水沢アキさんのことを書いておこうと思う。

ご本人にとっては触れられたくない過去かも知れないが、彼女との経緯は正確な事を

きちんと書いておかなければならないと思っている。

これが歌手としてのデビュー曲。CBSソニーから。1973年の9月だったと思う。

 

昭和45年の12月号の月刊平凡はオレにとっては特別の雑誌だった。

古本屋で見かけたこの雑誌をパッと買ってしまったのには理由があった。まあ、フォーリーブスの表紙も懐かしいと思ったのだが、それよりも活版(ざら紙部分)の172ページに、「一日記者」というシリーズ企画のにしきのあきらのページが載っていたからだった。にしきのあきらはこの年の5月にデビューして、人気絶頂の真最中だった。しかし、問題なのはにしきのあきらではなくて[一日記者]の方だった。

 

これがその記事。

 

一日記者というのは、読者が取材記者になってタレントにインタビューするという、ファンにとっては特別な形で本人に会える、うれしい企画なのだった。読者として高校生の女のコが二人、関口あきこさんと近藤洋子さんが取材に参加している。

オレがこの雑誌を買った理由はじつは、このときの二人の女のコの一日記者のうちの子のひとり、関口アキ子さんにある。関口アキ子さんとは何者なのか。どうしてこの話をこうやって書いているかというと、このことを思い出すたびに、人生は本当に一つの出来事で考えられないような展開をしていくモノだということを感じるからだ。

この関口あきこというのは偽名で、本当の名前は溜井昭子という。この当時の芸能界のことに相当に詳しい人でなければ、溜井昭子が女優で歌手としてもデビューした水沢アキだと気が付く人は、あまりいないだろう。写真に写っている向かって右側の、ちょっと可愛い女のコである。

話の発端は、にしきのあきらのマネジャー(今村さんといったと思う)と,一日記者の取材話がまとまって、それじゃ、赤坂の事務所でという話になったときに、「記者になってもらうファンの子は,後援会員とかがいいと思うんですが誰かいますか」と聞いたら、今村さんが「いつも事務所の前に女のコがたむろしていますから、その子たちのなかから選べばいいんじゃありませんか」といったのである。これは現地調達そのものだが、こちらは、雑誌の読者に近い年齢であれば誰でもよく、話はそういう形でまとまった。

約束の日に、事務所に行くとすでに、にしきのは来ていて、事務所の出入り口のところに女のコが二人、張りつくようにたむろしていた。聞くと、山脇学園の生徒で学校帰りに事務所の様子を見に来たら、にしきのがちょうど事務所に来たところにでくわして、ビックリしたという。それで出てくるのを待っている、ということだった。

 

彼女たちに、「こうこうこういう企画で、女のコが二人必要なんだけど、手伝ってくれない?」と持ちかけたら、「面白そう、やるやる、やります」と大乗り気で、即決で手伝ってくれることになったのである。そして撮影したのが誌面の写真。最初、気が付かなかったのだが、にしきのの写真写りはともかく、溜井昭子が可愛かった。

ここに掲載したざら紙の写真でさえも、ある程度、彼女の愛くるしさが伝わると思う。当時、ハリウッド映画にオリビア・ハッセーという女優がいたのだが、彼女はこれにそっくりの雰囲気だった。

このときのカメラマンが、まずうっとりしてしまって「かわいいよねえ」とため息をついた。彼女も写真を撮られることがうれしいらしく、それからオレたちの付き合いが始まった。彼女に「赤坂のオリビア」というあだ名を付けて、有名無名に関係のない女の子の写真が必要なときなど、連絡して,アルバイトみたいな形で会社に来てもらって、モデルにして写真を撮ったりしていた。

「いま、銀座に来てるんです。シオザワさん、忙しいですか」なんていう電話が来るようになり、最初、カメラマンも連れていっていたのだが、そのうち、二人だけで会うようになった。オレは自分たちで撮った写真を彼女にあげていたのだが、ある日、「あたし、オスカーっていうモデルプロダクションからタレントにならないかって誘われたんですけど、どう思います?」なんていう相談を受けるようになった。オレたちが撮影した写真がきっかけだったという。

溜井昭子は背はあまり高くなかったから、オレはいわゆるファッションモデルとしては無理があると思ったが、タレントや女優になるのだったら、無理なことでもないと思った。そのくらい可愛いかった。それで、「芸能界、やってみればいいじゃない」といったのである。彼女が通っている山脇学園は芸能活動にうるさかったので、そのことだけは気をつけた方がいいと思っていた。この時期だったと思うが、彼女から「うちの両親がシオザワさんに会いたいって言っているんです。両親を紹介したいんで、うちに遊びに来てくれませんか」といわれて、正月だったと思うが、親御さんに挨拶に行った記憶がある。

家は確か、駒場だった。それで、お父さんにいろいろと聞かれて、おせちをご馳走になって、「娘をよろしくお願いします」と頼まれた。これが、いまだにどういう「よろしく」だったのか、正確な意味を確定できないでいる。

彼女がわたしのことを「好きな人が出来たから、会ってほしい」という意味合いでオレを両親に引き合わせたのか、それとも、芸能界に入るきっかけを作ってくれた恩人として両親が挨拶したのか、よく分からない。

自分で鈍感だとは思ってはいなかったし、彼女にオレへの好意があることもわかっていたが、このときの彼女の乙女心が正確にはどうだったかは分からない。

オレも彼女を確かにかわいい女のコだとは思ったが、オレはこのとき23歳で、彼女は昭和29年生まれだから16歳、7歳年下だった。オレにはほかに幾人も、というか二股とか三股とかいう話になってしまうが、付き合っている女のコたちがいた。

