とつげき東北の言葉への反論と指摘
テーマ:ブログ
19:49に、とつげき東北が放った一言
これについて、我は
:「頭が良い人は『絶対』から揚げなど揚げない」という論拠を聞かせていただこう
:頭のよろしいとつげきが言うのじゃから、統計的な論拠があり、それを容易に提示できるという事であるということ
何故、「絶対」頭が悪いのか?
という質問をしてみた
それについての反撃が…
「URLでの反論」
その後「これを見て、認識論を10年学んで俺と同じ頭になってから反論しろ」と言うておった
そのURLがこちら
http://totutohoku.b23.coreserver.jp/hp/sinwa.html
早い話が、「解釈の相違」「自身の認識がこう」
ということじゃが…我が聴いたのは「絶対悪いという論拠」
古今問わず、認識論だけではなく大抵の哲学・論理学では「絶対という言葉は使わない」というのが大前提
何故かというと、「絶対」とは 証明できないものである…つまりこの空間が絶対でない、つまりは絶対というものがないからである
俗に言う「悪魔の証明」と言われるものと思われる
言い換えてしまえば、とつげき東北は「絶対という言葉を使用した時点で」論理学自体が一切解っておらぬということでもある
その後、とつげき東北への反論をしようと話し始めた途端、もはや逃げ口上として使うておるとまで認識できる「論理学勉強してから来い」を連発し、最終的には感想と論破途中に「消え去り、帰ってこぬ」という事態まで………
これでは、どちらが論理学を知らぬか解ったものではないと我は思う
ちと余談となるが…
この頃とつげきが多用する言葉に
「原稿用紙10枚程度にまとめてから(ry」「400字以上で(ry」などと云うておるが
実際のところ、要点の周りを徘徊し、だらだら長文を書くこと自体が「国語力のなさ」を露呈しておるとういうこと
社会に出て言われる言葉らしいが、だらだらとしたプレゼンを聞く奴はほとんどいない
これは「具体性が薄い」「無駄が多い」などという事でもある
つまり、上記URLの文が、良い例
どうあれ、他人に大口を叩いておる割には自身の番となればすぐ「偏差値65以下は死ね」「400字でまとめて表せ」などと意味不明な逃げ口上を発してしまうとつげき東北
結果を書くと…我の反論途中から返答不能となり、とつげき東北が聞くに耐えぬようになり落ちた…と見られても仕方なしというたところ
あまり、他人を馬鹿にしたところで…自身の番が来ることを考えぬようでは、いくら偏差値が高かろうが…所詮は2流
大口を叩くのも、ほどほどに
【以上、引用終わり】
まず最初に言っておきたいのは、おれの発言、
「頭が良い人は絶対から揚げなど揚げない」
という言葉は普通に冗談であるということ。
もしこれが本気なら、対偶をとって、「から揚げを揚げる人は頭が悪い」となり、まあ世の中のから揚げやさんとか、から揚げを1度でも作ったことのあるおかんとか、なんだろうね、居酒屋の調理バイトしてる人も頭が悪いということになる。
それはさすがにそんなことないよね。
いや知らないですけど、本気で「頭が良い人は絶対から揚げなど揚げない」という言葉がまさしく正しい、と思う人なんていますかね。
そんなにいないと思うんですけど。
(これに関してとつげき東北さん(ホンモノ)がアンケートを取った結果、70%が「特別な理由がない限り、ジョークだとわかる」と回答しています。)
当該発言に至ったのは、おれのことを当時敵対視していた人が「今日はから揚げを作った」みたいなことを言っていたのが理由だったと思うが、それに対して茶化す程度に言ったわけです。
そしたらまさかの哲学的な(w)展開となりました。
>:「頭が良い人は『絶対』から揚げなど揚げない」という論拠を聞かせていただこう
>:頭のよろしいとつげきが言うのじゃから、統計的な論拠があり、それを容易に提示できるという事であるということ
>何故、「絶対」頭が悪いのか?
えっと、論拠はないです。なぜなら冗談だから。
そして統計的な論拠もないですね。
そんなこと思ったことないし。
で、「絶対」という言葉はその本質において、あらゆる意味で存在し、逆にだからこそあらゆる意味で存在しない、というニーチェ以降の(もしくは古代ギリシャにおける哲学の)基本を示しました。
「人間は万物の尺度である」
というやつですね。
それについて、こう言われました。
>古今問わず、認識論だけではなく大抵の哲学・論理学では「絶対という言葉は使わない」というのが大前提
これは間違いです。
まず認識論のうちの独我論なんかまで掘り下げれば、「絶対」というのは自分の認識の内にあるわけであって、それはそれで絶対だし、まあ普通に考えるとカント『純粋理性批判』で仰々しく言われたように、「絶対」であると言い切れるものなんてないということになってます。
で、おれがURLの参照先であるURLに書いた通り、「これはマジ絶対だあ!!」と思った直後、目が覚めて、自分は布団で寝ていて、「あれ? おれは絶対正しいものを見つけた夢を見てただけか……」となる可能性が排除しきれない限り、少なくとも今の論理学では無矛盾かつ完全な系(ゲーデル)は作れないというのは大学生なら皆わかるはずです。
それをなんか教えてもらっていますけどよくわからないです。
(この人は自称中卒だかなんだかで、高等教育の教養を学んでいないようです)
そして、
>何故かというと、「絶対」とは 証明できないものである…つまりこの空間が絶対でない、つまりは絶対というものがないからである
>俗に言う「悪魔の証明」と言われるものと思われる
と書いてありますが、これは違います。
例えばある種の「よくある」数学の公理系で言いますと、
「整数は2乗すれば絶対に正になる」
は、簡単に証明できます。
もしaが正の整数なら、
a=k(ただしkは正の整数とする)のとき、
a^2=k*k だから、a^2は正。
もしaが負の整数なら、
a=k(ただしkは負の整数とする)のとき、
正の整数 l=-k とおくと、
a^2=k*k=(-k)*(-k)=l*l だから、a^2は正。
はい、できました。
「絶対」はある種の公理系において証明可能です。
「悪魔の証明」というのは全然違う話です(これについて知りたい方は、ググってください)。
ので、その後に続く、
>言い換えてしまえば、とつげき東北は「絶対という言葉を使用した時点で」論理学自体が一切解っておらぬということでもある
というのは推論の誤りです。
たとえば、数学の分野において、1階命題論理学では、無矛盾かつ完全な体系が存在することを、ゲーデルが示しています。特定の公理系において、「この公理系では、全ての命題の真偽を『絶対に』証明できる」と示していて、その公理系に乗っかってやればそのうえで絶対に正しいとか絶対に間違っているとか示せます。
残りの部分は単におれへの感情的反発なので何ら反論するところはありません。
本件について、当人に通告したとおり、4日後(この書き込みが終わった後24×4時間後)までに反論がなければ、「反論できなかったもの」とみなします。
以上です。