最愛の妻・智子が11月16日、永眠致しました。
享年46歳。
あまりにも突然のことで胸が張り裂ける思いです。
私自身、現実を受け止めるのは難しいですが、これからは、人生の師匠・池田先生の「幸福の太陽は、わが胸中にある」とある通り、私がこどもたちの太陽となって、前に進んでいきます。
2010年に結婚をして以来、様々な困難の壁を共に乗り越えてくれました。
妻は、ガンを勝ち超え、あらゆる困難も関西魂で明るく挑戦し続けました。
今年の妻の誕生日には、妻の願いでもあった「二人だけの時間」をこどもたちが私の姉と協力して、二日間にわたり作ってくれ、出会った頃のような二人に戻り、最高の時間を過ごすことができました。
今年の夏には家族四人で、最高の思い出となった旅行に行くこともできました。
しかしながら、10月中旬頃より体調を崩し、自宅療養となり、最後まで一生懸命に挑戦をし続けていました。
亡くなった日の午後に自宅に戻り、19日の夕方まで自宅で特別な日々を妻とこどもたち、母や姉、親戚と過ごすことができました。
なによりもありがたいことに、妻の母校である関西創価学園や創価大学、各地域で共に平和と幸福のために歩んできた同志の皆様が連日、妻のもとに会いにきてくださいました。
中でも、妻が関西創価学園時代に所属していたバレー部の同志の皆様は、遠路にもかかわらず、家族同様に、弔問に来てくださった方々の対応やこどもたちのケア、食事の手配など、常に温かく優しく寄り添い続けてくださいました。
私は、バレー部の皆様の振る舞いに感動しつつ、まるで妻と話しているような、接しているような気持ちになるほど、妻との深く強い絆を感じました。
妻は、本当にたくさんの友人・知人の皆様に恵まれ、
おかげさまで大変幸せな人生であったことを改めて実感いたしました。
特別な日々の中で迎えた、私と妻の結婚記念日である11月18日には、バレー部の皆様から、記念の花束をいただきました。
臨海斎場での、お別れ式当日(11月20日)も、地元の小山台一丁目東町会会長の石津忠雄様やママ友・パパ友の皆様、地域の皆様、コロンビアで活躍する大学同窓生のほか、妻に様々な形でお世話になりました、大変多くの方々にご多忙の中ご列席いただきました。
公明党からも、竹谷とし子代表代行、岡本三成政調会長にもご列席いただきました。
義兄が私の娘に「◯◯◯(娘)は強いね」と声をかけると「ママの子だもん」と答えたそうで、こどもたちも、妻の永眠を懸命に受け止めようと健気に振る舞っていますが、少しでも早く心が癒されるよう、父としてさらに強くなり、家族で励ましあって進んでいきます。
また、妻に喜んでもらえるよう、立派な後継の人材に育てていきます。
これまで、多くの皆様に、私たちを見守っていただきましたことに改めて心より感謝申し上げます。
これからも皆様に温かく見守っていただけますと、大変ありがたく思います。
特別な日々に、献身的にサポートしてくれた、義兄家族、従兄弟家族、母、双子の姉とその夫である義兄たちにも心から感謝しています。
妻・智子に縁していただきました全ての皆様に、妻に代わりまして、心からの感謝を申し上げます。
大変ありがとうございました。