明治43年8月20日
日韓併合発表さる
日韓合併は本日枢密院の諮問を経て発表されたり
その大綱左の如し
1 韓国皇帝は自ら位を退き国を挙げて日本天皇陛下に捧げ日本国政府の統治に任ずる事
1 韓国を改め朝鮮と称す
1 韓国皇室は日本の準皇族たるべき事
1 韓国と諸外国との条約及び関税は日本政府においてそのまま継承する事 ただし治外法権は撤去す
韓国が日本に併合を頼んだ理由は以下、動画にて
30秒ぐらいから
つまり日韓併合とは日本が韓国を略奪し植民地化したものではないということ。昭和40年代の日本の教科書には日韓併合という言葉はあったが植民地という言葉はなかった。いつの間にか日本が韓国を植民地にしたという歴史になっているが、事実は違う。李氏朝鮮末期、国力は衰え、このままではロシアに占領されひどい目にあうという危機感から韓国が日本に統治を頼んだという話が真実。
日韓併合前と日韓併合後の比較
日韓併合前の韓国には多くの奴婢がいて(人口の3分の1から4分の1くらい)人とみなされず市場で売買されていた
李氏朝鮮時代、身分制度が残されていた。日韓併合により、日本が撤廃した
朝鮮半島で実質的に奴隷制度が廃止されたのは、日韓併合の前年1909年である。この年に韓国統監府は戸籍制度を導入することで、人間とは見なされていなかった姓を待たない賤民階層にも姓を許可した。これにより、彼らの子供たちは学校に通えるようになり、身分解放に反発する両班は激しい抗議デモを繰り広げたが、身分にかかわらず教育機会を与えるべきと考える日本政府によって即座に鎮圧された。(Wikipedia 「奴婢」より)
日韓併合前のソウルの様子
日韓併合前と後の東大門周辺の様子
日韓併合により結果として韓国に決定的な文明の開化を促した
少女を誘拐し売春宿に売り渡す事件が横行したが日本の警察制度が整備され逮捕・検挙した新聞記事が多く残されている
朝鮮総督府の「犯罪件数及び検挙件数人員罪名別」統計記録
略取・誘拐の検挙人員数(赤の◎)は内地(日本)人10人、朝鮮人1699人とある。
朝鮮総督府陸軍兵志願者訓練所長 海田要の名前での修了証書
「右の者 本訓練所 所定の訓練を修了せり よってここにこれを証す」
(昭和十六年 七月二十六日)と、あり
強制徴用しなくても日本に仕事を求めていった人や陸軍の志願兵が多くいたという話は修了証書を見ると、事実と考えるのが適当。
写真に見るように併合前と併合後では街が発展し、身分制度は撤廃され、教育を受けることができ、治安が安定した。
当時を生きた人が「日本統治時代はよかった」と思ったのは当たり前。しかし、当時を何も知らず戦後、反日教育を受けた若者が当時を知る老人を「日本統治時代はよかった」と振り返ったら、何を言うかと怒り、殴り殺してしまう事件が起こった。