いわゆるポルノ女優の女のコと出会った話を書く。元祖ポルノ女優・池玲子さんである。
一九七一(昭和四十六)年の十月二十四日に東京新聞で池玲子さんの取材をした。
わたしはずっと日記をつけていたのだが、この日はノートに「池玲子と出会った。日本最初のポルノ女優ということで、どんな女性か、いろいろと空想していたが、新鮮な印象で驚かされた。児島みゆき、紀比呂子、関根恵子に初めて出会ったときのことを思い出した」と書いている。池玲子(以下敬称略)に出会った場所がなぜ東京新聞だったのか、そもそも彼女のインタビューというのが、東映の宣伝部に頼まれた取材だったのか、それとも、自分から言い出したことなのかも思い出せない。
それがどうして、このコのことをこんなにはっきり記憶しているかというと、この日、出会ったのは東京新聞と書いてあるが、どこか喫茶店のようなところで二人で話をしたと思う。彼女はそこに高そうな毛皮のコートを着て現れて、コートの下は赤いダボッとしたこれも高そうなVネックのモヘアのセーター一枚だった。
喫茶店でわたしと差し向かいに座ったのだが、セーターのサイズが大きすぎて、オマケにノーブラというかシャツも着ていなくて、ハダカにセーター一枚羽織ってきただけという、フランスの女優のように官能的なかっこうをしていた。しかも、下を向いたり身体を屈めたりするたびにVネックの襟元のすきまから紡錘形のみごとなかたちをした、いまなら巨乳と書くのだろうが、大きなオッパイが乳首の先まで丸見えに見えるのである。
デカパイ。
わたしも大学を卒業して、出版社に就職した翌年、23歳でこのころはまだ新米の芸能記者である。あれから47年間のあいだに何千回という取材をやって、女優のインタビューも相当の数こなしているが、相手の乳首を見ながらインタビュー取材したのはこれが初めての経験でそうとうドキドキした。それで忘れられないでいる。
池玲子はこの年、『温泉ミミズ芸者』という大人向けの映画でデビューして、雑誌協会が主催するゴールデン・アロー賞のグラフ賞(前年受賞者は辺見マリ、翌年は山本リンダがもらっている)を受賞している。わたしが彼女をインタビューしたのはたぶん、このゴールデン・アローに関係があると思う。池玲子は本名池田玲子、十七歳といっているが、本当は十六歳で、本人がいうところでは、共立女子高校に在学中、映画出演して学校を退学させられ、文化学院の高等課程に転校、現在はそこも休学中であるという。身長は百六十五センチ、体重四十九キロ。スリーサイズはバスト九十八、ウェスト五十九、ヒップ九十という、まだ子どものくせに、みごとな肉体の持ち主だった。メモには映画の出演料は一本十五万円。父親は建築設計事務所の社長で、一人娘なんですとある。
あとから、ウィキペディアで調べると、これらのプロフィールは東映のプロデューサーの天尾完次がつくったもので、すべてウソ、と書いてある。スリーサイズくらいは本当だろうが、小説家でシャンソン歌手だった戸川昌子が渋谷でやっていたスナック『青い部屋』でホステスをやっているところをスカウトされたとか、母親のスナックを手伝っていて女優にならないかと声をかけられた、などのいろんな話がある。いずれにしても謎の女なのだが、石原裕次郎が愛人の銀座のホステスに生ませた隠し子で、現在もその関係は続いていて、池玲子のお母さんは銀座のクラブのママ、なんていう噂も流れた。いずれにしても、そういうしたたかな娘なのである。
それで、どうしてこのコのことをそんなに覚えているのかというと、前出のおっぱいの話もそうだが、彼女は取材の合間にトイレに立ち、女の方のトイレがいっぱいだからという理由で、男の大便用のトイレに入ってオシッコをして、平気な顔をしてもどってきた。喋ることもすることも過激だった。ノートにはこんな会話が記録されている。
「あたし、まだ十七歳だけど、大人の世界で片意地はって生きているんです。これは書かないでくださいね。あたし、いままで三本映画を撮ったけど、四本目は主演。あたしはやってもいいと思って入るんだけど、両親は反対しているんです。あたし、四本目はきっとやらないと思います。そして、今年中にきっとなにか、大事件を起こすと思うの」
「それは誰かともめて失踪するとかそういういうこと?」
「ええ、それに近いようなこと。親は映画出演を許してくれたわけじゃないんです。だから、昔はオトコなんていったら、目の色変えて心配していたけど、いまははやく恋人つくらなきゃダメよ、恋人つくって大人しくなりなさい、っていわれます。恋人ができたら、毎日、会いたい。あたし、みかけは大人に見えるかもしれないけど、ホントは子どもなんです。話すことと顔がちぐはぐでしょ。恋人ができたら、毎日会って、おしゃべりして、セックスして、結婚して、結婚したら絶対離婚はしない。その人のために尽くして生きていきたい」
こういうセリフがポンポンと色っぽい彼女の唇から発せられた。彼女はいった。
「あたし、もっともっと映画ではない、別の仕事がしたいんです。お仕事のことは東映関係なしに直接、あたしに連絡して欲しいんです。住所と電話番号、書いておきます」
そういって、彼女は田園調布の自分の家の住所と電話番号、それに、本名池田玲子と、きれいな、ただものと思えないような形の良い女文字でスラスラ書いて、それをわたしにくれた。
これはそうとうにショッキングな取材で、しかもいい女で「あたし、いま、恋人募集中なんです。シオザワさんは彼女いるんですか?」とか聞かれるのだから始末に負えなかった。オッパイを取材相手に見せながら話をするなんていうのは、これも冷静に考えてみれば、彼女の思いついた取材記者を籠絡して、自分の虜にしてしまうテクニックのひとつだったのかもしれない。池玲子は演技は大根でどうにもならなかったが、存在自体は迫力満点で、男だったら誰もが引っかけられてしまう甘い罠のようにステキな女優だった。
結局、わたしは彼女に電話しなかった。彼女に頼まれた別の仕事が見つけられなかったこともあるが、オシャレなスイーツのように甘そうに見えるが、じつは毒饅頭で食べたらヤバいという気がしたのだ。
あれから47年たち、あのとき16歳だった彼女もいまや63歳になっている。もしかしたら、毒饅頭は誤解だったかも知れない。いまどこでどうしているか、消息をいくら調べてもわからない。多分、あれだけなりたがっていた誰かの奥さんになって、専業主婦として幸せに平和に暮らしているのではないかと思う。
この話はここまで。Fin.
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