前回の日記で僕は自身の解説に自信はあるけれど誤謬は想定していると書いたけれど、さっそく誤謬が見つかった。

結局誰も指摘をしてくれないから、僕が勝手に見つけた。

僕は以前の記事で、小沢さとみの目的が文吾なしで強く生きていきたいことだと書いたが、少し正確ではなかった。

正確には他者より優位に立つことが目的と言って良い。加えて母親の様にならないこと。

えーと、これ、説明するんですかね…僕。

さっき気づいたから説明が非常に怠いんですけど。

はぁ。

まず、さとみは学歴に非常に強い関心を持っている。

例えば、シイナにパンダ学園って言われただけで高校生が小学生を殴っている。
 

(2巻p.137)

さとみのプライドの高さを示すエピソードだけれど、それにはそもそも万朶に対して何か誇りに思っているところがなければこの行動はあり得ない。

万朶に執着があるのか、学歴に執着があるのか、とにかく何かそういうものに強い関心を持っている。

中高生の時の学歴なんて本当にどうでも良いと思うんだけれど、それが価値観の根本に置かれてしまったらそれから抜け出すことは出来ない。

鬼頭先生もアレで国立大学でのエリートだから、気持ちが分かるのかもしれない。

なんで万朶を目指すようになったのかは分からないけれど、万朶に非常に強い執着を持っている。

小学生の時分も万朶学園に中学受験を行っている。

しかし結果は不合格。

しかもその合格の為に先生におべっかを使っていて、その事でクラスメイトからいじめを受けている。(8巻pp.155-156)

更には不合格になってしまったために、新川に馬鹿にされる。(8巻pp.113-125)

もう、数ページにわたって馬鹿にされている。

そして、このさとみとの会話の中に、一つ重要なくだりがある。
 


(8巻p.117)

さとみの両親の学歴について。

さとみは万朶の受験に失敗するわけだけれど、一方でテストでは完璧にできたと思っている。

万朶はどうも親の家柄を非常に重視する学校であるようで、その描写が多々なされている。
 


(2巻pp.80-81)

 


他にも描写されているから、描写されているページを書こうと思ったけれど、少し多すぎてちょっと怠い。

シイナが万朶に入学した直後の会話で、入学生の家の裕福さが話題になっていることが多い。

別に他の問題と違って、一言二言でもないので疑わしかったら調べてください。

一方で、さとみの両親は団地住まいで、母親の学歴は中卒。

父親は分からないけれど、ワゴン車に乗っている辺り、収入は高くないのだろうと思う。
 

 

 


(7巻p.156)

それで、さとみはテストを完璧にできたと考えていて、けれど落第してしまったとしたら、その原因をどこに求めるだろうか。

当然、両親に求める。

両親に、特に母親にその原因を求めるのだけれど、母親は「学歴が全てじゃない」と反論する。

けれど、さとみにとってはそうじゃない。

これについては個人の価値観の問題なので、絶対な正解があるわけではなくて、さとみの幸せとさとみの母親の幸せは違うので、どうしようもない。

さとみはここで母親に強い反感を覚える。

新川から受けた侮蔑も、クラスメイトから受けたいじめも、その怒りを全て母親にぶつける。

家柄が良かったらそれら全てが生じないから。

プライドが高いさとみはそれらを許すことが出来ない。

といってもさとみにとっては家柄というより、母親が中卒であることの方がよっぽど問題なご様子。
 


(pp.138-139)

言うまでもなくこれは自身の母親のことで、さとみの心情描写としては必要なんだろうけれど、もっとマシな挿入はなかったのだろうか。

いくらなんでも突飛すぎる。

こんなのロジカルジャンプだ。


一方で、母親も責任を感じている。
 


(7巻p.161)

