先日、東洋哲学研究所の研究会で近しい同僚が「平和学とSDGs」をテーマとする研究発表を行いました。その中に「コラテラル・ダメージ」(Colatteral Damage)という用語が使われました。テロや戦闘の巻き添えで無辜の一般市民が犠牲になることを指す言葉です。かつてそのことをテーマとした映画を観た記憶がありましたが、今回、有料動画サイトで改めて観てみたので、ちょっと感想を書こうかと思います。

 

 

アメリカのアクション映画「コラテラル・ダメージ」は順調に撮影が終わり、いよいよ2001年10月5日の公開予定を目前にした9月11日にあの同時多発テロが発生します。そのため、この映画の公開が翌年2002年4月まで延期となったことも話題となりました。まさにアメリカで起きたテロで無辜の市民が犠牲となる状況を描いていたからでした。それだけでなく、当初はハイジャックされた航空機がテロに使用される場面まであって、まるで9・11を予見するかのような内容だったため、その場面は削除されて別の場面に差し替えられたのです。

 

舞台はロサンゼルス。主演のアーノルド・シュワルツェネッガーが演じる消防士ゴーディーは、悲惨な爆弾テロのために目の前で愛する妻と幼い息子を失います。直後に南米コロンビアのゲリラ組織が犯行声明を出しました。標的はアメリカの要人でしたが、ゴーディーの妻子はその巻き添えとなったのでした。

 

直後のテレビ局のインタビューで"collateral damage"(字幕では「仕方のない犠牲」)という言葉が発されるのを見たゴーディーは激怒します。そして、妻子の仇討ちのためにコロンビアに乗り込むことを決意します。

 

コロンビアではゲリラと現地警察との三つ巴の闘争シーンが続きますが、たびたびの難局を乗り越えてゴーディーは、ロスでのテロの主犯であったウルフのもとにたどりつき、いよいよ仇討ちを実行しようとします。しかし、そこで亡き妻子を思い出させるセリーナとマウロの親子を助けようとするのですが、その二人がウルフの妻と子であったために仇討ちは失敗に終わり、逆に囚われの身となります。

 

鎖でつながれたゴーディーのもとに食事を運ぶセリーヌは意外な過去を語ります。セリーヌとウルフはかつてアメリカ軍の攻撃によって幼い娘を失っていたのです。その怒りと憎しみの復讐のために夫ウルフはテロリストになったのだと。そして、"It's like you."(あなたと同じ)と言います。印象深いフレーズです。テロとは、憎しみへの復讐が新たな犠牲と新たな復讐を産む、負のスパイラルであることを語り掛けます。

 

しかし、ゴーディーはただの復讐者ではなく、罪のない人が巻き添えとなることを食い止めることを目的としていました。ワシントンDCの新たなる標的へのテロを敢行すべく先に出発したウルフを食い止めるために、セリーヌはゴーディーに協力することを約束し、幼いマウロを連れて3人でアメリカに向けて厳しい旅を続け、ようやくワシントンDCにたどりつきます。

 

映画として最も衝撃的なシーンはゴーディーと一緒に旅してきて、すっかり信じていたセリーヌの裏切りです。それも気が変わったというようなものではなく、むしろテロの首謀者はウルフではなくセリーヌだったという大どんでん返しに映画の観衆は誰もが度肝を抜かれたことでしょう。

 

そこまでして幼い娘の仇を討ちたかったのか・・・・しかし、そこでもう一つ印象的な場面がありました。爆弾をしかけたセリーヌがマウロを外へ連れ出そうとするのですが、マウロは嫌がってゴーディーのもとに残ります。このときセリーヌは結局マウロを見捨てます。コラテラル・ダメージ、「仕方のない犠牲」として。マウロはかつてアメリカ軍との戦闘で両親を失った孤児をセリーヌ夫妻が引き取って育ててきた義子でした。マウロには悪を見抜く直観的な感性があったのでしょう。育ての母であるセリーヌの目に悪を見出して拒否したのです。

 

ゴーディーはとっさの判断で爆弾を屋外へ放り投げ、辛うじて犠牲者を出さずに済みます。その後、逃げたセリーヌとウルフを巧妙に捕まえて、最後は仇討ちを果たします。ゴーディーは英雄と称えられますが、全く喜びません。人間に同居する善と悪。我が子を愛する善の心を持った二人が、復讐のためには巻き添えを厭わない悪の心に支配されて至った悲しい末路に虚しさを感じたようです。

 

実の両親に次いで育ての両親も失ったマウロでしたが、ゴーディーを見つけると走って抱きつきます。これからゴーディーはマウロを我が子として育てていくのだろうなと思わせて映画は幕を閉じます。

 

テロリストにはテロリストの大義名分があります。しかし、どんな理由があっても罪のない人々を絶対に犠牲にしてはならない。このことを哲学として語り掛けてくれたように思います。

 

あらゆる困難に立ち向かう主人公の不屈の精神と肉体、複雑な人間模様、視聴者の意表をつくどんでん返し。見どころの多い映画でしたが、同時に平和について考えさせられる作品でもありました。