簡単なことをやり続けていても成長はないから、難しい課題をもらうんだろうなぁ、と、大変と言いつつ幸せを感じて生きてるような変人なんですけど、ちょっとショックなことが重なって、自分って本当何なんだろう。
ちっぽけな存在だな、って久々に打ちひしがれています。
ちっぽけなのが当たり前だし、ちっぽけで良いはずなのに、大きく在りたいと願う時がたまにあるんですよね。
驕っている証拠ですね。
まあ、これも糧になって行くことは、もういいだけ生きているのでわかってるんですけど。笑
一度(いや厳密に言えば一日に30度ぐらいを毎日繰り返して来たんですけど。)決壊したことだし、そろそろまっさらにして土台組み直す時期かな。
それが出来てたら、とっくにやってる気もするけど…。
世の中には、自分の力じゃどうにもならないことがあるのですね。
動かすことは出来たとしても、目的を叶えるために数え切れない犠牲が生まれて、結果、目的すら目には見えないけれど、実は織りなす構造が変わっていて、望んだ結果を得られない。
その可能性を考えずに進める、または考えていても受け入れる勇気のある強い人でなければ、なかなか道は切り拓いて行けないのかもしれません。
私、人生は、本気で思った時には手遅れになるように出来ていると思うんですよ。
進路だって、10代で決めなきゃ行けないのは早すぎた。
ただ日課のように学校に通っていたけれど、今、本気で学びたいことを、本気で学びに行ける環境が整ったらどれだけ充実するのだろうと。
成功したかは別として、やっぱり一番好きで、魂が踊ることに挑戦すれば良かったと今になって思う。
そう気づいた時には、年齢的にも、環境的にももう手遅れ。
人生まだ半分以上あるのに、決断しなきゃいけない大事なものが、前半に寄り過ぎてるんですよ!笑
(後悔している訳ではありません。記憶を保ったまま戻れるのならともかく[にしても現在が変わってしまうだろうし、タイムスリップネタは複雑です。笑]、その時のその頭の自分に戻ったところで、どうせ同じことするから。笑)
でも、現在望むものとは違ったとは言え、その選択があったからこそ今があるとも言える。
言いたいことは、一般的には"手遅れ"だけれど、切り拓く人にとっては"手遅れじゃない"。
人生は一般的には手遅れになるように出来ているけれど、それを超えて行けた人だけが、"手遅れのない"世界を観ることが出来るように出来ている。
ということです。
「自分の力じゃどうにもならない」を超えていく力ですね。
様々な負荷やリスクや犠牲を承知の上で、それでも挑むかどうかの問題です。
「人生はいつからでも遅くない」
っていうのは、事柄によっては、はっきり言ってそういう勇者限定の話です。笑
まあ、"手遅れ"は、ないものねだりから来てる可能性もあるし、手に入らないからこそ"本気"になるという可能性もいちお想定はしてるんですけど、だとすると、"ないものねだり"って、恐ろしい破壊の呪文でもあれば、もの凄い革命を起こす原動力でもあるというか…。
まあ、結局は何に価値観を見出すかなんですけど。
私も曲がりなりにも母なんだなぁと実感しています。
あぁ〜、決壊しているから、全くまとまらない。
まとまらない自分がまた嫌になって来たからやめます。笑
(いつにも増した投げっぱなしスタイル。本当だめ人間。)
こうやって、一つも目に見えなければ、形にもならないことばかりで構成されている自分が大嫌いです。
基本的には、マイナス感情も、ちゃんと処理して、パッケージに包んでから発信するって決めてるんですけど、今回直でお届けしてしまったので、不快感あると思います!
ずっと言っちゃいけないと思ってたこと言いました。笑
本当すみません!!
あ!10月の転勤はなかったのですが、4月に札幌に帰ることになりました😊
残り半年間の苫小牧生活、満喫しようと思います✨
札幌のみなさん、また春からよろしくお願いします!!
秋ですね〜。
私、秋苦手(好き)なんですよね〜。
なんか切なさで身が持ちません。笑
こんな時、弾き語りでもすれば、まあ何とか凌げるはずなんですけど、今日は、鍵盤押す力も、声出す元気も、表現するエネルギーもありません。
飛べなくなったキキみたいです。
(なんでそんな可愛い言い方しちゃったのー?!笑)
…コナン観よ。