・2015年4月5日追記
この発言は直前にシイナの母親が研究者であることを聞いたからです。研究者なんて院を出てなきゃなれない。特待生で受かったシイナの母親が最低院卒で、中学受験に失敗したさとみの母親である自分が高校中退の中卒じゃあ責任も感じちゃうよなぁ。それでさとみがあんなに歪んでるんだから。

そんな風に恨みを持ったまま、さとみは公立中学に入学するけれど、小学校からのクラスメイトからいじめられ続ける。

そして王子様が助けてくれる。

当然、誰かといえば文吾。
 

 

 


(8巻p.119)

けれど、この事はさとみにとって非常に恥ずべきことだった。

よく分かんないタイミングでトラウマ再燃している。
 

 

 


(2巻pp.102-103)

このエピソードを挟みたい気持ちは分かるんだけれど、もっとどうにかならなかったんだろうか。

普通に考えたら文吾に守ってもらったことって別に大したことじゃないんだけれど、これは母親のせいでさとみにとって許せないことになってしまう。

さとみは母親の事を許せないのだけれど、母親はこんなことを言っている。

非常にめんどくさいけれど、セリフを書き写す。

「学校は目的じゃないのよ それは目的の為の手段の一つ」
「学歴とか名声とかお金以外にも 生きている意味を見つけている人が居ても良いでしょう?」
「お母さんにはお父さんとの生活をつくっていくことの方が ずっと意味のあることだから。」
(8巻p.123-125)

これだけ聞くと、普通のことだけれど、新川がやらかしている。
 


(8巻p.125)

新川は侮蔑気味に、小沢さんは文吾に守ってもらえるから良いよね、と言っている。

プライドの高いさとみは侮辱に対して非常に敏感であり、その言葉を許すことが出来ない。

そして、文吾に守ってもらう事は、恨みにすら思っている母親の生き方と全く同じものになってしまう。

おそらく、さとみは文吾の事を好きなのだろうけれど、プライドがそれを許さない。

文吾に助けられることは、新川、母親に対しての反発の炎にそのまま油を注ぐことになる。


だからそうではない生き方が必要になる。

それはどんな生き方なのだろうか。

ここが問題で、万朶に入学できたのだからそのまま学歴主義まっしぐらでいいと思うのだけれど、そうはしない。

おそらく、万朶は中学入学組と高校入学組との間で明確な差があり、その事について新川にからかわれ続けているのだと思う。

新川はちょいちょいさとみをからかいに来ている。
 


(7巻p.130)

勉強で頑張って、新川を見返そうと思ったけれど、いざ万朶に入学してみると一文字と二文字という明確な差別があった。(8巻pp.34-37)

これでは学歴によって自分に自信を持つことが出来ない。

となると、他の方法において他者より自分が優れているということを示さなければならない。

さとみは優越論者だ。
 


(2巻pp.82-83)

ここまで書けば分かるだろうけれど、さとみは人を殺して優位に立つことにより、自分が他の人間より優位であると示す道を選んだ。

とすると、さとみの目的は「文吾なしで生きていくこと」というよりも、「自身の優位性を示すこと」とした方が正確になる。

その手段として、文吾なしで生きていき、破壊を行うと考えると分かりやすい。

そして同時に母親の様になりたくないので、文吾を頼らないことも行いたい。

でも、文吾なしで生きていくことも、自分の優位性を示すことも、母親の様にならないことも、全て同じ目的の一側面であるともいえる。

さとみはこれら全ての事をしたいから、須藤直角についていくことを選択する。

そうすればこれらの目的を全て果たすことが可能になる。

とすると目的は人を殺しまくることといえばいいのだろうか。

しかし、人を殺しまくること自体が目的ではない。

どちらかというと手段だ。

一方で文吾なしで生きることも母親の様になりたくないということも、手段なのか目的なのか、判断が付き辛い。

とりあえず、これらのことは全てさとみの目的のペルソナの一つであると考えてることが一番無難だろうと思う。
(ここでいうペルソナっていうのは、神がイエスであり精霊であるという三つのペルソナを持っている、とかいう文脈でのペルソナです)