彼女はまだ高校生だから,まだ恋愛対象に考えられないけど、大人の女になるのがちょっと楽しみだな、もうちょっとしたらホントにいい女になるなみたいなことで、そばにキープして暖かく見守ることにしたのである。

それである日、会いたいという呼び出しの電話があって、どこで会ったか忘れたが、「女優になろう思います。自分で考えて、水沢あき子という芸名を付けたんです。水沢の沢は塩沢さんの沢をもらいました」といったのである。それで驚いたが、オレとしてはうれしくもあった。

この、女優になる話はものすごい勢いで進んでいって、彼女はあっというまにTBSで二谷英明が主演した「夏に来た娘」というテレビドラマのヒロイン役を射止めてしまった。そのときも連絡があり、食事しながらだったと思うが「いまの高校は芸能活動させてもらえないから、やめて、転校します」と告げられた。

ドラマはやがて実際に放送されて、彼女のかわいさはたちまち女優として注目されるようになった。それで、このころは割と無防備に連絡を取りあって、昼間でも夜中でも二人で、こっそりというような意識もなかったのだが、会って食事しておしゃべりしてというような、デートみたいなことをしていたのだが、相手はまだ子どもでそういう年齢ではなかったから、キスするとか、そういう付き合いではなかった。

そういうなかで彼女は人気者になり、たちまち、歌手デビューしないかという話が押し寄せてくることになる。話は二つあり、所属プロダクションのオスカーの古賀さんがテイチクの音楽ディレクターの笹井一臣氏と進めている話と、TBSが子会社の日音を通してCBSソニーと進めている話が合って、バッティングした形で彼女のところに押しかけていたのである。日音、CBSソニー連合軍には、プロダクションとしては田辺エージェンシーが付いているという話だった。

 「シオザワさん、どう思います?」と聞くから、オスカーの古賀さんには悪いが、ソニーもTBSも田辺エージェンシーも仲よく付き合っているところばかりだったし、天地真理も郷ひろみも山口百恵もフォーリーブスもみんなCBSソニーなのだから、ソニーからレコードを発売するのに異論はなかった。それで「オレだったらソニーからデビューするね」というようなことをいったのである。

このあと、夜中にホテル(ニュージャパン)のロビーに真夜中にふたりでいるところを誰かに見られたらしく、あるとき、編集部で「女性週刊誌にお前のことが載ってたぞ」といわれて、ビックリしていたところに,いきなり編集局長の斎藤さんから呼ばれて「シオザワ君、いい加減にしなきゃだめだよ。キミはタレントじゃないんだから」みたいなことを言われて怒られた。オレは現物のその記事を読んでいない。

オレは女にもてたくて、自分から彼女に言い寄ったわけではない。夜中に本人が連絡してきて「シオザワさん、ちょっと会えます?」と呼び出されたのだから、怒られるのは心外だったが、タレントがどこからレコードを出すかという話に首をつっこんでアドバイスしているということ自体が、タレントと芸能記者のつき合いのルール違反といえばそれはそうで、そのことが業界周辺にわかるのもまずいので、口答えするわけにもいかなかった。

水沢あき子の方もたぶん、事務所から怒られたかなにかしたのではないかと思う。

オレたちはなんとなく連絡を取りにくくなり、ある日、突然、連絡があって、オスカープロから田辺エージェンシーに移籍して、CBSソニーからアイドル歌手として、水沢あき子という優雅な名前を水沢アキに変えてレコードデビューすることを告げられる。

このことが決まったあと、オレはオスカーの古賀から呼び出された。事務所に行くと「シオザワさん、水沢のうしろで糸引いたでしょ」といわれた。ソニー・日音・TBS連合に田辺エージェンシーが一枚噛んだのはオレの仕掛けではないかと疑われたのである。それは誤解だったから、すぐ打ち消した。確かにそのころ、田辺エージェンシーの川村氏などと仲よくしていたが、彼女の話に田辺エージェンシーをひっつけたのはオレではない。たぶん、日音の村上さんだと思う。

ソニーからアイドル歌手としてデビューしたあと、当然のことだが、何度か彼女をタレントして取材するようになった。最初のころ、彼女が人なつっこいのは変わらなかったが、だんだんと変化して、オレの手元から離れていった。オレの方もほかのことで忙しく、自然と彼女はどうでもいい女の子のひとりになっていった。

まだ仲良しでひんぱんに会っていたころ、彼女に「なにか面白い本、読みたいから教えてください」といわれて、辻邦生が書いた「回廊にて」という小説があるのだが、その本を貸してあげた。その本はけっきょく、返してもらっていない。

そういうことだけはっきりと覚えている。

彼女のアイドル歌手としてのデビューは時期がちょっと遅すぎたこともあり、人気爆発というわけにはいかず、そこからかなり苦労したのではないかと思う。そのあと、タレントとしてのポジションもなんとなく不安定で、外人と結婚し離婚し、その後、婚約破棄があったり、サラリーマン向けの週刊誌で性体験告白をして、自分の過去をぶちまけたりしている。それを見て、そこまでして自分の過去をしゃべらなくてもいいんじゃないかと思った。どこか壊れてしまったような気がした。

彼女の大事な部分を壊したは、もしかしたらわたしかも知れないと思ったりする。

 

いい女だが、男女のことでは不器用な人である。

 

あのとき、オレが「一日記者、やってくれない?」と頼んだりしなかったら、

溜井昭子はどんな人生を過ごしていただろうか。

本当に一瞬の偶然が人生を変えてしまう。そういうことが確かにあると思う。

水沢アキはこのごろ、テレビではあまり見ない。

調べると、所属はオスカープロになっていた。

歳をとって、また、古賀さんのところにもどったのだな、と思った。

 

この話はここまで。