栗城史多と考察
まんが日本昔ばなし 【吉作落とし】
前回紹介したドナルドクロウハーストは自責の念に囚われ失踪、今回紹介した吉作は準備不足と慣れによる慢心が事故を招いた。
今季エベレスト栗城の行動表
4月16日 東京のFM局にカメラ担当と出演、法螺を吹く。
4月17日 昼に出国 夜にカトマンズ着
4月18日 カトマンズに滞在中・音信なし
4月19日 音信なし
4月20日 カトマンズ→ルクラ(2800m)に飛ぶ
4月21日 ルクラ→ナムチェバザール(3440m)
4月22日 ナムチェ→タンボチェ(3860m)
4月23日 タンボチェ→ぺリチェ(4270m)
4月24日 休養日 栗城発熱
4月25日 停滞日 栗城発熱
4月26日 停滞日 栗城発熱
4月27日 BC(5300m)へ到着
4月28日 停滞日
4月29日 停滞日 プジャ
4月30日 停滞日 中継班ぺリチェに下山(順応出来ずにか・・・)
5月 1日 停滞日
5月 2日 停滞日 隊員1名脱落発表
5月 3日 停滞日 栗城発熱
5月 4日 停滞日 栗城発熱
5月 5日 BCから、C1へ泊まらず、C2へ上がる
5月 6日 C2から、BCに戻る(7千mでの順応は中止)
5月 7日 停滞日
5月 8日 停滞日 7.8.9.10日の行動不明、AC隊とヘリでルクラへ降りる
5月 9日 停滞日 ルクラの医者にも往ってる
5月10日 停滞日
5月11日 停滞日
5月12日 BCからC2(6400m)に上がる
5月13日 停滞日 C2で
5月14日 深夜に、7000mへ出発しBCに戻る
5月15日 停滞日
5月16日 停滞日
5月17日 停滞日
5月18日 BC→C2
5月19日 停滞日(疲れ果てて、C2で動けず)
5月20日 C2→南西壁下部7300m辺り
5月21日 事実上の敗退宣言→C2で死亡
言葉を選んで言わせてもらってもこれは自殺行為に等しい。
ここで一つの記事を紹介させてもらいたい。
去年このブログ栗城が“否定”される理由でも紹介した登山ライター森山憲一氏のコラムである。
http://bunshun.jp/articles/-/7474?page=3
自分には文才もなく登山経験も浅いので海彦山彦氏や森山氏の見解や分析になんども溜飲を下げる思いをさせてもらいました。
森山氏の今回のコラムは全ての山関係者、山愛好家、栗城批判者の本心だと思う。
「残念とも違う何とも言えない気持ち」
この表現が何とも言いえて妙である。
栗城批判者だった私が言うのも何だが、やはり「プロ下山家」としてエンターテイナーとして栗城は絶対に死んではいけなかった。
私はそう思いました。
「単独行」 加藤文太郎
世には往々ほんの僅かな苦しみにもたえず周章狼狽、意気泪喪して敗北しながら、
意思の薄弱なのを棚に上げ、山の脅威や退却の困難を説き、
適当な時期に引揚げたなどと自賛し、登山に成功したのよりも偉大なことごとく言う人がいる。
しかし山を征服しようとする我々は、こんな敗軍の将のいうことなどには
いささかも耳を貸さず、登頂しないうちは倒れてもなお止まないのである。
※上の言葉は漫画「孤高の人」のモデルでもあり本物の「単独行」加藤文太郎の言葉
今後の分析や検証は海彦山彦氏のブログ見られます
登山歴の長い氏の見解はとてもわかりやすいですよ(・∀・)/
読者の皆様へ複雑な心境ですが閲覧ありがとうございましたo(_ _*)o