だから、ともかく文吾なしで生きていくということを単にさとみの目的と据えることは正しくなかった。

さとみが自我を失う時、新川、文吾、母親が同時並行的に回想されたけれど、これはイコールでこの三つがさとみの同時並行的な目的なのだと思う。

 

 


(八巻pp.123-125)

結局、文吾には負けてしまったのだけれども。
 

僕は以前の記事では略式で書いて、それをそうと僕はしっかり記述しなかった。

以上が僕の犯した誤謬。

さて。

さとみの目的については十分解説できたと思う。

ここで終わりにしても良いのだけれど、ついでだし文吾についても書くことにする。

・2015年8月18日 読み手を不快にさせる可能性のある表現があったので中略。

文吾の目的は、さとみを自分のものにしたい。以上

で、終わりにしても良いけれど、ゆっくりと見ていく。

文吾は全体を通して、竜の子を自分の為に一回も使用していないことが分かる。

一回目の俊二さん戦は須藤の命令、東富士はさとみの救援、二回目の俊二さん戦はさとみが怖がったから。
 


(十二巻p.88)

唯一の例外は核のサイロを回る際に空を飛んだ時だけで、基本的に自分の為に竜の子の力は使わない。

前にも書いたけれど、竜の子の保持者になる条件は「何かを守りたいか」「何かを作りたいか」を思う事の二択。
 

 

 

 

 


(四巻pp.202-204)

ここのシーン、一見鶴丸は嘘をついてシイナを騙しているように見えるけれど、別に嘘はついていない。

この時の鶴丸はホシマルとリンクできない理由を話しているのではなくて、地球とリンクできない理由が分からないと話している。

そして、リンクするという事は力が欲しいという事であって、力が欲しいという事はどういうことか、って話。

それは、「何かを守りたいか」「何かを作りたいか」という二つのどちらかを思うという事。

これは直接的に竜の子とリンクする条件の話になる。

この時、問題にされているのはシイナが何でリンクできないかであって、リンクするにはそのどちらかの気持ちが必要だ、と話している。

話を戻すと、文吾は「何かを守りたい」という気持ちから竜の子の保持者になった。

確証はないけれど、のり夫もだろうと思う。

でも、文吾はただの男じゃない。

生粋の変態。

ヤバい人。

別に相手がどうなろうと、自分のものになればそれでいい。

これは「足首のないお人形」のエピソードを読めば全てわかるようになっている。

ただ、文吾が語るのではなくてさとみが語る。

足首のないお人形は文吾が告白されるけれど、お前じゃ無理だで終わる話。
 

 

 

 

 

 


(五巻pp.20-25)

このように、文吾のことはさとみの口から語られる。

結局、文吾とさとみ的には言う事を聞かない相手をそれでも完全に自分のものにするには殺すしかないという発想ということ。

人形の足首についてはかなり暗喩的なので、何とも言えない。

そもそも人形は歩かないのだから、足首を切り落としても象徴的な意味しか生まれない。

これはもう、考察のレベルになるけれど、文吾の性格とこのエピソードの時の文吾の幼さを鑑みて、さとみの足首を切り落として自分のものにしたいという欲求をさとみの大切な人形にぶつけることで解消しているというところなのだろうか。

それが正しいか正しくないかは置いといて、文吾は大切なものが自分のものになるならば、足首を平然と切り落とす人間だという事。

だから、さとみが発狂するほどにいたぶられても、発狂したことにより自分の支配下に置けて、自分の思い通りになったのだから、シイナ達なんか興味がない。

文吾の目的はそれで達成された。
 

 

 


(十一巻p.162)

だからもう、それで満足で他にするべきこともないんだけれど、さとみを自分のものにするために竜に願ってしまった。

竜の子の保持者になったなら、大人になれない。

何でかは知らない。書いてないし描いてない。

ただ、とにかく竜の子と関わったらその代償として竜にならないといけない。
 

 

