僕は幸運なことにLA時代にワールドクラスと言われているミュージシャンと
一緒に仕事をさせていただく機会が多かったため、
今となっては当時の自分は、悪い意味で音楽に関しての
感度は非常に低くなってしまっていたかもしれません。
それに、人の「凄い」という尺度に振り回されることなく、ちゃんと自分の中で
物事を判断していくということも求められていたので、そういう意味でも
相当なミュージシャンに出会っても、感動はしたとしても、「まあ想定内」
と思う様にして努めて平常心で作業をするようにしていました。
そんな中、まさかこの日本で想定外なミュージシャンに出会うことなんて、
それこそ想定外でした。
髪は長くぼさぼさ、髪をいじるのが癖、小柄で童顔、
そのミュージシャンは、淡路島出身のギタリストでした。
ニコニコ笑いながら渡された名刺にはギター戦車と書いてあった、あ、こいつはヤバいな、と。
当時僕は音楽事務所を退社し、フリーランスのエンジニアに戻ったばかりで
パートタイムでMI Japanのレコーディングエンジニアの講師をやり始めたところでした。
HollywoodのMIの講師陣と言ったらそれこそ変態クラスのテクニックを持った猛者ばかりでしたが、
日本のMI講師にも超絶に上手い先生がいたことに驚いたが、それもやはり想定内でした。
まあそうでしょう、と。
ところがこのギター戦車という人の音を聞いて、衝撃を受けました。
これまで出会ったギタリストの印象を全て吹き飛ばしてしまうほどの圧倒的な個性的なプレイ、
そして無駄のないピッキングとそのプレイの精度の高さ。。。言葉を失いました。
なにこのギャップ、見た目とは真逆なエグいプレイ。
これが藤岡幹大でした。
こいつは絶対日本にいたらもったいない、海外に出るべきだとすぐに確信しました。
日本には巧いプレイヤーはたくさんいますが、出音一発でこいつだ、と分かる様な個性のある
ミュージシャンは稀です。
巧さで言えば日本はレベル高いです、が、一度聞いたら忘れないくらいの個性的なトーンと
【匂い】を持ち、且つ確かなテクニックを持ったプレイヤーはそうそう居ません。
が、彼は、そういうプレイヤーでした。
やがて僕がMI Japanの運営に携わるようになり、EducationのHeadを担当するようになると
この藤岡幹大を海外アーティストとJamセッションさせるように敢えてセッティングをしていました。
そしていつも幹大に伝えていました。
「ひっくり返して来て」
つまり、圧倒的なギタープレイでぶっちぎって来て、ということです。
来校するアーティストのうち、日本人アーティストにはそういうことはしませんでしたが
海外アーティストには必ずといって良いほど藤岡幹大をJamということで当てていました。
これまで世界のミュージシャンを見て来ている僕からみても藤岡幹大は確実に唯一無二の存在である
ということに自信があったので、海外アーティストをJamでひっくり返すことでそのアーティストから
「日本に藤岡幹大という凄いギタリストがいる」ということを口コミで広げさせようと企んでいました。
海外のミュージシャンは変なミュージシャンを面白がってくれることも知っていましたので。。
正直、当時の藤岡幹大は、2018年現在皆さんが知っている藤岡幹大の技術/知識/プレイスタイルを
既に持っていたにもかかわらず、ギターを弾く仕事で忙しいということはなかったのです。
それが僕は悔しかったんです。
そしてこの才能あふれまくっているミュージシャンを応援したかったんです。
藤岡幹大は天才と良く言われていますが、確かに類いまれな才能を持っていると思いますが
僕の印象はちょっと違います。
誰よりも純粋なギター少年でした。
いや、誰よりもギターが好きな「少年のルックスをした中身はおっさん」でした。
彼は巧くなりたいということでギターを練習していた様には見えませんでした。
弾きたいから弾いている、知りたいからとすぐコードやフレーズをアナライズしちゃう。
「モトキさん、これね、このスケールとこのスケール使ってるんです。エグくないすか」
そんな報告良く聞きました。
じゃあこのコード進行でこのスケールを使ってるんなら、こっちのスケール当てたら気持ち悪くなるんちゃう、
っていって本当に気持ち悪いフレーズを良く弾いてました。
また、フレーズだけじゃなくてリズムでもいろんな変なことを仕掛けて
凡人では決して及ばないようなことを良く試していました。
とにかくギターで遊ぶことが大好きなおっさんでした。
そんなギター少年ですから、誰よりも引き出しも多く、誰よりも知識も深かったです。
自分も色々分析して、自分の言葉で指導するので教えるのもピカイチでした。
本気出すと訳の分からない演奏をするくせに、取っ付きにくいことを非常に分かりやすく教えるという技術も
学校で講師をしている間にどんどん身に付いていったように思います。
当時僕はほぼ全てのYoung GuitarのDVD収録を担当しており、MIとして藤岡幹大を紹介すると
ヘンテコで気持ち悪い練習フレーズとたくさん編集長の前で弾き倒しました。
するとそれが気がついたらDVDにまとまって出版されていましたw。
これがヤング・ギター教則DVD『TRICK BOX:SP~特製:奏法玉手箱~』です。
ちょうどそのころバンド形式でもやるようになって
MIでshowcase liveをやったこともありました。
ええ、まさにこれです。
幹大がまた変なギター持って来て、「モトキさん、これ弾きます」って。
それがこのアコギです。琴ギターって呼んでた様な気がします。
ちなみにこの時も僕がPAしてるんですが、これ音はPAの2mixアウトそのまんまです。
僕らが学校用にと記録用に録っておいたやつなので、これをアップしたのはもしかしたら当時の
学生かもしれませんね。ありがたい。
そのうちYoung Guitarで連載もやったり、採譜の仕事をしたり、
教則も年に何冊も書いてみたり。。。次第に忙しくなっていきますが彼の音楽に対する姿勢や
人間性は全く変わることなく、人懐こくて愛される人そのままでした。
忙しくなっていろんなところで活躍している藤岡幹大をみると嬉しく思いました。
仮バンドというバンドの構想が固まった時、
「もときさんにエンジニアやってもらいたいんやけどもお願いしたりしてもいいですか?」
と言われたときは最高に嬉しかったですね。
エンジニアとしてはおそらく誰よりも「藤岡幹大の音」を知っているので、そういう意味でも
お願いしてくれたのかなと思いますが、その時の最高の藤岡幹大を引き出せたと思っています。
藤岡幹大というと、比較的ご近所さんということもあってレコーディングや
学校の帰り道など良く一緒に帰ってました。
(打ち合せと称してTullysでアイス喰っちゃうおっさんの図)
あと、打ち上げの後一緒に帰るのが大変。
酔っぱらった藤岡幹大はただの戦車になります。ひっぱたいたりして喝を良く入れましたw。
だからか、それ以来僕と一緒だとあまり変な酔い方をしないようになった様な気がします。
どんなに忙しくても、大変なことでも出来ないとは言わないで
それを楽しみながらこなしていた様に僕には見えました。
僕の周りの知人からも同じ様な話を聞きました。
ギターの仕事は絶対に断りたくなかったようです。
また世間で知られていない彼の面白い話でも思い出したら書きます。
we are missing you.