場合は同じ移動でも異動となる。無論、これはサラリーマン以外の人々が対象外であることは云う迄もない。或る種、学年が変わるのだから、僕達も異動する…と、云えるのかも知れない。

「あなた、どうなの?」

「どうなのって?」

「異動よ、異動。決まってるでしょ」

「なに云ってる。全然、決まってない」

 朝から夫婦間の雲行きが誠に宜しくなく、じいちゃんも黙々と食べているだけで、ひと言も話そうとはしない。じいちゃんの場合は、黙々にモグモグを含んでいる。

 学校を終えて家へ帰ると、珍しくじいちゃんが玄関へ現れて、僕を招き猫のように手招きした。なに? という思いで、怪訝にじいちゃんの後ろを付いて行くと、じいちゃんが、

「正也、恭一には暫(しばら)くつまらん話はするな。奴は浮き足だっている…」

 と云う。僕は何のことだか分からず、適当に相槌を打っておいた。後になって分かったのだが、どうも会社の人事異動で父さんが心、ここにあらず…の状態だから、つまらない心配ごとは話すんじゃない、と云いたかったようだ。しかし、そんな心配は例年のように全く徒労に帰し、何事も無かったように父さんは麗らかな春の陽気の中を元気に通勤している。これも、穿(うが)った見方をすれば、やはり駄目だったか…ということになる。万年ヒラでも元気でいてくれる方が僕はいいと思うのだが、本人は、どうなのだろうか?

「いや、参った。お前、腕を上げたな」

「ははは…、まぐれですよ」

 たぶん、じいちゃんは将棋を態(わざ)と負けたに違いないのだが、父さんは仏頂面(づら)を崩して素直に喜んでいる。じいちゃんも、いいところがあるなあ…と、僕は二人の様子を覗き見ながら、ふと、そう思った。

「某メーカーの洗剤Xのように、お前もピカッ! と光る存在になれ」

 じいちゃんの物言いは、いつも、ひと言が多い。

                                                 第一話 了