 

 

(八巻pp.129-131)

 

 

 

 

 


(二巻pp.118-121)

 

 


(十二巻p.147)

これらを読めばわかるように…って言っても分からないかもしれないから解説すると、竜は何か宝物と共に語られる。

それは勿論、竜の子との保持者が作り出した、その当時において価値のあった諸物のこと。

原始宗教と共に語られるのは文明の始まりは蓄財の始まりであって、それを容易に可能にするのが竜であるから。(2015年6月29日追記:この記述はあまり正確ではない可能性がある。竜はイコールで蛇のなわけであって、『神話・伝承事典』の「ヘビ」の記述を頼りに考えた方が良いかもしれない)

竜が美玉と空青を愛するってのは、美玉は竜の子が作り出す複製、空青は飛行能力の事を言っている。

それらを持っているということ。

そして、竜は人を食う。
 


(同上)

 



どういう事かというと、複製能力は無限ではない。
 

 

 

 

 


(八巻pp.150-151)

力を使うことを警告するという事は、力を使う事で力を使わないときには発生しない不都合が生じるという事。

竜の子の保持者がこうむる不都合で確認されているのは絶対に竜にならないといけないこと。

つまり、力を使い続けると竜に食われる。

まぁ、要するに力の対価として竜になることが宿命づけられている。

「今、あなたのためにできること」はその契約についての話。
 

 

 


(五巻p.196)

読んでわかるように、竜の子の望みは保持者に乙姫になってもらう事。

能力を使えば使う程、乙姫になるのが早くなる。

結局、保持者の末路は何らかの理由で死ぬか乙姫になるかしか確認されていない。

そして竜の子との契約は解除できない。


(同上)

そうして、竜の子の保持者は竜に魂を取り込まれて乙姫になる。

話を戻すと、そう決まっている以上、いくらさとみが自分の方を向いてくれているからと言って、この状態で穏やかに暮らし続けることは出来ない。

文吾も竜になる日が来る。

だから、
 

 

 

 

 


(十一巻pp.162-16)

こうして須藤に手を貸す。

その後はさとみと一緒にアメリカ軍から手を出されないどこかに居たけれど、最後は怯えるさとみの為に俊二さんと戦闘、敗北。

自我が崩壊する。
 

 

 

 


(十二巻p.122)

こうなったら小森と同じように竜には成れない。

一応自我はある様子であるロバートも竜になれなかったので、精神が崩壊すると竜には成れないと理解できる。

そして、

 

 

 


(十二巻p.125)

このシーンで文吾とさとみの出番は終わり。

文吾はどうなったか不明。

個人的には死体は遺棄されたと思っているけれど、これ以上描写されたいない為、判断できない。

そしてさとみは竜になる。
 

 

 


(十二巻pp.224-225)

鳥居の上に、さとみの竜と判断する材料を持つ竜が飛んでいる。

そうして、さとみは竜になりましたとさ、で終わり。

なるたるという物語が終ってしまう。

だから、ここから先は存在しない。

どうしようもない。

だから、僕もここで今回の解説を終わりにする。





疲れた…

一時に書き始めて、書き終わったのが投稿時間だから、苦労を理解してほしい。

休み休み書いているとはいえ、やっぱり画像の引用が多いとなぁ…


・2015年8月18日追記
この後、色々愚痴愚痴書いていたけれど、削除した。

まぁ、この記事のコメント欄のでのやり取りの通りなんだけれど、他にも何か不快に感じていらっしゃる方が見受けられた。

よって消しました。

他にもいろいろ不快になっているような書き方があるのだろうけれど、自分じゃわからない。

とりあえずここは消します。

コメント欄は、「ここにコメントを要求する上から目線と捉えられかねない僕のくだらない記述が存在した」という前提なのでご理解のほどを。